カテゴリー「妻への挽歌11」の記事

2013/09/10

■節子への挽歌2200:宝くじを買わないと人生を全うできない感じです

節子
昨日は、いささか深刻なビジネスミーティングを2つ行いました。
いずれも、お金が絡んでいます。
私には不得手なミーティングです。
私がお金をもらえる話なら、まあさして深刻でもないのですが、いずれも逆で、私が資金的な支援をするかどうかというミーティングです。
幸か不幸か、私には資金がないのですが、要は私が保証するかどうかというのが、深刻さにつながっているわけです。
友人や娘からは自宅を抵当にしていてはいけないとか、連帯保証人になってはいけないなどと言われていますから、それだけは最近は避けていますが、目の前に困っている人がいたら、何とかしないといけません。
どうも相手はそういう私の性格がわかっているようで、次々と相談をしてくるのです。
そのことを知っている人からは、佐藤さんは甘く見られていると言われていますが、甘く見られていることは別にどうということはありません。
しかし、だまされることが繰り返されると、やはりがっかりします。
人間不信になるからです。
同じ過ちはもうしないぞと思うのですが、相手が変わるとついついまた、相手を信じたくなります。
これは、一種の病気かもしれません。

加えて、昨夜、2人の知人から、係争の話し合いをするので立会いをしてくれないかと、それぞれからメールが来ました。
実は、こういうことも初めてではありません。
これまでも何回かあります。
係争の中身はいつも「金銭問題」です。
私を通して知り合った人同士なので、同席しないわけにもいきません。
しかし、お互いに私の知らないところで、一緒に事業を起こし、失敗して争うと私のところに相談に来る。その神経が私にはよくわかりません。
調停役をやって解決したら、お礼くらい言ってもらっても良いと思うのですが、係争の調停はいずれにも不満を残しますので、いずれからも感謝されることはありません。
そのため、せめて交通費くらい払ってほしいと、卑しい気持ちにさえなりますので、あんまりやりたくはありません。
しかし、頼まれると断れないのが、私の性格なのです。
これは性格と言うよりも、私の生き方かもしれません。
生き方であれば仕方ありません。

そういうことを行って、自己嫌悪に陥っていると、節子はいつも「それが修さんなんだから」といささか諦めながら笑いとばしてくれていました。
その笑顔に救われてきましたが、最近は救いがありません。
娘たちは、死ぬ前に借金をきちんと返しておいてね、とにべもありません。
やはり宝くじを買わないと人生を全うできない感じです。

節子
宝くじが当たるように祈ってくれませんか。

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2013/09/09

■節子への挽歌2199:退歩

節子
今日はさわやかな秋晴です。
雲の形が実にいいです。
暗雲と言われるような不安を起こす雲もあれば、今日のように、心を和ませ元気づける雲もあります。

昨日、滋賀にいる節子の友人から電話がありました。
花を送ってくれた人たちです。
元気そうでした。
節子は、とても良い友だちだったと、今も言ってくれています。
先に逝ってしまう人が、「良い友だち」のはずはありませんが、まあそこは素直に受け止めましょう。

7回目の命日を超えて、私も少し心身の整理ができてきたのかもしれません。
いや、そう思いたくなってきたというのが正しいでしょう。

先週、テレビの「こころの時代」で、東洋思想研究家の境野勝悟さんの話を聴きました。
そこに、道元の「退歩」という言葉が出てきました。
私の認識とは少し違っていたので、改めて、少しだけ調べてみました。
道元は、「須らく回光返照(えこうへんしょう)の退歩(たいほ)を学すべし。身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して本来の面目(めんもく)現前せん」と書いています。
テレビでは、境野さんは、そのことを様々な切り口から説いてくれています。
改めて、納得できました。

ある意味で、節子がいなくなってからの私の姿勢は、退歩と進歩の往復ですが、少なくともこの挽歌を書く時には、「退歩」に心がけています。
退くことによって見えてくるものはたくさんなるからです。

境野さんはまた、学ぶことは自らを忘れることだ、とも言っていました。
あんまり正確な引用ではないのですが、私にはそう聞こえました。
退歩も進歩も、自らを忘れることかもしれません。

今日の気持ちの良い、さわやかな青空は、いろんなことを忘れさせてくれます。
私も、節子も、青空が好きでした。

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2013/09/08

■節子への挽歌2198:相思花

節子
昨日、彼岸花のことを書きましたが、もう一度、彼岸花の話です。

彼岸花は、まず花が咲き、花が終わると葉が出てきます。
ですから、花と葉が別々なのです。
そのため、彼岸花の花は、自らの葉を見ることがなく、葉は花を見ることがないのです。
こういう花を相思花と言うのだそうです。
「花と葉が同時に出ることはない」というところから「葉見ず花見ず」とも言われるそうです。

節子が旅立った年に公開された映画に「22才の別れ Lycoris葉見ず花見ず物語」という大林宣彦監督の作品があります。
Lycoris(リコリス)というのは、彼岸花の学名です。
ギリシャ神話の女神、海の精の一人の名前からとられたものだそうです。
この映画は、悲恋物語だそうですが、私は観ていません。
しかし、「葉見ず花見ず」からどのような物語かはなんとなく伝わってきます。

彼岸花にとって、花も葉も不可欠な存在です。
冬を越した球根がまず花を咲かせます。
その花が散ると、今度は葉が茂りだします。
その葉は冬になっても枯れることなく光合成して、球根に栄養を蓄えます。
春になると葉が枯れて、秋になると球根が花を咲かせるのです。
お互いを見ることのできない花と葉であるがゆえに、人はそこに「葉は花を思い、花は葉を思う」というような感情移入をしてしまうのです。

私が気になっているのは、花の役割です。
花がタネを生み出して、彼岸花を増やしていくのではないようです。
何のために花はあるのか。
そして見ることのない花のために、葉は冬まで越して働くわけです。
その関係がちょっと気になるわけです。

ちなみに、彼岸花の花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」。
「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
いずれも、いまの私にどこかでつながっているような気もします。

しかし、彼岸花の花も葉も、それぞれに会うことはありません。
彼岸花は、とても悲しい花なのです。
だから自らの球根に、烈しい毒を蓄えてしまっているかもしれません。

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2013/09/07

■節子への挽歌2197:彼岸花が咲き出しました

節子
節子の命日を過ぎたら、急に涼しくなりました。
命日とは無関係でしょうが、ことほど左様に、いろんなものの理由付けをしてしまうのが、人の常です。
そう考えると、なぜか納得できるのです。

庭の曼珠沙華が咲きそうです。
今年は雨が少なかったので、芽が出ないかもと思っていましたが、元気です。
そもそもわが家には曼珠沙華はありませんでした。
根茎が有毒ですので、あまり気楽に庭には植えられません。
にもかかわらず、なぜ庭にあるかといえば、これもまた節子に関わっているのです。
曼珠沙華の鱗茎は、有毒であるとともに、ある薬用性を持っています。
それで節子の闘病中に、漢方の薬局に頼んで手に入れたのです。
しかし、節子には合いませんでした。
それで土に戻したのです。
ですから、節子が旅立った翌年から、わが家の庭に曼珠沙華が咲き出したのです。

曼珠沙華は彼岸花ともいいます。
昔は墓地の周辺によく咲いていました。
それは土葬された死者を守るためだったと思います。
そして、名前も彼岸花と言われるようになったのでしょう。
曼珠沙華を食べたら「彼岸(死)」しかない、ということからの命名という説もあります。
この花の名前は不思議なほど、いろいろと呼び方があるようです。

「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という花は、法華経などにも「天上の花」として登場しますが、仏教での曼珠沙華は「白くやわらかな花」で、彼岸花とは別のものだそうです。
つまり、いわゆる曼珠沙華と仏教で言う曼珠沙華とは別の花だということになります。
しかし、彼岸につながっているという点では同じです。

曼珠沙華は、日本では、異名の多い花のひとつです。
「死人花(しびとばな)」「地獄花」「幽霊花」などと言う地方もあるようです。
不吉であると忌み嫌われるところもあれば、めでたい兆しとされるところもあるといいます。
とても不思議な花なのです。
たしかに、この花を見ていると、思いは彼岸や天上にまで行きそうな感じがします。

彼岸花が咲きだす季節になりました。
私には、心身が金縛りに合いやすい季節が終わって、少しホッとしています。
9月は、節子も自由になった月なのです。

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2013/09/06

■節子への挽歌2196:「ちょっと動揺しています」

節子
友人からまた衝撃的な連絡が届きました。
私たちより一回り若い人ですが、がんの宣告を受けたそうです。
医療分野の人ですが、その報告の最後に、「ちょっと動揺しています」と書かれていました。

最近、こういうメールが時々来ます。
私よりも年上の方からのものだと、なんでもなく読めます。
がんの宣告だとしても、とくに驚くことはありません。
私自身、70歳を超えてからは、がんだと言われても、だからなんだと開き直れる気がします。
だから、同世代より上の世代の人に関しては、だから何なのという気がどこかにあります。
こう書くと冷酷なように思われるかもしれませんが、そうではありません。
がんも含めて、病気を患いながら老いていくのは自然の姿です。
70歳を超えれば、なにがあっても驚くことはないでしょう。
それにもう十分生きてきたのですから。
節子は62歳でしたが、それに比べれば、まあ満足してもいいでしょう。
それに、老いることを嘆くような生き方を、私はしたくありません。
健全な老いにとっては、歳相応な病もまた健全の証なのです。

しかし、私よりも一まわり以上も年下の人ががん宣告を受けるのは、衝撃的です。
そういう連絡をもらうと、なんと返信したらいいかわからなくなるのです。
そこで少し躊躇し、1日、間を置くこともあります。
黒岩比佐子さんの時には、1日どころではありませんでした。
相手が何か反応を待っていることはわかるのですが、言葉にならないのです。
「私もちょっと動揺しています」と言うのが、正直な反応ですが、そうも書けません。
慰めの言葉などは、もちろん思いもできません。
かといって、慰めないわけにもいきません。

節子が、がん宣告を受けた時の私の反応はどうだったでしょうか。
たぶん節子と一緒に動揺していただけでしょう。

最近は、「ちょっと動揺」することが増えています。
自分の病は泰然としていられても、自分よりも若い人の病には、やはり動揺してしまいます。
困ったものです。

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2013/09/05

■節子への挽歌2195:また花が届きました

節子
ユカの友だちが今年もまた花を供えにきてくれました。
うれしいことです。

娘たちの友だちにとって、私たち夫婦は、それなりに印象的な存在だったようです。
子どもの頃、わが家に遊びに来た時に、私も節子も顔を出したからでしょう。
当時、娘たちにとっては、どうも迷惑なことだったようですが。
少し変わった親を持ったという感じが、娘たちには残っているのです。
しかし、その関係もあって、ユカやジュンの友だちも、私たち夫婦を知ってくれています。

今となって考えると、私も節子も親としてはあまり良い親ではありませんでした。
特に私は、親子というよりも友だちという関係を目指していましたので、娘たちにはさぞかし迷惑だったことでしょう。
大人になる前の子どもにとって、親は友だちなどにはなりえません
自分と親の関係を考えれば、それはすぐに分かることですが、当時の私はそれにさえ気づかずにいたのです。
そして、たぶん節子もまた、私のその考えに影響されてしまっていたのです。
いまさら反省しても仕方ありませんが、私にとっての大きな後悔のひとつです。

もう7回目の命日なのに、いくつ花が届いたでしょうか。
友人から、隣人から、娘の友人から、私の友人から。
とても不思議な気がします。
おそらく私の場合には、花などは届かないでしょう。
たぶん命日さえ、覚えていてもらえないでしょう。

節子の誕生日は節分の日です。
だから覚えやすくて、節子の友人からよくお祝いの手紙が届いていました。
節っちゃんの誕生日は節分だから覚えやすい、と言われていたのです。
そのくせ節子は友人の誕生日を忘れてしまうことが多かったような気がします。

人にはそれぞれ定めがあるような気がします。
節子は友人よりも私よりも早く旅立ちました。
それも定めなら、誕生日や命日を覚えてもらえるのも定めかもしれません。
やはり節子は、幸せな人なのです。
唯一の不幸は、もしかしたら私と会ったことかもしれません。
ユカがよく言います。
なんでお母さんはお父さんを選んでしまったのかなあ、と。

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2013/09/04

■節子への挽歌2194:まったりした空間

節子
節子のいない世界での7年目が始まりました。
今日は、少し気を引き締めて湯島に行きました。
田中弥生さんが相談したいことがあるというのですが、その相談事が、ちょっと私の興味を引くテーマだったのです。
一言でいうと、ちょっとおかしいことを体制に抗って「正す」という話です。
これは黙ってはいられません。
どうせ応援する人はそうはいないでしょうから、応援しないわけには行きません。
そう思って出かけました。
それに、負け戦は大好きなのです。

夕方は、さらに難しい問題の話し合いを予定していましたが、その準備は田中さんと話し合った後に準備しようと思っていました。
いずれにしろ、今日は、かなり緊張した1日になる予定でした。

ところがです。
とんでもなく、おかしな1日になってしまいました。
田中さんの相談は面白かったのですが、聞いているうちに、「抗う」よりも「いなす」ほうがいいと思ったのです。
相手が強くなければ、抗う意味はありません。
それで少し力が抜けてしまいました。
そんな話をしていたら、だんだん話が広がってしまい、終わらなくなったのです。

そこに、電話があり、共済研究会の佐々木憲文さんが近くにいるが寄ってもいいかというのです。
良い機会なので、2人を引き合わせることにしたのですが、思った以上に2人の話が弾んでしまい、これまたいつになっても終わりません。
そんなところに、今度は国際箸学会理事長の小宮山さんがやってきました。
先週、九州に箸ピーゲームの普及活動に行ってきた報告をしにきたのです。
折角なので、箸ピーゲームを田中さんにやってもらおうということにしたのですが、予想に反して、田中さんが箸ピーゲームに乗ってしまったのです。

かくして誰も帰らずに、みんなで4時半まで、実に「まったりした」時間を過ごしてしまったのです。
4時半には、ちょっと緊迫した話題の相談だったのですが、その人は、やってきたら、なにやらよくわからない雰囲気になっていたので、たぶん戸惑ったでしょう。
私も、気が抜けたのと、いまさらきついこともいえなくなってしまいました。
まあ、その話は何とかうまく時間内におさまりましたが、私の頭はかなり疲れてしまいました。

田中さんと佐々木さんと小宮山さん。
私のとっても、想定外の組み合わせです。
しかも、あの田中さんが箸ピーゲームをやるとは。
たぶん節子も驚くでしょう。

節子
7男目のスタートは、奇妙な1日になりました。
でも今日はまたそれぞれ4人に4つの約束をしてしまいました。
みんな、もっとのんびりやれと言いながら、なぜか宿題を置いていくのです。
困ったものです。

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2013/09/03

■節子への挽歌2193:7回目の命日

節子が旅立ってから、2193日が経ちました。
今日は、7回目の命日です。
挽歌のナンバーと旅立ってからの日数を合わせるために、この数日、挽歌を毎日複数書き込んで、今日やっと、両者を合わせることができました。
そんなことはどうでもいい話なのですが、私にはそれなりに意味があることなのです。

朝、娘と一緒にお墓参りに行きました。
七回忌の法要は、今年は1週間前に行いましたが、一応、お墓参りだけはしないと気分が落ち着きません。

お昼頃に佐々木さんとヌリさんがわが家に来てくれました。
ヌリさんは、節子の好きなカサブランカの大きな花束を抱えてきてくれました。
佐々木さんは、昨年も来てくれましたが、ヌリさんも今年は一緒に来てくれたのです。
早速、佐々木さんに頼んで、般若心経をあげてもらいました。
実は、佐々木さんの奥さんの実家が臨済宗のお寺なのですが、先日、そこにお邪魔した時、佐々木さんが木魚をたたきながら、般若心経をあげてくれました。
その時の般若心経が、私があげるのと違って、豊かな表情があったのです。
まったく別のお経のようにさえ聞こえたものですから、佐々木さんにお願いして、あげてもらいました。
私のとは違って、やはり美しいです。

ヌリさんは、完全ベジタリアンなので、近くの湖庵にお蕎麦を食べに行きました。
娘のユカとヌリさんが、いずれも食事は左利き、文字は右手で書くと言う事が判明しました。
お蕎麦は、北海道のお蕎麦でしたが、佐々木さんが美味しいと喜んでくれました。

節子の命日にわざわざ来てくださったのに、あまりおもてなしできませんでしたが、いろんなお話ができてよかったです。

滋賀の節子の友人たちからは、今年も胡蝶蘭が届きました。
節子を見送ってから、毎年、送ってきてくれるのです。
節子は喜んでいることでしょう。
先日、送ってもらった阿部さんからのユリを中心とした生花もまだ残っていて、またしばらくは節子の位牌の前は花の香りで満ちています。
特に、カサブランカの匂いが家中に広がりそうです。

いろんな人へ電話もしました。
今年も、それなりに節子を思い出した命日になりました。
ありがとうございました。

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2013/09/02

■節子への挽歌2192:生きた証を残したいという煩悩

節子
昨日、テレビで画家の前田青邨のことが紹介されていました。
彼は、自分のことは忘れられて、作品だけが残ればいい、と言っていたそうです。
しかも、できれば自分の作品をすべて集めて燃やしたいとも言っていたそうです。
ぼやっとテレビを見ていたので、かなりいい加減な記憶なので間違っているかもしれません。
しかし、とても共感できます。

存在したことを忘れられる生き方。
しかし、どこかにその痕跡が残っている生き方。
おそらくほとんどすべての人が、そうやって生きてきています。
しかし、前田さんの場合は、その作品が、すでに「前田青邨の作品」になってしまっていますから、彼自身のことも詮索されながら歴史の中に記録されてしまいます。
だから前田さんは、すべての作品を燃やしたかったのでしょう。
前田さんの場合、作品が残れば、必ず個人の名も残るからです。
名もない人が残した絵や壁画は作品だけが残ります。
前田さんが望んでいたのは、たぶんそういう作品の残り方だったのでしょう。

節子はいくつかの作品を残しています。
家族以外はほとんど見たこともない作品で、いつかは廃棄されるでしょう。
家族がいなくなった後に、もし作品だけが残っても、それは一体誰が書いたものかわからなくなるでしょう。

生きた証を残したいという人が少なくありません。
その感覚が、私にはよくわからないのですが、生きた証は、その時々に関わりのある人の心身にこそ、残されます。
そして、その人とともに消えていく。
私には、それで十分です。
そういう考えからすれば、こんな形で挽歌をネットにアップしていることはおかしな話です。
どこかに私の考えに間違いがあります。
何かに執着している自分がいます。

明日は節子の7回目の命日です。

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■節子への挽歌2191:季節はずれのアジサイとフジ

節子
先週、七回忌の法要をしましたが、その前日、庭の花に水をやっていて、季節はずれの花が咲いているのに気づきました。
ひとつはフジです。
なぜか3つだけ、花が咲いていました。
もう一つは、節子がお気に入りのガクアジサイの「すみだの花火」です。
節子は、ガクアジサイが好きで、これもどこからから買ってきたものです。
今年もたしか春にも咲いていましたが、いままた咲き出したのです。

節子は、時時、花になって戻ってくるといっていましたので、七回忌なので戻ってきたのかもしれません。
今日、思い出して、フジの花を見に行ったら、もう花はなくなっていました。
写真に撮らなかったのが残念です。
せっかくなら、命日までいてほしかったです。
「すみだの花火」はまだ咲いています。
ちょうど隣にあるサルスベリの花が満開ですので、節子は見とれているのかもしれません。
フジは葉っぱが茂っているので、うっとうしかったのかもしれません。

命日を過ぎると、また花の季節です。

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