カテゴリー「妻への挽歌13」の記事

2014/10/14

■節子への挽歌2600:恩送りと迷惑送り

節子
幸いにわが家では台風の被害はありませんでした。
台風一過の翌日は気分がいいものです。
今日はちょっと元気な1日でした。

今日は茨城の新米が送られてきました。
くわえて、敦賀から野菜がどっさり届きました。
ありがたいことです。
こうしてなんとか私の暮らしが成り立っています。
だから誰かの役に立つように、「恩送り」をしたくなるわけです。
といっても、私ができることは本当に少ないのです。

幸いに、インドネシアで仕事をしているマレイシアのチョンさんから、今日、相談のメールが来ました。
ちょっと私には分野違いの話ですが、何かできることはないかを考えて、ささやかなアクションを起こしました。
人はこうやって、つながり、支えあいながら、生きているのでしょうか。

実は今日こそ1か月以上、先延ばしにしている約束の仕事をするつもりだったのですが、あまりに気分が良かったので、また先延ばししてしまいました。
約束した人たちに合わせる顔がありません。
恩送りをしている一方で、どうも「迷惑送り」もしているようです。
困ったものです。

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2014/10/13

■節子への挽歌2599:老いることや死んでいくことの意味

昨日、文章を引用させてもらった井上芳保さんの「つくられる病」の中に出てきた文章をもう一つ紹介します。

2003年に施行された「健康増進法」という法律の第2条には「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」とある。
「国民の責務」として健康が規定されていることになる。
何かおかしくはないか。
健康は人間としてよりよく生きるための権利のはずなのだが、そうではなく義務とされているのだ。
こうした流れに、井上さんは異議を申し立て、こう語っています。
老いることや死んでいくことの意味を、あるいはそもそも人間が生きるとはどのようなことなのかを、我々は近代主義から自由になって再考してみるべきであろう。
心から共感します。
昨今の医療のあり方には、大きな違和感があります。
そう思いだしたのは、節子と一緒に病院に通ったことが大きく影響しています。
病院には近寄らないという友人がいますが、私にはそれほどの自信がなく、しかも自分自身のことではなかったこともあって、中途半端な付き合いをしてしまったことを、今は悔いています。
病院にどう接するかは、その人の生きる哲学に深く根ざしています。
いまから思えば、私は中途半端でした。
念のために言えば、病院にかかったことを悔いているのでも、病院を否定しているのでもありません。
私自身の生きる哲学のことを言っているのです。

しかし、節子と死別し、この挽歌を書き続けている中で、私自身、老いることや死んでいくことの意味をそれとなく考えるようになってきました。
そして、それが少しわかってきたような気がします。
一言で言えば、老いることや死んでいくことがあればこそ、いまこの時の意味があるということです。
同時に、老いることも死ぬことも、それ自体に意味がある。
それは人生における重要なプロセスだからです。
そして、周囲の人たちとの関係性を変えてくれることも人生に刺激を与えてくれます。

それにしても、なんで生命は発生したのでしょうか。
考えていくと、そこにまで行ってしまいます。

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2014/10/12

■節子への挽歌2598:「苦悩のない状態とは死んだ状態」

節子
最近読んだ「つくられる病」の本にこんな文章がありました。

生きている限り、私たちは何らかの苦悩に直面する。
苦悩のない状態とは死んだ状態である。
同感です。
ただし「苦悩」の質や大きさにもよるのですが。

この言葉の裏を返せば、節子には苦悩がないということになえるでしょうか。
時々、節子の位牌に手を合わせながら、節子は苦労がなくていいね、と声をかけます。
節子が現世の苦悩から解放されていることは、せめてもの救いです。

山林に入って自然のなかで生きていれば、たぶん苦悩から解放されるかもしれませんが、人の中で過ごしているとどうしても苦労や悩みは発生します。
そこから逃げようとして「ひきこもり」が始まるのかもしれません。
最近ようやくその気持ちがわかってきました。
あまりにも遅い気付きですが、気づけたことを良しとしましょう。
最近、私も引きこもりたくなることがあります。
事実、その思いに引きずられて、在宅することが増えています。

平安に暮らすためには、自宅に引きこもるのが一番です。
自宅で畑作業をし、読書し、時に世界を見る。
そんな生活はおそらく平安で豊かな生活でしょう。
幸いにして、私の場合、そうしようと思えば、できないわけではありません。
なんとか自活できる生き方を身に着けてきていますので。
しかし、そういう生活になぜか移ろうとは思いません。
余計なお世話をしながら、余計な苦悩を引きずり込んでいるわけです。
3日も自宅にいて、静かに暮らしていると、これでいいのかという声がどこかから聞こえてきます。
それで自分から用事を創り出し、湯島に出かけていくわけです。
この生き方は、たぶん最後まで変わらないでしょう。
人にはそれぞれ生き方が決められているのです。
それに抗うことはできません。

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2014/10/11

■節子への挽歌2597:不老不死

節子
何やら元気になったはずなのですが、昨夜から体調がいささかおかしくなりました。
時評編で「健全な老化」賛美論を書いた途端に、このていたらくです。
どこというわけでもないのですが、胎に力が入らないのです。
老化するといろいろとありますが、どうも無理ができないのと心身がいささかバランスしていないのが困ったものです。
しかし、今日は午前中の約束もあり、午後からは湯島の集まりもあるので、湯島に行きました。

今朝、電車の中で読んできた本に映画「TIME/タイム」のことが言及されていました。
不老不死が実現した未来の社会の話です。
と言っても、実に暗い話です。
私も以前観ましたが、記憶に残っているのはスラム街の陰鬱さだけです。
すっかり忘れていた映画です。
不老不死が実現したということは、裏を返せば、生死が管理できるようになったということです。
管理された人生を生きるということは、どういう感じでしょうか。
その種の話はオーウェルの「1984年」をはじめ、いくつかありますが、不老不死が実現しても、あまり関係ないのでしょうか。
実は、全く違うはずなのですが、たぶん「TIME/タイム」の原作者には想像できなかったのでしょう。

いずれにしろ、死を管理された人生は、たぶん「生きている」という気はしないでしょう。
生きている喜びは、もしかしたら死があるからかもしれません。
こう言えるようになったのも、やはり節子がいなくなってから8年たったからかもしれません。

節子がいたころには、私も不老不死にあこがれました。
しかし、今は違います。
不老不死は人生を退屈にすることはあっても、豊かにはしないだろうなと思います。
だから健全に老いていき、気がついたら鬼籍にはいっているというのは、やはり生きる魅力なのだろうと思います。
しかし、鬼籍に入っていたことに気づいた時の気分ってどんな感じでしょう。
想像しただけでも楽しくなりますね。
節子はどうだったでしょうか。

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2014/10/09

■節子への挽歌2596:喜びを分かち合える人の大切さ

節子
湯島のオフィスに一匹だけ残っていた水槽の白メダカが死んでしまいました。
元気だったので安心していたのですが。
これでメダカは全滅してしまいました。
しばらく湯島に来るのをさぼっていたため、水温が上昇したためかもしれません。
黒メダカ、ヒメダカ、白メダカといろいろ湯島で飼ってみたのですが、うまくいきませんでした。
節子が来ていたころは、メダカもずっと長生きだったのです。

水槽は、貝とエビだけになってしまいました。
エビは3匹だけだったのですが、今はたくさんになっています。
エビがメダカに勝ったのかもしれません。

しかし、もしかしたら白メダカは一匹だけだったのでさびしくて生きるのを止めたのかもしれません。
仲間がいるといないとでは、世界が違うでしょうから。

昨日の挽歌で、執事スティーブンスのことを書きました。
彼は主人であるダーリントン卿のために人生をささげてきて、一流の執事と自他ともに認められる存在になりました。
目指していた目的が達成されたのです。
ところが、そこから人生が変わりだします。
次なる目的が見いだせなかったからでしょうか。
そうではないでしょう。
さらなる高みを目指すことはできたはずです。
では、何か。
それは目的を達成した喜びを分かち合える人がいなかったことに気づいたからだろうと思います。
だからミス・ケントンに会いに行ったのでしょう。

話は飛びますが、なぜアレキサンダー大王は身を崩し、若くして病死したか。
あれだけの偉業を達成しながら、やはり達成を分かち合う人がいなかったからだろうというのが、私の昔からの考えです。

今回のノーベル賞受賞者の報道を見ていて、分かち合う人がいることをとてもうれしく思います。
喜びや悲しみを分かち合う人の存在が、どれほど大きな意味を持っているか。
改めてそれを強く思います。

メダカの話がなにやら大きな話に飛躍してしまいました。
水槽で跳ね回るエビを見ていると、思いも跳ね回ってしまいます。

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2014/10/08

■節子への挽歌2595:決定的瞬間

節子
以前、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」について、何回か書いたことがありますが(時評編が中心でしたが)、彼の作品に「日の名残り」という、これもまたとても哀しい小説があります。
主人公は英国人の執事スティーブンスです。
執事という職業は、現代の日本人にはなじみのうすい職業ですが、著者が主人公に執事を選んだ理由は「我々は皆、執事のようなものだ」からだそうです。

執事に限りませんが、私たちは生きている以上、決断を迫られる場合があります。
そうしたなかには、その決断が自らの人生を決めることになる「決定的瞬間」というものがあります。
それがどの段階でやってくるのかはわかりませんが、後で振り返ると、あの時がそうだったと思うことがあります。
「日の名残り」は、そのことをテーマにしています。

スティーブンスは、最高の執事を目指しています。
そのために、尊敬する父親の死に目にも会えませんでした。
執事にとっての大事な仕事と重なったためでした。
父を見守るか、直面している重要な仕事を続けるか。
彼は仕事を選びました。
その時、彼は「今が決定的瞬間」だと思ったかもしれません。
事実、それによって、彼は執事としての高い評価を得ることができました。
執事だった父親は、息子を誇りに思って旅立ったかもしれません。

しかし、スティーブンスにとっての「決定的瞬間」は、ほかにもあったのです。

彼が執事をしていた家の家政婦ミス・ケントンは、彼に想いを寄せていたのですが、彼もまた彼女に好意を感じていました。しかし、偉大な執事が恋愛感情をもつなど、彼には言語道断でした。
ある日、スティーブンスは、彼女の部屋の前で彼女のすすり泣く声に気づきます。
彼女の叔母が亡くなった知らせが届いたのです。
スティーブンスは、部屋に入り彼女を慰めることもできたのですが、「個人的な苦悩にむやみに干渉する」ことを潔しとせずに、通り過ぎます。
その後、しばらくして、ミス・ケントンは家政婦を辞め、好きでもない男性と結婚しました。

彼はこの出来事のことなどすっかり忘れていました。
ところが、それから20年経ったある日、彼は、あのミス・ケントンの部屋を通り過ぎた時こそが、決定的瞬間だったと気づくのです。
それに気づいたスティーブンスは、夫と別居していたミス・ケントンを訪ねます。
ちょっと期待した人には残念なのですが、哀しい結果で、小説は終わります。

私の人生にとっての決定的瞬間はいつだったのだろうか。
時々そう思うことがあります。
実のところ、今のような人生になることは、思ってもいませんでした。
たぶん節子もそうだったでしょう。
人生とは実にわからないものです。

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2014/10/07

■節子への挽歌2594:佐々木夫妻との懐かしい写真

節子
懐かしい写真が届きました。
2006年に、佐々木夫妻がわが家に来てくださった時に、庭で4人で撮った写真です。
佐々木さんが撮った写真をスキャナーで読みこんで送ってくださったのです。
佐々木さんたちはとてもお元気そうです。
後ろに「手づくり散歩市」の旗が立っていますので、10月です。
節子の再発が明らかになった直後です。
佐々木さんたちに了解を得ていないので、写真は小さく掲載しておきます。
私も、久しぶりに笑顔の節子に会えた気分です。

Photo_4

佐々木さんたちからは、いろいろと気遣っていただきました。
佐々木典子さんと、その後、いろいろと活動面でご一緒することがあるとは、その時には思ってもいませんでした。
節子がいなくなって、引きこもっていた私を韓国まで呼び寄せて、元気づけてくれたのも佐々木夫妻です。
節子がいなくなってからの初めての海外旅行でした。
お2人には大変お世話になりながら、正直に言えば、上の空の韓国旅行だったのですが。

節子はこのころから病状が悪化していきました。
この写真を見て、もうこんなに痩せていたのかと改めて驚きました。
いまはまた彼岸で、昔のように丸々しているでしょうか。
写真を送ってくれた佐々木さんに感謝します。

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2014/10/06

■節子への挽歌2593:「私は生きていていいんでしょうか」

節子
悲しい事件が起こりました。とても悲しい事件が。
今年の7月に起こった佐世保市の高校同級生殺害事件の加害者の父親が自殺したのです。
弁護士の話によれば、父親は事件後、「私は生きていていいんでしょうか」と落ち込むことが多かったそうです。
考えようによっては、この事件は、被害者ばかりで加害者のいない事件です。
そういう被害者だけの事件が、最近多すぎます。
社会の実相を象徴しているようです。
それを助長しているのが、マスコミかもしれません。

時評編ではなく、挽歌編で、このことを書き出したのは、この父親が残した言葉が心に深く残ったからです。
「私は生きていていいんでしょうか」。
こういう思いに出会った人は決して少なくないでしょう。
そして、この人も、誠実に生きていたのでしょう。
同じ状況にあれば、私も同じ問いかけをし、同じ行動をしないとは言い切れません。
だから、心に深く残ったのです。

しかし、私はこの問いにこそ、問題があるように思います。
誠実に生きるのであれば、「私は生きていていなくてはいけないのでしょうか」と問うべきではないかと思います。
問いかけが間違ってしまっている。
もちろん、この父親の行為を非難するつもりは全くありません。
ただ、この人が、問いかけをこう変えていたら、結果は変わっていたのではないかと思うのです。
結果が変わったら、何かが好転するかどうかはわかりません。
私が悲しまなくてすんだだけかもしれません。
でも、できればこう問うてほしかった。
誠実に生きていただろうこの人は、この問いであれば、生きていなければいけないと思ったかもしれない。

人は、生きていなくてはいけないのです。
せっかくの「生」をいただいたのですから。
生は思い切り大切にしなければいけません。
たとえ、生きていることをすべての人から非難されようと、生きていていいし、生きていなければいけないのです。
だから生きることは辛くても価値のあることなのです。
「生き切れなかった」節子から教えてもらったことのひとつです。

自殺した父親も、たぶんそれをわかっていたはずです。
誰かが「問」を変えてやればよかったのです。
だから、私にはとても悲しい事件なのです。

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■節子への挽歌2592:重荷をシェアするということ

節子
台風が関東を直撃しそうで、近くでもいろんな動きがあります。
我孫子市でも避難所が設置されました。
わが家は手賀沼のまわりの崖の真ん中なので、上から崩れてくるか、下に崩れるか、いずれの可能性もありますので、ほどほどの緊張感はあります。
風の道にあたっているので、強い南風が来るといささか心配でもあります。
強風の恐ろしさはこれまでも体験しています。

今日は幸いに約束がないので、自宅でのんびりしようと思います。
昨日は少しばたばたしていて、挽歌も書けていませんし、ホームページの更新もできていません。
最近は、いささか重荷を背負いすぎて、へとへとですので、今日はそれらを脇に置いて、思い出さないようにしましょう。
思い出すと、どうしても心身が動いてしまいます。

節子がいなくなってから、一番大変なのは、精神的に重荷をすべて一人で背負い込むことになったことです。
相談者の重荷もありますが、私自身の重荷もあります。
娘たちや友人知人にシェアしてもらえる重荷もありますが、精神的にシェアしてもらうことはなかなか難しいのです。
夫婦がシェアしあうのと、家族がシェアしあうのと、仲間でシェアしあうのとは、何かがどうも違っているようです。
実際のところ、背負い込んだ重荷を節子がシェアしてくれても重荷が軽くなるとは限りません。
ただ重荷を背負う元気が出てきただけです。
重荷を背負っていること知ってもらっているだけでも元気が出ます。
ということは、重荷をシェアするのは2種類あるということかもしれません。
重荷を分かち合うシェアと重荷を背負うエネルギーを支えてくれるシェアです。

節子がいなくなってから、何がなくなっていたのか、少しわかった気がします。
重荷を背負うエネルギーを補給してもらえなくなっているのです。

書き出しとは全く違うことを書いてしまいました。
実は、挽歌を書いていると、いろんな気づきがあります。
気づいたから書いたというものもありますが、ともかくパソコンに何かを書き出すと気づきをもらえることもあるのです。
この挽歌は、そういう意味では節子にシェアしてもらうための仕組みであり、だからこそ続いているのかもしれません。

雨が激しくなってきました。
南風のせいで、外気の温度が高まっているようで、部屋の窓が曇って、外があまり見えなくなってきました。
これから何が起こるのか、何やら不気味でもあり、楽しみでもあります。

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2014/10/04

■節子への挽歌2591:常識に無知だったのかもしれない

節子
今朝の箱根はあまり天気がよくありません。
今日は、午後まで合宿に付き合います。
一応、話し合いのアドバイザー役ですが、いない方が良いこともあるのですが、
今回はなんとなく最後まで付き合った方がいいと思っています。
いた方がいいかどうかは、それなりにわかるものです。

自分の行動は自分の判断と責任で決めるのが、会社を辞めた時に決めたルールです。
昨今のビジネス環境やビジネス界の常識には合わないかもしれません。
しかし、フリーで仕事をするのであれば、組織や制度や世間常識の呪縛からは自由でなければ意味がありません。

ところで、世間常識の呪縛から自らを解き放すことと世間の常識に無知であることとは違います。
もしかしたら、私の生き方は前者ではなく後者だったのかもしれません。
最近、娘からそう指摘されているのですが、反論できずにいます。
もしそうであれば、常識人の節子には戸惑いの多いことだったでしょう。
もっとも、節子もまた常識に無知だったことは十分あり得ます。
困ったものです。

ホテルの窓から箱根の緑を見ていると、いろいろと思いが広がります。

さて時間になりました。
話し合いの場に行くことにします。
今日は少しおとなしくしていようと思いますが、さてどうなりますか。

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