カテゴリー「妻への挽歌09」の記事

2012/08/11

■節子への挽歌1800:ささやかな日常の営みこそ輝いていた

先日の「骨董市」を読んだ方がメールをくださいました。
1年ほど前に伴侶を見送った方です。

最後の数行の節子さんを彼に置きかえて読んだ途端、声を上げて泣いてしまいまいた。
彼との生活は本当に輝いていました。ささやかな日常の営みこそ輝いていたと言えます。
彼も多くのものを私に付加してくれました。多少なりとも彼もそう思ってくれていると信じたい・・・。
私は一生独身を予想していただけに、出会いの時からこの幸福の奇跡に畏れるほど感謝していました。
もちろん、ぶつかり合いもありました。それも含めてです。
「ささやかな日常の営みこそ輝いていた」。
私も、この思いが、日を追うごとに強くなってきています。
節子は、私よりもずっと早くに、そのことに気づいていたことは間違いありません。
しかし、おそらくこの方もそうかもしれませんが、その「ささやかな日常の営み」をもう2度と体験できないのです。
節子は、それを知っていた。
だから、一日一日を大切にしていました。
にもかかわらず、私は、今から思えば、節子との最後の時間を粗雑に過ごしてしまっていたのです。
いつかまた2人で旅行にも行けると、最後の最後まで信じていたのです。
そういう私を、節子はどう思っていたことでしょう。

節子がいなくなったいま、残念ながら、「ささやかな日常の営み」は輝いてはいません。
どこが違うのでしょうか。
たしかに節子はいませんが、「日常の営み」としては、さほどの変化はないのです。
でも何をしても、決して輝くことはありません。

日常が一変してしまったのです。
やっていることは同じでも、意味合いは全く変わってしまった。
たった一人の存在が、これほどまでに大きな変化を与えるものかと、不思議に思います。
節子は、どこにでもいる平凡な女性でしかなかったのに。
節子のどこにそんなパワーがあったのだろうと、時々思うのです。
「愛」とは、枯れ木に花を咲かせるものなのでしょう。
その「愛」が消えるか、熟してしまう前に、別れを体験することは、やはり悲劇です。
輝いている「ささやかな日常の営み」を失ってしまうことは、やはりどう考えても、不条理としかいえません。
幸せは不幸と、まさに裏表なのです。
できるものなら、もう一度ひっくり返したいものです。

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■節子への挽歌1799:お人好し

節子
今日は土曜日なのですが、急に相談に乗ってほしいという連絡があり、湯島に行ってきました。
それでまたお昼を食べそこなってしまいました。

私が会社を辞めて、わが家の貯金がどんどんなくなって、さすがの節子も心配しだしたことがあります。
そして私に言いました。
どうしてこんなに働いているのにお金が入ってこないの、と。
しかし、しばらくして、そういう発言をしなくなりました。
そしてお金を使わない生活に切り替えてくれました。
いまの政府の人たちに見習ってほしいものです。
お金はなければないで、どうにかなるものです。
まあ時にどうにもならずに借金せざるを得なくなることもありますが、それでも真面目に生きていればどうにかなるものです。

最近、娘が私に言います。
少しはお金をもらえる仕事をしたら、と。
しかし娘も本気でそう言っているわけではありません。
私の性格を知って、多分もう諦めているでしょう。

いろんな人が相談に来ます。
私がなにか出来るわけではありませんが、なぜか来るのです。
そしてうまくいきだすと来なくなります。
一度くらいお礼に来ても良さそうなものをと、節子は時々言ってました。
私もそう思うこともありましたが、今はそうは思いません。
なぜなら、私は相談にきても何の役にも立っていないからです。
問題の解決は、要するに当人にしかできないことなのです。
そのことがよくわかってきたのは、やはり節子のことをいろいろと考えているうちに気づいたのです。

私は、何か困ったことや悩みが発生したら、必ず節子に相談しました。
そして、その問題は必ず解決しました。
節子が何かをしてくれたわけではありません。
しかし、節子に話すことで、なぜか問題は解決に向かうのです。
そこにいるだけでいい存在。それが節子でした。

私のところに相談に来る人も、もしかしたら同じなのかもしれません。
だとしたら、どんなに忙しくても、相談には乗らなければなりません。
相談に乗ることが価値あることだからです。
問題は、私の相談に乗ってくれる人がいないことです。
お腹をすかせての帰路、私だけが割りを食っているのではないかと、ふと思いました。
最近少しひがみっぽくなっているのです。
そして、「修さんはお人好しだから」と笑っていた節子を思い出しました。
私は決して「お人好し」ではないのですが、ちょっと納得できない金もします。
今朝は畑仕事もせずに、寝不足のなかを、なんで出かけてしまったのでしょうか。
もしかしたら、節子がいた頃もこうして、節子との時間は二の次だったのではないかとちょっと心配になってきました。
いまさら遅いことですが。

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2012/08/10

■節子への挽歌1798:危うく熱中症?

節子
今日はあやうく熱中症で倒れるところでした。
朝、畑に草刈りにいったのですが、出かける前にいろいろとやる事があって、少し出遅れてしまいました。
涼しかったので大丈夫だと思ったのですが、そのうちに日が照りだしました。
そこで止めればよかったのですが、雑草の刈り取りは成果が目に見えるので、どうしてももう少しやりたくなってしまうものなのです。
ついつい夢中になってしまい、30分を超えてしまったのに気づきませんでした。
水筒を持参して水分は補給していたのですが、急に立ちくらみを感じました。
これはあぶない。
節子と一緒にやっていた頃にも、同じような事がありましたが、今日は私一人での作業です。
畑で休んでいたらよかったのですが、一人なので帰宅することにしました。
自宅まではすぐなのですが、自転車で坂を上らないといけないのです。
節子とよく散歩した道です。

その上り坂を、病気の進行と共に、節子は上れなくなりました。
20メートルほどの坂道なのに、5分以上はかかったでしょうか。
ほんのわずかの傾斜でも、節子には堪えたのです。
私も、いつもは自転車ですいすい登れる坂ですが、今日はかなりしんどかったです。
節子のことを思い出しました。
体調によって、環境は全く違ってくるのです。

ようやく自宅について、家の中に倒れこみました。
気持ちが悪くなり、あげそうになりました。
だから無理をするなと言ったでしょうと娘から怒られました。
辺りが白く感じられ、これは危ういと思いましたが、冷たい水を飲み、横になっていたら、幸いに少しずつ落ち着きだしました。
でも30分ほど寝ていたでしょうか、
いやはや大変でした。

娘には内緒ですが、実はこういうリスクのあるのが私は大好きなのです。
だから熱中症のリスクがあればこそ、畑仕事に出たくなるのです。
節子はこういう私の性格をよく知っていました。
しかも私の天邪鬼さも知っていましたから、止めずにむしろそそのかしました。
そのやりとりがないのも少しもの足りませんが。

夕方、懲りずにまた畑に行ってきました。
娘は止めましたが、止められるとますます行きたくなるわけです。
でもまあ、節子なら迷惑をかけてもいいですが、娘にはあまり迷惑をかけられません。
そう思って、夕方は30分ほどで作業を切り上げ、帰宅しました。
しかし畑の草刈りは重労働なのです。
普通の人は、いい汗をかいた後はビールでしょうが、私は下戸なので、ビールは飲めません。
それでアイスクリームを食べようとしましたが、アイスクリームは1日一つと娘に決められています。
節子と違って、娘は厳しいのです。困ったものです。

節子ならごまかせますが、娘はごまかせません。
やはり節子がいないと困ることが多いのです。
アイスクリームさえ食べられない。
娘に節子だったらなあと言ったら、節子でもだめと言うよと言われてしまいました。
節子
そうでしょうか。
そんなことはないよね。
節子は何でも私の希望をかなえてくれましたから。
その節子がいないのが、やはり最近、無性にさびしいです。

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■節子への挽歌1797:死んでいるのに、生きている

節子
手賀沼の花火大会は今年も中止です。
その代わり、近くの満天の湯が、恒例の花火を今年も上げました。
30分ほどのミニ花火大会です。
だれかを呼ぶほどのこともない地味な花火大会ですが、ユカと一緒に屋上で少し見ました。
娘と2人ではまったく盛り上がりません。
むしろなにか寂しさが募ります。
昔は、わが家にも大勢の人が花火を見に来て、節子はその接待で自分ではあまり見られなかったほどだったなあなどと思い出したりしてしまうのです。
いつまでメソメソしていると言われそうですが、別にメソメソしているわけではなく、まあそういう気持ちが自然とわいてきてしまうのです。
それをメソメソと言うのかもしれませんね。

わが家をここに決めたのは節子でした。
花火が見える場所だったからです。
その節子は、花火を堪能する間もなく病に襲われてしまいました。
最後の年は、花火大会の日も私と節子は花火の音しか聞えない部屋で過ごしました。
花火を見に来ている人たちは、節子の辛さをどれほど知っていたでしょうか。
庭や屋上で楽しんでいました。
そういう人たちにも、節子は辛さをあまり見せませんでした。
知っていたのは私と娘たちだけでした。
思い出すだけで、複雑な気持ちになってしまいますので、思い出すのをやめましょう。

あれ以来、私は花火があまり好きではありません。
昔は大好きでした。あの音がたまらなかった。
今も音は好きですが、花火を見ていて、ふと思うのです。
なんでこんなものが、あんなに楽しかったのだろうか、と。
花火だけではありません。
そう思うことが、たくさんあります。

まだ心が死んでいるのかもしれません。
死んだのは節子ではなく、私だったのかもしれない、などという気さえします。
死んでいるのに、生きている。

訃報つづきの影響で、心がどうも沈んでいます。
花火も心を元気づけるどころか、さらに沈ませてしまったのかもしれません。
やはりまだメソメソしてるようですね。

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■節子への挽歌1796:訃報続き

節子
同世代の友人の訃報続きです。
70歳を超えれば、それが普通なのかもしれません。
しかし、その人とのこれまでのことが、頭をかけめぐります。
と同時に、その先に、伴侶を失った人のことへの思いが生まれます。
私の体験から言えば、先に逝く人は幸せかもしれません。
愛する人に悼まれながら、しずかに旅立てるからです。
しかし残された人はどうでしょう。
悲しさとさびしさを背負い続けなければいけません。
しかし、そういう考えは、あまりに身勝手かもしれません。

いささか薄情なのかもしれませんが、同世代の訃報は驚きこそすれ、悲しさはありません。
妻の死をこれほど悲しみ、そこから抜け出られないでいるのに、訃報には悲しまなくなった。
歳のせいかもしれませんが、死への思いが変わったからかもしれません。
どうせまた会えるではないかという気もしますし、いまでもさほど会っていないではないかという気もします。
訃報を聞いても、何も変化はないのです。
訃報を知らなければ、何も変わらないでしょう。
事実、最近では、さほど親しくなく、もう10年以上会っていない人の訃報は、忘れてしまいます。
そして、時に、あの人はまだ生きていたかなあ、訃報をもらったとうな気もするなあ、とわからなくなってしまうことさえあるのです。
不謹慎と言えば不謹慎、不誠実と言えば不誠実。困ったものですが、それもまた事実です。

お別れの会や告別式など、最近はどうもあまり行きたくなくなりました。
10年ほど前までは、私は結婚式よりも告別式のほうが出席しやすかったのですが、最近は逆になっています。
お葬式にはあまり行きたくない。
その人の死を意識したくないからかもしれません。
できるならば、私の友人知人はみんな私よりも長生きでいてほしいです。
たとえ私よりも20歳も年上でも、です。

訃報続きは、気を沈めます。

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2012/08/09

■節子への挽歌1795:花かご会も10周年

節子
昨日8月8日は、「花かご会」の創立の日だったのですね。
花かご会の山田さんから、メールが届きました。
今年で10周年だそうですね。

昨日は、駅前花壇の作業を終えたあと、みんなで食事会をしたそうです。
「10年が経ったとは信じられないような感じだね」とみんなで話していたと山田さんは書いてきました。
10年と口で言うのは簡単ですが、10年間、駅前花壇をずっときれいに維持してきたことには、私も拍手を送りたいです。
山田さんは続けてこう書いてきてくれました。

節子さんもきっと喜んでくださっているだろうと思いながら、みんなでお墓にお参りさせていただきました。

花かご会の人たちは、いまも時々、節子のお墓参りに行ってくれています。
みんな心やさしく、気持ちのいい人ばかりなのです。
節子はほんとうにいい人たちにかこまれていました。
そういえば、節子が書道を習っていた東さんも、伴侶のお墓参りに行くたびに節子のお墓にも立ち寄ってくれています。
伴侶としては、そのことがやはりとてもうれしいです。

節子のことを、こうして今も思い出して、お墓にまでいってくれる人がいる。
うれしいような、悲しいような、とても複雑な気持ちです。

まもなくお盆。
節子が帰ってきます。

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■節子への挽歌1794:形の奥にある意味の世界

節子
昨日は思い立って東京国立博物館に行ったのです。
それで上野公園も歩いたのですが、上野は美術館も多いところです。
私と違って、節子は美術展が好きでしたから、元気な時にはよく付き合わされました。
私が上野通いをしていたのは、小学生から大学生の時代までで、それ以降はあまり行かなくなっていました。
むしろ節子に引っ張られていくことのほうが多かったでしょう。

私がよく遊びに行っていた、国立博物館と科学博物館はかなり変わってしまいましたが、大学時代に良く通っていた西洋美術館は昔のままです。
大学生の頃、そこでみたイタリア現代彫刻の強烈な印象が思い出されます。
形の奥にある意味の世界。
大学生の頃は、そうした思いに魅了されていました。
節子と会った頃は、まだそうした余韻が残っていましたから、節子にもたぶん得意気にそんな話をひけらかしたのではないかと思います。
偶然にもある日、京都行きの電車の中で会った節子と奈良に行ったのが、私たちの最初のデートでしたが、たぶんその時も、私はきっと仏像を前にそんな話をし続けたのではないかと思います。
節子には、初めての強烈な体験だったでしょう。
刺激が強すぎたかも知れません。
訳が変わらずに呆れるか怒るかして、帰ってしまってもおかしくないはずですが、節子にはとても居心地が良かったのかもしれません。
今となっては、確認のしようがありませんが、何となくそう思います。

話に夢中になって、奈良駅に着く頃には暗くなっていました。
お腹が減ったねと言って、たしか入ったのがラーメン屋さんのような気がします。
私たちの付き合いは最初からそんな気取りのない関係でした。
それも少し不思議です。

ところで昨日の国立博物館で、秋篠寺の十一面観音像に会いました。
こんなところに保管されていたとは知りませんでした。
もし知っていたら、節子と見に来たはずです。
節子も私も、十一面観音が好きですし、秋篠寺の葉写真でしかみた事がなかったからです。
とてもやさしい観音でした。
その向こうに、節子を感じました。

現実に見える風景の向こうに見えるもの。
それがもしかしたら、人の世界の広さかもしれません。

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2012/08/08

■節子への挽歌1793:骨董市

節子
不忍池の横の通りで、夏まつり恒例の骨董市が開かれていました。
骨董市に出会わすのはたぶん6年ぶりです。
節子がいた頃は、この骨董市を見て歩いたものです。
残念ながらここで出品されているものは、あまりわが家の好みではないで、「市」好きの節子もあまり買った記憶がありませんが、買う物が有ろうが無かろうが、お店を見るのが節子は好きでした。

路地の骨董市ではありませんが、湯島から上野、あるいは御徒町に出る狭い通りにも、ちょっと面白い陶器や漆器、和紙などのお店がいくつかありました。
節子と歩いていると、よくそうお店に連れ込まれました。
一度入るとなかなか出てこないのが節子でした。
そういう体験も、いまはもう遠い昔の話です。

「市」といえば、やはり一番の思い出はルクソールの市場でした。
最初の家族海外旅行で行ったエジプトの市場はどこも面白かったですが、ルクソールの雑然とした市場は刺激的でした。
ミシンで衣服を縫っている人がいるかと思えば、生き物をさばいている人がいる。
実に不思議な空間でした。
もしかしたら、節子の市場好きは、あれ以来かもしれません。

今日は、節子がいなかったので、お店に目をやることもなく、そそくさと通り過ぎてしまいました。
もしかしたら、節子がいなくなってから、私の人生も、寄り道もなく、無駄もなく、ただそそくさと急ぎ足で歩いているだけかもしれません。
途中でそう思って、引き返して写真を撮りました。

Kottouichi


節子は私の人生に、たくさんのものを付加してくれていたのです。
それが最近よくわかってきました。
節子がいない人生は、やはり味気なく面白くありません。
節子がいたら、それこそすべてのものが輝いていたのです。

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■節子への挽歌1792:久しぶりの上野公園

節子
今日は午後から時間ができたので、久しぶりに湯島天神から不忍池を抜けて上野公園を歩きました。
節子がいた時には、時々、歩いた道です。
節子がいなくなってからは、年に一度あるかないかですが。

湯島天神にも行かなくなりました。
オフィスの帰りに、よく2人でお参りしましたが、いまは足が向きません。
しかし今日はちゃんと正殿にお参りして、不忍池に向かいました。
不忍池は、いまハスの時期です、
まだ花は少なかったですが、池はハスの葉で覆われていました。

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上野公園は夏休みなので、暑さにもかかわらず混んでいました。
木陰で座ってお弁当を食べているカップルがいました。
昔の私たちのようでした。
せっかく近くに、精養軒や伊豆栄があるのに、そこには行かずに、上野駅構内でおにぎりやお弁当を買って、ベンチで食べるのが、私たちは好きでした。
そう思って意識すると、多くの幸せそうなカップルが目に付きました。

考えてみると、そんなことを思いながら、上野公園を歩くのは、節子がいなくなってから初めてかもしれません。
私もだいぶしっかりしてきたのかもしれません。
一人で、上野公園を自然に歩くことができるようになったのですから。

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2012/08/07

■節子への挽歌1791:セミ

節子
セミの話です。
そういえば、ギリシア神話では「黄金のセミ」はアポロの持ち物でした。
言うまでもなく、アポロは太陽神ですが、夜明けとともに泣き出すセミがアポロと結び付くのは納得できます。
しかし、セミは不思議な生き物です。
私は昔から、セミが不思議でした。
セミには水分が感じられないからです。
生きていても死んでいても、いつも「カラカラ状態」です。
私にとっては、もっとも生物的でない生き物がセミでした。
そのセミが、唯一、瑞々しく輝くのが羽化の途中なのです。

セミは、不死や復活、さらには永遠の若さや幸福を象徴すると同時に、現世のはかなさや移ろいやすさの象徴でもあります。
見方によって全く違った存在になりえる存在なのです。
しかし考えようによっては、それらはすべて同じことかもしれません。
最近はそんな気さえするようになってきました。
節子がいたら絶対にそんな思いは生まれないでしょうが。

死んだ生物で、ほぼなんのためらいもなく触れるのはセミくらいかもしれません。
生命を超えた、不思議な生物です。
もしかしたら、此岸と彼岸を往来しているのかもしれません。
お盆に近づくと、セミが賑やかになってくるのも、そのためでしょうか。
節子の生家での夏の法事にでた時には、家の近くの大きな樹のセミが実に賑やかでした。
最近も、夏のお施餓鬼でお寺に行くと、これまたセミの大合唱です。
まるでセミたちが読経しているようでもあります。

今年もまたお盆が近づきました。
節子の位牌の前にも精霊棚ができました。
節子がいなくなってから5回目のお盆が来ます。

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