カテゴリー「妻への挽歌18」の記事

2018/12/13

■節子への挽歌4070:自分もパソコンも少し酷使しすぎました

節子
2日間ほど、時間があると、ほぼすべてホームページの整理作業に集中していました。
今年の2月以来、ほとんど週間記録とお知らせだけの更新だったので、たとえば挽歌のインデックスも更新せずにいました。
毎週少しずつに時間をとって更新しておけばよかったのですが、それをさぼってほぼ1年間放置していたわけです。
毎週やっておけばさほどの負担感はないのですが、まとめてやると大変です。
できることは早くやっておくことという節子の教訓を思い出します。

ところで、その作業の過程で、この挽歌の番号がずれていることに気づきました。
ずれだしたのは3月頃からです。
ブログの番号も直すことにしましたが、これがまた面倒なのです。
ともかく細かな単純作業の繰り返しです。
作業負担もさることながら、パソコンへの負荷もかかるようで、2時間を超えたころから、次第にパソコンの反応が遅くなりました。
そして夜、パソコンがまたおかしくなったのです。
そしてついに動かなくなりました。
いささか酷使しすぎたのかもしれません。
今朝も2時間ほど、いろいろと試してみましたが、ダメでした。
せっかく、坂谷さんに直してもらい、好調だと思っていた矢先です。

私の仕事がパソコン依存型になっているため、これはかなりにパニックです。
さてさてどうするか。
年末になってから、どうも問題が起きやすくなってきています。
困ったものです。

実は昨日は、日中、兄が新しいパソコンを買ったので、その操作を教えに行っていました。
帰宅して夕方から自分のパソコン作業に集中していたのですが、皮肉な話です。
ホームページやブログの記事の修正はかなり細かな作業なので、目も疲れますが、それ以上にパソコンも疲れたのかもしれません。
私は複数の作業をパソコンに並行してやらせる習癖があります。
待ち時間がもったいないからですが、それがよくなかったのでしょうか。
人間の場合は、複数のことを同時並行的にやると認知症予防にいいと言われていますが、パソコンは違うようです。

今はオフィスのパソコンで挽歌を書いていますが、自宅のはしばらくはだめかもしれません。
今朝の様子では、かなりパソコンも怒っているようです。

さてさて機械と付き合うのも大変です。


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2018/12/10

■節子への挽歌4068:寝室があったかです

節子
寒くなりました。

不思議なことがあります。
節子がいなくなってから、数年たってから気が付いたことがあります。
冬の寝室があまり寒くないのです。
そればかりではなく、あまり暗くならないのです。
普通は逆になるのではないかと思うのですが、なぜかそんな気がしまう。
最近は、節子がそうしてくれているという気がします。
寒くなっても、なぜか以前よりも寒くない。
あったかな空気が寝室を包み込んでいるようです。

そういうことに気づきだしたのは、たぶん七回忌を終えた頃からだと思います。
その頃から、体調も良くなりました。
いや正確には、いろんなことが気にならなくなったというべきでしょうか。
たしかに年齢と共に身体的機能は劣化していますが、いずれも気にならなくなりました。

今朝も寒い朝です。
しかし家中に何かあったかさが残っている。
きっと節子が守ってくれているのでしょう。

1週間ぶりに般若心経をきちんとあげました。
最近、おしまいの真言中の真言だけですましてしまうようになっていました。

なかなかリズムが戻りませんが、今年も残すところ3週間。
がんばって節子への挽歌も挽回しようと思います。

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2018/12/07

■節子への挽歌4067:私は半分彼岸に住んでいるのかもしれません

節子
なにから書きましょうか。
しばらく書いていないので、まあいろいろとありますが。
もっとも、書こうとなるとたいていのことは思い出せません。
書きだせばどんどん思い出してはくるのですが、最近はやはり思い出せないことが多くなりました。

今朝、節子のお姉さんと電話で話しました。
元気そうでした。
福井に住んでいるのですが、急に寒くなって、明日は雪が降るかもしれないと言っていました。
今年は私も福井には行けずに会う機会がありませんでした。
いつも野菜を送ってくれるので、何か送りたいのですが、何を送っていいかわからないのでいつも悩みます。
節子ならすぐに何を送ればいいかわかるのでしょうが。

昨日は新潟の金田さんから電話がありました。
新潟ももう雪でしょう。
雪は高齢者には結構大変のようです。

今朝は兄から電話がありました。
林檎が届いたので持っていくというのです。
内にも林檎が届いていたのですが、もらうことにしました。

昨日は宇部に行ってきた人がお土産を持ってきてくれました。
彼女が宇部に行くきっかけを私がつくったからでしょうか。

火曜日には花かご会の山田さんが、恒例のカレンダーを持ってきてくれました。
久し振りにみなさんとも会っていないので、翌日、我孫子駅前の花壇に行きましたが、残念ながら今週は作業日ではなかったようで、誰もいませんでした。

今日のお昼は高須さんと食事です。
高須さんは私たち夫婦が仲人をした人です。

そんなこんなで、それなりにいろんな人に支えられて、ほどほどに元気です。
彼岸ほどではないかもしれませんが、現世もいい人ばかりに取り囲まれています。
しかしテレビで見る現世は、いろんな問題で覆われています。
もしかしたら、私はもうすでに半分彼岸に住んでいるのではないかとさえ思います。

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2018/12/06

■節子への挽歌4066:また書きだします

節子
また挽歌をすっかりご無沙汰してしまいました。
どうも最近、怠惰癖が高じています。
朝の般若心経も最近は簡略版が増えています。
人は怠惰になると際限なく怠惰になれるものであることは、以前にも体験していますが、困ったものです。
しかし、ただただ閉じこもっているわけではなく、まわりではいろんなことが起こっています。
でもなんとなく気が晴れない。
どうしてかは自分でもよくわかりません。

ただ矛盾した言い方ですが、ちょっと前を向けるようになってきているのが自分でもわかります。
いろんな人が働きかけてくれることもあるのですが、新しいことへの関心も生まれだしています。
そのせいか、もう30年ほど生きてもいいなという気がしてきましたが、まあそれは無理でしょう。
30年でやれることを3年でやることを考えなければいけません。
怠惰などといってはいられないわけです。

挽歌で書きたいこともたくさんあるのですが、パソコンの具合があまり良くなかったことを理由に挽歌やホームページをさぼっていたら、それになれてしまいまいました。
しかしこんなに間があいてしまったとは残念です。
今日からまたブログを復活します。
たぶん、ですが。

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2018/11/22

■節子への挽歌4065:みかんが熟しました

節子
今日はまた一段と寒いです。
裸足の生活も今日が最後になりそうです。

節子が植えていたみかんが熟しています。
節子は庭に果実のなる木を植えるのをなぜか好みませんでした。
私の好みとは全く反対です。
その例外がみかんです。
今でも覚えていますが、茨城の花屋さんに遠出をした時に、そこで小さなみかんの木を買いました。
なぜそんなお店に行ったのか私には思い出せませんが、節子は時々、知らないお店に行くのが好きでした。
多分誰かから話を聞いたのでしょう。
それで私も一緒に行ったのですが、農地のはずれにある小さなお店でした。
いろいろとめずらしい花の苗を買った気がしますが、最後になぜかそこに会ったみかんの木も買ったようです。
節子が再発する直前だったと思いますが、節子がその木でなったみかんを食べたかどうかも記憶がありません。
お供えしたことはありますが。
しかし、このみかんを見ると節子を思い出します。
昨日は孫が来ていたので、一番大きなみかんをとってプレゼントしました。
たぶんあまり甘くはないでしょう。

こたつに入って、夫婦でみかんを食べながら語り合う。
そういう暮らしが私の理想の老人生活でしたが、体験することはかなわなくなってしまいました。
独りの冬は、ただ寒いだけです。

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2018/11/21

■節子への挽歌4064:ゴーンさんが逮捕されました

節子
またあっという間に、挽歌の番号が1か月もずれてしまいました。
挽歌を書かなくても大丈夫になったということでもありますが、挽歌を書けないほどに気が落ちてきているということかもしれません。

時評編に書きましたが、いま、日産のゴーンさんの逮捕が話題になっています。
背景にいささか政治的なにおいがするのですが、ゴーンさんの写真を見ると思い出すのが、箱根の、たしか十国峠で、ゴーンさんの家族と会った時のことです。
目ざとくゴーンさんを見つけた節子は無謀にも私とゴーンさんの並んだ写真を撮っていいかとゴーン佐藤修に頼んで、私たちをカメラで撮りました。
私はゴーンさんと並んで写真をとっても嬉しくもなかったのですが、節子にはそういう趣味が少しありました。
しかし何と言って節子はゴーンさんに頼んだのでしょうか。
まあそれはともかく、この話には続きがあって、実はその写真は撮れていなかったのです。
メカに弱い節子が動作ミスをしてしまったのです。
ですから写真は存在せずに、ただその思い出だけが残っているのです。
いかにも節子らしいことなのですが。

まあそのおかげで、ゴーンさんを見ると、節子を思い出せるわけです。
ちなみに、節子はいろんな有名人を目ざとく見つける人でした。
鎌倉では永六輔さんを、丸の内では養老孟司さんを見つけました。
もちろん写真を撮ってくださいと歯さすがに言いませんでしたが。
ゴーンさんの時は、例外中の例外でした。
その時には私も節子の意向に抗えずに、ゴーンさんと並んだのです。
念のために言えば、その時も今も、私はゴーンさんには同情はしますが、特別な人などとは全く思っていないのですが。

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2018/11/11

■節子への挽歌4063:たくさんの夢を見ました

節子
昨夜は8時過ぎに寝てしまいました。
疲労がたまっていたせいか、めずらしく4時まで目が覚めませんでした。
4時になっても起きられずに、また眠るでもなく起きるでもなく、2時間過ごしました。
それでもまだ疲労感が残っており、すっきりしません。
外が明るくなってきたので、起きてパソコンに向かっています。
大きな問題は起こっていないようでホッとします。
いい情報も入ってきていませんでしたが。

4時過ぎからうとうとする中で、いろんな夢を見ました。
夢はとても不思議で、前に見た夢の続きまで出てきます。
といっても物語の続きではなく、立負えば、サロンの夢を見たのですが、その準備をしようと思って冷蔵庫を開けたら、以前、誰かからもらったケーキが入っていました。
それは前の夢で見た記憶があります。
こういうことは時々あります。
しかし、その前に見た夢も、実際には今回の夢での「設定」かもしれません。

実際に入ったこともないのに、違う日に見た夢で行ったことのある場所が出てくることもあれば、前の夢で会ったことのある、知らない人に会うこともある。
以前よく見た洪水の夢の時には、同じ海辺の構造物に逃げ込んだ記憶もあります。
そうした「以前見た夢」の記憶もまた、実際にはその時に見た夢での「記憶」かもしれないと思い、一度、記録したこともありますが、たしかに前に見た夢と同じもの遭ったことも少なくとも一度はあります。
しかし、物語がつづく夢は、同じ日には見ますが、私の場合はたぶんありません。

夢と現実が反転している話は、小説などにはあるありますが、やはり私の場合の主軸は、この現実であることは間違いない。
しかし、時に、反転してほしいと思うこともあります。

肉体的な疲労感は少し軽減されましたが、昨日はいろんな夢を短時間に見たせいか、何かいろんなことが心に残っています。
まあ少し経つと、そうした夢のことはほぼすべて消えるのが通例なのですが、実にいろんな人に会いました。
久し振りに父親まで出てきました。
私よりも元気そうでした。
今日は節子は出てきませんでした。

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2018/11/09

■節子への挽歌4062:死後をどう生きるか

節子
中田さんの訃報はちょっと衝撃的でした。
そのせいか、今日はどうも精神的に安定感がないうえに、身体的な不調和音も感じます。
人間は実にもろいものだと改めて感じます。
まあ今日は寒いこともありますが。

昨日も新潟の金田さんからお手紙をもらい電話ももらいました。
電話で話していて、金田さんの今の状況がよく伝わってきました。
金田さんは元気がなくなると私に電話をかけてきます。
電話がある時は、実はSOSなのです。
私の声を聞くと元気になれると言っていたことがあるので、私も金田さんへの電話は元気に対応しなければいけません。
目いっぱい元気な声で対応していますが、正直、私自身もそう元気ではなく、金田さんの話を聞いていると私もそう違わないのにと思ったりしてしまいます。
人はそれぞれ問題を抱えておいて、それほど違わないというのが私の体験知なのですが、私がかつてそうだったように、自分の問題が膨らんでくると、他者のことは見えなくなるものです。

それにしても、中田さんの急逝は衝撃的です。
いつ私も同じようなことになるかもしれません。
死後をどう生きるか、それを真剣に考えなければいけません。

人は自分一人で生きているわけではなく、たくさんの人や物との関係の中で生を営んでいます。
ですから、死で、人生が終わるわけではありません。

それにしても、気のせいか、今日は頭が痛いです。
何ごとも起きなければいいのですが。
めずらしく今日は夜、ホテルでのパーティに参加しますが、今の私にはまったくの場違いなので、いささか憂鬱なのですが、これもまた生きる営みの一つなので、がんばっていこうと思います。
きちんと靴をスーツを身に着けて。

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■節子への挽歌4061:突然の訃報

節子
笹、メールを開いたら、松戸市の市議の中田京さんが急逝されたというメールが飛び込んできました。
つい先日、湯島のサロンに来た時にはあんなに元気だったのに、にわかには信じられない話です。
あの、分厚いファイルを私にもと言って渡してくれました。
松戸市での市議活動の報告のファイルでした。
なんで私にと思ったのですが、何かのメッセージかもしれません。

中田さんとは、緩やかなつながりでした。
出会いは伴侶の阿部さん(政治学者)が縁でした。
阿部さんとはリンカーンクラブで出会いましたが、私の話を聞いて、中田さんが湯島にやってきました。
市議になったばかりか、あるいは直前だった気がします。
知り合いたちに彼女を選挙で応援してほしいと連絡した記憶があります。

市議になってからも、私は何もできませんでしたが、毎月、市議活動の報告を送ってきてくれました。
こういう活動であれば、市議も必要だなと思っていました。
誠実で、主張はぶれず、行動も見事でした。

数年前に、松戸市で「関さんの森」問題が起きました。
環境保護グループの友人から一度見てきてほしいと連絡があり、久しぶりに中田さんに現地を案内してもらいました。
彼女のオフィスにも立ち寄りましたが、赤胴鈴之助のマンガの本が、政治関係の本の中にあって、それをこれはいいでしょうと自慢されたのを覚えています。

サロンに来た時に、今期で市議をやめると言っていましたので、もしやめたらあるプロジェクトを提案しようと思っていた矢先です。
あまりにも突然のことでいささか混乱していますが、1日前まで活動していたことをフェイスブックで見ていましたので、唖然としている状況です。

心よりご冥福をお祈りします。
また信頼できる友人を一人失会いました。

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2018/11/08

■節子への挽歌4060:時空の窪地に落ち込んでしまった気分


節子ますます時間の速度が速まっているようで、追いついていけません。
そこから抜け出したくても抜けられない。
「時」というのは、実に不思議な存在です。

時間と空間はつながっていると言われます。
高速で移動していると時間の進み方がゆっくりになるとも言われています。
ということは、もし活発に活動していると時間の動きは遅くなるのかもしれません。
忙しい時こそ、時間が早く進むと思いがちですが、私の体験では逆です。
最近の私は極度に暇なので、時間の進み方が異様に早いのかもしれません。
そのために時間破産に陥ってしまうわけです。
暇だと忙しくなる、というわけです。
このつながりは、ほかの人にはなかなかわかってもらえませんが、自分ではとても納得しています。
要は、どこかでバランスがとれていないのでしょう。
困ったものです。

畑に行こう行こうと思いながら実は行けていません。
今日は午前中は在宅なので、行こうと思えば行けるのですが、行く気がどうしても起きてこない。
なんだか、時空の見えない落とし穴に引き込まれてしまったようで、動くに動けないでいます。
いい天気なのですが。

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