カテゴリー「妻への挽歌12」の記事

2014/04/07

■節子への挽歌2400:怠惰な1日

節子
今日は昨日の予告通り、自宅でゆったりとしました。
ゆったりとしたという意味は、何もしないという意味ではなく、思うがままに過ごしたと言うことです。

午前中は娘たちにも応援してもらって、畑仕事をしました。
荒れ放題だった荒地農場が、少しだけ整地され、そこにトマトときゅうりと茄子を植えました。
節子がいたらもっといろいろと植えたでしょうが、私一人でケアするのはこれが限度かもしれません。
しかし耕した面積はまだかなり残っていますので、もう少し何かを植えようと思います。

畑仕事を手伝ってもらったお礼に、最近、食べていないうなぎをご馳走しようと思ったら、なぜかみんなカレーが食べたいと言い出しました。
私が最近かなり貧乏なのを気遣ってくれたのでしょうか。
それで、ハリオンという近くのネパールカレーのお店に行きました。
このお店は、美味しい上にとても安いのです。
特に昼間は、夜の料金の半額です。
今日はなんとかセットというのを食べましたが、カレーは2種類選べて、ナンとライス、スープとサラダ、デザートヨーグルトと飲み物までついているのです。
さらにネパール風の餃子のようなものや豆でできたせんべいまでついていました。
それで1000円です。
どう考えても安すぎます。
でもそれでやっていけるのでしょう。
働いているのはみんなネパールの人のようですが、みんなとても明るいです。
やはり日本人は、生き方や働き方を間違っているような気がします。
話がおかしな方向に進んでいますが、まあ気持ちのよい昼食でした。

帰宅したら、早速、電話が入りました。
でもまあそれは早々に切り上げ、昨日再放映された英国のテレビドラマ「シャーロック」を見ました。
これはもう数回見ていますが、筋書きではなく、シーンごとの面白さを味わえます。
ついでにこれも録画していた韓国歴史ドラマ「テジジョン」もまとめて見ました。

夕方、週に何回か届くはがきツイッターが届きました。
箱根で俗世間の汚れを洗い落としてすっきりしましたかと書かれていました。
あんまりすっきりしていません。

今日は、壊れてしまっているホームページを直そうかと思っていましたが、そこまでたどりつきません。
そのため、明日も、もう1日、在宅でのんびりと過ごそうかと思い出しています。
人は限りなく怠惰になれるものです。
そういえば、これは節子のいる時から気づいていたことです。
節子がいない今、怠惰になることの恐ろしさも知っていますので、いささかの躊躇はありますが、まあいいでしょう。

でも、何か、とても大切なことを忘れているような気がしてはいるのですが。
困ったものです。

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2014/04/06

■節子への挽歌2399:自分のための日

節子
また挽歌が書けない数日が続きました。
挽歌だけでなく、時評ブログもホームページの更新もできずにいました。
もしかしたら、なぜ書けないのだろうかと気にされた方もいたかもしれません。
最近の挽歌は、元気がなくて暗い挽歌が多かったですし。

たしかにいろいろとありました。
めげてしまったり、電話などのやりとりで疲れてしまったり、ちょっと仕事で出かけていたり、パソコンが不調だったり(まだ10年前のXPです)、不幸な気分になったり、いろいろでした。
しかし、私自身は、体調が悪いわけでも、家が火事になったわけでも、借金取りに追い立てられたり、事故にあったわけでもありません。
それなりに元気でもあります。
しかし書かないまま数日が過ぎてしまいました。
最近、どうも「書くこと」へのモチベーションが低いのです。
書きたいことは、それこそ「山のように」あるのですが、書くことにどういう意味があるのか、と思ったりするわけです。
もちろん基本的には自分のために書いていますから、書くことそのことに意味がある。
生きる意味が問題なのではなく、生きることに意味があるというのと同じことです。
でも、時にふと思います。
何をやっているのだろうか、と。
節子がいた頃は、よくそういう問いかけをして、節子に呆れられていたのですが、今は誰にも問いかけられません。
思いは、言語化しないと前に進めなくなることがある。

まあ、そんなわけで、ブログに書けない日が続いてしまいました。
ホームページは、追加料金を払っていないために容量がパンクしてしまい、更新できなくなってしまったのです。
いささか節約しすぎてしまいました。
貧すれば鈍すとは、このことです。
いやはや困ったものです。

明日は、「自分のための日」にして、生活を立て直します。

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2014/04/01

■節子への挽歌2398:第4期のはじまり

節子
挽歌2395で書いたように、今日は、私にとっての第4期の初日でした。
どういう生き方にしようかはまだ決まっていないのですが、せめて始まりだけでも、気を引き締めて、と思って、畑に行って、最初の鍬を入れてきました。
ところが、です。
3坪ほど耕したところで、鍬の柄が折れてしまいました。
鍬を畑に野ざらしにしてたために、腐ってしまったのかもしれません。
縁起がわるいと思いながらも、今日はきちんとやろうと、その後は、シャベルと鎌で何とか目標の広さを耕し終えました。
私としては、まあがんばったほうです。

その後、最近出版された新書の「ハンナ・アーレント」を読みました。
アーレントは、映画を観て以来、実は少し熱が冷めてしまっているのですが、それでも面白かったです。
まあ、そこまではとても良い日になりそうでした。
ところが、人生はそんなに甘くはありません。

夜、今日は早目にお風呂に入って、今度はネグリを読もうと思っていたら、友人から電話がありました。
少し深刻な相談です。
今朝、電話した時には、心配事はおさまったと言っていたのですが、それがまた動き出したというのです。
私ひとりではちょっと手におえないので、専門家にも電話をしたりして、ばたばたしてしまいました。

その合間に、メールをチェックしたら、訃報です。
先日、挽歌でも書いた親しい友人が亡くなったそうです。
予想していたとは言うものの、気持ちがすっかり萎えてしまいました。
しかも節子と同じ病気でした。

私の第4期は、こうして、めげそうな気分の中で始まりました。

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■節子への挽歌2397:菜の花は食べられてこそ喜ばれる

節子
今日は、私にとっては、新しい四半世紀の始まりでもあるので、自宅で過ごすことにしました。
畑の仕事も、今日からはじめようと思います。
一人ではなかなか畑にまで行く気にもならないのですが。

近くの菜の花畑が満開です。
道を歩いていても、菜の花の香りが届きます。
まさに春を感ずる日です。

菜の花と言えば、いろんな思い出があります。
最初に生活をはじめた滋賀県大津の瀬田の借家の近くにも菜の花畑がありました。
2人で出かけた記憶は、いつでもかなり鮮明に思い出します。
いまはもうなくなっているでしょうが。

近くの菜の花畑は、希望者にはわけてくれます。
この時期になるといつも娘が思い出す話があります。
娘と節子が一緒に、この菜の花畑に行った時の話です。
他の人たちは、菜の花を観賞用として花の部分だけを切り立っていたのに対して、
節子はかなり下の方から切り取ったそうです。
1本単位で料金は決まっていたようですが、同じ1本でも、節子の1本は他の人の数本に相当したようです。
なぜ下から切ったのかと言えば、花の観賞後、食べるためだったそうです。
いかにも節子らしいです。

娘に言わせると、節子も私に似て、常識が欠落していたそうです。
そういわれれば、そうかもしれません。
私には常識が欠落していることは自覚していますが、その私と波長が合ったのだから、節子にも常識はなかったのでしょう。
いやはや困ったものです。

菜の花のおひたしのほろ苦さは、私はあまり好きではありませんが、食べるたびに思い出すのがこの話です。
さてそろそろ畑に行ってきます。
節子がいたら、いい野良仕事日和なのですが、一人ではどうも足が重いです。
かなりの重労働でもありますし。

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2014/03/31

■節子への挽歌2396:悲しむ力

節子
先日、この挽歌にも書いた中下大樹さんの著書に「悲しむ力」というのがあります。
中下さんが直接に聞いた、死にまつわる30の言葉を軸に、日本人の死生観を書いた、とてもいい本です。
佐久間庸和さんも、その本をブログで取り上げています。

中下さんはその本の中で、今の日本に足りないのは「悲しむカ」ではないかと書いています。
中下さんがそう思ったのは、東日本大震災の時に、日本中で「がんばろう」コールが起こった時だったそうです。
被災地の現場で活動していた中下さんが感じたのは次のようなことでした。
少し長いですが、引用させてもらいます。

私たちは日々、仕事や生活に追われています。少し気を緩めれば、誰かに追い抜かれてしまうかもしれない。一度追い抜かれたら、そのまま脱落してしまうかもしれない。仕事だけでなく、生活そのものを失ってしまうかもしれない。そんなプレッシャーを感じながら、厳しい競争にさらされています。だからこそ私たちは、悲しみをできるだけ見ないようにやり過ごしています。誰かの悲しみを自分のことのように悲しんだり、自分の中にある悲しみを見つめたりすることは、時間の損失にしかならないからです。そうする中で私たちは、「縁」を磨いたり、つないだり、育んだりする方法を、忘れてしまったのではないでしょうか。
そして、この未曾有の大震災においても、「いつまでも悲しみに浸っていては厳しい競争社会を生き抜くことはできない」「いち早く立ち直らなくては、世界に置いていかれてしまう」。日本中が、そんな焦燥感を持っているように感じました。
しかし蓋をした悲しみが消えてなくなることはありません。どこかでくすぶり続け、トラウマのように私たちを苦しめ続けるのです。だからこそ、今、目の前にある悲しみから目をそらしてはいけないのです。
とても共感できます。
私は、すでに競争社会からは抜け出て、自分好みの人生に転じてしまっていますので、思う存分に悲しむことに身を任せていますが、その経験からも、中下さんがいう「悲しむ力」はわかります。
自らの悲しみに正面から素直に向かうことで、自分の世界が大きく広がったような気がします。
それに、他者の悲しみも、少しは見えるようになってきました。

悲しみを忘れようとすることもありません。
悲しみは、いつになっても悲しいものです。
それを忘れようとは思いもしません。
悲しみを語ることが、自分を元気にすることは、何回も体験しています。
そして、悲しみを共にすることもまた、大きな力を生み出すこともわかってきました。

しかし、中下さんの本を読むまでは、「悲しむことの効用」を意識してはいませんでした。
「悲しむ力」とは、とてもいい言葉だと思います。

悲しい時には悲しむのがいい。
悲しみの多い人ほど、生きる力も大きくなる。
もしかしたら、生きることとは悲しむことかもしれません。
悲しむことが生きることかもしれない。
そんな気がしてきました。

明日から4月です。
悲しむ力を支えにして、とりあえず、少し前に動き出そうと思います。

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■節子への挽歌2395:時間感覚が回復しだしているのかもしれません

節子
年度の変わり目のせいで、いろんな人から転進の連絡が続いています。
みんな、私よりも一まわりも二まわりも、いや三まわりも若い人たちです。
故郷に戻ることにした人もいれば、海外に移る人もいます。
企業からNPOに変わる人がいれば、NPOから企業に変わる人もいる。
同じ組織でも、仕事がガラッと変わる人もいれば、仕事を変えたくないので組織を変える人もいる。
それぞれいずれも納得できるものです。
最近は実に多様な生き方ができる時代だなと、改めて思います。
みんな自分の生き方を見つけていくものです。

おそらく昨年も、一昨年も、その前も同じだったのだと思いますが、こういうことを考えた記憶がありません。
それに、今年はなんだか自分が取り残されている気分がしてしまうのです。

みんなどんどん変わっていく。
新しい世界へと活動の分野を広げていく。
周りの人たちの世界が広がれば、それは私の世界の広がりでもあるはずです。
いつもなら素直にうれしがれたはずですが、
自分がどこか置いてきぼりになっているような寂しさを感じてしまう。
私には生まれて初めての気分です。
なぜでしょうか。

節子がいなくなってから、私の中では時間が止まっています。
季節の変化さえ、実はあまり実感できません。
しかも、止まっているのは私だけではなく、周りも止まってしまっているような気がしていました。
いや、そう思いたかっただけでしょう。
それが、今年は、周りがどんどんと変わっていくのが、気になるようになってきたのです。
考えようによっては、私の時間感覚が正常化してきているのかもしれません。
しかし、変えることのできない自分が、なんだかとても惨めな気がしてきています。
新しい世界への転進の連絡には、おめでとう、楽しみにしているよ、などと言いながら、どこか心の隅に、羨望と寂しさがあるような気がしてなりません。
考えようによっては、実に僻みっぽくなっている。
困ったものです。

歳のせいが、あるかもしれません。
しかし、間違いなく、節子がいないことが大きな理由になっているはずです。
節子がいたら、私もまだまだ大きく生き方を変えられるはずです。
前にも書きましたが、今日で私の第3四半世紀の人生は終わりです。
いよいよ第4四半世紀が始まります(第1四半世紀が22年だったので、年齢とは合いませんが)。
その生き方をどうするか、まだ何も考えていません。
しかし、時間感覚が戻ってきた今、もしかしたら考えられるかもしれないと思い出しました。

25年前の今日は、白いキャンバスに絵の具を入れるような、そんなわくわくする日だったのです。
この25年間は、あまりに面白く、あまりに悲しい四半世紀でした。
そのせいか、今はまだわくわくする気配はまったくありません。
いずれにしろ、私の第3四半世紀はおしまいです。

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2014/03/30

■節子への挽歌2394:春の便り

節子
わが家への春の便りのひとつは、福岡からのあさりです。
蔵田さんが自ら海辺で採取して送ってくれるのです。
とても元気なあさりで、砂抜きのために水の中に入れていたら、周りが水だらけになってしまいました。
昨年はフェイスブックに写真をアップしましたが、貝殻から5センチ以上の長さで口が伸びているのです。
かなりグロテスクの光景です。

家の近くの手賀沼沿いの道路の両側にある桜もだいぶ咲きました。
庭の花も華やかになってきて、いよいよ春です。
若い友人たちからは、新しい仕事を始めるとか、職場が異動したとか、そんな知らせがいろいろと届きます。

そういえば、25年前の今日は、25年間続いた会社生活を終わらせるために、いろんな人のところに挨拶に行っていた日でした。
あれからもう25年です。
節子が元気だったら、盛大にお祝いの準備をしていたでしょう。
そんなことも最近はすっかり忘れてしまっていました。

この半年ほど、どうも気分がよどんでしまっていますが、春とともに、今年こそ動き出そうと思います。

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2014/03/29

■節子への挽歌2393:夢がない生き方は誠実ではありません

節子
昨日は節子が逝ってしまってから出会った人と会っていました。
彼が相談に来たのです。

彼は元山口組の人です。
いまは堅気になって、とても誠実な生き方をしています。
彼は「男前」に生きることを大事にしていますので、人の前では弱みは見せません。
嘘をつくわけではありませんが、弱音を吐きません。
昨日も彼にも話しましたが、そこが私たちの共通点であり、違うところです。
つまり嘘をつかない点では同じなのですが、本当のこと(弱み)も吐き出してしまうかどうかが違うのです。
もっとも、彼と付き合っていると、言わなくとも「弱み」は見えてきます。
だからそれとなく彼のところに会いにいったのですが、今度は彼が相談に来たわけです。
そして、いまは私には弱みを見せてくれるようになりました。
弱みを見せられるようになれば、人は強くなれます。
それに、実際に、弱みはどんなに隠そうと周りには見えているものです。
ただ、だれもそれに気づかないようにしているだけです。
そういう生き方はつかれるでしょう。
私にはできません。

彼も、勢いのあった時代はいろんな人が寄ってきていたはずです。
いろんな人も助けてきたはずです。
しかし、助けたからといって、立場が逆になった時に助けてくれる人は多くはありません。
彼は、そういう生き方を「ずるい」と言います。
私は、「ずるい」ではなく「哀しい生き方」だと思うと、話しました。
そういう生き方をしていない彼が、私は好きです。

半端ではなく苦労して生きてきた彼には、裏切られた体験は少なくないでしょう。
強い人には、人は集まりますが、弱い人には集まりません。
だからこそ彼は弱みを見せなくなったのかもしれません。
私も同じ体験をしています。
しかし、私の場合は、弱みを見せることこそが、人の繋がりを育てると考えていますので、いまもって、みっともないと思われるほど、弱みを見せつづけています。
もちろん見せたくて見せているわけではありません。
私も「いいかっこう」をしたくなり、しようとすることはしばしばあります。
にもかかわらず、自らの弱さが半端でないので、ついつい弱音を吐いてしまうだけの話です。
人には、それぞれの生き方があり、それはなかなか変えられるものではありません。

昨日、彼とは家族の話もし、生き方の話もしました。
彼が今の厳しい状況を頑張っていられるのは、夢があることだと知りました。
とても素晴らしい夢です。
夢は応援しなければいけません。
そう思いながら、ハッと気づきました。
私自身の夢はもうないのだろうか、と。

やはり夢のない生き方は、誠実ではありません。
そのことに昨日気づきました。
苦労して汗して生きている人と話すと、たくさんのことを教えてもらいます。
そのお礼に、私も少しだけ彼の役に立つことができました。

夢のない「生」は、もしかしたら「生」とはいえないのかもしれません。
彼を見習って、もっと誠実に生きなければいけません。

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2014/03/28

■節子への挽歌2392:庭のテーブルに節子が見えるような気がします

節子
今日はいい天気です。
庭の花もだいぶ華やかになってきました。
桜は全滅でしたが、なぜか今年は水仙がすごいです。
花の様子も年々、変わっています。
まあ、しかし節子が戻ってきたら、嘆くことでしょう。
野草コーナーはほぼ全滅ですし、多様性よりも草花の種類は明らかに減少しています。
節子が大事にしていたものも、かなり枯らしてしまいました。

世界は多様だからこそ豊かだと、私は思っています。
さまざまな人との交流が、私の世界を豊かにしてくれていることは間違いありません。
しかし、その一方で、いつかは多様な世界から離れて、節子と2人だけの老夫婦のくらしをしたいと思っていました。
その夢はかなえられませんでした。

日差しを受けている小さな庭を見ていると、どうしてもそこに節子の姿が浮かんできます。
狭い庭に置かれているテーブルで撮った、闘病中の節子の写真が仏壇に置かれているのに、先日気づきました。
節子の笑顔がとてもよくて、いまも節子は彼岸でこうして笑顔でいるのかなとふと思いました。
節子の写真は、あまり見ないのですが、見てしまうとその写真がどうしても残ってしまいます。
だから写真はできるだけ見ないようにしています。
しかし、ふと見てしまうと眼が離せなくなることがあります。
涙さえでてしまう。
困ったものです。

眩しいくらいの日差しを浴びた暖かそうな庭のテーブルに、節子が座っているような気がしてきました。
節子が元気だった頃、なぜこのテーブルでもっと一緒にお茶を飲まなかったのでしょうか。

お互いに元気だった頃、なぜもっと一緒にゆったりした時間を過ごさなかったのだろうかと時々、不思議に思います。
私の記憶から抜け出てしまっているのかもしれませんが、節子とゆっくりと過ごしたことがあまり思い出せません。
いつも何かをしていた。お互いにいつも忙しそうでした。
今ほどの心の余裕があれば、私たちの人生は大きく変わっていたでしょう。
節子もまだ元気だったかもしれない。

しかしこれが人生なのでしょう。
今日はこれから湯島に出かけます。
節子と長年やっていたオープンサロンの日です。
庭のテーブルで、見えない節子と一緒に珈琲を飲むのは、またにしましょう。

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2014/03/27

■節子への挽歌2391:「老年の超越」

節子
スウェーデンのラルス・トルンスタム教授は、「老年の超越」ということを提唱しています。
85歳を超えて、超高齢期になると「人は物質的合理的な視点から神秘的超越的な視点へと移行し、この移行とともに人生の満足感が増大する」のだそうです。

エリクソンの「ライフサイクル」論でも、老年期には人生を肯定的に振り返り、それまで育んできた他者と自己への信頼を感じることで、希望を持つことができるとされています。
そして、トルンスタムの「老年の超越」を、「時空を超えて、高みに上がること、凌ぐこと、まさること、限界を越えることである。それは人間の知識と経験の全てを越えること」と解説しています。
もしこれが事実であれば、老年期とはわくわくするものと言っていいでしょう。

私はまだ、超高齢期には達していませんが、なんとなく「老年の超越」はわかるような気がします。
時空を超えて、高みにあがれば、此岸だけではなく、もしかしたら彼岸も展望できるかもしれません。
いや、できるに違いありません。
彼岸が見えてしまえば、此岸での「知識や経験」など、瑣末なことなのかもしれません。

「認知症」という言葉よりも、私は「痴呆」という言葉のほうが好きですが、もしかしたらそれは、時空を超えた状況なのかもしれません。
それにしても、時空を超えるとはどういうことでしょうか。
実に興味があります。
できれば節子と一緒に、時空を越えた旅をしたかったですが、ひとりだと迷いそうな心配もあります。

最近、娘から「認知症気味」ではないかと指摘されています。
そろそろ私も「老年の超越」の入り口に近づいているのかもしれません。
なにやらわくわくしますが、単なる思考力や記憶力の劣化でなければいいのですが。

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