カテゴリー「妻への挽歌08」の記事

2021/09/06

■第1回リンカーンクラブ研究会報告

リンカーンクラブ代表の武田文彦さんからの呼びかけの第1回リンカーンクラブ研究会は9人の参加者があり、予定時間を大幅に超える熱い思いがぶつかり合う会になりました。
ちょっとみんな熱くなりすぎて、危うく壊れそうになるほどでしたが、かなりみんな真意も吐き出したので、何とかおさまり、逆にこれからの展開も見えてきました。

ご案内の通り、参加申し込みいただいた方にはあらかじめ膨大な原稿が送られてきました。それに一応目を通したうえで、皆さん参加されましたが、最初に武田さんからは、こう問いかけられました。

考えていただきたいことがあります。

他人やほかの本からではなく、現代の日本という国家についてのみなさんの国家観についてです。
さらに、歴史観です。今の時代は日本にとってどういう時代なのかということです。
もう一つは、経済観です。経済というものをどう考えるかです。

この、国家観、歴史観、経済観、それぞれ考えていただいたうえで、この3つの要素の連関性についてお考えいただきたいのです。
それぞれの考えに論理的に大きな矛盾が生じないようにしていただくという作業になります。バラバラではあまり意味はありません。

国家観、歴史観、経済観は単独では成立しません。
それは人体の各臓器とその作用のような物だと考えています。国家という生体が生きていくうえでの基本的な機構かもしれません。
こうすることで構想というものが生まれてくるような気がします。
こうして、初めて、日本の現代と未来の問題が見えてくると思います。
そして、現代の個人と国家の関係のあり方もまた見えてくるような気がします。

これが長年の武田さんの取り組み姿勢ですが、こう正面から問われると、いささかたじろいでしまいます。それに突然言われても、そう簡単にな話せない。

しかしめげずにみなさんそれに応じて、自論を話すことから研究会は始まりました。
参加者全員が話し終わった時はすでに予定の時間が終わるころでしたが、それから話し合いがはじまりました。

と書くといかにも整然と会が進んだように感じるかもしれませんが、原稿に対する批判や実際の運動につながっていないという厳しい批判もあり、さらに終盤になって個別的な政策課題に話題が行ってしまったために、話し合いは混迷し、あわや空中分解になりそうでした。
しかし、武田さんが呼び掛けたように「他人やほかの本から」の知識的な情報のやりとりではなく、それぞれの本音の話し合いだったので、各人の思いも見えてきて、逆にこれからの展開の手応えがあったような気もします。
本音の思いは、そう簡単には伝わり合えません。それがわかっただけでもよかった気がします。

いずれにしろ今回の話し合いを踏まえて、10月に第2回目の研究会を開催するとともに、並行して、リンカーンクラブ構想の話やその理念でもある究極的民主主義の紹介などのサロンも行うことを考えていこうということになりました。

研究会は基本的にはメンバー制で開催していきますが、関心のある方には公開していくスタイルをとる予定です。
関心のある方はご連絡いただければ、次回の案内などさせていただきます。

20210905

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2012/01/20

■節子への挽歌1600:「節子がいる私」と「節子のいない私」

寒いです。
我孫子はみぞれが時々降っています。

10年前に離婚された方、まだ結婚されていない方から、コメントが書き込まれました。
お2人からは、「節子がいる私」を、少しだけうらやんでもらえました。
つい4年前には、節子に先立たれて、これ以上ない不幸を自らに重ねていたのに、いまはうらやまれても、それを素直に受け容れられる自分がいます。
とても不思議な気がします。

節子がいなくなってから、わが家はどことなく寂しく、哀しく、そして寒々としています。
節子の位牌の前には、いつも花が供えられていますが、それが逆に寒さを感じさせることさえあります。
和室にたてたコタツも、いまはそこに集まる人もいません。
身体は暖まりますが、心はなかなか温まりません。
今日のように、とても寒い日は、心まで冷えてきます。
実は、お2人からうらやんでもらえたような「節子がいる私」と同時に、「節子のいない私」が同居しているわけです。
そして、「節子がいる私」が「節子のいない私」を悩ませるのです。
なぜいまここに節子がいないのか、と。
そういう思いに襲われると、心身が動かなくなるのです。
その哀しさは、なかなかわかってはもらえないでしょうが。

愛する人が「いない」という意味はふたつあります。
「まだいない」のか「もういない」のか。
あるいは、「意識的にいない」か「身体的にいない」のか。
まあこんな理屈はどうでもいいのですが、心身が冷えてくると、そんなことまで考えてしまいます。
困ったものです。

まだ外はみぞれです。
明日の朝は白くなっているでしょうか。
朝起きて、窓を開けると真っ白な世界。
「雪だよ」と節子を起こしたことを思い出します。
雪の朝は、いつも私のほうが早起きでした。

それにしても寒いです。
手がかじかんできています。
節子に暖めてほしいです。
昔のように。

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2012/01/18

■節子への挽歌1599:苦労こそが人を幸せにする

節子
節子も知っているNさんが久しぶりに湯島に来てくれました。
そして奥様にお花をと言って、お花代をいただきました。
辞退しようと思ったのですが、受け取ってしまいました。
今もなお、そう言ってもらえることがとてもうれしいです。

Nさんは、10数年前に会社を辞めて起業しました。
しかし、いまも苦労されているようです。
苦労していると、人は他者のことを思いやる心が起こるものです。
苦労は、人を優しくし、幸せにします。
つまり苦労こそが、人を幸せにするのです。
最近、そのことがとても実感できるようになりました。

帰り際に、Nさんに、奥さんにはすべて話してあるのかと訊きました。
半分くらい、とNさんは応えました。
みんな話すといいと言いたかったのですが、今回は言い切れませんでした。

なぜみんな、苦労を伴侶と分かち合わないのか、いつも不思議に思います。
分かち合えば、苦労は優しさと幸せにつながっていることに気づくのですが。
しかし、「優しさと幸せ」はいつ反転するかもしれない不安定さも持っています。
愛すればこそ憎しみが高まり、そしてまた、幸せが不幸にいかに転じやすいか。
そうした話は、世の中にはあふれています。
だから躊躇するのかもしれません。

いろいろな人が、私のところに来ては、いろんな悩みや迷いの話をしてくれます。
考えてみると、私はそういう、誰かに相談に行った記憶がありません。
迷いや悩みは、すべて節子と分かち合っていたからです。
そして、幸いにそれは反転することなく、私たちの間に「優しさと幸せ」を生み出してくれていました。
2人で解決できないことは、何一つないと思っていました。
そう思えていた頃が、私たちにとって一番幸せな時だったのでしょう。

その幸せを思い出して、最近、時々思うのです。
そのままずっと今も続いていたら、あまりに幸せすぎたのだろうな、と。
そして、その幸せに気づかないままにいたかもしれない、と。
あるいは、それが幸せから不幸に転じたかもしれない、と。
節子との別れは、むしろ私たちに、幸せをくれたのかもしれません。
おかしな論理ですが、とても納得できるのです。
Nさんのおかげで、そんなことを考えさせてもらいました。

節子の位牌壇は、お正月の花でまだ賑やかです。
すかしユリも満開です。
それが終わったら、節子が好きだったカサブランカを供えさせてもらおうと思います。


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2012/01/17

■節子への挽歌1598:青空

節子
今日の東京の空はとてもきれいでした。
ここ数日どんよりとしていたので、とても気分が晴れました。
節子がいなくなってから、湯島のオフィスからどれほど東京の青空を一人で見ていたことでしょう。
空からたくさん元気づけられました。
空を見ていると、節子と娘たちと一緒に行ったエジプトの空を思い出します。
会社時代はゆっくりと空を見ることなどありませんでしたが、初めての海外家族旅行で見た空の深さは忘れられません。
あの頃の節子は、青空のように明るく元気でした。

新潟から新潟水辺の会のみなさんがやってきました。
空の話になりました。
新潟市は雪は少ないが、冬の空は青空がなく、どんよりしている、そのせいか太平洋沿い育ちの妻は軽いうつ状態になってしまう、とOさんが言いました。
空がどんよりしていると人はその影響を受けるわけです。

Oさんたちと別れてから、いや、空だけではないなと気づきました。
最近、日本全国でうつ状態の人が増えているのは、社会全体がどんよりとよどんでいるからなのだろうと思ったのです。
そして、せめて私の周りだけは、どんよりしないように、私自身も青く晴れなければいけないと、改めて思い直しました。
心を明らかにしなければいけません。

青空といえば、闘病中の節子と駒ヶ岳千畳敷カールを歩いた時も、とても深い青空でした。

Curl1

ホームページにその時のことが書かれていますが、その直後に節子が再発してしまうとは思ってもいませんでした。
と思いが広がってしまうと、やはり明るく晴れ晴れはできませんね。
困ったものです。

鈴木さんの勧めもあって、道元の正法眼蔵を読もうと思っています。
道元を学べば、もう少し心を清々しくさせることができるかもしれません。
闘病中の節子がくれた明るさの大きさを、最近、やっと実感できるようになってきました。
今度は私が誰かに注ぐ番ですね。
がんばって道元を読むようにしようと思います。

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2012/01/16

■節子への挽歌1597:家族と夫婦

節子
昨日のサロンで、家族ってなんだろうかという話になりました。
若い参加者から、最近、血縁のない家族の話がテレビや映画で増えているという話が出たのを契機に、いろいろな意見が飛び交ったのです。
家族とは何か。
考えていくと難しい話です。

25年ほど前に住まい方研究会というのをやっていましたが、その頃、私が提起していたのは「核家族」ならぬ「拡家族」の復活でした。
血縁は家族を形成する最も効率的な要素ですが、それだけでは家族は血族の一部になってしまいます。
生きていく一人の人間の立場から考えると、それが絶対でもないでしょう。
それに血のつながりなどは見えませんから、あまり重要な要素ではないようにも思います。
DNA検査などで調べることにどんな意味があるのか私には理解できません。

その人と一緒にいると一番安心できて、その人であればなんでも相談できる。
私は、そんな人と暮らしたいと思います。
最初からそんな人がいるかといえば、それは親しかないでしょう。
しかし親との暮らしは対等ではありません。
それに、親にとっての子どもと子どもにとっての親はかなり違うものであって、たぶん平等な関係性は形成されないように思います。
ですから親子関係は家族の結果であって、家族の根幹にはならないように思います。

家族の基本は血縁のない夫婦だと私は思います。
だとしたら、家族にとっては血縁はきっかけでしかありません。
最初からお互いにこの人といると安心で、なんでも相談できるというような人は絶対にいないでしょう。
そうした絶対的な安心の関係は、時間をかけて一緒に暮らしながら育てていくものです。
それが夫婦だろうと思います。
そして、その関係性を育むために、親子関係が効果的に作用してくるのではないかと思います。
いささかややこしい話ですみません。

ところで、私にとって、一緒にいるだけで安心で、何でもさらけ出せ、なんでも相談できる人は節子でした。
節子は実に頼りない人でしたが、なぜか節子に頼めば何でも大丈夫、最後は節子が何とかしてくれるという、私にとっては、一種の「魔法の杖」でした。
全く論理的でないのですが、精神的に節子がいると安心だったのです。
それが夫婦なのではないか。
そんな気がします。

最近離婚が多いですが、離婚とは夫婦というしっかりした家族になることに失敗したことなのかもしれません、
夫婦になってしまえば、離婚など起こりようがありません。
家族のことを話しながら、そんなことを思っていました。

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■節子への挽歌1596:Mさんとの再会

節子
昨日は新年会サロンというのをやりました。
久しぶりに湯島のオフィスがあふれました。

最初にサロンに来たのはMさんです。
定刻よりも30分ほど早かったので、2人だけで少し話せました。
節子は面識がありませんが、私がMさんにお会いしたのは10年ほど前です。
企業の経営層を対象にしたある研究会でお会いしましたが、どこか心に残るものがありました。
毎年、年賀状が届いていましたが、交流はなくなりました。
この挽歌でも書いたかもしれませんが、そのMさんから1年ほどまえに電話がありました。
どうも最悪の事態を脱したようでした。
Mさんは、Yさんから私に電話をしたらといわれたのだそうです。
Yさんは私がMさんと出会う場をつくっていた人ですが、Yさんがなぜそう言ったのかはわかりませんが、もしかしたらMさんと私が同じ体験をしたことが理由かもしれません。
そして1年して、昨日、湯島に来てくれたのです。

私は「経営とは愛」だと考えています。
愛のない経営はうまくいくはずがないと思っていますが、なかなか賛成者はいません。
最近でこそそういう人はいますが、Mさんとお会いした頃はまだ異端の説でした。
ですから誰も私の話など真に受けなかったかもしれません。
Mさんは当時、かなりの借財をしていましたから、それどころではなかったかもしれません。

Mさんは、昨日、こう言われました。
会社で利益を上げて、それを社員だけで分け合っていいのか、むしろ社会とどう分け合うかが大切ですね。
苦労をして、いろいろなことがわかりました。

苦労しなければMさんはお金持ちの社長で終わったかもしれません。
苦労したからこそ、世界が広がり深まった。
そのことを心底実感されているようでした。
とてもうれしい再会でした。
またゆっくりとお話しすることにしました。

節子にも聞いていてほしかった話をいろいろとしました。
Mさんは私よりも年上です。
そしてさらに年上のYさんは今年の元日旅立ってしまいました。
昨日の出会いは、Yさんのお心遣いでしょうか。

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2012/01/14

■節子への挽歌1595:ベン・ブリードラブからの贈り物

肥大型心筋症をもって生まれてきたベン・ブリードラブは、昨年のクリスマスの日に18年という短い人生を終えました。
その直前の12月18日に、彼は動画「This is my story」をYou Tubeにアップし、これまでの生活、経験した何度にも渡る臨死体験を世界に伝えてくれました。
それをフェイスブックを通して、村瀬弘介さんから教えてもらいました。
映像では、ベンが文章を書いた小さな紙を1枚ずつ見せてくれています。
たとえば、始まりはこうです。

こんにちは。ベン・ブリードラブです
僕は生まれてからずっと肥大型心筋症でした
すごく深刻で危険なやつです
そして成長するに連れ、こいつが厄介なものだと知るようになりました
ずっといつも怖くて、最悪な感じ。
(中略)
でも、こいつを受け入れ、ともに生きるということは僕が学んだことの一つです。
臨死体験も語られます。
最初は4歳の時だったそうです。
「死」ってやつを最初に騙してやったのは4歳の時です。

僕は二人の看護師に担架に載せられ
かあさんに寄り添われながら廊下を進んでいました
その時、大きな光が僕の上で光り輝いていたんです・・・
(中略)
僕は目を奪われ、あふれる微笑みを止められず
心配事なんて何一つ無い、世界を曇らせることなんかないって
そして、ずっと微笑んだまま・・・
あの幸せがどれだけ満たされた気持ちだったかなんて表現できないよ

その後も、ベンは「「死」ってやつを騙し」ては、3回も臨死体験をするのです。
3回目のことをこう書いています。
僕は白い部屋にいた。
壁はなく、ずーっと広がっている部屋だ。
全然音がしない。ただ、4歳の時に感じた幸せな感じがそこにはあった。
僕はすごいカッコイイスーツを着ていて、そこに僕の好きなラッパー・Kid Cudi がいた。
なんで一緒にいるただ一人の人間が彼なのか・・・って考えながら
目の前の鏡に映る自分の姿を見ていた。
僕が最初に思ったことは「マジかよ?!俺ら超カッコイイじゃん」。
そして「あの感じ」を感じながら、微笑みはあふれ続けた。
自分自身を誇りに思った。鏡に映る自分を見ながら、
これまでの人生を、僕がしてきたこと全てに。
あれは "最高の" 気分だった
Kid Cudiは、ミュージシャンだそうです。
そしてこのYou Tubeを私に教えてくれた村瀬さんも、スピリチュアリティの高いミュージシャンです、
村瀬さんはこう書いています。
深いお話です。
死をどうとらえるか、それは生をどうとらえるか。
すべて自然の理ならば、生まれるのを恐れる必要がないのと同様に、もしかしたらとてもナチュラルで、祝福されるべきものなのかもしれない。
しかし生きている間に死を学ぶことは、突発のパニックを防ぐことになり、非常に大切な気がします。
たとえばチベット死者の書のような、死について定義した書籍がホスピスで大きな評価を受けるように。
この青年の貴重な提言に敬意と心から感謝を想い、大きな気づきをありがとうございます。
節子の隣にいたのは、私でしょうか。
それはともかく、節子もそうした"最高の" 気分にいてくれるのでしょう。
そう思うと、心がとても安らぎます。
今の私には、自分よりもやはり節子のことが気になるのです。
そうした者にも、ベン・ブリードラブのメッセージはとてもうれしいものです。

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2012/01/13

■節子への挽歌1594:節子の心配事

節子
2年ほど、音信不通だった、節子もよく知っているTさんから電話がありました。
私にはあんまり意識がないのですが、私の言葉にムッとして暫く来なかったのだそうです。
どうやら私に失礼な発言があったのだそうですが、私にはその認識が皆無なのです。
ということはそういうことがほかにもきっとあるのでしょうね。
私はあまり考えることなく思ったことをすぐに発言してしまうところがあるからです。
節子はそれで時々はらはらしていたはずです。

節子とまだ結婚する前ですが、髪の毛をいつも面白く結っている若い女性がいました。
私はその人とすれ違うと、なぜかその髪の毛に触りたくなってしまうのです。
そのことを節子に話したら、修さんなら「触っていい?」といいそうね、と笑いました。
幸か不幸か、その人とは知り合う機会がなかったので、髪には触れませんでしたが、面と向かって話す機会があれば、「触っていい?」と言ったかもしれません。
困ったものです。

子どもは、思ったことをそのまま口に出します。
こんなことを言ったら失礼ではないかとか、誰かにおかしく思われるのではないか、などとは思いません。
そういう意識が出てくるのは、大人になってからです。
子どもは実に素直で、生命現象をそのまま生きています。
実は、私はどこかで成長しきれていないため、思ったことを話すのを思いとどまる「理性」がかなり弱いのです。
最近はだいぶよくなったと思いますが、ついつい思ったことが口から出てしまうのです。
脳と口が近すぎるのかもしれません。
我ながら困ることもあります。
Tさんのことも、たぶんそうした結果でしょう。
Tさんは、私のことをよく知っている人ですから、まあ電話一本で関係は回復ですが。

話はそれましたが、私は思ったことをストレートに言うので、節子はいつも心配していました。
湯島にまだ節子が来ていた頃、お客様が帰った後に、あんな表現は失礼じゃないの、といわれたことも少なくありません。
たとえば、久しぶりにやってきた人に、話している途中で、「ところで今日は何しに来たの」などと言ってしまうのです。
私には悪気はないのですが、人によってはムッとすることもあるのだそうです。

この癖は今も直っていません。
つい発言してしまった後、あ! 節子にまた注意されるなと思うのですが、直りません。
節子が心配していたことは、なかなか直っていませんが、まあなんとかやっています。
Tさんにお詫びにお寿司でもご馳走してよと言ったら、謝るのはそっちでしょうと、言われてしまいました。
ムッとさせたほうが悪いのか、ムッとしたほうが悪いのか、是も節子と私の見解の相違点の一つでした。

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2012/01/12

■節子への挽歌1593:「恋愛は脳からの魔法のプレゼント」

池谷裕二さんの本を引用したので、ついでに池谷さんの恋愛論を紹介します。
あんまり挽歌らしくはないのですが。

ちょっと長いのですが、『単純な脳、複雑な「私」』から引用させてもらいます(一部要約しています)。

高度な知性がある人間は、できる限り優秀な子孫を残したいと、あれこれ思いを巡らせる。そこから、より秀でたパートナーを見つけなきゃいけないという精神的な願望が生まれる。しかし、地球上には多くの人がいるので、最良のパートナーだと決めるのは不可能。そこで、次善の策として、身近の「まあまあよい人」を選んで妥協しないといけないわけです。
ただ、それだけだと、知的生物ヒトとしては、どこか納得できない気がする。そこで登場するのが恋愛感情です。「この人でいいんだ」と無理矢理に納得するために、脳に備わっているのが恋愛感情。
恋愛はテグメンタ(快感を生み出す脳の部位)を活性化しますから、心を盲目にしてくれる。すると目の前の恋人しか見えなくなる。ほかの人なんかもうどうでもいい、「私はこの人が好きなんだ」「この人こそが選ばれし人だ」なんていう奇妙な妄想が生まれるわけです。
まさに「恋は盲目」というわけです。
ちょっと笑えますが、奇妙に説得力もあります。

さらに池谷さんはこう続けます。

もちろん、その人がベストの選択肢かどうかなんて、実際にはわかんないんですよ。というより、実際にはもっといい人はたくさん他にいるんでしょうね。それでも、脳が盲目になり、心の底からバカになることで、私たちは当面は納得して、子孫を残すことができるのではないでしょうか。
つまり、恋愛は脳からの魔法のプレゼントなんですよ。恋人たちにとっては、こんなに幸せなことはないですよね。
さて挽歌気分に戻って、私たちの恋も愛も、盲目の産物なのでしょうか。
もちろんそうなのです。
元気だった頃、節子はよく言いました。
「たくさんの女性がいるのに、どうして私がいいの?」
それは節子にも向けられる質問なのですが、節子の答えは簡単明瞭でした。
「いまさら恋愛などは面倒だから、修でいいわ」
これは私にも当てはまります。
こうしてともかく自分たちは最高のカップルだと思い込むことで、私たちは幸せになったわけです。
池谷さんは、そうした真実を教えてくれます。

節子は、私の身近にいた「まあまあよい人」だったに過ぎないのです。
たいして美人でもないし、頭も良くないし、古代遺跡も好きでないし、頑固だし、私よりも花を大事にするし、夜更かしだし、朝寝坊だし、金銭感覚もないし、いい加減だし、・・・
にもかかわらず、私はやはり節子がいいですね。
また来世も節子を選びたいと心底思うのです。
しかし、これに関しても、池谷さんはこういうのです。

付き合う時間が長いとその人が好きだと思う働きが脳にはあると。
いやはや脳科学者はいやな人種ですね。
願わくば。いまの盲目状況から目覚めたくありませんが、そのためにはこの挽歌を書き続けなければいけません。
いやはや困ったものです。

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■節子への挽歌1592:挽歌を書き続けている効用

池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』という本はともかく面白い本です。
ところがそこに、こんな文章が出てくるのです。

記憶は生まれては変わり、生まれては変わる。この行程を繰り返していって、どんどんと変化していく。
記憶は常に変化しているというのです。
そこがコンピュータと人間の違いです。
コンピュータは情報を「そのまま」保管し、後で引っ張り出しても同じままに出てきます。
ところが人間が記憶を思い出す場合は、そうではないのだそうです。
人間の記憶は、すごく曖昧に、しかもたぶんいい加減に蓄積されているため、思い出す度に、その内容が書き換わってしまうわけです。
その思い出した記憶が、また保管されるわけですから、その内容はどんどんと変わっていくことは間違いありません。
そうして「思い出」は、どんどん自分勝手に書き換えられていくことになります。

この挽歌ももう1592回目です。
池谷さんの話に従えば、節子の記憶は1592回の思い出しを繰り返して、その記憶はたぶん大きく変わってしまっているでしょう。
もしかしたら、実際の節子と今の私の心にある節子は、全くの別人であるかもしれないわけです。
現に娘たちは、お父さんはお母さんのことを美化しすぎているのではないか、と笑います。
まあそれは必ずしも否定できません。
しかし、それは言い方を変えると、節子と私の関係は、今も成長しているということでもあります。
節子と一緒に今も暮らし続けていたとしても、5年前とは違った節子像を、私は持っていると思いますから、同じことなのです。

脳にはまた、実際に起きてしまったことを自分に納得できるように理由づけるという機能があるそうです。
これを「作話」というそうです。
要するに、脳は勝手に自分にとって快い物語を生み出してしまうわけです。
こうして記憶はどんどんと物語化していきます。

こういう視点で、この挽歌を読み直して見ると、私の節子像がどう変わってきているかわかるかもしれません。
もしかしたら、最初の頃の節子と最近の節子とは別人になっているかもしれません。
それもまた実に興味あることですが、しかしあんまりも挽歌を書き続けてしまったので、いまさら読み直す気力は全くありません。

しかし挽歌を書き続けてきて、高まったなと思う能力が一つあります。
ゲシュタルト群化能力、ばらばらの要素を見て全体をイメージする能力、です。
私は子どもの頃、探偵になりたいと思っていた時期があります。
シャーロック・ホームズのファンでした。
しかし、ホームズのようなゲシュタルト群化能力が不足していたので、早い時期に諦めました。
いまならホームズほどではないにしても、かなり個々の要素の奥にある全体像が見えるような気がします。
それが挽歌を書き続けている効用かもしれません。
もちろん、私も節子も、そして私たちの関係も、成長し続けているというのが、最大の効用なのですが。

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