カテゴリー「妻への挽歌18」の記事

2017/08/17

■節子への挽歌3636:お盆休みボケがもどっていないようです

節子
お盆休みが終わったら、また急に忙しくなりました。
忙しいというよりも、たまっていた課題に取り組む気になったという方が正しいかもしれません。
久しぶりに湯島に行きました。
約束の時間ぎりぎりだったのですが、もう相手の人は来ていました。
出足に失敗。
先が思いやられます。

午後は、待てども待てども約束の来客は来ず。
ますます先行きが心配ですが、幸いに陽がさしてきました。
これで調子は戻るかな、と思っていたら、今日は行けなくなったという連絡。
理由は聞きませんでしたが、まあよくあることなので流しましょう。

となるとしばらく時間ができました。
それで思いついて気になっていた友人に電話。
1か月ほど前に手術した友人です。
これからだと見舞いに行くだけの時間はないので、いささか不安に思いながらの電話でしたが、幸いに元気な声で安心しました。
もっとも昨日までは大変だったようです。
見舞いはもう少し先のほうがよさそうです。
しかし、詳しく聞いてみたら、調合されていた薬をどうもめちゃくちゃに飲んでしまったようです。
なにしろ入院中に抜け出してしまうような友人なので、まあそれはそれで仕方がない。
私も同じような性癖があるので、何とも言えませんが、でもまあ大変な状況も抜け出したようでほっとしました。

もしかしたら私の「疲れ」は、付き合っている友人たちのせいかもしれません。
誰かが、類は類を呼ぶと言っていましたが、友人を見れば自分がわかるのかもしれません。
しかし、私の場合は、私の周りにいる友人知人と自分が「同じ類」だとは思いたくないのですが、困ったものです。

と書いていたら、めずらしく電話が鳴りました。
出ると営業の話。
でもまあ相手の人の感じがよかったので良しとしましょう。
そんなことをしているうちに何やら急に睡魔が襲ってきました。
そういえば、昼食を食べるのを忘れてしまっていました。
睡魔とともに、空腹感も襲ってきました。
どちらを優先すべきか。
まあこの時間お店はもうしまっていますから、睡魔を優先しましょう。

今日からがんばろうと思って勇んで湯島に出てきたのですが、結果的にはこんな、きわめてゆる~い日になってしまいました。
もっとも今夜はまた何やら不思議な人たちが集まるミーティングがあるのですが、それまで私の「がんばろうという意志」がもてばいいのですが。
さて、それでは一眠りしようと思います。
眠れるといいのですが。
はい。

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2017/08/16

■節子への挽歌3635:何もなかったお盆が終わりました

節子
お盆の最終日、ようやくみんなが揃いました。
と言っても、たった5人です。
5人で全員。
節子を含めれば6人ですが。

両親が元気だったころは、何かの時にはみんなが集まりました。
そういう昔のようなにぎやかな集まりは、もうなくなりました。
なくなってはじめて価値を知ることは少なくありません。
今から考えれば、私の両親は幸せだったと思います。
いろいろとありましたが、家の行事はいつも賑やかでしたから。

私の友人のなかにも、10人以上集まってにぎやかな人もいます。
素直にうらやましいですが、でも多ければ多いだけ、またいろんな苦労もあるのかもしれません。
独り身の友人もいますが、そういう人が不幸なわけでもありません。
自由に生き、自由に死んでいく幸せもあるでしょう。
人にはそれぞれ生き方がある。
どういうのがいいのかは、人それぞれです。

いまのような形は、まさに私の生き方が結実した姿なのでしょう。
それを素直に受け入れるしかありません。
それしか選択肢はないのですから。
でもやはり、家族が集まった時にこそ、節子の不在を実感します。
母親は、いつも家族の中心なのかもしれません。

みんなで会食をし、久しぶりにケーキを食べて、それからみんなで節子をお墓まで送っていきました。
お墓はにぎわっていましたが、はじめてわが家の墓のお向かいさんにお会いしました。
自宅から持って行ったロウソクの火でお線香をあげて、般若心経をあげました。
孫も何回かのお墓参りです。
まだ何のことかわかってはいないでしょう。
しかし、お墓や家族を通したいのちのつながりは、孫にもしっかりと伝えておきたいと思っています。

節子が逝ってしまってから10回目のお盆は、こうして終わりました。
たぶんこれまでで一番何もなかったお盆です。
私の魂も、なぜか今年は動きませんでした。
彼岸とのつながりを感じなかった。
それ以上に、何か脱落感で過ごした4日間でした。

大宰府の加野さんから電話がありました。
お元気そうな声でした。
送らせてもらった梨を、娘さんにお供えしてくれたそうです。
加野さんが元気なうちに、一度、福岡に行きたいと思っています。
そういう友人知人が全国にたくさんいます。
今年のお盆にことさら彼岸を感じなかったのは、私の日常が彼岸に近づいているからかもしれません。
でも結局、伺うこともなく、みんなとは彼岸で会うことになるのかもしれません。

今日も訃報が一つ届きました。
美空ひばりが、「愛燦々」で歌ったように、人は哀しいものなのです。
そして、人生って、ほんとうに不思議なものです。

明日からは、またしっかりと現世を生きようと思います。

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2017/08/15

■節子への挽歌3634:鳩がまた生まれました

節子
考えてみると、8月はいろいろと辛いことがたくさん起こった月でした。
黙とうすることの多い月です。
8月と言えば、夏休みで海や山へと楽しい月だという印象が子どもの頃からずっとありましたが、この歳になって初めて、そんなことに気づきました。
8月15日は、いつも暑い日だったような気がしますが、今日の我孫子は涼しいうえに雨が降っています。

ところで数日前に気がついたのですが、また庭に鳩が巣をつくっていました。
前回はせっかく孵化した雛が翌日にカラスに襲われてしまったので、今回はそっとしておきました。
カラスに気づかれないためです。
数日前に雛が孵化したようで、親鳩が巣から離れません。
今日、親鳩がいない時に近くに行ってみましたが、2羽の雛がかえっていて、もうかなり大きくなっていました。
しかし、木の枝が重なり合っているので、写真を撮ろうとしたのですが、うまく撮れません。
幸いに最近はカラスの姿を見かけません。
カラスにも見えないのでしょう。
庭木の手入れをしなかったおかげです。
いささか手前味噌な考えですが。

写真がうまく撮れていませんが、なんとなく2羽の雛が見えると思います。
今年のお盆休みに起きたことと言えば、これくらいでしょうか。
もっとも世間では北朝鮮と米国の関係が騒がれています。
まあこれもまた仕組まれた茶番なのでしょうが、私にはほとんどリアリティを感じられません。
人類も、せめて鳩ぐらいの知恵を残しておけばよかったのですが。

20170815


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2017/08/14

■節子への挽歌3633:すぎのさんの幸水

節子
わが家のお盆にはなくてはならないものがあります。
「すぎの梨園」の幸水です。
杉野さんの幸水は、わが家のお盆には欠かせません。
節子は大好きでした。
もちろん私も大好きです。

私が杉野さん夫婦と知り合えたのも、節子のおかげです。
節子がすぎの梨園に梨を購入に行くときに一緒に行ったのが縁でした。
とても気さくなご夫婦で、家族みんなで梨園をはじめ、さまざまなものを手がけています。
http://www.geocities.jp/suginofarm/

ユカに頼んで連れて行ってもらいました。
歩いていくのは無理な遠さです。
私は運転免許を早々と返却してしまったので、自分ではもう運転できないのです。
ちょうどみんなで出荷作業をしていました。
いつもと違って、たくさん梨がありました。
あまりの人気で梨がなくなることもあり、最近はあまりたくさん購入するのは気が引ける感じだったのですが、今年は大丈夫そうです。

出荷作業所の前に、おしゃれな2階建ての建物ができていました。
息子さん夫婦の新居ですが、外観はおしゃれなカフェのようです。
すぎの梨園が出している「のらやま通信」に紹介があったようですが、見落としていました。
カフェでもやらないのですかと言ったら、杉野さんがお茶なら飲めるというので、雰囲気を楽しませてもらいました。
なかなかいい雰囲気です。
奥さんが手掛けている加工食品も並んでいました。

写真ではわからないでしょうが、かなり凝ったつくりです。
サッシが全面開くようになっているので、ウッドデッキと一体感した開放感が味わえます。
たぶん息子さんたちの趣向でしょう。
たぶんこの空間から何かが始まるような予感がします。
魅力的な場所は、新しい物語を生み出します。

久しぶりに杉野さんと少し話しました。
杉野さん家族は、私には理想的な家族に見えます。
節子も、もしかしたら、杉野さんのような家族を理想としていたかもしれません。
杉野さんたちと会うたびに、節子がいたらちょっと違った付き合いができたかもしれないと思うこともあります。
私はどうも家族単位の付き合いが苦手なのです。

帰宅したら、ジュン親子が来ていたので、みんなで食べました。
杉野さんの幸水は、やはり美味しいです。
節子の位牌の前にも、大きな幸水梨を供えました。
これで節子の精霊棚は完成です。

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2017/08/13

■節子への挽歌3632:節子が帰ってきました

節子
ようやく少し頭のなかが正常化してきました。
心身の時間が現実の時間に追い付いてきたようです。
いや反対かもしれませんが。
昨日、ほとんど外部との接触がなかったのがよかったです。
平常な心身で、お盆を迎えられそうです。

朝、精霊棚を整えました。
この間は仏壇は閉じられ、その前に精霊棚がつくられますが、わが家の場合は、とても簡単なものです。
年々、簡単になっていき、最近はスーパーの6点セットですませています。
それが少し気になっていて、昨年は畑で育てたきゅうりと茄子で馬と牛をつくりましたが、今年は畑をやらなかったので、また既成のものに戻ってしまいました。

花とお供えは、新鮮なものがいいので、朝、娘と一緒に買いに行き、きちんと整えてから、お墓に節子を迎えに行きました。
まだ兄は来ていないようで、両親はお墓にいましたが、節子は一足早い帰省です。
灯明で自宅まで連れてくるのは、節子がいた頃からの通りです。

お墓はにぎわっていました。
幸いに今日は涼しいので助かります。
いつものように、提灯ではなくガラスランプの火で、節子を自宅まで連れてきました。

近所のMさんが、今年もまた花束を届けてくれました。
今年は節子が好きな百合も入ったとても立派な花束です。
その横に、ユカが庭のアジサイを少しぜいたくに切り取って飾ってくれました。
まあわが家の場合、花は飾っても食べ物はあまりお供えしないのです。
まあそういう家なのです。

節子が戻ってきたからと言って、何かが変わるわけではありませんが、
今日はずっと灯明をあげていましたので、部屋をあまりあけられないので、なんとなく位牌の近くで過ごしました。
午後、ジュンが娘のにこを連れてやってきましたが、にこがいつもになく、元気にはしゃいでいました。
幼児は霊界とつながっているのかもしれません。
別れ際に私と手でタッチし合うのが恒例なですが、今日はその際、私の顔ではなく、どこか焦点の定まらない目で私の斜め後ろをみながら私にタッチしていました。
もしかしたら、そこに節子がいたのかもしれません。

さて今夜は夢に節子は出てくるでしょうか。
まあ例年のことで言えば、出てこないでしょうね。
困ったものです。

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2017/08/12

■節子への挽歌3631:お盆が近づきました

節子
今年もお盆が近づきました。
お盆は、人のつながりを確認し合うための、とても大切な行事だと思いますが、その意味を私が理解したのは、節子を見送ってからかもしれません。
お盆は、彼岸から亡くなった人が戻ってくると言われても、なかなか実感できませんが、自らが死を体験すると、その意味がわかってきます。
私はまだ自らの死を体験していませんが、哲学者のウラジミール・ジャンケレゲィッチが書いているように、「第二人称態の死」つまり「あなた」であるところの、自分にとって親しい存在の死は「ほとんどわれわれの死のようなもの、われわれの死とほとんど同じだけ胸を引き裂く」のです。
節子の死は、私には自らの死の疑似体験、あるいは死の予行演習だったのかもしれません。

ところで、日本では古来、死者はある一定の期間を経て、個人から先祖に溶け込んでいくとされています。
33回忌とか49回忌など、地方によって違うようですが、「弔いあげ」あるいは「問い切り」と言われて、そこで個人としての死者の法要は終わります。
そうした「最後の死者儀礼」が終わると、仏壇の位牌を檀那寺へ持って行き焼却してもらったり、個人ごとに建立されている墓石は横倒しにしたりすることもあるそうです。
そして、死者は個人の霊を離れ、「ご先祖さま」になっていくのだそうです。
最近読んだ波平恵美子さんの本で改めて知ったことなのですが。
節子が「ご先祖様」になるまでにはもう少し時間がかかりますが、まあその前に私は同じ個人の霊として彼岸で節子に会えるでしょう。

明日は迎え火ですので、わが家の仏壇も掃除しました。
節子のお墓は個人のものではなく、私の両親と同じお墓です。
両親の仏壇は私の兄の家にありますので、実はお盆には、それぞれのところに戻るわけです。
したがって節子はいつも同居している、私の両親と別れて、わが家に戻ってくるというわけです。
戻ってきた節子は、私たちと一緒に、兄の家に戻ってきている私の両親のところに挨拶に行く。
なにやら複雑です。
兄の家にはお寺のお坊さんが読経に来てくれますが、わが家までは最近手がまわらないので、私が般若心経を読経します。
いささか心もとないですが、まあ私たちにはそのほうがお似合いなのです。
今年は節子の初孫もたぶん手を合わせてくれるでしょう。

涼しいせいか、私の疲労感もかなりなくなりました。
気になることも少なくないのですが、この期間は忘れることにしようと思います。

今日はめずらしく静かな1日になりそうです。

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2017/08/11

■節子への挽歌3630:気が熟すのを待つ生き方

節子
目が覚めたら8時を過ぎていました。
こんなことは年に1回あるかどうかです。
でもまだ疲れがとれた気がしません。
だいぶたまっているようです。
今日は10時から地元の集まりがあるので、のんびりはできません。
でもこういう時でもネットで他者とつながっていると、いろんなことが飛び込んできます。
幸いに今朝は、大きな問題はなく、定刻には集まりに参加できそうです。
ここまで書いて、出なければいけない時間になってしまいました。
続きはまた後で。

午後は来客があったものの、のんびりと過ごしました。
それに、むしろ肌寒さを感ずるほどの涼しさになりました。

メールでいささか小難しい論争に巻き込まれましたが、それ以外は、何もない休息日になりました。
来客が帰った後、DVDでミッション・インポシブルの5部作のうちの3つを観ました。
いずれも何回か観ていて筋書きはほぼ知っているのですが、ポイントだけを観るという見方なのです。
こういう観方は、節子には理解されませんでしたが、映画にはいくつかの見せ場がありますので、そこだけを観れば満足なのです。
しかし、2時間も飛ばしながら観ていたので、頭は休まるどころか疲れた気もします。
どうも最近は休み方がわからない。
困ったものです。

それで本を読むことにしました。
読みかけや読む予定の本が何冊か机の上にあるのですが、いずれも今日は読む気になりません。
本は、読む気が熟すまで待たないと読む速度が違ってきます。
私の長年の体験から、そう感じています。
気が熟せば一気呵成に読めますが、そうでないと時間がかかることもあります。

いま気づきましたが、「気が熟す」は「機が熟す」の間違いですね。
パソコンで「きがじゅくす」を漢字変換すると、なぜか「気が熟す」となってしまっていましたが、「気が熟す」という表現はたぶんありませんね。 
念のために今、国語辞書で調べましたら、案の定、出てきません。
しかし、むしろ「気が熟す」のほうが、少なくとも読書に関する限りはぴったりします。

いや読書だけではありません。
私の場合、特に節子がいなくなって、一人でわがままに生きるようになってからは、気が熟さないと動けないようになってきている気がします。
「機」ではなく「気」が、最近の私の行動の基準になっているように思います。
「気が熟すのを待つ生き方」
これはいい言葉ではないかという気がしてきました。

今日の休息日の収穫は、この生き方への気づきです。
それがなんだと言われそうですが、なかなかいい気づきではないかと思います。
いや、そう思うこと自体が、まだ疲れから抜け出ていない証拠かもしれません。

そんなことはどうでもいいのですが、選んだ本はなんと「大衆の反逆」。
100年ほど前に書かれたオルテガの本です。
読むのは3回目ですが、この本を選んだのは、もしかしたら鈴木さんのハガキの影響です。
巡礼者の鈴木さんはこのお盆の時期は静岡の生家に戻っているそうですが、読む本の一つに鎌田茂雄さんの「正法眼蔵随聞記講話」を選んだとはがきに書いてきました。
鈴木さんは、この本を毎年のように読んでいるような気がしますが、読み返すたびに新しい気付きがあると話していました。
私も鈴木さんを見倣って、もう一度、「大衆の反逆」をちゃんと読んでみようと思います。
お盆に「大衆の反逆」とは、ちょっとふさわしい気はしませんが、まあいいでしょう。
実は昨年、入院時にこの本を読んだのですが、なにしろ目の手術での入院時でしたので、辛い読書であんまり消化できなかった気がしていますので、再挑戦です。
この本を読む気になったのは、それなりの意味があるような気がします。

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2017/08/10

■節子への挽歌3629:杉本さんにまた宿題をもらいました

節子
いささかハードな、刺激の多い3日間でしたが、なんとか乗り換えられました。
この3日間で、40人を超す人に会いました。
なかにはきわめてハードなものもありました。
それは節子もよく知っている杉本さんとのミーティングです。

杉本さんは、最後の仕事として決めていた書籍を書き上げました。
テーマは、団体組織法です。
ところがそれをまとめることによって、大きな問題にぶつかったというのです。

会社経営者から法律研究者へと変身した、杉本さんの実践的な行動力には感服するしかありませんが、これまでの者を集大成したのが、この書籍です。
そのエッセンスは、これまでも何回か部分的にはお聞きしていますが、今回はわざわざ図解したシートを作成し、レクチャーしてくれました。
しかし、今回ぶつかった問題は、いささか厄介で、それに関して頼みたいことがあるというのです。
人の頼みはいつも気楽に引き受けるのですが、杉本さんの頼みは気楽には引き受けられません。
しかしもちろん断ることなどできません。
だからいささか恐ろしいのです。

杉本さんは、日本の民法の基本理念は、未だに我妻栄理論に基づいているというのです。
昨年、民法が改正されましたが、団体組織論の根底にあるのも我妻栄理論だというのです。
日本の民法学会は、未だに我妻栄理論から抜け出せないでいるというのが杉本さんの主張です。
と言われても、私には異を唱える知識もありません。
杉本さんは60歳を過ぎてから法学を学びだしたのですが、杉本さんと法律論議をするたびに、私は自らの不勉強を思い知らされます。
杉本さんの論理展開を理解するだけも大変なのですが、午前中、いささか気の重いミーティングと暑い中を街中を歩いていたせいもあって、思考力が低下してて、なかなか理解できなくて、杉本さんをイライラさせたかも知れません。

我妻パラダイムはともかくとして、杉本さんの主張には共感するところが多いのです。
企業経営の理論の変遷に関しては、私の方が少しだけ詳しいかもしれません。
私も、経営論ではなく組織論に関心があったため、経営コンサルタントとしてはまともな仕事の機会を得られませんでしたが、昨今の企業の実態を垣間見る限り、1980年代に日本の企業は路線を間違えてしまったとしか思えません。
ですから、杉本さんとは違った視点からですが、共感するところがあるのです。

杉本さんには、私のような文系の論理の積み上げ方はいかにも粗雑に見えるはずです。
それに私は、あまり論理的ではなく感情的な思考展開をしがちですので、議論がかみ合わなくなることも少なくないです。
にもかかわらず杉本さんは、私を信頼してくれて、試論をぶつけてくるわけですが、それに応じて議論をするのは、かなりのエネルギーが必要です。
2時間話しただけで、心底疲れます。
その上、ある提案があって、結局、約束してしまいました。

疲れ切ったまま、久しぶりに「みんなのゆる~いカフェ」に入ったのですが、数名を意図していたのに18人の参加です。
しかも個性豊かな人ばかりです。
発達障害、LGBT,自殺企図者、引きこもり、人間とすべて縁を切りだした人、など、多彩な人が押しかけてきたのです。
そのまままた3時間のサロン。
精根尽き果てて、自宅に帰りましたが、そこでパソコンを開くとまたまた問題。

今日は出かけるのがやっとでしたが、神様は私のために暑さを和らげてくださいました。
そのおかげで、何とか今日の用事はやり終えることができました。
まあ宿題はいろいろと残ってはいますが。

明日からお盆休みです。
やらなければいけないことがたくさんありそうですが、まずはゆっくり寝たいです。

挽歌らしからぬ内容ですが、杉本さんとのことを節子に報告しておこうと思って書きだしました。
節子の訃報を聞いて、すぐにわが家まで杉本さんは来てくれました。
それが不思議でなりませんが、杉本さんは節子までをも「同志」と呼んでいましたので、杉本さんのことは節子に伝えておきたいのです。

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2017/08/09

■節子への挽歌3628:今夏一番の暑さ

節子
今日は今夏一番の暑さになるようです。
朝からすごい湿度と暑さで、まさに「うだる」ような感じです。
さすがに今日はエアコンがないと過ごせない感じですが、幸か不幸か朝から夜まで大忙しの1日です。
最近久しぶりに少し時間に追われています。
まあ、それだけ私の対応力が低下しているというだけの話ですが。

暑さのせいもあって、少々ダウン気味なのですが、今週を乗り切れば何とかなるでしょう。
いろいろと考えなければいけないことも、やらなければいけないこともあるのですが、すべては来週に任せて、今週は目の前の課題を消化していこうと思います。
それにしても暑いです。
パソコンを打っていても、汗がにじみだしてくる感じです。
夏だけでも彼岸に避暑に行きたい気分です。

そろそろお盆です。
節子がこちらに来る時期です。
涼しくなるといいのですが。

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2017/08/08

■節子への挽歌3627:世界中を笑顔で埋めていきたい

節子
西日本に大きな被害を与えた台風は、滋賀・福井を通って北上しました。
そのため、今日の関東はいい天気にありました。
今日は2つの集まりを企画していましたが、その一つは報告してもらう高林さんが京都の人でしたので、昨日急遽、延期にしてもらいました。
高林さんのところは大雨で、がけ崩れの恐れから避難所までつくられたそうですが、大きな事故はなかったようです。

もう一つの集まりは、予定通り開催することにしました。
「ほっとスマイルプロジェクト」という、新しいプロジェクトのキックオフミーティングです。
世界中に笑顔を広げていこうというプロジェクトです。
10人を超える人が集まってくれました。

そもそもこのプロジェクトは、認知症予防ゲームの実践者の交流会の中から生まれたものです。
メンバーがほとんど女性なので、私とはかなり感覚的に違います。
それに私は認知症がなんだ、という考えの持ち主ですので、波長が合うはずがありません。
しかし、いろいろと事情があって、このゲームの全国普及に協力する約束をしてしまったのです。
しかし、幸いに、私が目指している「大きな福祉」の路線に少しずつ近づいてきたので、このあたりでゆるやかな組織化をしてもいいかなと思ったのですが、いざ組織化となると、そこでまた違いが出てきてしまいました。
でもまあ、そんなことよりも、大きな目標で合意できるならばと、このプロジェクトに参加することにしたのです。

台風が心配される中を14人もの参加がありました。
男性も4人。
私もいれてですが。
話をしていて、コムケア活動を立ち上げた頃のことを思い出しました。
当時のことを知っていてくれるSさんも参加してくれましたが、何とその人は我孫子の友人を連れてきました。
わが家の近くに住んでいるOさんです。
ふたりは久しぶりに会ったそうですが、SさんがOさんに、我孫子にはもう一人友人がいると話して、それが私だとわかり、今日一緒に来たのだそうです。
本当に人の繋がりはわからないことがあります。

キックオフミーティングの様子や主旨は時評編に書きました。
私の笑顔が戻ってくるといいのですが。
最近、いささか疲れ気味なのは、サロンのせいではありません。
まあなんでも書いてしまう私にも、書けないこともあるのです。
明日はまた、気の重いミーティングがあります。
それを乗り切れば、午後は2つのたぶん気の休まるミーティングですが。
人生は疲れるものです。

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