カテゴリー「妻への挽歌03」の記事

2009/04/24

■節子への挽歌600:真実に生きる

節子
人生は実にさまざまです。
この数日、改めてそのことを実感しています。
毎日、さまざまなメールや電話がきます。
しかし、一番心が動揺するのは、「がん」にまつわる話です。

先週、友人からちょっと話があると言われました。
思いもかけず、「実は検査の結果、手術することになりました」というのです。
がんが発見されたのだそうです。
節子が闘病中に、毎朝、節子の回復を祈願してくれた人です。
なかなかまわりには公言できずに、私に話してくれたのです。
驚きました。
全く健康そのもので、私にもいろいろと健康法を伝授してくれていた人なのです。
ただただ聴くだけしかできません。
不用意な言葉は避けなければいけません。
なにしろ感受性がとがっているはずですから。
翌日、「話してよかった」とメールが来ました。
いま、毎朝、節子への挨拶の後、彼にために祈っています。

節子も知っている友人から、ちょっと症状が悪化している、という電話を受けたのは2週間ほど前でしょうか。
いつもは軽口を叩き合っている仲ですが、数日経ってから、その電話がとても気になりました。
しかしなぜか電話できずに、今日、やっと電話しました。
元気そうな声でホッとしましたが、また意外なことを聴いてしまいました。
人生は、まさにいろいろあります。

それとは別に、彼がこう言いました。
「佐藤さんは人が変わってしまった。もう心ここ(現世でしょうか)に在らずだよね」
とんでもない、そんなことはなく、何も変わっていないと言ったのですが、挽歌を読んでいるとそう感ずるのだそうです。
私にとっては、現世も来世も繋がっているのですから、「ここに在らず」などということは起こりえないですし、昨日も書いたように、けっこう、自己の遍在を実感しているのですが、挽歌の読み手にはそれは伝わらないようです。

人は、結局は変わりようがないのです。
そして、ある状況に置かれると、自分と周りが恐ろしいほどによく見えてきます。
そして、「関係性」が変わるのです。
節子と一緒にいて、そのことを強く実感しました。
人は真実に生きだすとまぶしいほどに輝きだします。

そういえば、今日、ある人を紹介したいというメールをもらいました。
「死」を間近に垣間見た人だそうです。
紹介した人はこう書いてきました。 

○○さんのこと、私から佐藤さんにバトンを渡します。
彼によい「影響者」となって本物の世界へと導いてあげてください。
「本物の世界」とは何なのでしょうか。
彼女は、私が「本物の世界」に生きていると勘違いしているようですが、真実を生きたいという思いは、私にも最近少しずつ強まっています。
節子が教えてくれた生き方なのです。

人生はほんとうにいろいろです。

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2009/04/23

■節子への挽歌599:遍在転生の死生観

節子
今週の土曜日に、東尋坊の茂さんたちと「自殺ストップ!緊急集会」を開催します。
その準備でいささか最近疲れ気味なのですが、このプロジェクトへは節子の誘い(いざない)があるような気がしています。
いろいろとそう思う節があるのです。

私の性癖は、どんなことでも単に事務的には関われないことですが、今回もいろいろと考えることが多いのです。
それで精神的に疲れてしまうのですが、先日、茂さんから「ストレスチェック」のカードをもらいました。
ある部分を指で押していると変色するのですが、その変色度合いを見て、ストレス度がわかるのです。
それでやってみたら、なんと「要注意」を越して「ストレス有り」の段階でした。
たしかに最近疲労とストレスがたまっているようです。
ストレスはすべて節子に解消してもらっていた頃は、いつも元気だったのですが。

まあそんなわけで、今日は脳疲労もちょっと起こしています。
資料づくりの合間に節子のお墓参りに、いま行ってきたのですが、まだ頭がすっきりしません。
困ったものです。

それで今日の挽歌は、いささか難しい話です。
遍在転生論というのがあります。
この世界における過去・現在・未来を通じたありとあらゆる自己意識を持つ主体は、唯一の「私」が転生したものに他ならないのだ、という考え方です。
ユングの集合的無意識の考えに通じますし、いつか書いたような気もしますが、心のマルチネットワークの考えにも通じています。
いや、そういうものをつなげていくと、結局、この宇宙には「一人の私」しかいないということになるのです。

先日も、「死は存在しない」というようなことを書きましたが、遍在転生論の立場ではもちろん「死」などは瑣末な話です。
「生」そのものが一時のアワのようなものなのですから。
節子がいたら、この話を図解しながら私は得意気に話し、節子は真剣に聴いてくれているようで「またか」と受け流していることでしょう。

実は、節子がいなくなってから、遍在転生論も捨てたものではないなと思うこともあります。
しかし、真面目すぎるほど真面目に生きていた節子は、多分受け容れないでしょうね。
「死」は決して「瑣末なこと」ではないと怒るでしょう。
瑣末なことではないからこそ、瑣末なことなのだ、という私の論理は節子には受け容れられないでしょう。
受け容れられなくても、受け容れてくれた節子が、今こそ居て欲しいですが、それも適わぬことです。

何だか支離滅裂ですが、私の中では極めて論理的なのです。
わかってもらえないでしょうね。
超論的な節子なら、わかってもらえるのですが。

節子も知っていた清水由貴子さんが父上の墓前で自殺しました。
やりきれない話です。
「自殺」をテーマに関わっていく自信が、実はちょっと萎えています。
私には向いていないのかもしれません。
しかし動き出してしまいました。

節子に助けて欲しいです。
お墓に向かって、そう願ってきました。
清水さんのテレビを見ると、悲しさがこみ上げてきます。
どうも感情移入が大きすぎます。
やはり遍在転生している結果でしょうか。

やはり今日の挽歌は支離滅裂ですね。
すみません。

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2009/04/22

■節子への挽歌598:寄り添う2人

節子
昨日の挽歌の牡丹の写真を見た人が、
「2つの牡丹、私には仲むつまじく寄り添う佐藤修さんと節子さんご夫婦のように映ります」
とメールしてきてくれました。
同じ風景も、いろいろに見えてくるのですね。

改めて今朝、2つの牡丹の花をゆっくりと見てみました。
ところがです。
2つの花がどうもそっぽを向きだしているのです。
今日の牡丹は、「仲むつまじく」寄り添っているようには見えません。
夫婦喧嘩している2人のようです。

私たちは、夫婦喧嘩においても自慢できるほど喧嘩をしました。
節子は「実家に帰ります〕とは言いませんでしたが、離婚しようと思ったこともあるそうです。
鈍感な私は、後で節子から教えてもらったのですが。
喧嘩はいつも、私が謝ることで終わりましたが、後半は節子が私をかわす知恵を身につけましたので、私が腹を立てるだけで喧嘩にはなりませんでした。
節子が病気になってからも、もちろん喧嘩はしましたが、年に1度くらいでしょうか。
節子はどうせ修が反省して謝ってくるからと、相手にしないようになったからです。
女はしたたかです。

今日の我孫子はとても快い春の日です。
25日にある集会をするので、自宅でその資料づくりなどをしていますが、あまりの快適さに庭の池の手入れをちょっとだけしました。
小さな池なのですが、節子と娘たちが私の還暦の祝と称してつくってくれたのです。
そこに毎年沢蟹を話すのですが、残念ながら棲みついてくれません。
でも毎日、どこかにいないかと沢蟹を探しています。
そういう私を見て、節子が郷里の滋賀に帰った時に、私と一緒に沢蟹を捕獲に行ってくれたことを思い出します。
この池にも、節子の思い出が山のようにあるのです。

思い出は、うれしくもあり悲しくもあり、複雑なものです。

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2009/04/21

■節子への挽歌597:美野里町の牡丹

節子
2006年5月4日に、美野里町の花木センターで買ってきた牡丹が咲きました。
なぜ日付がわかるといえば、この日のことが私のホームページの週間記録に掲載されているのです。
その日、家族で那珂湊のさかな市場に行き、その帰りに美野里町に寄ったのです

翌年の2007年、見事な花を4つ咲かせました。
節子はとても喜んでいました。
その翌年はなぜか花は3つしか咲きませんでした。
節子がいなくなったことへの弔意の現われだったのかもしれません。
そう話していたら、今年はなんと2つしか咲きません。
Botan_3

花の数と家族の数がそろっているとしたら、もしかしたら私が今年はいなくなるのかもしれません。
いえ、実はもう私はいないのかもしれません。
落語に自分が死んだことに気づかない粗忽者の話がありますし、映画「シックスセンス」もそうですが、自分が死んだことを確認する方法は実際にはありませんから、気づかずに過ごしていることがないとはいえません。

節子はどうだったのでしょうか。
自らの死を体験したのでしょうか。
体験するはずはありません。
なぜなら体験したのであれば、まだ生きているということですから。
人は自らの死は体験できないのです。

言うまでもありませんが、他者の死もまた私たちは体験できません。
だとしたら、死は存在していないことなのかもしれません。
存在していない死の問題を考えるのは難しい問題です。

節子が元気だったら、きっと今年も見事な花が4つ咲いたことでしょう。
花はきっと愛している人のために咲くのでしょうね。
今年2つになってしまったのは、私の「気」が牡丹に伝わらないほどに弱々しく沈んでしまっているからかもしれません。
牡丹はプライドの高い花ですから、悲しんでいるのなら節子に続けよと言っているような気もします。
牡丹の花を見ていると、いろんなメッセージが伝わってきます。

節子は、牡丹ほど美しくはありませんでしたが、牡丹もまた、節子ほど美しくはありません。
でも、花を通して節子の世界とつながれることは、せめてもの幸せです。
来年は、3つの花が咲くように、気を取り戻さないといけません。

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2009/04/20

■節子への挽歌596:この挽歌は誰が書いているのか

この挽歌で紹介した「あなたにあえてよかった」の著者の大浦さんは、この挽歌を読んでくださっているのでが、時々、メールやコメントをくれます。
先日のメールの最後に、こんなことが書かれていました。

ところで「挽歌」は、間違いなく「作者は節子さん」だと私は思っています。
佐藤さんはお気づきになっていないでしょうが。
「共作」というのが普通なのですが、大浦さんは節子が書いていると言い切ります。
それは、大浦さんの体験からのようです。
「あなたにあえてよかった」も、
著者を「大浦郁代」にしたかったくらい、郁代が私を動かして書かせたのです。
納得しました。
しかし、私の場合は、たぶん節子が書いているのではないのです。
私が書いています。
ただ、何回も書いているように、私の半分は節子なのですから、まああまりこだわることもないのですが。

挽歌はもちろんですが、実は時評編のほうも、節子の思いがかなり強く出ているような気がします。
40年も生活を共にしていると、どちらが自分でどちらが節子か、あんまり区別がなくなってしまうのです。
それが、ある日、その伴侶がいなくなる。
信じられないことなのです。
まさに半身がそがれた気分

人間は環境との相互関係の中で、考え行動しています。
その一番の支えだった伴侶が不在になると心身が動けなくなるのは当然のことです。
私はそうした環境の変化に慣れるまで1年はかかりました。
いや慣れるというよりも、心身が動けるようになるまで1年といったほうがいいでしょう。
しかも疲労感が大きいのです。

ところが不思議なのですが、挽歌を書いている時には疲労感がないのです。
パソコンに向かうと自然と指が動き出します。
だから大浦さんが言うように、「節子が書いている」といえないこともないのですが、そうではなく節子と会話しているような感じが戻ってきて自然と指が動きだすのです。

内容はいろいろですが、共通しているのは、話し手はいつも節子なのです。
大浦さん
もしかしたら、それが親子と夫婦の違いかもしれません。

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2009/04/19

■節子への挽歌595:節子が出した2枚のハガキ

節子
岡山の友澤さんから、節子が2005年と2006年に出したハガキが送られてきました。
書類を整理していたら、出てきたのだそうです。
いずれも闘病中の手紙です。
闘病中の節子の生き方が目に浮かびます。

2004年5月の手紙には、こう書いています。

次の検査は6月です。
それまでの3か月は「行動の月」と決め、帰省や小旅行など多忙で充実した日々を過ごすことができました。先日は夫と初めての上高地へ行き、清らかな水と空気、残雪の穂高に感動できたことがとても嬉しく思います。
5月23日はミニコンサートで「万葉集」を歌います。
また皆さんとお会いできる事を祈っています。
翌年の5月は、検査が増えてきたこと、そしてその結果があまり良くないという内容で、いま読み直すと1年前とは違い、その先を少し予感させるような内容です。
でも節子はせいいっぱい元気に書いています。

2枚とも、節子らしく切手は花の切手です。
2枚のハガキを見ていると、節子の健気さとやさしさが伝わってきます。

上高地には節子とは2回行きましたが、宿泊したことはありませんでした。
3回目は宿泊の予定で、節子は宿泊するホテルも決めていました。
でも実現しませんでした。
私ももう訪れることはないでしょう。

久しぶりに節子のことを思い出して涙が出ました。
いつになっても悲しさは同じです。
節子も彼岸で涙しているでしょうか。

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2009/04/18

■節子への挽歌594:節子、私は友人たちに守られています

節子
最近、私も活動が持続性を持ち出しました。
それで、いくつかのプロジェクトにもコミットしはじめたのですが、
いずれも予想以上に広がりだしてしまっています。
そのため、最近は土日がすべて埋まってしまっています。
午前も午後も別の集まり、などという日もあります。
いささか活動しすぎではないかという気もしますが、やりだすとコミットしすぎる癖は直りません。
節子がいた頃は、節子との行事が最優先で、それを理由に活動をセイブできましたが、いまや頼まれたことを断る理由が全くなくなってしまったのです。
自分の行動を制約する条件がなくなってしまうと、自分で自分を管理できなくなってしまいます。
困ったものです。

山口の東さんがメールをくれました。

ホームページを拝見しますと、いろんなことに取り組まれている様子、嬉しいような、また無理をされるのではないかといった心配な気持ちとが輻輳します。
くれぐれも無理をされいなように(とても難しいことではありますが)、よろしくお願いします。
節子の代わりに、ちゃんとセイブしてくれる人がいるので安心です。
でもこんなメールもきました。
某テレビ局のKさんに、あるイベントの取材協力のお願いを送ったのですが、それへの返事です。
佐藤さんが元気になられて本当に良かったです。
Kさんにまで心配させていたのかと、いまさらながら気がつきました。
短い文章に込められたKさんの思いに胸が熱くなりました。
むかし、Kさんも関わったドキュメンタリー番組を見て感動した記憶があります。
そのことをなぜか思い出しました。

いろいろな人が、知らないところで気にしていてくれる。
それに気づかされる私はとても幸せですが、
いつかも書きましたが、それに気づかないことが多いのです。
そこで、ひそかに気にしているのでではなく、気遣っていることをむしろ伝えたルことが大切なのだと気づきました。

まあまた余計なお世話なのですが、
この数年、全く連絡がなくなってしまった人に声をかけることにしました。
これもまた節子が教えてくれたことかもしれません。
皆さんも、ぜひ気になっている人に声をかけてみてください。
それが広がれば、世界は平和になるかもしれません。
なにしろ世界中の人たちが、6~7人の仲立ちを通して、みんな友だちなのだそうですから。

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2009/04/17

■節子への挽歌593:「愛こそすべて」の幻想

節子
ヘーゲルの入門解説書「人間の未来」を読んでいたら、こんな文章に行き当たりました。

恋愛とは、絶対の一体化だという幻想的な情熱と、男女は結局別々の人間だという自覚との行ったり来たりであり、結局のところ、「愛こそすべて」という「幻想」は過酷な現実の前に挫折することになる。
ヘーゲルは、若者が求める人生の目標の一つとして「快楽と必然性」をあげているのですが、入門書の著者の竹井さんは、それを「恋愛のほんとう」と呼び換えて説明してくれています。
そして、こういうのです。
「恋愛のほんとう」が「自己意識の自由」に対してもつ優位は、それが自己関係ではなく「相互関係」をもち、しかもある場合は、これをつかめば他の一切を失ってもよいという生の絶対感情をもたらすほどの「ほんとう」として現れる点にある。
つまり、恋愛を通して、若者は自分の世界から抜け出し、自由を開いていくのです。
これは私にはとても納得できる話です。

しかし、「恋愛のほんとう」は、たいていは挫折する運命を持つ、とヘーゲルは続けます。

2人が恋愛の道行きの途上で見るのは厳しい現実(必然性)であり、ここには絶対的な「ほんとう」が存在しなかったことを知る。
恋愛は、自らの閉じられた世界を超えたとしても、所詮は二者間の承認関係でしかなく、社会的な普遍性の広がりを欠くからです。
こういうと難しいですが、要は、恋愛が創出する世界は自分の世界の延長でしかなく、価値観の複数性は体験できますが、多様性を体験できないために、結局は自分中心の世界に陥って破綻してしまうということでしょう。
これもとても納得できます。

そして、若者は「正義のほんとう」へと目標を変えていくとヘーゲルはいうのです。
それもまた挫折していくというのですが、この部分だけでヘーゲルの人間性と人生を推察すると、なにやら親しみさえ感じます。
もしかしたら、だからこそあれほど難解そうな哲学体系を打ち立てたのかもしれません。

自分の問題として考えると、ヘーゲル流に言うと、私はいまな迷える青年期から抜け出られないでいるのかもしれません。
私の場合は、こうです。
「恋愛のほんとう」に関しては、ヘーゲル(竹井さん)の言うとおり、「他の一切を失ってもよいという生の絶対感情」を体験しました。
その一方で、「でも結局別々の人間だ」という思いも何回も持ちました。
節子とは、こういう話を何回もしました。
節子も私とほぼ同じでした。
そして節子も私も挫折することはありませんでした。
心を開いた話し合いを重ねたからです。

では社会的な広がりにまで行かなかったかといえば、むしろ逆でした。
相手を愛する「恋愛のほんとう」が確信できれば、その対象は広がるのです。
いささか大げさに聞こえるかもしれませんが、私たちの愛の対象は、お互いを超えて広がって言ったように思います。
そういう視点から考えると、「正義」などは虚しい言葉です。

もしヘーゲルが、私にとっての節子のような存在に出会えたら、ヘーゲル哲学は違ったものになり、世界の歴史は変わっていたかもしれません。
ソクラテスも、そうでした。
伴侶の存在は大きいのです。

ヘーゲルは、どんな「恋愛」を体験したのでしょうか。
そう思いながら哲学を学ぶと、面白くなってくるかもしれません。

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2009/04/16

■節子への挽歌592:「やっぱ、自分自身がそうしたかったとよね」

節子
福岡の西川さんからもメールをもらいました。
先日の挽歌588を読んでの励ましメールです。

私は、「人は、自分が望むようにしか生きることができない」
又は、「人は、自分が望むように生きる」と思っています。
又は、結局それは「自分自身が望んだことなのだ」と。

私は、自分に合った生き方をすることで、
たくさんの人を巻き添えにし、辛い思いもさせたと思っています。
そのために、私自身も傷を負ったということも。

でも、やはり、それもこれも、それぞれが、
「自分が望んだこと」だったのだと思うのです。
そして、だからこそ、人は幸せになる可能性もあると…。

根っからこういう楽天家(?)だったわけではありませんが、
でもみんな、「やっぱ、自分自身がそうしたかったとよね」と。
西川さんは、私が書いた
>節子を、無理やり私の生き方に合わさせていたことはないでしょうか。
>時々、思い出しては、少しだけ後悔することもあります。
>どう考えても、私たちの生き方は、私寄りでした。
>節子は、楽しんでくれたでしょうか。
という愚問に対して、
「楽しんでいたに決まっているでしょう」
と元気づけてくれたのです。
西川さんは、昨日の武井さんと違って、この挽歌を読んでくださっていますが、きっとよろよろしている私が心配なのでしょうね。
すみません。

節子もきっと、この西川さんの言葉に共感するでしょう。
「私たちの生き方は、私寄りでした」などと勝手に言わないでよ、と節子は笑っているかもしれません。

「人は、自分が望むように生きる」
節子はたしかに、自分をしっかりと生きました。
そして、人生を楽しんでいました。
「節子は、楽しんでくれたでしょうか」などと言うのは愚問ですね。
後悔などして損をしました。

節子が、周囲の反対を押し切って、私を人生の伴侶に選んだのは、
「やっぱ、自分自身がそうしたかったとよね」なのでしょうね。
喜怒哀楽、すべては自分が引き寄せるものなのですよね。

とわかってはいるのですが、
節子はもっともっと人生を楽しめたはずなのに、それをかなえてやれなかったことの、罪の意識はどうしても消せません。
裏返せば、節子と一緒に人生をもっと楽しめたはずなのにという、自らの未練なのかもしれません。
私自身の自業自得なのでしょうね。

西川さん
せっかくのエールに、素直に反応できずにすみません。

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2009/04/15

■節子への挽歌591:薄れるものでも乗り越えるものでもなく、深くなり、日常になる思い

先日、お花見に誘っていただいた武井さん からメールが来ました。
武井さんはおそらくこの挽歌を読んでいないですから、こっそり引用します。

最愛の人を失って1年半のお気持ちはいかばかりかと拝察いたし、やっぱり佐藤さんはエライんだ、と改めて感激しました。
喪失感は、どんなに総明、賢明な人でも、太刀打ちできるものではなく、時間の中に心を委ねるしかありませんものね。
ただひとつ、失った場合に言えることは、愛する人がゆっくりと心奥に、新たに育まれ、最も好ましい姿で宿ってくれます。
そして、生ある限り、励まし、いたわり、和ませてくれ、「共に生きていける」、ということです。
「生きる」ということは、ある意味ではシンプルですが、ある意味では、とても深くて複雑、難解。
佐藤さんには、釈迦に説法ですが、しかし、改めて、言われてみると、案外、新鮮に思えるときがありますから、わたくしが教えてあげます(笑)。
はい
新鮮でした。
それに、他の人から言われると安堵します。

実はこのメールをいただいた前日に、挽歌の読者の田淵さんが同じ主旨のコメントをくれました。

多分こういう思いは薄れるものでもなく、乗り越えるものでもなく、
深くなり、それが日常になるのでしょうか。。。
最近は悲しみも自分の一部になりつつあり、とても主人を近くに感じます。
武井さんがいうように、まさに「時間の中に心を委ねる」ということでしょうね。
田渕さんのコメントを読みながら、武井さんもまた「愛する人を見送った」立場からのアドバイスなのだと、改めて気がつきました。
作家の想像力ではなく、体験の言葉なのです。

武井さんの人生は、それなりにお聞きはしていましたが、知っているのと感ずるのとでは全く違います。

田淵さんのコメントも、深いところで理解できたような気がします。
この頃、いろんな人からメールや電話をもらいます。
そうした言葉が、心に深くしみてきます。

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