カテゴリー「妻への挽歌18」の記事

2017/05/23

■節子への挽歌3548:間違って4時半に起きてしまいました

節子
1時間間違って起きてしまいました。
目が覚めたら外が明るいのでもういいかと思って顔を洗ってパソコンに向かったら、なんとまだ4時半でした。
いやはや困ったものです。
枕元には時計は一応あるのです。

湯島のオフィスもそうですが、わが家の時計はほとんどが時間があっていません。
節子は時計が好きで(腕時計まで持っていましたが)、わが家には時計がかなりあります。
それにジュンが、スペインタイルで時計をつくっていますので、それも所々にあります。
ところが時間があっている時計は、少ないのです。
節子がいいたら、そんなことはないのですが、私は時計そのものは嫌いではないのですが、時計の時間が好きではないのです。
だからといって、時間の約束を守らないわけではありません。
むしろ時間の約束を守らないことは、なにやら矛盾していますが、私の嫌いなことです。

そんなわけで、私にほとんど正しい時刻を示してくれるのが、パソコンとテレビの時刻表示なのです。
でもそれでほとんど不都合はありません。
時に誰かに迷惑をかけることはありますが、それは時計がないからではなく、私が約束の時間を忘れてだけのことが多いのです。
人間は、機械ではないのですから、まあ忘れることもある。
それはむしろいいことではないかというのが、私の勝手な解釈です。

さてそれはともかく、あまりに早く起きたので、何をしたらいいか。
活動しだすと同居している娘に迷惑でしょうし、庭仕事は近隣に迷惑です。
本はまだ読む気にはなれません。
外で成長する花を見ながら、時間を感ずるというのもいいかもしれませんが、今朝はなんとなくそんな気でもありません。
さてさて困ったものです。
それに急にまた眠くなってきました。
もう一度、寝てしまうのもいいかもしれません。
今日は朝から夜まで人に会う用事が入っている、ハードな日なのですから。

鳥の声もしません。
まだ鳥も寝ているのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/22

■節子への挽歌3547:土と孫との時間

風が強い日でした。
庭は何とかきれいになりました。
この週末、庭でカフェサロンを開く準備がほぼできました。
花にはあまり恵まれていませんが、まあ何とかなるでしょう。
それにしても、花木を粗末に扱っていたことを思い知らされました。
節子に謝らなければいけません。

この3日間、いささか非日常的な時間を過ごしました。
活字はほとんど読まず、土と孫と付き合いました。
土と孫は、いずれも嘘をつきませんが、妥協や遠慮もありません。
それに私には合わせてなどくれません。
しかし、そのおかげで、この3日間で、何とか自分を降り戻せました。

鈴木さんが、またサンティアゴ巡礼に出かけます。
3回目のサンティアゴ。今回は2か月ほどらしいですが、26リットルのバックパックに入る荷物で過ごすそうです。
本当に必要なものだけを吟味していると手紙が来ました。
人生に必要なものは、鈴木さんによればほんの少ししかありません。

巡礼行は瞑想行。
鈴木さんが、何を持って戻ってくるか楽しみです。
いや何を捨ててと言う方がいいのかもしれません。
得ることは捨てること。
捨てることは得ること。
サンティアゴから戻ってきた鈴木さんとは、この話をしようと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3546:「淋しさは心の奥底からなくなる事はなく、だからよいのかもしれませんが。」

節子
昨日書いたSさんからまたメールが来ました。

私も夫を亡くし7回忌を迎えました。
私には仲間とコカリナがあったので泣きながら立ち直れましたが
淋しさは心の奥底からなくなる事はなく、だからよいのかもしれませんが。

お話は聞いていましたが、私には声をかけることもできませんでした。
しばらくはあまり活躍されていないようでしたが、その後、いろんなところでSさんのお名前をお聞きしました。
活動を再開され、元気になられたようでした。

このメールの1行が、とても納得できます。
淋しさは心の奥底からなくなる事はない。
でも、だからよいのかもしれない。
私もそんな気がします。
むしろ、その淋しさが、私の支えになっている。
素直に、そう思います。

Sさんとは、一度しかお会いしていません。
また近いうちにお会いできるかもしれません。
しかしまあ、「会う」という行為すら、最近はあんまり重要なことではないような気がしてきています。
「会うべき人には必ず会う」というのが、私の信念でしたが、
最近は、「会うべき人にはいつも会っている」というような気がしています。

6時になりました。
手賀沼の対岸のお寺の鐘の音が聞こえてきました。
さあ、今日はいい日になるでしょう。
ようやく私の「気」も戻ってきた気がします。
解けない問題など、あるはずがありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/21

■節子への挽歌3545:人は支え合って生きている

節子
今日も初夏を思わせる朝でした。
昨日は少し無理をしたので、今日は実釣しようと思いましたが、朝起きて外を見たら、また昨日の続きをやりたくなりました。
河津桜が鉢に植えているのですが(節子の生家では「盆梅」が盛んでしたが、わが家は「盆桜」です)、その場所替えをしたりしましたが、なにしろ狭い庭なので、持って行き場がありません。
節子は一体これだけの鉢や花木をどうしていたのでしょうか。
節子の時代に比べれば、半分ほどになっているはずなのですが。

しかし、早朝に汗をかくことはいいことです。
しかしまたいささか疲れました。
いつもとは違って、9時過ぎにパソコンを開きました。
我孫子にお住いのコカリナ奏者のSさんからメールが届いていました。
次の土日に、わが家の庭でオープンカフェなので、そのお誘いのメールを出していたのですが、その返事でした。
Sさんは、節子が亡くなった2年後に、宮内さんがわが家に来て、私を元気づけるミニコンサートをやってくださったのですが、その時に来てくださったのです。
その頃はまだ私は、「心ここにあらず」のような状況で、幽界を生きていた気がしますが、当時、宮内さんはよく我が家に来てくれました。
いつもギターを持って。

Sさんも、その後、私と同じような体験をされたようです。
でも彼女にはコカリナがあるので、自分の気持を表現できているようです。
その後、私はSさんの演奏を聴いたことがありません。
聴くチャンスは何回かあったのですが、どうも行く気が起きません。
音楽の力はすごいことを知っているだけに、行けないのかもしれません。

Sさんからのメールを読みながら、たくさんの人に支えられて、いまの私があることを改めて感じます。
だとしたら、私も誰かを支える役割を果たさなければいけません。
人はこうして支え合って生きている。
この頃、それを痛感します。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/20

■節子への挽歌3544:快い肉体的疲労感の幸せ

節子
いささか大変な日になってしまいました。
朝起きて決意した「がまがえる探し」は見つからずに失敗。
ついでにそのまま庭の整理を始めました。
気になっていた、ミモザの樹の枝払いをしましたが、これが大変でした。
ミモザは、2代目です。
節子が植えていたミモザは数年前に突然枯れてしまい、2代目を植えましたが、成長が早いのです。
脚立を出して、のこぎりと枝切鋏で徹底的に切り込んでしまったのですが、私としては初めてのことで切りすぎてしまいました。
切り終わった後、見に来た娘が、これでは枯れてしまうと言われてしまいました。
サルスベリと同じように、ともかくすべてを切ってしまったからです。
大失敗です。

つづいてこの1年放置していた植木鉢などのおおかたづけに取り組みました。
小さな庭に足の踏み場に困るほど植木鉢があるのです。
それも半分は枯れかかった花木の鉢がです。
最悪だったのは、節子の思い出の、湯河原の気が枯れてしまっていたことです。
通りがかりに、突然に節子が知らない家に入っていって、もらってきた木なのです。
舟木さんでしたでしょうか?
これもまた大失敗。

庭の片づけはかなりの力仕事でした。
今日は30度を超すほどの暑さでしたので、完全にダウンしてしまいました。
ちょっと頑張りすぎてしまいました。

しかし、おかげで頭痛も腹痛もなくなりました。
久しぶりに肉体的な快い疲労感です。

今日はよく眠れそうです。
熱いお風呂にはいって来たので、このままもう寝るつもりです。
久しぶりに本はおろか、新聞も読まない1日でした。
約束していた書類も読まなかったのですが、まあこれも許してもらえるでしょう。
明日はちゃんと読みますので。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌3543:さやかな朝なのに体調がすっきりしません

節子
さわやかな朝です。
私自身はまったく「さわやか」ではないのですが。
どうもまた最近体調がすっきりしません。

昨日、中村獅童さんが、初期の肺がんが発見されたことを公表しました。
それに関連して、テレビでは健康診断を勧めていましたが、この年になると、検査のほうが身体には良くなさそうだということを口実に、私自身は行く気がないのですが、影響を受ける人はいるでしょう。
私でさえ、一瞬、頭にひらめきましたから。

私の体調のことを書くと、またいろんな人からメールや電話がありそうなので、控えますが、歳をとれば、当然のことながら、体調はすっきりしないこともあるのです。
病気などはあまり心配はしないのですが、ただ実際に体調がすっきりしないのは、憂鬱なものです。
せっかく早く起きても、なにかをやる気がなかなか起きてこないのです。
困ったものです。

この週末は、久しぶりにサロンも予定もなく、自宅でのんびりできそうです。
それなりに課題はあるのですが、自分のペースでやれますので、頭痛と腹痛がなければ、快適な連休になりそうです。
幸いに、2週間ほど、あまりにハードな読書をしてしまったので、本を読む気力が全くありません。
昨日も、注文していた新書が届いたので読もうと思ったら、読めません。
しばらく読書はダメなようです。
そういう時には無理はしないのが、私の生き方です。

いま思いだしましたが、やらなければいけないことが一つありました。
どうもまたわが家の庭にがまがえるがいるようです。
池の魚を食べてしまわないように、防御策を講じなければいけません。
さて、今日はそこから1日を始めましょうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/19

■節子への挽歌3542:花かご会がまた受賞したそうです

節子
ちょっとうれしいニュースです。

節子が関わっていた花かご会が「我孫子市さわやかな環境づくり賞」をもらったそうです。
花かご会の山田さんから連絡をもらいました。
私は花かご会には関わってはいませんが、何かあると山田さんが教えてくれるのです。
節子への報告なのでしょう。
授賞式には6人で行ってきたそうです。
いかにも花かご会らしくて、いいです。

時々、駅前の花壇で作業をしているみなさんを見かけることがあります。
なかなか声をかけるチャンスがないのですが、また機会を見て、声をかけようと思います。
以前は、その姿を見ると、何だかそこに節子がいるような気がしてしまったのです。
メンバーも少し変わってきているようですが、顔見知りの人がまだ多いです。

花かご会に負けずに、私もわが家の小さな庭の花の定例位しないといけないのですが、それがなかなか難しい。
今朝は水をやった後、花柄摘みをやったのですが、花柄ではなくつぼみを摘んでしまいました。
後で娘に言われて気が付きました。
慣れないことをやってはいけませんが、慣れなければいけないこともあるのです。
困ったものです。

月末の土日は、恒例の庭でのオープンサロンです。
それまでに少しはきれいにしておかねばいけないのですが、いまはまだ絶望的なくらい散らかっています。
さてさてどうなることやら。
しかしまあ、どうにかなるでしょう。
それが私の人生ですから。

今日は実は1日中、頭痛に悩まされていました。
この2日間、比較的よく眠れているのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/18

■節子への挽歌3541:犬のように眠りました

節子
私が節子にあった年に、ビートルズは初めて日本に来ました。
私がビートルズを聞き始めたのは、ですから、節子と会った年です。

そのビートルズに"A Hard Day's Night"というのがあります。
松岡計井子さんが日本語で歌った、その曲を、なぜか私が時々思い出します。
節子は好きではありませんでしたし、私も特に好きだったわけではありません。
いま手元にレコードがないので、歌詞はうろ覚えですが、こんな感じでした。

今日は、君のために、犬のように走り回って働いた。
帰宅したら、丸太のようにベッドに倒れ込みたい。
でも家にはあなたがいる。
あなたが私を幸せにしてくれる。

犬 dogのように働いて、丸太 logのように眠る。
私の記憶の中では、それが重なって、「犬のように眠る」となっています。

昨夜は、久しぶりに犬のようによくねむりました。
倒れるように8時過ぎにベッドに入り、目が覚めたのは5時。
この数日の疲れが限界に達していたのかもしれません。
5時まで起きずに寝ていたのは、もしかしたら節子がいなくなってから初めてかもしれません。
にもかかわらず、まだ疲労感からは解放されていません。
やはり、犬のように、ではなく、丸太のように、眠らなくてはいけません。
しかし、目が覚めた時にまず頭に浮かんだのが、「犬のように眠った」という松岡さんの歌のフレーズです。
もっとも、松岡さんがそんな言葉で歌っていたかどうかはたしかではありません。
レコードは別の場所においているので、今度、調べてみようと思います。

今日はいい日になってほしいです。
お昼をある人と約束していますが、彼からたぶん元気になる話が聞けるでしょう。
いま、フクシマの相馬に毎週のように活動に行っている人ですが、それが気になって、声をかけさせてもらいました。
同じ活動を、頼まれもしないのに、つづけている人の話が急に聞きたくなったのです。

私も、元気を出さなければいけません。
私の元気が、誰かを元気にすることもあるのですから。
少なくとも、その逆はあってはいけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/17

■節子への挽歌3540:人間の存在自体がひとつの負債

節子
またしばらく挽歌が書けませんでした。
良くも悪くも、精神が安定していないと書けなくなってきました。
以前、挽歌を書くのが日課だった頃は、こんなことは全くなかったのですが。

挽歌以上に書けなくなってきているのが、時評編です。
サロンの案内などは書いていますが、時評編らしい時評はもうかなりの間、書いていません。
時評編が書けなくなってきたのは、いろいろと理由がありますが、世間の常識と私の常識の、あまりの違いにへこたれてしまっているからかもしれません。
どうも私の考えは、常識からかなり外れているようです。
そういえば、節子がいつもそういっていましたが、それは節子の常識のなさのせいではないかと思っていましたが、どうも常識がなかったのは私のほうだったようです。
いやはや、困ったものです。

連休後半から読みだした「負債論」という大部な本を、月曜日に読み終えました。
厚さ5センチの、この本は、最近読んだ本の中で一番刺激的でした。
私のまわりで議論されている瑣末な話題を、根本から切り崩す内容で、みんなにも読んでほしいですが、あまりにも厚いので、読んではくれないでしょう。
それに、この本を読んだからと言って、何かがわかるわけではないかもしれません。

この厚い本を読めたのは、たぶんこれまでそれなりにいろんな本を読んできたからです。
そうでなければ、いろんなところで引っかかったでしょう。
読書とは、当面の本だけを読んでいるわけではなく、蓄積的な行為であることが、この本を読んでいてよくわかりました。

「負債論」のなかに、インドのヴェーダの知恵が紹介されています。

生れ落ちた人間は負債である。彼自身死せるものとして生まれ、自己を供犠としてはじめてみずからを死から救済するのである。

つまり、人間の存在自体がひとつの負債であり、生きるということは負債を返していくことだというわけです。
これだけだと、本書の言わんとすることはまったく誤解されてしまうのですが、このこと自体には、私は思うことがたくさんあります。
この本を読むまでは、私はむしろ「人間は価値であり、生きるとはその価値を活かすこと」というように、なんとなく考えていました。
ヴェーダは、それとは真反対のことを言っているのです。
考えてみると、このヴェーダの指摘はとても納得できるものがあります。
そして、だとしたら、生後、人生において背負ってしまった「負債」など瑣末なものではないか、そんな気もしてきます。

自分のことも含めて、いまいくつかの難問を突き付けられています。
そうした問題への取り組みも、根本から考え直さなければいけないのかもしれません。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/14

■節子への挽歌3539:軽い頭痛があって憂鬱です

節子
今日はまた肌寒ささえ感ずる1日でした。
温暖の差が激しいので、最近あまり調子がよくありません。
特に今日は心身共に何か違和感があり、何もやる気が起きませんでした。
昨日は朝早くから3時間ミーティングをこなし、サロンもやり、人に会ったりしていたのですが、今日はその反動か、ホームページの更新さえする気が起きません。
困ったものです。
昨日のサロンの報告だけは何とか書いたのですが、それ以上、パソコンをやる気力がなく、1日中、家の中を5センチほどの厚さのある本をかかえながらうろうろしていました。
その本は「負債論」です。
大型連休の後半に取り組んだのですが、まだ読めずにいます。
なにしろ厚さが5センチもあるのと、図書館から借りた本なので、外出先には持って行けず、読む時間がとれないのも、その一因ですが、どうも理解できないところもあって、なかなか進みません。
今日は150頁ほど読み進められたのですが、身心不調のため、あんまり心に入っていないかもしれません。
最近読んだ本の中では抜群に面白い本なのですが。

大相撲が始まったのですが、稀勢の里は負けてしまいました。
まあ関係ないのですが、それでなんだかまたがっくりしてしまいました。
そういえば、佐田の山が亡くなりました。
節子は相撲はあまり好きではありませんでしたが、なぜか佐田の山だけは知っていました。
というか、一緒に暮らしだした時、佐田の山が人気があったのと、アパートの隣室が佐田さんだったのです。
そんなことはよく覚えているものです。

今日もまた、心が重くなるメールがいくつか届いていました。
最近はパソコンのメールを開くのが、ちょっと不安です。

不安は、不安を呼ぶようです。
今日は朝からずっと軽い頭痛が続いています。
それが元気が出ない原因かもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧