カテゴリー「妻への挽歌18」の記事

2019/12/14

■節子への挽歌4485:久しぶりの日の出

節子

今日はまた生活哲学学会に話をしに行きます。
背広で行こうかセーターにサンダルで行こうか迷いましたが、一昨日、その格好を見た友人から、ホームレスに間違えられると言われました。
そこでせっかくの決意が崩れてしまい、今日もまた背広と靴で行くことにしました。
ところが今度はその上に着るコートがありません。
真冬のコートはあるのですが、ちょっと今日は重すぎる感じです。
まったく衣服というのは面倒です。

今日は1時間間違えて起きてしまいました。
おかげでまた本が読めました。
ヤシャ・モンクの「民主主義を救え!」です。

私が思っている以上に、民主主義の時代は終わってきているのかもしれません。
その本に、異なる民族や宗教が平和裏に共存していた時代は、ハプスブルク帝国とオスマン帝国のように、強力な王政の支配を伴っていたと書かれていました。
そして現在の若者たちは、民主主義を好ましいものだと受け止めていないという調査結果も示されていました。

民主主義信仰もまた、わずかな時代のブームでしかなかったのかもしれません。
実は私も最近、そんな気分が少し高まっています。
ハプスブルク家の支配のなかに暮らすのも、意外と魅力的かもしれません。

まあ今日の講義は、シビック・アントレプレナーの薦めがテーマで、いささかのアジテートをする予定ですが、ちょっと迷いが出そうな気配です。
忘れなければいけません。

外は陽が出てきました。
久しぶりに日の出を見ました。
節子と一緒に日の出を見た記憶は今でも鮮明に残っていますので、ちょっと感傷的になってしまいます。

さてそれを振り切って。

 

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2019/12/12

■節子への挽歌4484:温泉湯治

節子

抗がん治療をしている友人に、3日ほど前から電話をかけているのですがつながりません。
今日もなぜかつながりません。
彼は一人住まいなのです。

気になっていましたが、今日、ようやく相手からかかってきました。
つながらなかった理由は、携帯電話をスマホに替えたら、扱い方がよくわからずに混乱しているようでした。
まあ私も似たようなものなので、困ったものだとしかいえません。

オブジーボ治療を受けようかどうか迷っていましたが、先日、温泉療法に落ち着いたのです。
遠くの温泉の話も出ていましたが、近くになったようで、これから新宿に行って、そこから山梨の益富温泉に行くそうです。
来週、定期診察があるので3~4日で戻ってくるそうですが、調子が良ければ年明けに少し長目の湯治療法にいくそうです。
一泊くらい招待してくれるかもしれませんが、今の元気であれば私が行くこともなさそうです。
それくらい元気な声でした。
ちょっと安心しました。

彼は、私の小学校時代の同級生です。
昨日は、小学校時代の同窓生の女子会でしたが、今日は、同じ同窓生の男子会を我孫子でやろうと連絡がありました。
じつは、同窓生同士が2組結婚しているのですが、その同級生夫婦の奥さんだけが昨日はやってきました。
たぶんその様子を聞いて、連絡してきたのでしょう。

女子会への参加もつらいですが、男子会もあんまり乗り気がしません。
しかし、だんだんとこういう誘いが増えてきています。
どうしてみんな来世を確信しないのでしょうか。
現世で会えなくなっても、たぶん来世でも会えるでしょう。

私も一時、会えなくなる前に会っておこうなどという気になったことがありましたが、最近は来世で会えばいいという思いになっています。
死などに拘束されたくはありません。

 

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2019/12/11

■節子への挽歌4483:小学校の同級生の女子会への招待

節子

小学校時代の女子会がありました。
秋にフランスの有機農業の集まりなどに行っていた霜里農場の友子さんの報告会を兼ねて、湯島でミニ同窓会を升田さんが企画したのです。
男性にも声を掛けましたが、みんな病院通いでダメだったので、女子会になりました。
男性が私一人だけでは話も合わないので、欠席しようと思ったのですが、霜里農場の手作りおにぎりを食べさせてやると言うので、参加しました。

ところがあいにく常磐線が混乱して、時間に間に合いませんでした。
鍵は霜里農場の友子さんが持っているはずなので、大丈夫だろうと思っていたら、すでに3人が到着していて、ドアの前で待っていました。
呼びかけ人の升田さんも遅れているようです。
そしてその升田さんからメールが届きました。
肝心の友子さんがどうも忘れてしまっていたようです。
まあこの歳になるとこういうことはよくあることです。
2時間遅れて友子さんは参加しました。

それにしても女性はみんな元気がいいです。
私は話に入ると場を壊しかねないので、片隅で小さく話を聞いていました。
友子さんがフランスで小学校に有機野菜を採用したまちの市長を呼ぼうと言い出しました。
そのお鉢が私にまわってきました。
困ったものですが、ちょっと面白いかもと思って、うっかり引き受けてしまいました。
さてまずは資金集めからです。

おにぎりにつられて、場違いの女子会などには参加してはいけません。
しかも、肝心の友子さんが忘れていたので、おにぎりは食べられませんでした。

20191211

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2019/12/10

■節子への挽歌4482:帰ってゆきたい場としての湯島サロン

節子
もう一つ書かせてもらいます。
太田さんの話です。

太田さんはつらい中を湯島まで歩いてやってきました。
太田さんは、途中はつらかったが、湯島のサロンにけると思うと元気が出てきたと言ってくれました。
太田さんは、湯島のサロンが好きだったのです。
しかし着いたときは、もう倒れそうな顔色で話すのもやっとのような感じでした。

ところが、サロンが終わり、立てないでいる太田さんのまわりに何人かが集まり、太田サロンになって話しているうちに、表情や顔色が一変してきたのです。
話もいつものようになってきました。
湯島に入って来た時と別れる時はまったく違ったのです。
薬よりも治療よりも、安心できる場所で心置きなく心を開くことがいかにいいことかを実感しました。

今日、太田さんからフェイスブックで私宛へのメモが投稿されました。
内容はまた改めて書くとして、あて先は「初代湯島サロン亭主 修さんへ」、そして差出人は「自称 2代目湯島サロン亭主2代目より」となっていました。
たしかに太田さんは、湯島サロンの主旨に共感してくれていました。
2代目になってもよかった存在です。

それで、「自称」でなくて「公認」でもいいとコメントしました。
太田さんは「光栄です」と素直に受け入れてくれました。
湯島サロンの2代目はこれで決まりです。
このやり取りは、事情を知らない人にはどう感じるでしょうか。

それはともかく、太田さんがつらさの中で、湯島サロンに行こうと思ったのは、長年のサロンが報われた気がします。
太田さんは、湯島に行って、みんなに会いたいと自然と思ったのです。
先日、コミュニティに関するサロンで、上田さんが「コミュニティとは帰ってゆきたくなる場」だと言った話を思い出します。

湯島のサロンは、もう私だけの場ではなくなってきました。
みんなが帰っていきたくなる場なのです。
節子と同じく、太田さんも湯島に戻ってくるのでしょうか。
私が戻ってくる頃にも、湯島が残っているといいのですが。

宝くじを当てて、永久保存体制を目指さなければいけません。

 

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■節子への挽歌4481:期せずして太田サロン

節子
太田さんの話をつづけます。

一昨日のサロンに病院を外出してやってきました。
痛みなどもあって、病院に入院したのですが、これまで通りの生活をこころがけているそうです。
先日、佐賀の母親に会いに行ってきた後、やはり体力が大きく低下したようです。

サロンには遅れてやってきましたが、表情が違っていました。
これまで通り、話し合いでは、相変わらずの根本的な問いかけをしましたが、緯線のように声に勢いがありません。
話すのも辛そうでした。

サロンが終わった後、何人かが太田さんを囲み、話しだしました。
そのまま、太田さんを囲むサロンになりました。
フェイスブックにも投稿したのですが、みんな太田さんの症状も知っています。

しかし、明るい話し合いができました。
太田さんの話もたくさん聞けました。
おかげで病院に出してきた外出届の時間には病院には戻れなくなったでしょう。

それにしても、これだけあっけらかんと話せるのはめずらしいでしょう。
太田さんとは最近知り合った人もいましたが、彼は感激していました。
彼も死に関しては割り切っている人ですが、こういう話し合いの場がもっとあればいいと一緒に帰る途中で連発していました。
私は、来世を信じていますので、また会えるからと思っています。
そう思えば、哀しくはありません。

それに涙で人を送るのは私の好みではありませんし、太田さんの好みでもないでしょう。
それに涙は出る時には出るのです。
悲しさを感ずるのは、送ってからしばらくたってからです。

太田さんは、湯島のサロンの常連でした。
しかも、テーマによって参加を決めるのではなく、用事のない日曜日のサロンは必ず参加していました。
それこそ、私がサロンで目指している方針なのです。
その意味で、太田さんは湯島のサロンの最大の理解者でした。

ですからその前に一度太田さんに最後のサロンをやってもらいたいと思っていたのですが、さすがにどう頼んだらいいか判断できずにいました。
それが期せずして、サロンが実現したのです。

Oota191208

太田さんが途中で、メモを出して、読み出しました。
私への問いかけのようでした。
それも、いつものように、ついつい反論してしまいました。
最後まで、太田さんとはいつものように付き合おうと思います。

しかし、こんなサロンが開けるとは思ってもいませんでした。
いい時間でした。

 

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■節子への挽歌4480:太田さんの生き方の見事さ

節子

太田さんを覚えていますか。
節子がまだ湯島に行っていたころ、何回か湯島にも来たはずです。
もっともしばらく途絶えていたから、節子ががんになった頃は交流が少し途絶えていました。

節子がいなくなってしばらくして、太田さんはわが家にやってきました。
節子が亡くなったことを知って、わざわざわが家までお線香をあげにやってきてくれました。
以来、わが家にも3回ほど来ていますが、いつも、有名なお寺のお線香を持ってきてくれます。

その太田さんが、癌になってしまいました。
しかも発見が遅れてしまった。
手術は無理ということで、抗癌治療を勧められたと思いますが、癌に抗わずに、治療せずに、できるだけこれまでと同じように生きようと決心しました。
毎日曜日に湯島にやってくる生活スタイルも変えることなく、やってきました。

しかし2週間ほど、来なかったことがあります。
気になっていたのですが、一昨日のサロンにやってきました。
九州の実家にいる母親に報告に行っていたそうです。
太田さんの最大の悩みが、母親にどう伝えるかだったのです。

九州までの旅はつらかったようです。
もしもう少しタイミングを暮せていたら、体力的に無理だったかもしれないようです。
一昨日のサロンに来た時も、辛そうでした。
でも来てくれた。

太田さんは、もう余命宣告を受けていますが、驚くほどの平常心を維持しています。
これほど剛毅な人を、私は知りません。
肩に力が入っているわけではないのです。
いとも自然に生きている。

こういう生き方ができるのは、これまでの太田さんの生き方のためでしょう。
太田さんから教えられることは多いです。

 

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2019/12/07

■節子への挽歌4479:「物言えば、唇寒し」に抗わなければいけません

節子

今日もまた寒い1日でした。
今日は、湯島のBMS(茶色の朝)サロンで、先月来日したローマ法王を話題にしました。
記録して公開しようという意見もありましたが、今回はともかく本音で話す状況にしたかったので、記録はやめました。
そのおかげではないですが、議論はいろいろと出ましたが、終わってからやはり記録すればよかったと思いました。
録画されているから本音を出さないとか発言しにくいというのは、やはり誠実ではないと思ったのです。

私自身は、どんな場でも基本的に建前の話はしません。
いつも本音で話しているわけではありませんが、嘘だけはつきません。
というよりも、嘘がつけないのです。
これは子どものころからで、嘘をつくと赤面したり顔に表情が出たりして、すぐに嘘だとわかっていますのです。
嘘をついてもすぐ嘘だとわかってしまうので、嘘が嘘にならないのです。

公開の場だと、しかし、発言を差し控える人はいるでしょう。
そうでなくとも、最近はみんな本音ではなしをしないと、サロンで20代の若者が指摘していました。
たしかに、「物言えば、唇寒し」の時代です。

湯島のサロンでは、決してそんなことはありません。
長年かけて、ある種のアジールになってきました。
であればこそ、ここでの議論を公開していくことが次の目標ではないかと気づいたのです。
わたしだけではなく、他者を巻き込むことになるので、慎重を期さねばいけませんが。

昨日は久しぶりに鷹取さんが来てくれました。
帰り際に、「今年最後だと思うので」と前置きして、みんなに「よいお年を」と言った後、「佐藤さんには来ないだろうけれど」と付け加えました。
その時は気になりませんでしたが、後であれはどういう意味だと気になりだしました。
禅の公案かもしれません。

来年1月に、禅書「無門関」のサロンをやることにしました。
鷹取さんはそれを知っていたのでしょうか。
まあ知るわけはないですが、鷹取さんは実に愛すべき人です。

 

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2019/12/06

■節子への挽歌4478:「感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては」

節子

この挽歌も最近、アクセスが減っています。
時評編をあまり書かなくなったのと挽歌もなんということのない私の日記になってしまったからでしょう。
挽歌と時評を組み合わせている意味もあまり亡くなったかもしれません。
コメンとも減って、最近はめったにありません。

ところが今日の夕方、気づいたのですが、久しぶりにコメントの書き込みがありました。
投稿者はpattiさん。
以前、心にしみるコメントくださった方です。
いまもなお読んでくださっているとは、うれしいことです。

コメントは時評編へのものでしたが、そのなかにこんな文章がありました。

東日本大震災の3か月後に彼は旅立ちました。
正直言って目の前の日々変化する彼の病状と共にあることで精一杯、私自身まるで重力がない世界にいるようでしたから震災後も復興云々より人の生死についてばかり頭を巡らせていました。
こうして稚拙ながらコメントできるようになったのも時の経過故です。
そして佐藤さんのブログとの出会いもこの喪失の経験がなければ起こらなかったことなのです。

佐藤さんの本意に反するかもせれませんが、改めて感謝を伝えたいと思います。
「詫びることができるうち詫びる」と同じように感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては。

「詫びることができるうち詫びる」は、先日書いた記事をさしています。
つづけてこう書かれています。

直近で鼓舞されたのは昨夜のU2のライヴです。政治的メッセージも辞さない彼らの一貫した姿勢のみならず、昨夜はアフガニスタンで悔しくも凶弾に斃れた中村哲氏への哀悼と彼の功績を讃えました。
前日私は一人悶々と悲しみに暮れていました。偶然手に入ったチケットでその場に居合せ、ともに追悼できたことへの感謝と事件への憤り、無念さがない交ぜになってくしゃくしゃになりました。

この文章で、pattiさんのプロフィールが少し伝わってきます。
もちろん私は、pattiさんがどんな人か全く知りません。
さらにこう書かれていました。

そんな一夜が明けて佐藤さんのブログを開いて書き連ねてしまいました。長くなってすみません。
サロンをはじめ多くの人たちとの関わり合いの「場」提供し続けている佐藤さんはなんと心強い存在でしょう。
お体にはくれぐれも気を付けてください。またお邪魔させていただきます。

pattiさんには無断で引用させてもらいましたが、コメントで公開されているので許してもらえるでしょう。

「感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては」。
全く同感です。

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■節子への挽歌4477:歯は元気のようです

節子

寒くなりました。
寒くなると身体の動きが悪くなります。
そのうえ、今朝、リビングのエアコンを入れたら壊れていて動きませんでした。
夏にはなぜか動いたのに、また動かなくなった。
寒さのせいでしょうか。
困ったものです。

歯医者さんに行きました。
定期検診ですが、年に似合わず歯は大丈夫のようです。
まだ抜けた歯は1本、歯周病もまあ大丈夫だということでした。
しかし夜はきちんとマウスピースをした方がいいとまた言われました。
つくってもらった時は3か月くらい続けたのですが、最近はもう全く忘れています。
しかし歯医者さんにはそれもすぐわかるようです。
困ったものです。

私自身は、歯磨きは好きではありません。
そもそも身体の健康管理や身体の手入れが苦手なのです。
それに現世で生き続けることへのモチベーションも高くありません。
節子がいたら、3万年でも生きられますが、いない今は現世への未練はほとんどありません。
ただただ退屈なだけです。
しかし、こういう人に限って、長生きするかもしれないと最近不安になることがあります。
全く困ったものです。

寒いとやることもない。
畑には収穫しそこなっているニンジンなどもあるはずですが、行く気も起きない。
もう少しあったかかったら、40きろのお遍路さんに行こうとも思っていましたが、もうやめました。
人はどんどん怠惰になるものです。

今日はまた「ドクターX]を見てしまいましたが、今回はまったく面白くありませんでした。
やはりテレビは飽きますね。

充実感の全くない1日でした。
孫と一緒に食事にでも出かければよかったです。

 

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2019/12/05

■節子への挽歌4476:節子の白いミニバラ

節子

遅れていた13回忌の法要を行ったので、その報告も兼ねて、毎年、節子に花を献花してくれる隣の家にお礼に行きました。
13回忌の節目を終えたので、お花は今年で終わりにさせてもらいたいとお願いしました。
こういう時に、どう言ったらいいのか、私は苦手ですので、節子がいる時には節子にアドバイスをもらっていました。
しかし今はそれも出来ずに、なんといっていいか戸惑っていたら、先方から「節目ということですね」とわかってもらえました。

それに続いて、うれしい話をしてくれました。
節子を見送った時に、献花に来てくださったみなさんに、白いミニバラの鉢を差し上げました。
その白いミニバラをわが家のすぐ近くに地植えにしたら、いまも元気で育っているそうなのです。

帰宅して窓から見たら確かに育っています。
実にうれしい話です。
ちなみにお隣の奥様は、あまり花を育てるような土いじりが好きなタイプではないのです。
それを知っているので、私は感激してしまいました。
しかもわが家に一番近いところに、ですから。

ちなみに、その時のミニバラはわが家では私の手入れ不足でみんな枯らしてしまいました。
あの頃はかなりのミニバラの鉢をいろんな人に持って行ってもらいました。
いま残っているのはいくつくらいあるでしょうか。

 

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