カテゴリー「妻への挽歌07」の記事

2021/09/06

■第1回リンカーンクラブ研究会報告

リンカーンクラブ代表の武田文彦さんからの呼びかけの第1回リンカーンクラブ研究会は9人の参加者があり、予定時間を大幅に超える熱い思いがぶつかり合う会になりました。
ちょっとみんな熱くなりすぎて、危うく壊れそうになるほどでしたが、かなりみんな真意も吐き出したので、何とかおさまり、逆にこれからの展開も見えてきました。

ご案内の通り、参加申し込みいただいた方にはあらかじめ膨大な原稿が送られてきました。それに一応目を通したうえで、皆さん参加されましたが、最初に武田さんからは、こう問いかけられました。

考えていただきたいことがあります。

他人やほかの本からではなく、現代の日本という国家についてのみなさんの国家観についてです。
さらに、歴史観です。今の時代は日本にとってどういう時代なのかということです。
もう一つは、経済観です。経済というものをどう考えるかです。

この、国家観、歴史観、経済観、それぞれ考えていただいたうえで、この3つの要素の連関性についてお考えいただきたいのです。
それぞれの考えに論理的に大きな矛盾が生じないようにしていただくという作業になります。バラバラではあまり意味はありません。

国家観、歴史観、経済観は単独では成立しません。
それは人体の各臓器とその作用のような物だと考えています。国家という生体が生きていくうえでの基本的な機構かもしれません。
こうすることで構想というものが生まれてくるような気がします。
こうして、初めて、日本の現代と未来の問題が見えてくると思います。
そして、現代の個人と国家の関係のあり方もまた見えてくるような気がします。

これが長年の武田さんの取り組み姿勢ですが、こう正面から問われると、いささかたじろいでしまいます。それに突然言われても、そう簡単にな話せない。

しかしめげずにみなさんそれに応じて、自論を話すことから研究会は始まりました。
参加者全員が話し終わった時はすでに予定の時間が終わるころでしたが、それから話し合いがはじまりました。

と書くといかにも整然と会が進んだように感じるかもしれませんが、原稿に対する批判や実際の運動につながっていないという厳しい批判もあり、さらに終盤になって個別的な政策課題に話題が行ってしまったために、話し合いは混迷し、あわや空中分解になりそうでした。
しかし、武田さんが呼び掛けたように「他人やほかの本から」の知識的な情報のやりとりではなく、それぞれの本音の話し合いだったので、各人の思いも見えてきて、逆にこれからの展開の手応えがあったような気もします。
本音の思いは、そう簡単には伝わり合えません。それがわかっただけでもよかった気がします。

いずれにしろ今回の話し合いを踏まえて、10月に第2回目の研究会を開催するとともに、並行して、リンカーンクラブ構想の話やその理念でもある究極的民主主義の紹介などのサロンも行うことを考えていこうということになりました。

研究会は基本的にはメンバー制で開催していきますが、関心のある方には公開していくスタイルをとる予定です。
関心のある方はご連絡いただければ、次回の案内などさせていただきます。

20210905

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2011/07/03

■節子への挽歌1400:世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない

大学生の頃、寺山修司の1冊の本を読みました。
たしか三一書房の新書で、気楽に読める本でした。
今は手元にありませんが、もしかしたら「家出のすすめ」だったかもしれません。
私はあまり本で影響を受けるタイプではないのですが、当時の三一書房の新書には目を開かせてもらうことが多かったです。
大学で学んだこととはかなり違い、私の心に響くものが多かったです。
寺山修司のその本も私に大きな影響を与えたような気がします。

寺山修司の20回忌に出された「寺山修司作詞+作詩集」というCDがあります。
そのなかに「孤独よ おまえは」という曲があります。
歌っているのはシャデラックス。
すっかり忘れていたのですが、昨日久しぶりに聴きました。
繰り返し、繰り返し。
http://www.youtube.com/watch?v=_Kw9zaOvR0Q

その歌詞の一部です。
もちろん寺山修司の作詩です。
いかにも寺山修司です。

世界で一番孤独な夜は きみのいない夜
きみのなまえは 愛
きみのなまえは 自由
きみのなまえは しあわせ

世界で一番孤独な部屋を ぼくは出ていく
世界で一番孤独な夜を撃つ ぼくは兵隊だ
世界で一番孤独な夜は きみのいない夜

なぜもっと早く思い出さなかったのか。
いささか気恥ずかしいですが、私にとっては、愛も自由もしあわせも、すべて「節子」に集約されます。
つまり、その3つが、とてもうまく重なっていたのです。
それら3つは、必ずしも重なるとは限りません。
愛のゆえに自由を失い、自由のゆえに幸せを失い、幸せのゆえに愛を失うことは決して少なくないからです。
しかし、私は、節子のおかげで、それらを重ね合わすことができました。
少しだけ時間はかかりましたが。
そして、それが重なった時に、すべての終わりが始まったのです。

その節子のいない、世界で一番孤独な部屋で、毎日、世界で一番孤独な夜を過ごしているわけです。
部屋を出ることもなく、夜を撃つこともなく。
なぜなら、そこには「孤独」はないからです。

世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない。
説明しだすと長くなりそうですが、愛、自由、そしてしあわせの重なり合いを体験すると、二度と孤独にはなれないのです。
久しぶりに寺山修司を読んでみようか、そんな気になっています。

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2011/07/02

■節子への挽歌1399:そうだ 奈良にいこう

最近、ブログに疲れが出ていますよ、と2人の人から言われました。
たしかに、疲れがたまっています。
疲れの理由は、チビ太の夜鳴きのおかげで夜眠れないこと(昨夜もソファで寝ました〉から社会への大きな無力感までさまざまです。

生活があまりに平坦になっているからかもしれません。
考えてみると、一昨年の年末に思い立って娘たちと沖縄に旅行して以来、旅行にも行っていません。
行く気がしないのが理由なのですが、それではますますマイナススパイラルに落ち込みかねません。
最近、気がどんどん萎えてきているのが自分でもわかります。
気分転換に久しぶりに東大寺にでも行こうかと思い出しています。

東大寺は、最初に節子と一緒に歩いたところでもありますが、そのためではありません。
まだ会社に勤めていたころ、仕事で壁にぶつかると、東大寺の3月堂に行きました。
あの狭い空間に座っていると何か落ち着けたのです。
そして、そこから出て2月堂から奈良の町を見下ろすと、気分が大らかになったものです。
ある時は雨で3月堂から出られなかったのですが、同じように出られない人がいました。
たしか大阪大学の先生でした。
しばらくお付き合いがありましたが、それもいつの間にか途絶えています。

奈良や京都の寺院から足が遠のきだしたのは、会社を辞めた頃からです。
訪れるたびに、仏たちの顔が寂しそうに見えてきたからです。
昔は、心がやすまった薬師寺も唐招提寺も、どこかよそよそしくなりました。
節子と訪れた頃の奈良や京都のお寺には、まだ仏が宿っていたようですが、いまはどうでしょうか。
ちょっと行くのがこわい気もします。

節子がいたら、「そうだ 奈良に行こう」と明日にでも出かけたいのですが、最近の私はあまりフットワークがよくありません。
夏は暑いから秋にしようなどと思うようになっています。
これではマイナススパイラルから抜けられるはずがありません。
さてさて。

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2011/07/01

■節子への挽歌1398:消えてしまった老後

節子
最近、ちょっと思うのですが、私には「老後」はないのかもしれません。
なぜそう思うかというと、昔の宣伝コピーではありませんが、「節子のいない老後なんて・・・」という気がするのです。

私も古希ですから、もう十分に老後にあるわけですが、なぜかその気分になりません。
頭ではわかっているのですが、老後の暮らしをどうしたらいいかわからないのです。
節子がいたら、とてもいい老後を暮らし始めているのだろうと思うのですが。

節子が元気だったら、どんなおばあさんになっていたでしょうか。
しかし、それもまた想像できません。
節子にも老後はなかったのです。

節子が逝ってしまった、あの日、私たちの老後は消えてしまいました。
あの時点で、私たちの時計は止まってしまった。
そのため、それ以来、私の時間感覚はリズムをくずしたままです。

人は、太陽や自然を見て、時を感じます。
時計が時を刻んでいるように思いがちですが、そうではないでしょう。
たしかに短い時間は、時計が教えてくれますが、生きるという意味での時間は、時計が刻む時とは無縁のように思います。
私は20代の頃から、腕時計をしたことがありません。
腕時計をすることが、私には「自分の生」を吸い取られるような感覚があったからです。
自然の中で、自分の時間を生きる、それが私の選んだ生き方です。
自分の時間と時計の時間の折り合いはなんとかつけてきましたが、年齢の意識はあまりありません。

太陽や自然に加えて、もう一つ、私には時間の基準があったように思います。
それが節子でした。
節子との関係性といってもいいかもしれません。
間違いなく私たちの関係性は変化しました。
私の感覚では「熟す」という感覚です。
「熟す」とは、まさに時の長さを実感化させるものです。
太陽よりも、自然よりも、それが私の生にリズムをつけるはずでした。

節子との関係性が刻む時間があったおかげで、私は自然だけの時間に流されることなく、自分の人生の時間を持てたように思います。
自然(の時間)は、個人の生には関心を持ちません。
個人の事情には無頓着に、押し付けてくるだけです。
そして、時がくれば、非情に心身を終わらせます。
そこにあるのは豊かな老後ではなく、フィジカルかつメンタルな不自由な老化だけでしょう。
一人になったいま、古希や長寿を祝う意味など、あろうはずもありません。
あるのは嘆きだけです。
愛する人が隣にいれば、熟した老後の関係性がある。

その「老後」がなくなってしまった以上、自然の時を受け容れなければいけません。
時計が刻む時も意識しなければいけないかもしれません。
私の中で、最近、生活のリズムがとれないのは、時の基準がくずれたからです。

老後のない人生を、どう受け容れるか。
いまさら腕時計は持ちたくないと思っています。

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2011/06/30

■節子への挽歌1397:暑い夏の夜は嫌いです

節子
暑さのせいか、わが家のチビ太がかなりおかしくなっています。
夜になると怯えたように動き出すのです。
熱帯夜のせいかと思い、扇風機やクーラーも試みましたが、効果はありません。
ともかくうろうろと歩き回り、東を向いて吠え続けるのです。
夜ですから近所の迷惑になっていることは間違いありません。
吠えないように、かなりの努力をしていますが、うまくいきません。
昨夜も明け方の5時15分まで、チビ太のいる近くのソファで寝るでもなく、寝ないでもなくの夜を過ごしました。
いまは頭がボーっとしています。

吠え続けるチビ太に声をかけながら、なぜ彼が吠え続けるのだろうかと考えるのですが、理由が思いつきません。
怯えたようなチビ太を見ていると、なにか霊気かあるいは放射線に怯えているのかとさえ思えます。
人間でいえば、おそらく90歳を超えたであろうチビ太には、少なくとも私には見えないものが見えるのかもしれません。

4年前の夏。
節子にとって、そして私たち家族にとって、一番辛かった夏でした。
昼も夜も、節子と一緒に過ごしましたが、あの当時、私は果たして節子のことをどのくらい知っていたのだろうかと思うと、いつも心が痛みます。
本当に、私は節子と共にいたのだろうか。と。
特に夜になると、そう思います。
だから、私には暑い夏の夜はとても辛いのです。
節子に懺悔した気分になります。

節子も、チビ太と同じように、私には見えないものを見ていたのでしょう。
それを私に伝えたかったのかもしれません。
話すのも辛そうな節子に、また元気になったら、と私は話を拒んでいたのではないかとも思います。
節子のことはすべてわかっていたということは私の傲慢な誤解かもしれません。
いや、間違いなくそうでしょう。
チビ太のことがわからないように、節子のことも何一つわかっていなかった。
そう思うと悔しくてしかたありません。
だからそう思わないようにしているのです。

辛い夜も、朝になるとどこかホッとして、気分が変わります。
夜の世界と昼の世界は、ハデスとゼウスの性格のように、まったく別の世界なのかもしれません。
昼間に思い出す節子との最後の夏の思い出と、夜に思い出す節子との最後の夏の思い出とは、明らかに違います。
もしかしたら、本当は私もチビ太のように、吠え続けたい衝動がどこかにあるのかもしれません。

問題のチビ太は、いまは夜よりも暑いはずなのに、熟睡しています。
蹴飛ばしたくなるほど、よく寝ています。
今夜も不安ですね。
Cibita

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2011/06/29

■節子への挽歌1396:融けるような暑さ

節子
融けるような暑い日です。
朝はとてもさわやかで、陽光と鳥のさえずりで目を覚ませました。
いつものように、少しだけ節子のことを思いながら、今日は生まれて初めて節子に「恋文」を書こうかと言う気になっていたのですが、起きて動き出したら、恋文のことを忘れてしまいました。
ずっと天気が悪かったり不在だったりしていたので、放っておいた「家事」をしていたのです。
節子がいたら、私には必要のない家事です。

玄関の水瓶を復活させました。
節子だったらそろそろ水草を浮かべだすだろうなと思ったのです。
庭の金魚は全滅のようですが、幸いに黒めだかは元気です。
節子ならなにがしらの遊び心を込めたでしょうか、その元気も今日はありません。
Suisou

それにしても暑いです。
明日はあるところで講演させてもらう予定ですが、その準備をしようかとパソコンに向かったのですが、身体が融けてくるような暑さです。
わが家にはクーラーは来客のスペースにしかなく、各人の部屋にはありません。
夏は暑いところに価値がある、などと言っていた頃が懐かしいです。

身体が融ける前に、頭の中の脳が融けてきているようで、思考力も生まれません。
そんなわけで、また節子を讃える恋文挽歌は今回も実現しませんでした。
実は時々、私がいかに節子を愛していたかという挽歌を書こうと思うこと事があるのです。
しかし、いざ書こうと思うと、そういう恋の言葉はどこか遠くに言ってしまい、カジュアルでどうでもいい思い出が浮かんでくるわけです。
やはり「恋のうた」は秘め事の世界のことなのかもしれません。

夕方になって、少しだけ涼しい気配が出てきましたが、まだ暑いです。
身体に汗がジトーっと出てきます。

私が暑い夏が嫌いになったのは、節子との最後の夏が暑かったからです。
この暑さの中を闘病している人に、エールを送りたいです。
決して暑さに意志を融かされませんように。
奇跡は、信じなければいけません。

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2011/06/28

■節子への挽歌1395:フェイスブック

節子
今日の暑さは異常でした。
その暑さの中を湯島のオフィスに出かけました。
特に用事はなかったのですが、日曜日に持っていったランタナの鉢に水をやるのを忘れていたことを思い出したのです。
ランタナを選ぶか、自分の熱中症予防をするか、二者択一でしたが、ランタナを選びました。

節子もよく知っているように、私はランタナが好きなのです。
書斎にもオフィスにもランタナをよく持ち込むのですが、手入れ不行き届きでダメにばかりしているのです。
ちなみに、私が好きな花は手のかかる花が多いので、よく枯らすのです。
ランタナは、手のかからないほうですが、それでもよく枯らしました。
それで今回はランタナへの水やりを選んだのです。
よりによってこの暑さのなかをとも思いましたが、暑いのは私だけではありません。
ランタナも暑さに疲れていることでしょう。

そのことをフェイスブックに書いたら、最近、フェイスブックで知り合ったSさんが、ランタナという花はどんなに価値があるのかと思ったのか、ネットで調べたのだそうです。
そしたら、毎朝散歩している際道際に咲いている花だということがわかったそうです。
Sさんはこう書いてきました。

ランタナってどんな植物だろうと検索しましたら、散歩道に咲いている花でした。
長年、名前が分からなくて、喉に小骨が刺さっている感じでしたが、これですっきりしました。
フェイスブックが面白いのは、こういう交流があるからです。
ちなみにSさんとはまったく面識はありません。
つい先日、「友達リクエスト」が届いたのです。
リクエストの理由をSさんはこう書いてきました。
私より年長の方は極めて希でしたので、「友達になる」をクリックいたしました。
たしかに言われてみるとそう多くはないかもしれません。
しかし、高齢者こそフェイスブックをやる意味があるような気がします。
こんな暑い日も、自宅にいながらにして世界と触れ合えるからです。

節子はインターネットが好きではありませんでしたが、フェイスブックはきっと気にいったと思います。
残念ながらまだインターネットは彼岸とはつながっていないようですが、はやく彼岸ともつながってほしいです。
彼岸にいる友人たちともぜひとも交流したいと思います。
此岸にも友人は多いですが、最近は彼岸に転居した友人も少なくありませんので。

それにしても、今夜も暑くて、茹りそうです。

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2011/06/27

■節子への挽歌1394:情念のエントロピー

私が会社に入ったのは昭和39年です。
その年に節子に会ったわけですが、節子以外にも私の人生を方向づけた出会いがありました。
同期で入社したかなり年上の岡田さんというドクターから教わった「エントロピー」と言う概念です。
今でこそ知っている人も多いですが、当時はまだあまり知っている人もなく、私には実に新鮮な話でした。
岡田さんがなぜその話を私にしたのか、わかりませんが、当時はまだエントロピーという話に興味を持つ人は少なかったようで、岡田さんは私にていねいに説明してくれたのです。
最初に話を聞いたのは電車の中でした。
節子と最初に、親しく話したのも電車の中でしたが。

岡田さんとはなぜか気が合い、三島での新入社員教育の時にも2人でこっそりと抜け出し、近くの三保の海岸に泳ぎに行ったりしました。
見つかればさぞ怒られたでしょうが、同期入社した親友社員は200人以上でしたから見つかりませんでした。

企業経営にもエントロピー発想は大切だと思い、少しは勉強もしました。
雑誌に経営論を連載した時にエントロピーの話も書いたのですが、友人の大学教授が関心を持ってくれて、自分の著作に取り上げてくれましたが、他には反応はありませんでした。
その後、大学で経済学を教えてくれた玉野井芳郎さんが、エントロピーとエコノミーをつなげて考察している本を読んで感激しました。
玉野井さんの授業は実に退屈だったので名前をしっかりと覚えていたのですが、私が卒業後の授業内容は全く違っていたようです。

なぜこんなことを急に思い出したかと言うと、ある本を読んでいて、エントロピーと玉野井さんの名前が出てきたからです。
そして、当然ながらその関係で、シュレディンガーのことも出てきました。
生きるとは、体内で発生する余剰エントロピーを体外に捨てることによって自らを維持することである、と言ったのはシュレディンガーです。
有名な定義ですが、その言葉に久しぶりに出会って、すぐ思いついたのが、この挽歌です。
私の心身で発生する過剰な情念を吐き出す役割を、この挽歌が果たしていることに気づいたのです。
エントロピーと情念は違いますが、つながることも多いような気がします。
もしかしたら、「エントロピー心理学」あるいは「エントロピーセラピー」なるものがあるのではないかと思い、ネット検索してみました。
あってもよさそうですが、言葉としてはまだないようです。
「情念のエントロピー」という捉え方もおもしろいと思いましたが、これもありません。
なければ創るのがいいですが、まあ今のところ、そこまでは乗っていません。

それで論理的ではないのですが、例によって飛躍的な結論です。
私にとって、生きるとは挽歌を書き続けることなのです。
書き続けないと情念が過剰化し、思いの構造が破壊し、心が変調をきたすわけです。
人は、それぞれの過剰な情念を処理する仕組みを持たないといけません。
その方法が見つかれば、世界から戦争やテロはなくなるかもしれません。

またひとつテーマが見つかりました。
あんまり取り組む気はないのですが、おもしろそうだと思いませんか。

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2011/06/26

■節子への挽歌1393:極楽浄土

節子
平泉の中尊寺が世界遺産になりました。
今日は、朝から何回も中尊寺の映像を見ました。
今日放映された「世界遺産」も中尊寺でした。
節子と一緒に歩いた道も出てきました。

中尊寺に節子と行ったのは、節子が病気になってからです。
節子がちょっと元気になった2年間、私たちはさまざまなところに行きましたが、行き場所を選んだのはいつも節子でした。
実は、そうして節子と一緒に行った旅の記憶は、今の私の記憶にはあまり残ってはいないのです。
節子は、いつも旅が終わると、また一つ一緒の思い出ができたねと笑っていましたが、なぜか私にはあまり残っていないのです。
今となっては、本当に節子と一緒に行ったのだろうかと思うことさえあります。
金色堂さえも一緒に入った記憶がありません。
なぜでしょうか。
もちろん行ったことは間違いなく、写真も多分残っているでしょう。

平泉は藤原三代が創りあげた東北の極楽浄土です。
私が最初に行ったのは、中学校の修学旅行でした。
その時の金色堂の印象がとても強く、それが私がお寺に興味を持った始まりでした。
高校の修学旅行は関西でしたが、初日に行ったのが宇治の平等院でした。
ここも浄土を思わせるところでした。
私にとっての3番目の極楽浄土は京都大原の三千院です。
最初に行った当時は阿弥陀堂にも自由に入れました。
舟形の天井の堂内に入った時に、瞬間的にこれはタイムマシンだと思いました。
阿弥陀の両脇の観音と勢至の中腰の姿勢は、まさにマシンが動いているのを感じさせました。
三千院は浄土ではなく、その入り口だったのだと思いました。
私のお気に入りの場所になり、その後、節子とも何回か行きました。
しかし、行くたびに建物は整備され、タイムマシン的要素はなくなり、退屈な空間になりました。
観音も勢至もやる気を感じられなくなりました。
最後に節子と行ったのは、節子が病気になってからのことですが、ただの寺院にしか感じられませんでした。

節子が突然、平泉に行きたいと言い出しました。
安いツアーがあるというのです。
節子と一緒に行った、最後の浄土です。
中学時代以来の平泉でしたが、私にはやはり退屈な感じがしました。
日本の寺院は年とともに退屈な空間になり、仏たちもなんだか寂しげになってきているような気がします。

奥州藤原氏も藤原道真も極楽浄土に憧れたようですが、私も、そしてたぶん節子も、極楽浄土への憧れはまったくありませんでした。
その理由は、節子がいなくなってからわかりました。
そして、私たちの浄土は終わったのです。
中尊寺への憧れもなくなりました。
もう二度と行くことはないでしょう。

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2011/06/25

■節子への挽歌1392:「人生を人為的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」

節子
今日は涼しい1日でした。
太平洋側の高気圧と大陸の低気圧が競り合っているなかに、台風がやってきたので、暑さと涼しさが入れ替わってしまいました。
自然の力の大きさにはいつも驚かされます。
「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さは、経済成長優先社会におけるわれわれの人間の条件の否定を現出させている」とフランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシュは「脱成長の道」の中で書いていますが、全く同感です。
そろそろ経済成長神話から、私たちは抜け出なければいけません。
しかし一度つくりあげられた「常識」からは、なかなか抜け出られないのも人間です。
その「常識」の中にいることが、「生きやすさ」を生み出してくれるからです。

と、ここまでは、実は今日の時評編(「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」)の文章と同じです。
今日は同じ書き出しで時評と挽歌がどう変わるかを遊んでみました。

自然の力の前には、人は成す術もなく、ただそれに合わせるしかありません。
自然を支配し、管理することができると思うのは、ラトゥーシュが言うように、傲慢さ以外のなにものでもありません。
しかし、人が抗えないものはほかにもあります。
それは、自らのなかにある「思い」です。
「愛」と言ってもいいかもしれません。

節子への思いや愛は、いまも熱く私の心身に宿っています。
いかに思っても、いかに愛したくても、もうその対象はこの世には存在しない。
対象の存在しない思いや愛は、存在するのか。
そんな気もしますが、しかし、その思い、その愛は、断ちがたく、私を呪縛しつづけます。
存在しないものを愛しつづけることの辛さと哀しさは、当事者だけのものです。
それを捨ててもだれの迷惑にもなりません。
もし捨てられれば、どれほど楽になることか。
そして新しい世界が見えてくるかもしれません。
そう考えることもできるでしょう。
しかし、その思いや愛を捨てることは、これまでの自分のすべてを捨てることであり、生き直すことにほかなりません。
それには、どれほどのエネルギーを必要とすることか。
生き直すエネルギーは、少なくとも今の私にはありません。
しかし、実は、そう思うことは、経済成長神話に従って生きるのと同じことではないのか。
ラトゥーシェの言葉に出会った時に、ふとそう思ったのです。
生き方を変えることができるのであれば、生き直すこともできるのではないか、と。

しかし、ラトゥーシュの言葉を何回も何回も読み直しているうちに、言葉の真意が見えてきました。
ラトゥーシュは、こう言っているのです。
「人生を人為的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」を捨てよ、と。

私たちの、あるいは私の人生は、こう定まっていたのです。
それに素直に従えばいい。
断ちがたい思いや愛は捨てることもなく、無理に生き直すこともない。
ラインホールド・ニーバーが祈ったように、
変えることのできるものと変えることのできないものとを見分ける知恵が大切なのです。

何だか小難しい挽歌になってしまいましたが、節子との毎日の会話(挽歌)は、私の生き方を問い直す時間でもあるのです。
節子は今もなお、私の生きる指針です。

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