カテゴリー「妻への挽歌14」の記事

2015/05/23

■節子への挽歌2800:不安や怒りのはけ口のような存在

節子
最近、いろんな重い話に覆われているのですが、今朝の金田さんからの電話も重すぎて、少し金田さんには失礼な応対をしてしまいました。
私が感情的になってしまう話題はいくつかあるのですが、がん治療の話は、いまもってダメなのです。
どこかで頭が混乱してしまい、ついつい聞きたくないというメッセージを発してしまうのです。
今日も最初は自重していたのですが、途中でやはりおさえられなくなってしまいました。

幸いに金田さんも頭が混乱しているのと、話すのに夢中で、私の言葉は届かなかったかもしれません。
その証拠に、佐藤さんの元気な声を聞くと元気になると言ってくれました。
私が元気だったのでなく、いささかいらだっていただけのことなのですが、それが金田さんには元気に感じたのでしょう。

そしてその後に、金田さんが、こういう話は誰にもできないので、佐藤さんにしか言えないのですと言ってくれたので、私は大いに反省しました。
がん治療の話を聞くのはやはり私には耐えがたいのですが、
そんな思いで電話してきてくれたのに、なんと冷たい対応だったことか。

つづいて、今度は違う意味で「重い電話」がかかってきました。
武田さんが、安保11法案の閣議決定後の安倍首相の記者会見の新聞記事を読んで、どうしようもなく腹が立ったので電話したというのです。
とんだとばっちりです。
迷惑だよと言ったら、こういう話をわかって聞いてもらえるのはあなただけだからというのです。
なんだか私は、不安や怒りのはけ口のような存在の気がしてきました。

そこで、はっと気づいたのですが、もしかしたら、節子は私にとっての「不安や怒りのはけ口」だったのかもしれません。
いや、間違いなくそうだったでしょう。
だから私は、節子が元気だったころは、ストレスとは無縁でした。
しかし、私は、節子にとっての「不安や怒りのはけ口」になれていたでしょうか。
なれていたようでもあり、なれていなかったようでもある。
いささか微妙です。

最近、私が精神的に不安定で、気が高まらないのは、「不安や怒り」を内蔵しているからかもしれません。
どこかに行って吐き出せるといいのですが、私にはそういうことがほとんどできないのです。
節子はそれを知っていました。
だから私の話はすべて(聞き流しながらも)受け止めていてくれたのです。
かけがえのない、良き伴侶でした。

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2015/05/22

■節子への挽歌2799:支えてくれる人が無性にほしくなりました

節子
夢で目が覚めました。
節子の夢です。
昨夜は節子からの電話の夢でしたが、今朝は節子が隣で寝ていて、節子の寝顔に見とれていたら、夢の中で、もうひとりの節子がやってきて、起こされました。
節子の夢を見ると、いつもは快さが残るのですが、この2日は寂しさだけが残りました。
最近の夢は、その気になれば、簡単に解き明かせるほどの「簡単なメッセージ」を持っているものが多いのです。
その集積が、私をさびしくさせているのでしょうか。

最近、あまりに様々なことが起きました。
いつもはトラブルさえもある意味で「楽しめる」のですが、最近は逆にトラブルから逃げたくなります。
生命力が弱まっているのでしょう。
それが、夢にも出ているのかもしれません。

最近、だれかに支えてほしいと思うことがあるようになりました。
この数日、無性にそう思います。
もしかしたら、生まれてはじめの気持ちかもしれません。
いつも私は、自分でも気づくことのない誰かに支えられてきたのでしょう。
だから、誰かに支えてほしいという気持ちはあまり記憶にはありません。
いまも多くの人たちに支えられている。
頭ではそう思うのですが、心身はそうは感じられなくなってきています。
孤独感とでもいうのでしょうか。
いや、そんな一言で表現できるようなものではありません。
もっと深くて、悲しいものです。

どうしてこんな気持ちになってしまったのか。
なぜこんなにさびしいのか。
人は一人で生きているという言葉ほど、理解できない言葉はありませんでした。
いつも、良い友だちに囲まれて、だれかのことを心配し、誰かに何かできることはないかと、考えているのが私の生き方でした。
いまも、気になっている友は少なくありません。
しかし、いまはそうした世界とは別の世界に引き込まれようとしているのかもしれません。
とりわけだれもいない時に、たとえようのない、恐ろしいほどのさびしさが襲ってくる。
それは多くの場合、ほんの一瞬なのですが、誰かに思いきり抱きしめてもらいたいと思うほどです。
象徴的ではなく、物理的に、です。
子どものように。

今朝の目覚めは、その気分でした。
これから、庭の草花に水をやり、動き出せば、この気分はたぶん消えるでしょう。
今日は久しぶりに、小美玉市にある文化センターの「みの~れ」に行き、旧友たちと会いますが、みんなと会っている時には、いつものような気持ちに戻って、寂しさなどはみじんも感じさせないでしょうし、私自身も感じなくなっているでしょう。

でも、今朝の孤独感と無性な寂しさは消えることはないでしょう。
明日も、襲われるかもしれません。
今朝の気持ちを残しておきたくて、書き残してしまいました。

節子の寝顔を実に美しかった。
あれはもしかしたら、節子ではなく、私の理想の伴侶だったのかもしれません。
だから、本当の節子が起こしに来たのかもしれません。
もちろんそれも夢の中で、ですが。

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2015/05/21

■節子への挽歌2798:来客の合間

節子
今日はまた夏のような暑い日です。
湯島は今日も朝から来客続きで、いささか疲れていますが、まあ初夏のような感じなので、疲れも気になりません。
ベランダの草木の手入れをしないといけないのですが、最近はちょっと余裕がありません。
せめて枯らさないようにしようと思っていますが、いまのところ大丈夫です。

一寸来客が途切れて、いま一人でホッとしています。
今日、最後のお客様は杉本さんです。
まもなくお見えになるでしょう。

節子の訃報を聞いて、杉本さんはわが家にすぐに駆けつけてきてくださったのですが、開口一番が節子さんも「同士」でしたから、という言葉でした。
杉本さんは私よりもかなりご高齢ですが、しっかりしたビジョンを持って、社会と関わっています。
杉本さんの行動力には、私自身大きな影響を受けていますが、その杉本さんも最近は年には勝てないようです。
私も理事を務めさせてもらっているNPO科学技術倫理フォーラムをどうするかを考えだしています。
このNPOは、杉本さんがあってこそのNPOなので、私は収束するのがいいと思っていますが、杉本さんはどうお考えでしょうか。
今日は、その相談ではなくて、最近、杉本さんがある学会で発表したことのお話と同時に、そこでの新しい発見のお話の予定です。
宿題をもらわないようにしなければいけません。
杉本さんから言われると、自分ができないかもしれないと思っていても、断れないのです。
困ったものです。

杉本さんは、時々、湯島に立ち寄ってくださいますが、杉本さんに会うたびに、節子のことを思い出します。
私たちが杉本さんにお会いしてから、もう30年以上経過しています。
言葉は決して多い人ではないですが、なぜか私には会うだけでホッとする人です。
ちなみに、私たちは意見はそれぞれに違うことも多いので、時々、激論になることもあるのですが。
今日は、論争は避けようと思います。
私の心は、今日もまた、かなり折れそうになっていますので。

ところで、湯島での来客の合間は、いつもとても感傷的になるのです。

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2015/05/20

■節子への挽歌2797:ひがみ根性を捨てなければいけません

節子
今日はさわやかな日になりました。
気持ちも明るくなります。

一昨日、企業関経営関連のシンポジウムがありましたが、気分が全く乗らずに、話したいことがなかなか話せずに、場違いさを感じ滅入っていました。
自分が、いかに「いまの企業」の世界から脱落してきているかを改めて思い知らされていました。
しかし、最後に主催者の人から「佐藤さんの話はとてもわかりやすかったと参加していた某大企業の社長が言っていた」と教えてもらいました。
ちょっと元気になれました。
しかし、私が「しかし今日は疲れていたせいか、うまく思いを話せなかった」というと、それくらいがいいのかもしれませんよ、と笑いながら言われました。
実は、この人も、某大企業の社長だった人です。
この言葉は、どう受け止めたらいいでしょうか。
いつもは、いささかラジカルすぎて、伝わっていないのかもしれません。
そのことを、柔らかく指摘してくれたのかもしれません。

シンポジウム終了後、わざわざ3人の人が挨拶に来てくれました。
これも少し元気をもらいました。
翌日、お礼のメールを送ったら、その一人が、「切り口が新鮮で、いつも大変勉強になります」と書いてきてくれました。
どうも以前から私のことを知ってくれていたようです。
これが褒め言葉かどうかは微妙なところですが、少しだけ伝わっていることもあるのかもしれません。

25年前は、思い切り伝えたくて、いろんなところで話をさせてもらいました。
しかし、あの頃はまだ頭で考えるだけでした。
いまは、かなり先が見えるような気がします。
そして、ますます社会から脱落していく自分を感じます。
昔は、それが快かったのですが、最近は時に弱気になるのです。
節子が隣にいないためかもしれません。
絶対的に信じてくれて、運命を共にする人が一人でもいれば、人は強くなれます。

最近、私自身がひがんでいて、自分を社会から疎外しているのかもしれません。
これは一種の甘えかもしれません。
もう少し強くならなければいけません。
何しろ私には未来が見えているのですから。

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2015/05/19

■節子への挽歌2796:ふと節子を思い出すことが多くなりました

節子
先日、ある集まりの様子をICレコーダーで録音したのですが、その時に、数年目に大日寺に行った時の節子との交流のやり取りが、まだそのままレコーダーに残っているのに気づきました。
聞き直したこともないのですが、消去されないように、パソコンに取り込みました。
あの体験は不思議な体験ではありましたが、まだはっきりと覚えているので、聞き直すこともありません。
それに機械を通すと、実際とは違って、論理だけが伝わってきますので、記憶が壊れてしまいかねません。

人によって違うのでしょうが、私は節子に何する過去の記録に触れる気があまり起きません。
写真もビデオ映像も、むしろ見る気が起きません。
節子が残した日記も読む気が起きません。
できるならば、過去の節子とではなく、いまの節子と出会いたいからです。
いまもなおどこかに節子の死を受け入れられずにいるのかもしれません。
実際に出会えることはできないのですが。

それにしても、生活の中で、節子とのつながりを感じさせられることはいまも多いのです。
庭の手入れをしていても、湯島のオフィスで書類を片づけていても、街を歩いていても、テレビを観ていても、お風呂に入っていても、電車に乗っていても、ふと節子を思い出すことがあります。
それが40年以上、一緒に生活していたということなのでしょう。
最近は、なぜかふと節子を思い出すことが多くなっています。
あまりに日常的な事なので、むしろ挽歌が書けません。

残念ながら、私をこんな風に思い出してくれる人はないでしょう。
夫婦と親子は、たぶんまったく違うような気がします。

遺された者は、実に割が悪いです。
今日はまた寒い日になりました。
気温の寒暖差が激しいので、どうも体調がすっきりしません。
困ったものです。

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■節子への挽歌2795:供物のお裾分け

節子
少しずつ生活のリズムが取り戻せそうです。

節子の生家から大きな荷物が届きました。
何だろうと思って開けてみたら、法事の供物のお裾分けでした。
先日、法事があったのですが、行けなかったのですが、なんと私にまで送ってきてくれたのです。
この供物を参加した人たちで分かち合うという文化が、最初は私には新鮮でした。
ご仏前などの金銭とは別に、みんな思い思いの品物を持ってくるのです。
だいたい参列者の数を見越して、その数だけ持ってきます。
お菓子もあれば、果物もあれば、日用品もあれば、いろいろです。
昔はたぶんお金ではなく、こうしたものを持ち寄ったのかもしれません。
法事が終わると、それをみんなで分けるのです。
私は、世事に疎い人間でしたので、そうしたことがとても興味深かったのです。
節子が元気だったころ、節子の生家の法事での私の仕事は子どもたちと一緒にそれを仕分けすることでした。
大きな法事の時は一人では持てないほどになります。

今回は、そのお供え物のお裾分けが送られてきたのです。
実に懐かしい気持ちになりました。
節子の姉夫婦と一緒に、私もささやかなお供え物をしました。
それも私の名前入りで入っていました。
自分にも戻ってくるのが素晴らしいです。

故人をみんなで思い出しながら、飲食を共にし、お互いの健康を気遣い合いながら、お供えをみんなでシェアする。
こういう文化が、都会にはもうほとんどないと思いますが、香典文化ではなく、供物文化のほうがあったかくていいです。

以前、香典を用意できないのでお葬式にいけなかったという話を聞いたことがあります。
お供え物であれば、道端に生えている草花でも大丈夫です。
しかし、都会では、その草花さえ手に入れにくい。
さびしい時代になってきているような気がします。

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2015/05/18

■節子への挽歌2794:出鼻をくじかれています

節子
最近、私のまわりで起こっていることは、シンクロニシティと出鼻をくじかれることの2つです。
それらが関係あるのかどうかわかりませんが、後者もまた大きな意味でのシンクロニシティかもしれません。

この1年近く、あまり心身共に調子がよくありません
どこと言って大きな不具合があるわけではありませんが、基本的には気が起きてこないのです。
時々、気が起きて、さぁ、始めようと思うと何かが起きて、気をそいでしまいます。
それも瑣末なことが多いのですが。

最近、ホームページの行進がままならないことが多いのですが、昨日は予定通り更新を終えて、アップしようと思いました。
ところが何回やってもアップできないのです。
前のパソコンで真でやってみたり、いまのパソコンを復元してみたり、いろいろと試みましたが、ダメです。
今朝も朝から何度か試みましたが、ダメなのです。
まあ、これはほんの一例ですが、こういう瑣末なことが、私の出鼻をくじいています。

今月はたまりにたまっている課題をこなさなければいけませんが、どうも気が起きないのです。
まるで誰かが、私の今のような不安定で無気力な状況を維持させたいと思っているようです。
事実、そうなのかもしれませんが、社会と付き合っていると、わがままの限界というのもあるものです。

もちろん私の周りにも、新しい風は吹いています。
それに魅かれることがないわけではありませんが、気が起きなければ、動きようがありません。

ホームページが更新されていないと心配してくださる人がいますので、更新できないのは私の理由ではないことを知らせたい気もあって、書かせてもらいました。
何かが邪魔をしているのでしょうか。
まあ、これは無意味な偶然だとは思っているのですが。

それにしても、気分がすっきりしないまま1年も経ってしまいました。
そろそろ前に動きたいものです。

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2015/05/16

■節子への挽歌2793:「異邦人」のようなさびしさ

節子
どう考えてもこの世は不条理だ、などとムルソーのようなことは言えませんが、最近、どうも自分が「異邦人」のような気がすることがあります。
社会が悪いのではなく、もちろん私が悪いのでもなく、ただ世界が少しだけずれているだけなのだろうとは思いますが、そのずれは、私に限らず、だれにもあることでしょう。
しかし、それにしても、あまりに違いすぎる。
最近、ようやくそれに気づきだしました。
節子がいたころは、そんなことなど考えたこともありませんでしたが、世界をシェアできる人がいなくなると、そういうことが見えてきます。
そして追いやられてしまう。
どうせだれもが分かってくれないのだからと、暴発することもあるでしょう。
ムルソーを暴発させたのは太陽の陽射しではなく、その違いの格差の持つエネルギーかもしれません。
もしそうであれば、私も十分に暴発のパワーはあるかもしれません。
ただ幸か不幸か、それを現実化するほどの体力がありません。
だから、注意しないと、そのエネルギーが自らに向かって、世捨て人になる恐れもあります。
世捨て人は、私の価値観では、死者と同じですので、避けなければいけません。

私は、もともと言語能力がかなり弱いのですが、最近、思うのは、これまでの70年、いろいろと話してきたけれど、ほとんど誰にも私の話は伝わっていなかったのではないかという気もします。
そう思うことで、自分を納得させたり、慰めたりすることができるから、そう思うのですが、その反面、あまりの違いに生きる時代を間違えたのだという寂しさも感じます。

節子も当初、私の言葉はほとんど理解不能だったようです。
あなたの話は、どこまでが「本当」で、どこまでが「うそ」かわからないとよく言われたものです。
言葉には、本当もうそもありません。
本当やうそがあるとしたら、それがあるのは言葉の奥にある世界です。
ですから、その問題の立て方自体が、間違っていると私は思いますが、一緒に暮らしているうちに、次第に多くのことが「うそ」ではないことを実感してくれたようです。
さすがに、昔、大宰府に住んでいたとか言う話は信じませんでしたが。
でも、否定もしませんでした。

横道に入りますが、私が昔、大宰府に住んでいたことを知ったのは、20年ほど前に大宰府の観世音寺を訪ねた時です。
そこを歩いていて、あっ! ここには前に住んでいたことがある、と突然に感じたのです。
もちろん前世の話です。飛鳥の頃でしょうか。
現在の科学では証明しようがないので、そう思ったら信ずるしかありません。
それが、私にとっての「素直に生きる」ということです。
時間は少しかかりましたが、節子とは世界をシェアできていた気がします。

私は、思いがほぼすべて身体に出るタイプなので、隠せないならすべてを開いていけばいいという生き方になったのですが、だからと言って、それが誰にでも伝わるとは限りません。
むしろ、言葉や知識が、それを妨げてくれるのです。
ほとんどの人は、私の言葉を信じません、いや理解しようともしない。
それぞれがみんな自分の言語体系、知識体系で受け止めるからです。
これは、節子から教えてもらったことです。
同じ言葉も、話す人によって受け取られかたが違うことを。
私の場合、そのおかげで私の真意は冗談と受け取られて、これまでむしろ生きやすい人生を送ってきたのかもしれません。

しかし、それこそが、私自身、中途半端な生き方になってしまった理由かもしれません。
そして、いま無性に孤独を感じている。
やはり、この世は、不条理ではなく、条理に従っているようです。
もし不条理があるとすれば、世界をシェアしたパートナーがいなくなり、世界だけが残ったことかもしれません。

何やら長い挽歌になってしまいました。
今日もまた寝不足です。

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2015/05/15

■節子への挽歌2792:実際に見える顔と写真の顔

節子
昨日はそんな気分ではなかったのですが、小学校時代の仲間と食事をすることになっていたので、重い気分をひきずって大森まで行ってきました。
私は、同窓会というのがあまり好きではないので、滅多に参加しませんが、そのため、時々、個別に呼び出されるのです。
昨日は、節子も知っている湯島にも来たことのあるメンバーたちです。

ところが、鰻屋さんの2階の個室で話していて、いざ帰ろうとしたら、お店の人が誰もいないのです。
予定の時間を過ぎてしまっていたため、もう帰ったのかと思われたようです。
帰るに帰られず、困っていましたが、1時間ほどしてお店の人が、まだいるのですか、と言ってきました。
それで無事、解放されました。
鷹揚なお店か、いい加減なお店か、よくわかりませんが、おかげでさらに疲れました。

まあそれはどうでもいいのですが、みんなそれぞれに病気を抱えています。
今度、会う時は誰が欠けているだろうかという話になり、私も立候補しました。
しかし、大体において、そうした時に立候補するのは残ってしまうものです。

一人が、まあ最後かもしれないので、写真を撮っておくといって写真を撮ったのですが、デジカメでその画面を見直して、写真だと全然違う顔になっていると言うのです。
それはよくわかります。
会った時には子ども時代の関係に戻って、顔まで子どものときの顔に見えてくるものです。
しかし、写真はうそを言いません。
写真だけではありません。
昨日は、冒頭に書いた理由で予想以上に長く鰻屋にいて、そのあとコーヒーを飲みに行ったのですが、鰻屋の時に見えていたみんなの顔と喫茶店でのみんなの顔が違うのです。
つまり、長く話していて、疲れてしまうと、相手の「今の顔」が見えだすのです。

会った時のはつらつさとは全く違った歩き方で、みんな駅に向かいました。
さて次は誰がいなくなるか。
神に愛される人からだとしたら、もしかしたら誰も呼ばれずに、また4人で会うことになるかもしれません。
困ったものです。

しかし、朝の訃報のショックで、何か頭が疲れ切って、後半は実に辛い2時間でした。
帰宅してお風呂に入る気力もありませんでした。
今朝もまだ頭がすっきりしません。

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■節子への挽歌2791:死にふさわしい言葉は「無念」

節子
昨日訃報を受けた後、最後まで面倒を見ていたHさんと電話で話しました。
彼女にとってもあまりにも突然のことだったようです。

Daxは、男前に生きることを信条にしていました。
しかし、最後はちょっと手違いがあったようです。
いくつかのほころびが感じられます。
彼にしてもやはり、死に直面して、いささか揺らいだのかもしれません。
人であれば、それもまた仕方がないことかもしれません。

彼は献体を望んでいましたが、手続き的な理由で、それができなくなったそうです。
そうなれば、からの次の希望は「散骨」です。
日本海に戻るという彼の希望はかなえられるでしょう。

Daxの余命宣告から始まる展開から、さまざまなことを教えられました。
死は、まさに「祭り」なのだと思いました。
本人にも、周りの人にも。
しかし、祭りの気分の乗れない人がいます。
あるいは、本人自体、ある人との関係においては「祭り」にできないものがあります。
まだ直観的な理解にすぎませんが、そう思います。

Daxが、最後の別れの集まりに、私に来ないように言い、一言ぼそっとつぶやいた言葉が心に残っています。
彼はたぶん、死がお祭りであることを知っていたのです。
一度は、自ら命を断とうとしたしたこともありますから、死にはなんの恐れもなかったでしょう。
ただ無念だったとは思います。

節子もそうでしたが、死に当てはまる言葉は「無念」だけかもしれません。

Daxの冥福をいのるだけです。
最後に一度だけ、夢を見たと彼が話していたのが思い出されます。

Daxの遺したブログがあります。
http://blog.goo.ne.jp/kurara_77

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