カテゴリー「妻への挽歌18」の記事

2018/02/22

■節子への挽歌3784:ミニ同窓会

節子
湯島で小学校時代のミニ同窓会でした。
節子も知っている何人かも来ましたが、なかには数十年会っていなかった人もいました。

ひとりが胃がんになってしまい、昨年手術したのですが、彼がなんとなくみんなに会いたがっている風だったので、それとなく何人かに声をかけたのがきっかけです。
ところが、本人がまだみんなには言いたくないというので、延期になっていました。
節子との体験もあるのに、まだ私は、病気になった人の気持ちを理解することができずにいます。
困ったものですが。

今年になって、彼が胃がん手術をしたことを何人かに公開したので、それでは集まりをやろうとなったのですが、予想以上に参加者が多くなってしまいました。
たぶんみんなやはり会いたい気分があるのだろうと気づきました。
ここでも人の気持が、まったくわかっていない自分がいました。

集まりでは、彼が胃がん手術を改めてオープンにしました。
初めて聞く人もいて、驚いたでしょう。
久しぶりになつかしい集まりでの最初の言葉が、胃がん手術の報告。
まあ異例な出だしです。
しかし、そうしたら他の人も、いろいろと自分が抱えている事情を話しだしました。
病気のことだけではありません。
実にいろんなことです。
これまであまり話したことのないことを、はじめて口にした人もいました。
幸せなこともつらいことも、語りだしたのです。
幸せなこともつらいことが、何の違和感もなく、絡み合いながら話が進みました。
小学校時代の友だちは、やはりとても不思議なもので、奇妙な信頼関係や安心関係があるのです。

少しは知っていたことも、詳しく聞いて改めて驚いた話もありました。
そうだったのかとはじめて納得した話もあります。
みんなそれぞれにドラマがある。
しかし、なにが幸せで、なにが不幸かはわからない。
そんな気がしました。
一人ひとりからゆっくりと話を聞いて、何かできることはないかをみんなで話し合える場があるといいなと思いました。
家族は大事ですが、家族以外にも、そうした場があってもいいかもしれません。
それに家族のいない人もいます。

参加した一人がメールをくれました。

自分だけが苦労したと思っていましたが 皆様頑張られているのを伺い 明日からは 楽しく頑張ろうと お話から力を頂きました。

彼女は20年近く前に突然夫を亡くしました。
今回、一番元気だったのは彼女でした。
いまは独り住まいだそうです。

前に、死は人をつなげると書きましたが、病いもまた人をつなげます。
おかしな言い方ですが、孤独も人をつなげるかもしれません。
同窓会型サロンを、時々、湯島でやろうかと思います。
そうすれば、誰も孤立しないでしょう。
ある意味のコミュニティもつくれるかもしれません。

私はといえば、幼なじみの気安さもあって、少し、いや、だいぶ失礼な発言を重ねてしまいました。
それこそ「不適切な」発言もしてしまった気がします。
ぎりぎり許してもらえたかもしれませんが、最後に、私が一番信頼している人が、それとなくちくりと注意してくれました。
ありがたいことです。

やはり幼なじみの世界は、ちょっと違います。
それにとてもいい仲間にめぐまれているのです。
驚くことに、最後に私にカンパまでしていってくれました。
有機野菜まで持ってきてくれた人もいます。
お布施暮らしは、たくさんの豊かさを恵んでくれます。

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■節子への挽歌3783:また雪です

節子
朝、起きたら、雪が降っていました。
窓から見える隣家の屋根には雪が積もっています。
今日は湯島に行かねばいけないのですが、いささか心配です。

昨夜はいろいろと考えることがあって、あんまり眠れませんでした。
歳のせいかもしれませんが、深夜に目が覚めると眠れなくなることがあります。
最初に思うのは、いまもなお、節子のことですが、それは私が以前は節子が寝ていた場所で寝ているからかもしれません。
節子の目覚めの世界の中で、私も目覚めるわけです。

ところで、とても不思議な気がするのですが、節子がいた頃に比べて、寝室がいつも明るくあたたかいのです。
真夜中に起きて、以前はこんなに明るかっただろうかと不思議に思うことも少なくありません。
遮光カーテンをていねいに締めていないために隙間ができるせいかもしれませんが、なぜか明るい気がします。
あたたかさも、私の感覚が鈍くなっていて、寒さをあんまり感じなくなっているのかもしれません。
節子がいなくなってから、このほかにもいろいろと変わったことはあります。
たぶん節子が私の中に少し入り込んできているのかもしれません。
そう思うとなっときできることもあります。

雪は、とてもわずかではありますが、まだ降っています。
私の家の隣家は、少し低いところに建っていますので、2階の私の仕事場の窓からは、その屋根が見えるのです。
空も雪雲ですので、窓の外には真っ白な世界が広がっています。
雪の朝は音が雪に吸い込まれて静かですが、今朝もとても静かです。

東京新聞の私の記事を読んだ人から、今朝もまたメールが届いていました。
昨日は、その記事のおかげで、15年ほど交流のなかった人からも連絡がありました。
その人はこう書いてきました。

数年前まで長く組織のなかで守られて仕事してきましたが、 やっと佐藤さんのスタンスが私なりにわかるようになりました。

何かとてもうれしい気がします。
人の生き方や考えは、そう簡単にわかるものではありません。
それを簡単に分かったと言ってくれる人がいますが、そういう人に限って、私の生き方や考え方を真逆に受け止めている人も少なくありません。
しかし、この人のように、わからなかったことにわかってくれる人がいることは実にうれしいのです。
それはたぶん私にも言えます。
私ももしかしたら、他者に「あなたの生き方や考えはわかる」などと言っていることがあるかもしれません。
気をつけなくてはいけません。

外はだいぶ明るくなってきましたが、まだ雪です。
こんなことを書くと笑われそうですが、最近は天気がまるで私の心情を表現してくれるような気がしてなりません。
三寒四温という言葉がありますが、最近の私の心は、まさにそんな状況です。
いろんな意味で、ですが。

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2018/02/21

■節子への挽歌3782:「生きる」と「生きている」は違うなという思い

節子
またいろいろと考えました。
最近は考えることが多くなりました。
いままでほんとうになにも考えずに生きてきたような気がします。
結局は、仏様の手のひらから出られなかった孫悟空を思い出します。

考えなくても生きてこられたのは、たぶん幸運に恵まれたからでしょう。
感謝しなければいけません。
しかし、もしかしたら、それは幸運ではなかったかもしれません。
ただ与えられた人生を疑うこともなく生きて来ただけなのかもしれません。

「生きる」と「生きている」とは違うことに、改めて気づきました。
私は、どちらかといえば、「生きる」に価値を置いていました。
しかし、よくよく考えてみると、節子がいなくなってからは、ただただ「生きている」だけだったのではないか。
そんな気がしてきています。

思いきり、前か上に向かって進んでいる人に会うと、いろいろと考えさせられてしまいます。
私も、節子に最初に出会ったころは、生きることにワクワクしていました。
でも、いまはなんとなく「生きていること」に従っているだけのような気もします。
「生きていること」にワクワクしていた節子のことを思い出すと、少し生き方を変えないといけないかと思い出しています。

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2018/02/20

■節子への挽歌3781:平和な社会に向けて孤軍奮闘している人に会いました

節子
今日は孤軍奮闘している人のところに、何かできることがないかと行ってきました。
数年前に、平和活動の集まりで、一度、お会いした記憶がありますが、その後、交流はなかったのですが、湯島のサロンに来てくれたのです。

湯島に誰か新しい人が来ると、その人のために自分には何ができるだろうかと自然と考えるようになってきています。
人は素直に生きていると、そうなるものだというのが私の実感です。
よく言われるように、人は誰かの役に立ったと実感できるほど幸せなことはありません。
「助ける」ことのほうは、「助けてもらう」ことよりも、幸せに決まっています。
それで、誰かが湯島にやってきて、私の前に座ると、自然と私の頭の中には、「私にできることはなんだろう」と考えてしまうのです。
自分でも意外だったのですが、これも10年ほど前に、友人が私に「佐藤さんは誰かに会う時に何を考えているのですか」と尋ねられて、即座に「私にできることはなんだろうと考えている」という答えが出てきました。
正直、私自身、あまり意識していなかったのですが、言葉にして以来、自分でも意識するようになったのです。

今日、お会いした人は、私とどこか共通点があります。
生活や思考が、あまり秩序立っていないのです。
心のありのままに、しかし葛藤したり、迷いながら生きている。
彼女も、たぶん私に同じものを感じて、声をかけてきたのです。

彼女は、学校の先生でしたが、数年前に辞職し、自分の家を売ってしまい、その資金で、「平和な社会」を目指す活動に取り組みだしたのです。
新宿にオフィスを構え、そこで寝泊まりすることも多いような過激な生活をしています。
しかしたぶん経済感覚が普通の人と違うので、家を売った資金も底をつき始めたようです。
世間的にはいささか「飛んでいる」ので、なかなか同志も増えていかないようで、まさに孤軍奮闘です。
そんなとき、なんとなく波長の合いそうな私に出会ったわけです。
彼女は激烈に生きています。
ただ私と違って、社会的「権威」への信頼があるようです。
そこが悩ましいところなのかもしれません。
お互いに本音をぶつけ合う話し合いで、気がついたら4時間半もたっていました。

軽い気持ちで、何ができるかを確かめにうかがったのですが、なにやら少し重すぎる宿題をもらってきてしまいました。
お昼とデザートのいちごをご馳走してもらったので、しっかりと考えなければいけません。

さてさて、誰かに会うといつもこんなことになってしまう。
彼女のために何ができるか。
いささか悩ましい課題です。

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2018/02/19

■節子への挽歌3780:電話疲れ

節子
なにやら今日は電話やメールがにぎやかです。
というのも、東京新聞に湯島のサロンのことが掲載されたのです。
東京新聞の「ひと ゆめ みらい」です。
しばらくは次のサイトから読めると思います。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201802/CK2018021902000103.html

その記事に、湯島でサロンをやっていると紹介されているのです。
それを見た人が問合せをくれるのですが、電話をくれる人はネットをやっていない人が多いので、いちいち説明しなければいけません。
それに私と同じ世代の高齢者も多く、なかには、自己紹介を電話でしてくれる人もいます。
自らの住んでいる場所くらいならいいのですが、なかには生まれたところまで話し出します。
子ども時代の妹さんのことまで話される方もいます。
たぶん見ず知らずの人への突然の電話なので、自分のことをていねいに話さなければと思われているのでしょう。

こうした反響で、話し相手を欲しがっている人がいかに多いかもわかります。
話し相手が欲しければいくらでもいるはずなのに、あるいは見つけられるはずなのに、それが出合わないのです。
そうしたことを「市場化」して「なんとかサロン」をビジネス化したり制度化したりする動きもありますが、たぶんそういうものは見透かされてしまいます。
サロンを続けていて、それがよくわかります。
人のつながりは「市場化」できるはずはありません。
言うまでもなく「福祉」のそうですが。

それはそれとして、今日は長い電話ばかりで疲れました。
まだこれからもあるかもしれません。
私が一番やりたいサロンは、居場所サロンではなく、市民性を深めて社会を住みよくしていくサロンなのですが、そういうサロンへの関心はなかなか広がりません。
勉強会だと勘違いしている人も少なくありません。
人は勉強すればするほど、私の定義では知的でなくなります。
世間的な表現をすれば、バカになるということです。
また「道を踏み外しそうです」ので、やめましょう。

いまのままだとどうも私の現世時代には間に合わないので、宝くじを買うことにしました。
私の信条には反しますが、お金があれば思いの実現を加速できるかもしれないと、ついついさきほど思ってしまいました。
当たるといいのですが。
いつもは「ついでに借金も返せますように」と、いささかの邪念が入っていましたが、今回は自分のためには使わずに、しっかりと「思いの実現」のために使いますと約束して買いますので、当たるかもしれません。
でも、宝くじを買いに行くのを忘れないといいのですが。

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■節子への挽歌3779:宇宙との縁を回復できそうな気配です

節子
私たちは、「知っているはずもないこと」を知っていることに驚くことがあります。
ソクラテスは「メノンのパラドクス」といい、ユングは「集合無意識」と言いました。
私自身は、人間は自分だけで完結したシステムなどとは全く考えていませんので、時空間を超えたあらゆるものとつながっていると考えています。
それを意識に取り込めば、自分の心身は、無限の知であふれるでしょう。
空海は、虚空蔵につながっていたという話もあります。
空海に限らず、宇宙と一体化した人は、たぶん少なくないでしょう。
それをある程度論理的に言語化すれば科学者になり、言語化に興味がない人は宗教者になる。
キリストもムハンマドも釈迦も、きっと宇宙と一体化していた。
だから、彼らの「生」は、現世だけのせいではなかったのだと思います。

そうした不思議な感覚は、たぶんほとんどの人が経験していると思いますが、人は「信じられないものを信じない」ように、育つようになってしまいました。
ですから、みんあ「見なかったこと」「体験しなかったこと」んして、その後の平安な人生を選ぶわけです。
それが「大人になること」なのかもしれません。
つまり、宇宙と縁を切る、ということです。

私が最初に、意識したのは、福岡の大宰府跡に行った時です。
なにやら無性に懐かしさを感じました。
その後、観世音寺の国宝館に入って、雷に打たれたような「畏れ」を感じました。
誰も来ない国宝館で10数体の仏たちとしばらくの時間を共にしました。
不思議な体験でしたが、なぜか私以外の人は、その間、誰も来ませんでした。
その後、観世音寺について少し調べて本も読みましたが、残念ながらなにも感ずることはありませんでした。
その後も何回か行きましたが、あの奇妙な感覚は起こりません。

また話がずれていますが、最近、そうした私が知っていることのないことが、少しずつ形を見せだしています。
そして、それに従って世界の見え方が少しずつ変わりだしているような気がします。
私が考えていたことが、いかに論理に縛られていたかがわかってきました。
知の体系が変わるということは、こういうことなのかもしれません。

最近つくづく自分の無知さ加減がわかってきました。
「知る」ということは「知らないこと」に気づくことだと、ようやくわかりました。

今日は、春を感ずる寒さです。
庭の桜が今年も花を咲かさないようなのが、とても残念です。

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2018/02/17

■節子への挽歌3778:死前葬儀

節子
宇治に住んでいる節子の従妹のMさんから電話がありました。
Mさんは伴侶を亡くされたそうです。
あまりお付き合いはなかったのですが、先日、その話が耳に入りました。
それで、墓前へとお線香を送らせてもらいました。
ちょっと遅くなったのですが。
今日、電話がありました。
人の死は、やはり人をつなげます。

節子と付き合いだした時に、Mさんの両親の家に遊びに行ったことがあります。
京都の銀閣寺の近くにお住まいで、大文字の文字の見えるところでした。
なぜかその時Mさんには会っていません。
ですから、Mさんに出会ったのも、たぶん節子の父親の葬儀だったと思います。

こんなことを言うと誤解されそうですが、
私は結婚式よりも葬儀に出席する方が好きでした。
結婚式はどうも私には相性がよくないのです。
葬儀のほうが、なぜか落ち着くのです。
これは節子を見送ってからではありません。
しかし、いまは葬儀も好きではありません。

なぜか昨年は、私の葬儀はありませんでしたが、10年後の私の葬儀をどうするか、考えておかねばいけません。
まだ考え出すには少し早いですが、ゆっくりと考えようと思います。
できれば、私も自分の葬儀に参加できるようにしたいものです。
生前葬儀ではなく、死前葬儀が理想です。
さてどうするか。
かなりの難問です。

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■節子への挽歌3777:小さな常識、大きな常識

節子
武田さんから数日前に電話がありました。
「138億年宇宙の旅」を読んだかという電話です。
とても感動したようで、仕方がないので、私も読んでみました。
ブラックホールが専門のイギリスの理論物理学者クリスト・ガルファールの著作です。
難解な物理学の世界を「平易」に書いたものですが、やはり歯が立ちません。
しかし、理解はできないのですが、そこで書かれているマクロ世界やミクロ世界の話は、なんとなく親近感があります。
たとえば、重力を超えた量子的な場や10次元世界、あるいは時間も空間もない世界というのは、なんとなく実感できるのです。
もちろん論理的にわかっているわけではなく、言葉で説明することも全くできません。
超弦理論も出てきますが、これも私にはちんぷんかんぷんです。
これまでも超弦理論の「平易」な解説書なるものにも挑戦したことはありますが、歯が立ったことはありません。

しかし、そういう世界に、なにか奇妙な親近感や現実感があるのです。
時間も空間もないということは、昔から私には違和感がないのです。
というか、几帳面に並べられて一方向に流れている時間というものにはなじめないものがあります。
小松左京の小説に出てきた両方向に流れるヘリウムの話は今でも忘れられません。

節子はよく知っていますが、カレンダー通りの時間の流れには、私はあんまり呪縛されないのです。
だから、カレンダーに従って誕生日が決まるわけではなく、今日を私の誕生日にして食事に行こうなどと言う発言をしてしまう。
まあ、いまもそうで、娘が迷惑していますが、最近は「はいはい」といって無視しています。
節子と一緒ですが、カレンダーに縛られることは苦手ですが、それでも長年、カレンダーに呪縛された生活を続けていると、ついつい今日は何曜日だろうなどと思うことからまだ抜け出られていないのです。
だから、娘につい、今日は水曜日にしてくれないかなどと、ついつい愚痴を言いたくなるわけです。

今日もあることで、娘から「お父さんは常識がないから」と言われました。
しかし、娘の常識など高がこの数十年に育ってきた「小さな常識」ですから、138億年のスケールで考えれば、たいした常識ではありません。
私の常識のほうが、もっと普遍性を持っているでしょう。
そういう「大きな常識」の世界に、節子はきっと苦労したことでしょう。

でも彼岸にいって、きっと私の常識のほうに親近感を持っていることでしょう。
次に会うのが楽しみです。

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2018/02/16

■節子への挽歌3776:人の死は人をつなぐ

節子
今日はまた寒さが戻ってきました。
寒さはちょっとこたえます。
でもわが家は、エアコンをあまりかけなくともなんとなくあったかい。
節子がいなくなってから、なにやら節子がこの家を包み込んでくれているような気がします。
まあたぶん考えすぎでしょうが、時々、そんな気がします。
でも今朝はともかく寒いです。

寒さのせいかもしれませんが、訃報がつづきます。
直接の知り合いではないのですが、その両親や親族の訃報です。

そういえば、私の父親の葬儀の日は今でも思い出すほどの寒い日でした。
31年前の2月11日です。
私にとっては、自らが喪主になった最初の葬儀でした。
父の葬儀で学んだのは、人の死は人をつなぐ、ということでした。
普段は会ったことのない親戚の人との出会いもありました。
普段は開かない心が開いて、人とのつながりが深まることもありました。
もっとも哀しいことに、人の本性が見えてしまい、人の縁が切れそうになることもある。
遺された人に、死者はたくさんのことを気づかせてくれるものです。

節子の死もまた、いろんな人のつながりを生み出してくれました。
いろんなことを気づかせてもくれました。
いまも私は、その恩恵をたくさん受けています。

この寒さの中で、いまも誰かが誰かを見送っているでしょう。
誰かはわかりませんが、その人の冥福を祈りたい。
そんな気にさせられた、寒い朝です。

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2018/02/15

■節子への挽歌3775:みんなそれぞれの中に生きている

節子
昨日は何とか持ちこたえました。
昨日は半農生活を提唱している増山さんにサロンをしてもらいました。
増山さんとの接点は何から始まったか思い出せませんが、話の中で何人かの友人の名前が出てきました。
久しく会っていない人の名前も出てきました。
人の過去は、いろんな人の中にささやかであろうと、いろいろと刻まれているようです。
でもみんな最近は交流がありません。
人の交流は、なぜ途絶えてしまうのか。
何かとてもさびしいです。

私は、過去のことを振り向くことの少ない生き方をしています。
その生き方にあっては、人を思い出すのは、決して思い出のためではありません。
いま、どうしているかが気になるからです。

昨日も、サロンの前に会っていた人から出た名前の人を思い出して、メールしました。
30年以上前に会った人ですが、その時の若者は、今や社会的にも大きな仕事をする要職についています。
この数年は会っていませんし、交流もありません。
いまも大きな課題に直面しているはずなので、迷惑だろうなと思いながらも、なにか声をかけたくなったのです。
驚くことにすぐに返信が来ました。
あと2年半は「ひどい生活」を送りそうだと、書かれていました。
その後も解放されることはないでしょうが、3年後には湯島にまた来てくれるでしょう。
彼に会うために、あと3年は湯島を維持しなければいけません。
3年半であれば、まあ大丈夫でしょう。

サロンでは、もっとなつかしい名前も、お2人、出ました。
アクセスするにはちょっと遠くに行ってしまった人たちです。
いずれも私の生き方に影響を与えてくれました。
ひとりは雨の日は出かけないことを教えてくれ、ひとりは友だちを選ばないことを教えてくれました。
私の生き方は、そういうさまざまな人たちの一言で創られてきています。
私の中にたくさんの人が生きているように、私もまたたくさんの人の中にささやかに住んでいる。
節子もまた、いろんな人の中にささやかに住んでいるのでしょう。
もちろん私の中には、とても大きく。

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