カテゴリー「妻への挽歌18」の記事

2017/06/26

■節子への挽歌3583:振り返れば「いい時代」

節子
今日は朝から夜まで、さまざまな企業の関係者と話をしていました。
朝は個人起業家、昼は大企業の管理者たち、そして夜は中小企業の社長です。
面白いのは、そこから日本の社会の実相が見えてくることです。
一言で言えば、日本の社会の劣化と人間の変化です。

私が企業で働いていた1960年代後半から1980年代は、いまから思えば、日本が輝いていた時代だったのかもしれません。
そこに最後まで乗っていないで、途中で生き方を変えたのも、いまから思えば幸運でした。
たぶんあのまま会社に残っていたら、いまのようには社会が見えてこなかったでしょう。
経済的には豊かになっていたとしても、人生の面白さは、いまほどは味わえなかったかもしれません。
そういう生き方ができたのは、時代のおかげもありますが、節子のおかげでもあります。
幸運に感謝しなければいけません。

昨日湯島に来たなかに企業の管理職の女性がいました。
たぶん40代ですが、独身です。
経済的には豊かに暮らしているんでしょうが、何か「モヤモヤ」という感じを持っているそうです。
彼女の部下の女性たちも、どうも同じようで、だからといって何かを目指そうとか出世しようとかいう気はなく、日常的な幸せの中で、しかし何か「モヤモヤ」としているというのです。

一昨日湯島に来た30歳の女性は北陸に住んでいます。
30になるとほとんどの女性が結婚していて、右手に指輪がないのが例外なのだそうです。
彼女自身もそうですが、結婚する道を選ぶか、自分の夢に専念するか、分かれ道で、やはり「モヤモヤ」しているようです。
首都圏の大企業の女性よりも、まだ自分を生きようという姿勢が強いですし、「生きにくさ」を実感しているように思いますが、私にはいずれも不思議な気がします。
時代が変わったというべきでしょうか。

私たちの時代は、そういうモヤモヤはなく、ともかく真っ直ぐ前に向かって生きてきたように思います。
あるいは立ち止まるほどの余裕がなかったというべきかもしれませんが、それでもモヤモヤ感は、少なくとも私にも節子にもありませんでした。
まあ2人とも単純すぎたのかもしれません。

振り返れば、私たちが一緒に生きていた時代は、いい時代でした。
私が、いま生きにくさを感じているのは、節子がいないからだけではなく、時代の変化のせいかもしれません。
昨日、みんなと話していて、改めてそう実感しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/25

■節子への3582:若い女性が遠方から相談に来ました

節子
微熱があったためか、この数日、不思議な夢をたくさん見ました。
そのひとつは、ついにあるいみでの「悟り」を感じた夢でした。
さすがに公言する勇気はありませんが、私の意識が大きく変わったような気がしました。
しかし、やはり夢は夢で、その後時間がたつに取れて確信が少し薄れだしてはいます。

それ以外にも、さまざまな夢をみました。
滅多に夢にはでてこない節子も、この数日は毎夜のように出てきました。
時に風邪で熱を出すのもいいことです。
ちなみに風邪はほぼ収まり、今朝、血圧を測ったら、まあ許容範囲に入っていました。
体調は万全というわけではありませんが、まあ大丈夫でしょう。

北陸から若い女性が相談にやってきました。
毎日、自分の生きる意味を考え続けていて、しかもまわりの人たちがみんな結婚していく中で、自分も結婚のプレッシャーが大きくて、何が何だか分からなくなって、やってきたのです。
数年前に東京にいた時にやってきたのが最初ですが、その時に比べるとだいぶ落ち着いてきていました。
最近はもう「死ぬこと」を考えなくなったそうです。
それだけで私ももう十分ですが、彼女のいまの悩みは、自分の夢が形にならないということです。
果たして今のまま働いていていいのだろうか?というわけです。

彼女はまだ30歳。でも北陸では、もう自由に生きていていい歳ではないのです。
いろいろと話していて、北陸の地方社会と首都圏の都市社会との大きな違いを教えてもらいました。
右手に指輪をはめてないと社会からあぶれてしまうというプレッシャーがあるのだそうです。
まだまだ日本は画一化されておらず、多様性を維持しています。
しかし、彼女が言うには、そのいずれもが生きにくい。
たしかにそうかもしれません。

彼女は実は昨年の一度相談に来ています。
なぜやってくるのかを、めずらしく彼女から話してくれました。
佐藤さんはどうしてそんなに自然体で生きられるのか。
私もそういう生き方がしたい。
意外な言葉でした。
だから私のところに相談に来る?

2時間ほど話しあって、私も昨日は彼女の相談に乗るために湯島に行っていたので、一緒に事務所を出ました。
駅まで一緒に歩いていて、彼女が私の歳を訊いてきました。
76歳と答えると、腰が曲がっていないことに感心されました。
それはただ単に農作業をしていないだけの話でしょうが、ここにもたくさんの示唆があるような気がしました。

少しは役に立ったでしょうか。
私はそれなりに疲れましたが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/24

■節子への挽歌3581:熱い議論のサロンで風邪は完全に治りました

節子
昨日で風邪をやめたので、今日は予定通り過ごすことにしました。
それでも朝起きた時には、少し違和感があり、いささか心配したのですが、なんとか発熱せずに夕方を迎えられました。

今日は憲法サロンの日でした。
参加者は総勢9人だったのですが、熱い世代もいて、大変でした。
いま日本国憲法が大きく変えられようとしていますが、その本質は明治憲法への、つまり非民主主義憲法への回帰です。
それへの危機感を持っている人が集まったために、熱い熱い議論になってしまいました。
今日は風邪だから少し静かにしていて、早く終わりたいと思っていましたが、その希望とは全く反対の方向に行ってしまいました。
しかし不思議なことに、風邪をぶり返すことなく、無事帰宅しました。

とてもいいサロンだったので、毎月開催することにしました。
憲法は、やはり私たちの生活を基礎づけていますが、多くの市民活動家やNPO関係者は、憲法を読みもせず、改憲論争にも無関心です。
私は、政治に無関心なNPOなど、そもそも存在価値がないとさえ思っていますが、今回も福祉関係者や市民活動している人はほとんど参加されませんでした。
たまたま私のまわりには、まともな市民活動者がいないからかもしれませんが、20年近くいろんな活動をしてきて、このていたらくを情けなく思います。
そう思う時が沈み、また熱が出そうですが、今日はとてもいいサロンだったので、まあ嘆くのはやめましょう。
それに風がぶりかえさなかったのは、喜ぶべきことです。

明日はまた朝から湯島です。
3日で撤退してくれた風邪菌たちに感謝しなければいけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/23

■節子への挽歌3580:風邪を終えました

節子
熱が下がりません。
今日は朝からずっと寝ていましたが、むしろ熱が上がってきています。
朝は37.1度だったのが、4時に測ったら37.4度。
それで床に頼んでクリニックに連れて行ってもらいました。
診療は簡単で、まあ普通の風邪ということで終わったのですが、やはり血圧の話になりました。
血圧を測ったら上が170を超えていたので、やはり高いといわれました。
前の薬は歯茎に副作用を出したことは伝えていますが、先生は何がいいかを「診療マニュアル」で調べ始めました。
風邪で来たのには、話は血圧になってしまいました。
ともかく私が降圧剤を飲まないので心配してくれているのです。

まあ何とか血圧の話はうまく切り上げて、帰宅しましたが、やはりクリニックには来るべきではありませんでした。
帰宅して体温を測ったら37.8度。
いささかしんどさが出てきたので、もらってきたロキソニンを飲んで横になっていましたが、まあ状況を変える必要があります。
そこでシャワーで身体を洗うことにしました。
ついでに頭も洗ってしまいました。
さっぱりしたところで、体温を測ってみたら、36.3度です。
平熱に戻っていました。
要するにシャワーが一番効き目があったわけです。
このまま治ってくれるといいのですが。
いや、治ったことにしましょう。

明日はサロンです。
明後日もその次も、また用事がいろいろとつまっています。
熱が出てもらっては困るのです。
4日ほど、身体を風邪菌に提供していたので、もう十分でしょう。

そんなわけで、今日は1日、ほとんど横になっていました。
また熱が出ると悪いので、まだ8時半ですが、眠ることにしましょう。
私の場合、熱があると思考力が大幅に減少し、本を読んだり何かを考えたりする気が起きません。

明日からまた元気な日常に復帰です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/22

■節子への挽歌3579:夏風邪のようです

節子
久しぶりにどうも風邪を引いたようです。

一昨日から微熱があり、ちょっと気にはなっていたのですが、昨日、雨の中を湯島に行き、しかも雨の中を上野まで出たりしていたため、悪化させたようです。
上野で話をしている途中に、疲れが出てきてしまい、相談に乗るどころではなくなってしまいました。
相談に乗るどころか、相手に心配をかけることになってしまいましたが、もしかしたら「相手に心配してもらうこと」も、大切なことなのだと最近ようやくわかってきました。
まあ、いつもながらの勝手な解釈ですが、ケアが双方向的な関係だとしたら、まんざら間違っていないようにも思います。

今朝はかなりよくなっていたので、予定通り、ある会社を訪問しました。
私にはいささかおかしなところがあって、人に会うと、体調不良のことを忘れてしまうのです。
そして、ついつい話に熱中してしまう。
私は熱が高くなると饒舌になるタイプなのです。
時として、それが元気と間違われてしまうのですが。

今日もそうでした。今日は5つのミーティングをやってきました。
ひとつのミーティングが終わるとガクッときてしまうのですが、次の話になると元気が出てきてしまう。
最後は新しくできた開発センターを見せてもらったのですが、ここはさすがに疲れました。
しかし、そこで会った人と思いもやらない懐かしい話ができたので、何とか持ちました。

自宅に帰って、ソファーに座ったらもう動けません。
やることがないので、録画してあった、「ボーン・アイデンティティ」を観てしまいました。
この映画はDVDではありますが、もう10回どころではなく何回も見ているのですが、毎回元気が出ます。
でも今日はダメでした。見終わっても疲れたままです。

昨日も熱があったのでお風呂にはいらなかったのですが、今日もやめて、もう寝たい気分です。
明日はゆっくりできるので、回復するでしょう。
いや回復させなければいけません。
風邪は医師ではなく、自らの意思で直さないといけないと節子には豪語していましたので、がんばらなくてはいけません。

ちなみに、風邪に関しては、私にはもう一つポリシーがあります。
風邪菌にも生きる権利があるので、まあたまには身体を貸すべきだというポリシーです。
節子は、「はいはい」と聞き流していましたが、私にとってはかなり大切なことなのです。
風邪は悪いことをもたらすだけではありません。
風邪をひかないと気が付かないこともある。
風邪を引いたら、そこから何かを学ぶことが、私の信条なのです。
さて、今夜は寝苦しい夜になりそうです。
またちょっと熱が出てきました。
困ったものです。
はい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/20

■節子への挽歌3578:ODSの思い出

節子
一昨日、旧友と会いました。
彼が、ODSの創業者の山口さんの息子さんがブログで山口峻宏さんのことを書いていることを教えてくれました。
https://note.mu/blogucci/n/n9e5253105ef6

ODSにも山口峻宏さんにも深い思い出があります。
息子さんが書いているように、山口峻宏さんは、日本でCIブームを起こしたおひとりです。
私はそれ以前からODSとも山口峻宏さんとも付き合っていました。
まだ私が東レにいた時代です。
そこに一人の若者がやってきました。
私の記憶では下駄をはいていました。
当時私は、経営企画室という戦略組織にいましたが、その関係で、外部のいろんな人と付き合うこともまた仕事の一つでした。
社会の動向を知らずして、経営戦略などは立てられないからです。
しかし、ビジネススーツをきれいに着こなしている人との付き合いには退屈していました。
そこに下駄ばきの青年がやってきた。
彼は、山口さんがスカウトした青年でした。
北欧でヒッピー生活をしていた三浦さんです。

三浦さんにほれ込んだこともあって、ODSにもよく行きました。
価値観変化を指標化し時代の先を考えるプロジェクトにも参加しました。
しかし、東レで私がCIに取り組んだ時に選んだのは、ODSではなくパオスでした。
ここにもいろんな物語があるのですが。

そのCIの仕事に取り組んだことで、私は人生を変えてしまいました。
会社のアイデンティティ(CI)ではなく、自分のアイデンティティの問題にぶつかってしまったのです。
会社を辞めたあと、ODSに挨拶に行きました。
行くと役員室に、同社のコアメンバーが並んでいました。
私の知った顔ばかりでした。
そこでODSに来ないかと誘われました。
もちろん断りました。
人生を変える決意をしていたからですが、決意していなかったら、誘いに乗ったかもしれません。
しかし、その後も、三浦さんとの付き合いはつづきました。
そしてある日、突然、彼の訃報が届きました。
急死でした。
その頃、私は若い友人を数名、同じような突然死で喪っています。

会社時代に、経済同友会で「経済文化フォーラム」という組織ができました。
8名のかなり密度の高い研究会でした。
私は諸井虔さんのご指名で、参加させてもらいました。
そこでの議論は1983年に日経から出版されていますが、その研究会に山口さんに来てもらったことがあります。
ゲストはいつも、エスタブリッシュメントの人たちでしたので、私には退屈でした。
そこで、たまには違う世界の人の話を聞こうと提案させてもらったのですが、残念ながら諸井さんにはあまり気にいってはもらえませんでした。
三浦さんも同行していましたが、彼が話せば変わったでしょう。
山口さんはサービス精神があり過ぎました。

山口さんがその後取り組んだサードエージプロジェクトの第1回目にも参加させてもらいました。
そこで私はまったく気が乗らなくて、途中で帰りたくなってしまい、パネリストなのに山口さんの意向に反する発言ばかりしていた気がします。
以来、仕事の関係では縁が切れましたが、山口さんはとてもいい人でした。

このブログを教えてくれた人は、私が会社を辞めた後に出会った人です。
私の生き方をよく覚えてくれていて、いささか私を過大評価しています。
でもまだ彼と会った時には、ビジネスマンから完全には抜け出していなかったのでしょう。
それに人は、過去の実績で人を評価するものです。
当時私には少しだけ会社経営の世界での実績がありました。
しかし、それは私の実績ではなく、私を支えてくれた人たちの仕事でした。
私もしばらくそうした遺産にしがみついていたのかもしれません。

自分をきちんと生きられるようになるまで、やはり時間はかかるものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3577:苦歴こそ宝

節子
なかなか元気になれません。
もう大丈夫と思うと、翌日がくっときます。
心配してくれる人もいるのですが、自分の心身をバランスしていくのは難しいものです。
しかし、そのおかげで、私は世界を広げられている、生きる意味を高められていると、思い出しています。

ノートルダム清心女子大学学長だった渡辺和子さんは,遺作になった「どんな時dも人は笑顔になれる」という本の中で、こう書いています。

学歴や職歴よりもたいせつなのは、「苦歴」。 これまで乗り越えてきた数々の苦しみ。 気がつけば、それらは経験という宝になっている。

私もそう思います。
いまの履歴書の構成要素は間違っている。

その本に、渡辺さんは相田みつをさんの「つまづいたおかげで」という詩を紹介しています。
その詩の書きだしはこうなっています。

つまづいたり ころんだり したおかげで 物事を深く考えるようになりました あやまちや失敗をくり返したおかげで 少しずつだが 人のやることを 暖かい眼で見られるようになりました 何回も追いつめられたおかげで 人間としての 自分の弱さと だらしなさを いやというほど知りました だまされたり 裏切られたり したおかげで 馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました

まさに私のこの10年の人生そのものです。

朝から微熱が続いています。
微熱なのに、やけに身体が火照るような感じです。
昨日実はちょっとリビングでうたた寝してしまったのです。
風邪は絶対にひかないとNさんに約束したのに、困ったものです。

今日中に治さないといけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/18

■節子への挽歌3576:湯島で少し感慨にふけりました

節子
久しぶりに湯島で一人で過ごしています。
3時半から来客があり、その後、ミーティングもあるのですが、それまでの3時間、湯島で一人です。
特に用事はなかったのですが、なんとなく一人になりたくて、早めに昼食を食べて、出てきました。
自宅にいると、それなりにいろいろありますし、電話もかかってきます。

湯島のオフィス界隈は日曜日はほとんど人はいないのです。
この雰囲気が好きです。

湯島のオフィスを開いて、もうじき29年が経ちます。
29年間、何も変わっていないのですが、久しぶりに来た人が広くなったねといいます。
広くはなっていないのですが。
唯一変わったのは、窓から夕陽が見えなくなってしまったことです。
きれいな夕陽でした。

いやまだ変わったことがあります。
植物が少なくなってしまいました。
玄関のバラも、節子がいなくなってからは造花のバラになってしまいました。
テーブルの上には生花はありません。

このオフィスにはいろんな人が来ました。
私には、そして節子にも、思い出の多い場所です。
最近すっかり聴くことがなくなったCDをかけました。
先ほどから赤木りえのフルートの童謡が流れています。
子どものころに戻ったような、悲しさと幸せが伝わってきます。
でもちょっと気が沈みそうです。
以前はあんなに好きだったのに、いまはさびしすぎます。
日本の童謡の多くは、とても寂しく悲しい。
なぜでしょうか。

CDを変えました。
金子由香利のシャンソンです。
このシャンソンは、節子がいなくなってからも繰り返し聴いたことを思い出しました。
これもまた刺激が多すぎます。
どうも湯島に残っているCDは、元気が出るようなものがありません。
みんなどこかに節子との思い出を引き出すものがある。
困ったものです。

1枚だけ、節子に会う前から好きだったCDが出てきました。
DBQの“Take Five”です。
久しぶりに聴きました。
会社の独身寮に入って、最初に買ったのが、パイオニアのステレオでした。
そして聴いていたのが、ジャズでしたが、そのなかでも好きだったのが、オスカー・ピーターソンのカナダ組曲とこのTake Fiveでした。
節子と一緒に暮らすようになってからは、あまり聴いた記憶がありません。
会社の独身寮での一人の暮らしも、いまから思えばとても懐かしく、さまざまな記憶があります。
節子と会う前にも、私の暮らしはあったのです。

雨が降ってきました。
窓を閉めに行ったら、外のベランダで、ランタナが花を咲かせていました。
雨は、いまの私の気分にぴったりです。
2時間ほど、無為に過ごしました。
さてそろそろ現実に戻りましょう。

一人でこんなにゆっくりしたのは、久しぶりです。
来客に供えて、コーヒーでも淹れておきましょう。
たまにはこういう時間の過ごし方もいいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/17

■節子への挽歌3575:子どもの心

節子
今日も孫が来ていました。
子どもたちはみんな同じように見えます。
その子どもたちが、大人になるとなぜ変わってしまうのか。
私が子どもの頃、赤ちゃん共和国という漫画がありました。
あまり鮮明な記憶ではないので、間違っているかもしれませんが、大人たちが子どもの心を失うことがなければ、社会はとてもゆたかで幸せで、住みやすいことでしょう。
なぜ大人になると、みんな変わってしまうのか。
それが不思議でなりません。

幼児の頃に親から捨てられ、苦労して生き抜いてきた友人がいました。
数年前にがんで亡くなりました。
彼は男前の生き方を目指していました。
彼は私によく言っていました。
生きるためには悪いこともしなくてはいけなかった、と。
彼の気持がよくわかりました。
しかし、彼にはどこか「子どもの心」が残っているような気がしました。
ですから彼を全面的に信じて、それなりに彼の危機に、私ができることをしました。
彼の男前の生き方を信じたのです。
しかし、それは完全に裏切られてしまいました。
最後は、たぶん私にまで嘘を言ったのかもしれません。
彼にとってはやむを得ないことだったのでしょうが、私には大きなショックでした。
最後に裏切られたのがとても哀しかったです。
本当のことを言ってくれれば、対応の仕方もあったでしょう。

大人になってからも、子どもの心を持ち続けることは、至難のことです。
もちろん何の苦労もしないで、子どものわがままさだけを維持している人はいるでしょう。
しかし、それは本当の「子どもの心」ではありません。

自分で生きる生活費を得ていくためには、時に人をだまさなければいけないのかもしれません。
生きるためには、子どものような赤心は邪魔になるかもしれない。
しかし、もしそうであるとしたら、生きるとはいったい何なのか。
孫と遊びながらそう思います。
そして改めて思うのですが、大人の先生は子どもたちです。
裸の王様の寓話が示すように、私たちは子どもからもっと学ばなければいけません。

節子から教えてもらったことはたくさんあります。
娘たちから教えられたことも少なくありません。
しかし、孫から教えられることはもっとありそうです。

いい1日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/06/16

■節子への挽歌3574:部屋の南側に琉球朝顔を植えました

節子
さわやかな朝でした。
気分もさわやかにしたいのですが、いろいろあって、いささかさわやかではありません。
困ったものです。

部屋の窓の外に、琉球朝顔を受けることにしました。
宿根そうですので、手入れを上手くやれば定着してくれますが、その自信は正直あまりありません。
でも頑張ろうと思います。

私の自宅の仕事場はとても小さく、細長い部屋の両側は書棚になっています。
書籍に囲まれた、小さな空間にデスクが3つあって、そのひとつで私はパソコンをしています。
以前、中国からの若い留学生だった友人から狭いですね、と言われました。
その言葉が今でも忘れられません。
たしかに狭いのです。
しかもその両側に雑誌や書類が山と積まれています。
他にも両側書棚の細長い書庫があります。
ですから時に思い立って、ある書籍を探すとなると大変なのです。

その部屋は南側が窓になっていますが、夏には西日も差します。
ですから窓には朝顔を植えていましたが、水やりを忘れるので、枯れてしまい、最近はネットだけが残っている状況です。
そこにまた琉球朝顔を植えることにしたのです。
琉球朝顔は強い草なので、昨年はわが家の庭を席巻しました。
それで娘たちからは嫌われているのですが、私は大好きです。
節子はどちらかと言えば、弱い花が好きでしたから、琉球朝顔好みではないかもしれません。

仕事場にはエアコンはありません。
ですから冬と夏は快適ではなく、とても仕事ができる環境ではありません。
それで冬と夏はリビングが私の仕事場になりますが、ノートパソコンがあまりいいものがないので、仕事はあんまりできないのです。
しかし今年は、琉球朝顔の応援で何とか夏も仕事をしようと決めました。
まあ、仕事といっても大した仕事はないのですが。

節子がいなくなってからもうじき10年が立たとうとしています。
最近ようやく自分が正常化してきているように思います。
2年ほど前にもそう思ったことがあるのですが、いまから考えれば、やはりまだ正常化していなかったように思います。
まあまた2年後に同じ思いを持つかもしれませんが、最近かなり自分が復活してきた実感を持てるようになりました。

昨日まで、実は体調が良くなかったのですが、今日はめずらしくすっきりです。
さわやかでないのは気分だけですが、今日の青空で気分もよくなるでしょう。
今日は出かける予定でしたが、昨日までの体調の関係で延期させてもらいました。
ですから今日は、何もしなくてもいい1日になったのです。
さて何をしましょうか。
いや何もしなくてもいいのですから、何もしなくてもいい?
表現を間違えました。
今日は何をしてもいい日なのです。
さて何をしましょうか。
何をしようと今日はいい1日になるでしょう。

20170615


20170615_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧