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2004年5月

2004/05/31

■身勝手な生き方から抜けられません

今日は銀行の人と会っていました。
融資を受けるためです。
あんまり真面目に働いていないせいか、時々、活動資金がなくなります。
元気な時は仕事を増やすのですが、最近はちょっと元気がありません。
それで銀行融資を受けることにしました。
ビジネスローン担当の方に来てもらいました。

先日、あれほど銀行に対して罵倒していたのに、その銀行に支援を頼むなどというのは、つじつまが合いません。困ったものです。

まあこれはほんの一例でしかありません。
なかなか言動を一致させるのは難しいものです。

汗をかかずにお金を得ては行けないと考えながら、宝くじを買ってしまいます。
環境負荷を最小化しようと思いながら、短い距離でも自動車に乗ってしまいます。
テレビを批判しながら、馬鹿げた内容のテレビを見てしまいます。
家事分担をするといいながら、何もしません。
困ったものです。

63歳にして漸くですが、最近、自分の身勝手さに気づきだしました。
しかし、その身勝手さはなかなか直りません。
いや、ますます高じそうです。

今日も私が取り組みたいと思っていることを説明し出したのですが、
銀行の方にはほとんど興味を持ってもらえずに、
「運転資金がいるのですね」
と総括されてしまいました。
確かにそうなのですが、プロジェクトの意義を感じて銀行が寄付をしてくれるかもしれないと思うのが、私なのです。そんなことは夢にも起こらないのですが。

銀行の方は淡々と説明してくれました。
そして親切に、もっと有利な資金調達の方法まで教えてくれました。
この人がもし私のホームページを読んでいたら、こんなに親切ではないでしょうね。
そして、融資はしてくれないでしょうね。
読んでいないことを感謝しなければいけません。

教訓。
弱い立場の人間は権力に異議申し立てしてはいけません。
権力に従うのが賢い生き方です。
銀行がいくら融資してくれるか心配です。いやはや。

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2004/05/30

■朝市の賑わい 

朝、近くの道の駅に野菜を買いに行きました。
朝市でにぎわっています。
朝取りの野菜がたくさん出されています。
みんな生産者の名前が書かれています。残念ながら価格は同じですが。

大量生産主義をやめた場合、流通経路は一新されます。
もしここで売れ残りのリスクを担保できる仕組みができれば、
販売価格を維持しながら、倍のエネルギーと心遣いを生産に向けられるかもしれません。
そうした場合、誰が損をするでしょう。
農薬や化学肥料、農機具が売れなくなり、流通業者が困るかもしれません。
しかし社会的なメリットは大きいです。
環境負荷も医療費も介護費用も減るかもしれません。
その分、損をした人に保証してやってもいいでしょう。
それくらいの経済メリットもあるはずです。

朝市の賑わいは、単に経済活動だけではありません。
そこで触れ合う人間のつながりも大きな効用です。

市の回復。
それこそがまちづくりの基本かもしれません。
市と市場は、似て非なるものです。
朝市に行くといつもそう感じます。

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2004/05/29

■流れが止まらないことへの怒り 

今週はついに「怒り週間」になってしまいました。
最後もまた「怒り」です。

わかっていても流れが止められない、
こうしたことが多いのが気になります。

国民の税金を注ぎ込んでいる大銀行の役員の報酬の報道がありました。
3,000万円近くでした。
これを高いと見るかどうかは様々でしょうが、やはり割り切れません。
自分で稼いだお金であれば、1億円でもいいですが、
国民の税金に依存しながら、相変わらず経営を放棄している経営者が、
国民の平均年収より多いのは納得し兼ねます。

年金制度を子どもたちに教えるための副読本が作られています。
CDも作られています。
それを使って社会保険庁のOBが学校に教えに行くそうです。
それらの予算が2億円以上です。
そして、それらはほとんどが使われていないそうです。
今朝のテレビで、内部告発があったと報道していました。
無駄遣いは一向に直っていないのです。

ついでいえば、
日本の行政のコミュニケーション活動は全くコスト・パフォーマンス意識がありません。
役場に行くとたくさんの、おそらく誰も見ないような立派な資料がカウンターに山積みされています。昨日も美野里町の役場に行ってきましたが、相変わらずたくさん積まれています。それはいずれも市町村ではなく、国や県から送られてくるのです。市町村はそれを受け取らなければいいと思うのですが、そんなことのできる市町村はないでしょう。
資源の無駄や空間の無駄、人件費の無駄。馬鹿げたことです。
行政の無駄遣いは、さらに加速されています。
市町村合併にまつわる無駄遣いはすごいものです。

ところで、下山さんからテレビに関するコメントがありました。
内部告発者にテレビを開放するのはどうでしょうか。
内部告発24時間テレビというのをやったら、そしてできれば毎月1回やったら、テレビの存在価値も回復できるかもしれません。
スポンサー依存のテレビ局では無理な気もしますが、考えてみる価値はありそうです。

ところで、小川さんはとても残念でした。
心より冥福をお祈りいたします。
NHKには思いのある人が時々います。
彼らが横につながったら大きな仕組みができると思うのですが。

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2004/05/28

■家族会の怒りに共感します 

今週は怒りのメッセージが多かったのですが、
表現も含めて、少し品格がないと女房に指摘されました。
それで昨日は怒りをお休みさせたのですが、やはり怒りが静まりません。

拉致被害者家族会に批判メールがたくさん届いているそうです。
昨日見てみたら、横田さんがそれに対して、コメントを書いています。
もしまだの方はお読みください。
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200405/20040525.htm

それにしても哀しいことです。
朝日新聞(まだ止められずにいます)の昨日の朝刊にこんな市民の声が載っていました。

・被害者家族の怒りの言葉を聞いて「ちょっといいすぎじゃない」「小泉さんがかわいそう」と、応援していた気持ちに変化がでました。
・あせる気持ちもわかりますが、批判ばかりしている皆さんを見ていてさみしくなり、テレビを切りました。
・何の権利があっていいたい放題なのか。

きっと素直な意見なのでしょうし、
これだけ読むとうなずく人もいるでしょう。
とても私たちのこころにはいりやすい言葉です。

しかし、私がもっとも嫌いな発言です。
こうした人たちがアウシュビッツを支えてきたのです。
つまり私たちが、という意味です。

統治のための情報体制は整備されてきています。
異論を挟むことのできない社会に向かいだしているのかもしれません。

相手の立場を思いやれない、非当事者たちが、寄ってたかっていじめを行う構造をどうすれば、変えていけるのでしょうか。
米兵のイラク人虐待が私たちの社会でも行われだしているのです。
しかもその本人たちは、善意の顔をして、そのいじめに荷担しています。

朝日新聞の記者の悪意(「善意」の悪意ですが)も感じますが、
こういう発言をした人たちに、怒りを感じます。
しかし、どうして彼らにその怒りを伝えればいいのでしょうか。

あるいは、
私の感覚がおかしいのでしょうか。
その可能性もかなりありますが、
とりあえずは家族会にエールのメールとカンパを送りました。

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2004/05/27

■吉野家の牛丼がなくなったので米の消費が減ったという話 

昨夜、福島市の人から聞いた話です。
吉野家の牛丼がなくなったため、日本人の米の消費量が減っているそうです。
吉野屋はすごい存在だったのですね。感心しました。

我孫子市の生協は山形の高畠町の有機米を扱っています。
高畠といえば、星寛治さんのところです。
1キロ870円です。しかしよく売れるそうです。
このつながりを、私は最近知りました。
我孫子市の生協のメンバーは援農活動に高畠にも行っているそうです。
行動している人はきちんとしています。
私などは理屈だけですので、そうやって行動している人に出会うともう脱帽です。

美味しいお米は、まさに一汁一菜で十分です。
私は「グルメ」ではありませんが、一応味は少しわかります。
美味しいお米は、実に美味しいです。
おかずなどいりません。

吉野屋型の米消費量の促進も否定はしませんが、
やはり米飯のもつ本来の美味しさや健康性を、もっと正面から取り組むべきです。
1キロ870円で売れる米をつくれば、農家も少しは救われるでしょうし。

ところで、私が一番美味しいと思うおかずは漬物です。
しかし、女房には悪いのですが、この40年、美味しい漬物に出合ったことがほとんどありません。ですから、美味しい漬物の味を忘れてしまっています。
たかが漬物と思うかもしれません。
しかし、私は漬物にこそ、日本の文化が凝縮されているように思います。

そうした日本の食文化を壊してきたことを、改めて問い直す必要があります。

食育に取り組む人がまわりに増えてきました。
うれしいことです。
私も食育の雑誌の編集を一度したいと思っています。
友人に提案したら、私には編集長はできないと言われました。
どこかの出版社で、私を編集長にしてくれないでしょうか。
とてもいい企画を持っています。1年間任せてくれるだけでいいのですが。

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2004/05/26

■年金制度の論理矛盾 

もし、年金が自らの老後保障のためだとします。
そうであれば、積み立てた人が積み立てていてよかったと思うように制度設計すれば、それだけですべて問題は解消します。
加入呼びかけは不要です。
未加入であろうと未納であろうと問題にはなりません。
未納者が多ければ、納入者は有利になるはずですから。

もし、年金が同時代の高齢者の生活支援のためだとします。
そうであれば、税金と同じに考えれば、すべて問題は解消します。
保険料などは不要で、税金を高くすればいいのです。
未納者は許されません。
フリーライダーはペナルティーを与えることで解決します。

こういう簡単なことすら整理されておらずに、
政治家も霞が関も制度が難しいとか騒いでいるのですから、お話になりません。
問題は簡単なのです。
2年で時効などと言うのは、前者の発想です。
未納者が3割もいる状況を引き起こしているのも、前者の発想だからです。
にもかかわらず、ある時はしゃあしゃあと後者の大義を振り回すのです。
誠意も知性も全く感じられません。

まあ、これはほんの一例です。
こうしたやり方が、霞ヶ関の部長以上の人と政府のやり方です。
一言でいえば、狡猾で性悪なのです。
霞ヶ関のプライドも知性も、今の部局長には全くないと言うべきでしょう。

ところが、霞ヶ関の若者世代は全く違います。
そこに私は大きな期待を感じます。
その世代が横につながってほしいものです。
そうすれば生活者の知恵や汗とつながれるはずなのですが。

このホームページに出合った霞ヶ関の若手官僚の方が、もしいたら、
横をつなぐ霞ヶ関サロンを始めませんか。
もちろん自分の所属する組織を創造的に破壊するための活動拠点を育てるために、です。
ご連絡下さい。協力します。
このままでは、強欲な中高年者たちに、この国は破壊されてしまいます。

もっとも私も、その強欲な中高年世代なのですが。
これは念のため。

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2004/05/25

■大銀行の業績   

多くの大銀行が業績を回復している中で、UFJ銀行だけが大赤字だという発表がありました。
いずれにもおかしさを感じます。
つい最近まで税金をつぎ込んでいた銀行が、赤字だとか黒字だとかいうこと自体おかしいと思うのですが、それよりも彼らの業績は「社員の今期の実体活動を反映したもの」ではなく、数字操作の結果であることにおかしさを感ずるのです。
赤字であろうと黒字であろうと、当該銀行の社員たちは実感が持てないのではないかと思うのです。
しかも、その背景には、社員たちの、正式には元社員たちの大きな犠牲があります。
組織にとっての黒字が、社員にとっての赤字につながる構造は、どう考えてもおかしいです。利益は、そうした人たちにこそ向けられるべきです。
しかし、誰もそんなことは気にしていないように思えます。
それに会社が黒字だろうと赤字だろうが、振込みなどの手数料は変わりません。

こうしたところに、経済システムの破綻の原因があるのではないでしょうか。

新聞の勧誘がよく来ます。
すごいサービスを提案してきます。
働きかけようによっては、新聞購読代以上のサービスを受けられるかもしれません。
それが可能なのは、おそらく広告料金なのでしょう。
以前もどこかに書きましたが、大新聞がいまや広告メディアであり、フリーペーパーの内容になっています。まもなくマイナス購読料金制度になるかもしれません。
そういう中で、きっと新聞社の人たちは仕事への意欲を失い、ひどい新聞づくりに荷担するようになっているのでしょうか。
いずれにしろ、ここでも仕事の実体と収益構造とは無縁になっています。

私は今の銀行は、ノンバンクやサラ金を支援しながら、社会を悪化させている悪の権化だと思っています。それに荷担しているのが金融庁です。彼らの「不作為の罪」も大きいです。
そうした悪の権化たちの世話にならないといけない自らのふがいなさを恥じなければいけませんが、かくもおかしい金融業界を刷新する人は出てこないのでしょうか。

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2004/05/24

■国民参加の裁判員制度  

司法制度が大きく変わり、新たに国民参加型の裁判員制度が導入されます。
みなさんはどう評価されているでしょうか。

私にはとても違和感があります。
第一に「国民参加」という発想に嫌悪感を持ってしまいます。
何をいまさらです。
それに、だいたい「参加」などとは傲慢です。
「参加」は「する」ものであって、「させる」ものではないのです。
行政の「住民参加」や「市民参加」と同じく、やる気のない人ほど、高い目線で「参加」などというのです。

その前にやることがあるだろうと思います。
たとえば裁判の透明性を少しは高めてほしいものです。
その方がよほど「国民参加」性は高まるでしょう。
被害者の写真すらもちこめない法廷って何でしょうか。
裁判官の私物ではないのです。
オウム事件の裁判ですら、写真さえ撮れずにイラストで紹介。
なんというおかしさでしょうか。
オウムの松本被告がやってきた権威付けどこが違うのでしょうか。

もし参加志向を高めるとしても、いまさら陪審員制度ではないでしょう。
これだけ情報環境が変わっているのです。
時代錯誤もはなはだしいと思います。
少しは勉強しろといいたいです。

法曹界の人たちには自らの社会常識を高めてほしいです。
特殊な世界になっている仲間主義を壊してほしいものです。
正義は六法全書のなかにあるわけではありません。
法は手段であって、しっかりした時代認識と世界観をもった、リーガルマインドが法の意味を決めていきます。
大切なのはそれぞれの生き方です。
生活者の生きた感覚が、専門知識より上位になければいけません。
それは、陪審員制度のようなかたちで取り入れることではありません。
裁判官や検事や弁護士が、そうした感覚を育てなければいけません。
私は、いまどき、このような制度を持ち出すこと自体に、彼らの常識のおかしさを感じます。いわゆる有識者も検討に参加されたのでしょうが、有識者の多くは時代を生きていない人たちだと私は思っています。例外がないとは言えませんが。

裁判にとってもう一つ大事なのは、判断材料です。
つまり、判断するための事実によって、判断は全く変わってきます。
「判断過程」と同じくらい「判断材料の収集と編集」が重要なのです。
そしておそらく今はこちらのほうにこそ問題があるのです。
その解決策のほうこそ大切ではないでしょうか。
これも情報環境の変化によって状況は激変していますが、
それをどのくらい活かしているのでしょうか。

同時に自らの能力を高める努力も必要です。
自分の能力不足を「参加の論理」でごまかしてはいけません。

どうも今回の司法制度改革は、
自らを正さずに、責任逃れをしようとしているのではないか。
地方分権、市町村合併、年金改革、それらと同じ動きの一つのように思えてなりません。

最近、腹立たしいことが多く、少し八つ当たり気味ですが、
ともかく昨今の「制度改革」は、すべて疑ってかかったほうがいいという気がしてきました。
専門家が考えたのだからと安心していてはいけません。

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2004/05/23

■怒った横田滋さんを初めて見ました

昨日、初めて怒った横田滋さんを見ました。
家族会のみなさんの怒りに共感します。

非人道的な国家の支配者に、人道支援をするということは論理的に成り立ちません。
人道支援の名前の下で、また私の税金の一部が、弱いものいじめに使われるのが残念です。
人道支援というのであれば、NGOを通して、北朝鮮の生活者に支援すべきです。

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2004/05/21

■傘を失くしたら探しますか?  

昨夜、仕事で伊東に行きました。
大雨でした。
にもかかわらず、傘を電車の中に置き忘れてしまいました。
まあ、よくあることですが。
伊東を降りた時も、大雨でした。
しかし、すぐにタクシーに乗ったために気づきませんでした。
傘を忘れたことに気づいたのは翌朝でした。
翌朝はいい天気でした。

さてそこで問題です。
みなさんはこういう場合、駅の人に探してもらうように頼みますか。
ちなみにその傘は、ユニクロで買った1000円の折りたたみ傘です。
たぶん多くの人は、失敗してしまったと思うだけで探す努力はしませんね。

私の湯島のオフィスに、傘を忘れて行く人が時々います。
しかし、取りに来た人は10年で2人くらいです。
後の傘は誰のものかわからないままに、私が無断借用したり、
誰かが雨の時に持っていったりで、今は1本しか残っていません。

このことからわかるように、もはやみんな傘など無くしても気にしないのです。
だとしたら、傘をみんなの共有物にしてしまったらどうでしょうか。
忘れた傘はそれを拾った人が自由に使っていいようにすれば無駄がなくなります。
忘れ物の傘を保管しておくのは大変でしょう。
電車に忘れた傘は駅の構内において、みんなで自由に使うようにするわけです。

駅前の放置自転車が問題になりますが(最近は少ないですが)、自転車はすべて共有物にしたらどうでしょうか。無駄がなくなります。
所有者がわからずに、廃棄処分にするよりは、誰かが有効活用したほうがいいはずです。

自転車や傘などは、もうみんなのものと言う概念で、考えてもいい時代です。
もちろん自分だけのお洒落な自転車や傘を持ちたい人もいるでしょうから、
その人たちは自己所有にすればいいでしょう。
所有の概念を、そろそろ変える時期だと思いますが、どうでしょうか。

ちなみに私は持ち物に名前をつけることに反対です。
落とした場合、有効活用されずに無駄になるような気がするからです。
子どもの頃から持ち物に名前をつけるのが馴染めませんでした。
むしろ「拾った人は大事に使ってください」ということを明記できれば、
何かを落とした時に、残念がらずに誰かの役に立ったと言ううれしい気分になれるかもしれません。
どうでしょうか。
いい案だと思うのですが。

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2004/05/20

■鈍感なのは都会人だけ?

ビレッジハウスの山本さんから、とてもいいお話を聴きました。
山本さんが企画デザインした、アウラと言うレストランが二宮にあります。
話題が高まっているところです。
そこには、いくつかの水場があるのですが、
井戸水を使っているところと水道水を使っているところがあります。
トンボが卵を産むのは、井戸水を使った池のほうだけだそうです。
もちろんトンボが集まるのもそちらのほうだそうです。
彼らはしっかりと見分けているのです。

以前、コモンズのほうのホームページに、スズメが稲穂を食べるのは農薬や化学肥料をあまり使わないところだけという話を書いたことがあります。
スズメもトンボも、みんないのちにやさしい本物を見分けます。
知らぬは私たち、都会人だけかもしれません。

たまたま昨日、科学技術倫理フォーラムの杉本さんが、
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」に関する論文を送ってきてくださいました。
いつか許可を得て、ホームページにも掲載したいです。

沈黙の春の警告に関しては、アメリカでは化学者たちによるフォローがあったように記憶していますが、日本ではどうなっているのでしょうか。

興味あるテーマです。
どなたか何か情報があれば教えてください。

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2004/05/19

■ホテルでの出来事

昨日は長野に泊まりました。
そして、それは今朝の4時頃に起こりました。

一人でホテルに泊っていたのです。
右を下にして、横向きに寝ていたのですが、
夜中に後ろで人の気配を感じました。
半分眠りながら、手をそちらに伸ばしましたら、人の指に触りました。
軍手をしているような指で、しかもその軍手?にはアナがあいている感触でした。
ビクッとして、寝返りをうとうとしました。
しかし、どうしても寝返りもうてず、目もあけられないのです。
そのうちに指がスーっと離れてしまいました。
そして、また眠ってしまったのですが、
すぐまた気配を感じて、半分目が覚めました。
今度はだれかが私の手に触ってくる感触です。
今度こそ必死になって目を覚まそうとしました。
寝返りも精一杯がんばりました。
しかし、身体は全く動かないばかりが目も開きません。
そのうちに、触られた感触から相手の手のひらをつかむことができたように思います。
さらに数分、頭を振り向く努力に全力を向けました。
但し、まだ半分寝ている状況です。
何度かの努力の末に、ようやく頭をグッと振り向かせることに成功しました。
瞬時に目も覚めました。
部屋は真っ暗ではなく、外の明かりがうっすら入っていました。
しかし、そこには誰もいませんし、いつの間にか手の感触も消えていました。
もちろん人がいた気配は全くありません。
私は汗をかいていました。

まあ、それだけの話です。
不思議なことに、怖さはありませんでした。
むしろなにか気持ちがやさしくなる雰囲気が残りました。

久しぶりの体験です。
そう言えば、最近は、向こうの世界との交流が途絶えていました。
以前はいろいろと不思議なこともあったのですが。

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2004/05/18

■プラグを抜く難しさ  

新聞をとるのをやめようというお勧めをいただきましたが、
なかなかふんぎれません。
それどころか、
パソコン依存の度合いが高まり、今やパソコンがないと動けなくなりそうです。

最近、どうも主力のパソコンが具合が悪いのです。
買ってから2年半ですが、余計なことばかりしているせいか、具合が悪いのです。
この頃は週に1度、いうことをきかなくなります。
その時間ロスを考えれば、買い直したほうが経済的かもしれませんが、
なかなかその気になれません。
貧乏性なのです。

具合が悪くなったのだから、しばらくパソコンから自由になったらいいのではないかとも思うのですが、最近は仕事も生活もすべてパソコンに大きく依存してしまっているのです。

さて、どうしたらパソコンから自由になれるか。
新聞やテレビを問題にする前に、自らの生き方を改めなければいけないのかもしれません。

生きづらい時代です。


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2004/05/16

■卑怯な新聞でいいのか  

今日の朝日新聞のトップ頁に、コラムニストの早野透さんが、
「卑怯な政治でいいのか」というメッセージを書いています。
こんな内容です。

「(年金保険料未納・未加入に関して、小泉首相をはじめ、多くの国会議員は)法案の衆院通過までは口をぬぐっていた。いかさま賭博みたいな卑怯なゲームである。」

共感できます。
早野さんも書いていますが、
未納や未加入が問題ではなく、それを隠し、嘘をついていることが問題の本質です。
しかも、最高責任者の首相は、
年金制度は複雑でわかりにくい、わかりやすくしなければならない。
などと他人事の発言です。
本当にこの人は首相なのでしょうか。
だれかの傀儡なのでしょうか。

話がそれていますが、
実は私の今日の怒りの矛先は、そんな哀れな小泉首相ではありません。
彼は間違って首相にされた人であり、森首相と同じく、犠牲者です。
能力のない人が、無理な仕事を引き受けた結果でしかありません。

問題は、こうした意志も能力もない人を首相にしてしまう仕組みです。
そして、それに大きく関わっているのが、マスコミだと思います。
その最たるものは、新聞とテレビです。
政治を茶番劇にしたのは、テレビですが、
新聞にもまた、意志や能力がなくなってきています。
今や広告媒体でしかなく、広告料金を高くするための記事でしかありません。
日経で一番発言力があるのは広告部門だという話が、以前ありました。
日経のスキャンダルは、その結果の一つでしかありません。

これまでも、新聞の論調は権力に迎合して、ころころ変わります。
信念も定見も感じられません。
地方分権にしても、市町村合併にしても、構造改革にしても、
小選挙区制導入にしても、年金問題や医療問題にしても、
事実をしっかりと把握し、分析し、洞察し、意志表示するなどという姿勢はありません。
情報をしっかりおさえていたら、もう少しまともな問題設定と編集ができるはずです。

かつて朝日の有名な論説委員が小選挙区制度に関して、私は社内誌の考えとは違うのだがといって反対論を後で語っていた現場に出くわしたことがあります。
自社に影響を与えずして、何が論説委員だ、といいたかったです。
しかも、小選挙区制度が導入された後の話です。
それ以来、私は新聞者の論説委員を信頼できません。

いまの社会風潮を育ててきたのは、新聞やテレビです。
その反省がなくて、何をいまさら、「卑怯な政治」などというのでしょうか。
せめてもう1か月前に言うべきです。
衆院を通過してからいいだすのは、小泉首相と同じです。

新聞社の皆さん。
あなたたちは大きなメディアをもっているのです。
たった一人の若者でも、大きな社会変化を起こす時代です。
それなのにあなたたちは、卑怯な政治に迎合して、
戦いに勝ち目が出てきたら、今度は卑怯とののしり始める。
せめて、リスクをとってがんばっている若者を応援するくらいやってもいいはずです。
しかもそれどころか、あなたたちは、弱い者いじめが得意です。

自分は安全なところにいて、痛みに耐えよ、とかイラク復興を支援しよう、などと言っている、卑劣な誰かと同じではないでしょうか。

そういいながらも、新聞購読をやめられない自分に少し嫌悪感をもちます。
私も卑怯なのでしょうか。

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2004/05/15

■沢蟹の定住 

気持ちのいい朝です。

沢蟹ですが、庭の人工的なビオトープもどき(還暦の祝いに家族みんなで手作りしてくれました)に、うろとをつくり、そこに放しました。心配したのですが、ほぼ1週間たちますが、どうやら住みついてくれたようです。
広島の折口さんの近くの蟹とはちがい、極めて狭い住居ですが、
定着してもらえるとうれしいです。

しかし、やはりお店から購入した蟹は弱くて、
放す前に1匹は死んでしまいました。
沢蟹の飼い方に詳しい方がいたら教えてください。

今日はCWSコモンズのホームページの更新です。
夕方までには書き込みます。
面白い話題があります。
ぜひお読みください。
http://homepage2,nifty.com/CWS/

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2004/05/14

■厚生労働省の犯罪   

またしても信じられないことが起こりました。
明らかに国家犯罪です。不作為の犯罪です。
これまでも繰り返し犯罪を重ねている厚生労働省です。

フィブリノゲン納入先公表問題です。
2月に、このCWSコモンズのホームページのメッセージの欄に次のことを書きました。
再録します。

厚生省とミドリ十字によって引き起こされた犯罪は、いつの間にかうやむやに終わった感じがしますが、
厚生労働省と医療業界は全く何も変わっていないことが、今回のフィブリノゲン納入先公表問題で明らかになりました。
C型肝炎の感染源になったとされる血液製剤を納入した医療機関は7000を超えているといいます。
それを使用された可能性のある患者が検査を受けるようにしていくためには、
そうした医療機関をできるだけ早く公表していくべきですが、
厚生労働省と医療業界は、またしても結託して、事務局分たちの利益を守るために公表を500に絞ろうとしていたのです。
犯罪は繰り返し行われます。
しかも、フィブリノゲンの製造元は旧ミドリ十字の三菱ウェルファーマ社なのです。
信じられない話です。まだ利権のつながりは存続しているとしか思えません。
なぜ彼らには恥の概念がないのでしょうか。

この事件はもう決着したのだと思っていましたが、
今日のテレビによれば、相変わらず公表出来ないことになったということです。
一時、厚生労働省は発表を決めたようですが。
医療機関からの反対で、また止めたというのです。
人の生命を最優先していない医療機関などは、医療機関とはいえません。
むしろ反対している医療機関を公表すべきです。
それができなければ、厚生労働省も犯罪者というべきでしょう。
しかも、これは殺人罪に当たると、私は思いますが、いかがでしょうか。
未必の殺意です。
友人もいるので、ちょっと辛いのですが、
厚生労働省という組織は一体何なのでしょうか。
これでは経済産業省と一緒です。
イラクの戦場でもあるまいし。
しかし、狂気の状況は同じかもしれません。
ひどい話です。

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2004/05/13

■極悪非道な人間はどこにいるのか

書きこみを再開します。
風邪は治りました。

昨日の米国人殺害の映像は衝撃的でした。
この映像の話を聞いて、私自身、一瞬、思考停止におちいりました。

10日に企業経営幹部の方々が、これからの企業のあり方について議論して来た結果を発表する会がありました。発表の前に、私から問題提起させてもらいましたが、そこで、「三菱自動車」と「イラク捕虜虐待」の話をしました。
一見、無縁のようですが、同じ話だと私は思っています。
文化や状況は、人を一変させるのです。
今回の事件も、そうした事件に隣り合わせています。

彼らも、殺害をしたくてやったのではないでしょう。
我々は、彼らの残虐な行為を見て、彼らを極悪非道な人間と決めつけがちですが、
果たしてそうでしょうか。
もし、私も、彼らと同じ立場に立ったら、同じ言動をしたかもしれません。
状況によって一変するのが、人間ですから。
それは決して「極悪非道」ではなく、極めて人間的な行為なのです。

私は、むしろ彼らがそうしてしまった状況をつくった人を問題にしたいと思います。
彼らが極悪非道なのではなく、
彼らを追い込んだ人が極悪非道なのです。
その因果を探って行くと、おそらく、「痛み」とは無縁のところで、ぬくぬくした生活に埋もれながら、必然性の無い、非道な言動をしている人がいるはずです。
しかも、彼らは一人ではなく、「自己責任」など全く感じることのない仕組みの一員であることも少なくないように思います。

そこにこそ、焦点しぼるべきでしょう。

哀しい事件です。
しかし、私が、加害者か被害者かになる可能性は十分あります。
もしこうした事件に、対立構造があるとしたら、
加害者と被害者の対立ではありません。
もっと大きな対立構造があるのです。

このテーマが、私のこの数十年のテーマです。
CWSの二つのホームページのテーマでもあります。

なにやら難しいことを書いてしまいました。
明日からは、また気楽に書きます。

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2004/05/12

空白の3日間

ここに毎日、書きこもうと思っていたのですが、
この3日間、書き込めませんでした。
疲れきっていたのです。
風邪は何とか治りましたが。

その上、不幸続きです。
私だけではないのですが、悪いことが続いています。
気がなくなると、ドッと悪いことが寄ってきますね。
この2日間、とてもめげています。

またCWSコモンズには書こうと思いますが、
昨日は3人の人がやって来ました。
11時から5時まで、相談タイムでした。
3つの壮大な構想の話です。
大学、医療、福祉が、それぞれのテーマですが、
いずれも大きな話です。
それに取り組みたいという3人の人が来たのです。

いずれにも関わりたい気分がしています。
せっかく昨年、いろいろな活動から抜けたのですが、
また新しい活動にどんどん吸い込まれそうです。

世の中には、どうしてこんなに面白いテーマがたくさんあるのでしょうか。
しかも、それをやろうとしている人が極めて少ない。
不思議な時代です。

また時間がさらになくなりそうです。
スローライフとは程遠い生活から、抜けられません。
困ったものです。
心を失わないようにしないといけません。

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2004/05/08

■嘘の蔓延

日本では嘘をつくことが奨励されていると、一昨年、私はホームページで書きました。
読んでくれた人はいるでしょうか。
ぜひ探して読んでください。

学校でも嘘をつくことは結構奨励されているように思いますし、
企業では蔓延しています。
三菱自動車では嘘をつかないと出世できなかったのでしょう。
行政でも嘘は何の疑いもなく、認知されています。
政治家は嘘が中心です。

福田さんは嘘をついたから辞任したのではありません。
嘘をつくために辞任したのです。
そのからくりがなかなか見えてこないところが恐ろしいです。

日本だけではありません。
イラク事件も嘘から始まりました。
ベトナムもそうでした。

最近の新聞やテレビでは、嘘をつく人の話題ばかりです。
最近は誰も彼もうそつきに見えますが、
なかには嘘をつかない人もいます。

嘘をついた人をしっかり記録に残す仕組みは出来ないものでしょうか。
政治家嘘つき番付をどなたか作りませんか。


まだ風邪が治っていないようですね。はい。

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2004/05/07

■カラスのこと

テレビで東京のカラスが少し減ったと言う話を誰かがしていました。
それでもまだ2万羽以上いるそうです。
都民はカラスが嫌いだそうです。
私もそう好きではありません。

カラスを追い払うのは簡単だそうです。
ハチを飼えばいいそうです。
カラスはハチがきらいなのだそうです。
これはローカル・ジャンクションの会で話題になったそうです。
都知事に教えてやればいいと誰かがいいました。
そこで、私が、ハチが増えたら困るんじゃないか、と言ったら、
みんなから、ハチのすごさを知らないと怒られました。
ハチは働き者で、蜜をたくさん集め、人間には役に立つのだそうです。
私の真意が伝わらなかったので話は終わりにしましたが、
今日、カラスの話を聞いたので思い出しました。

カラスはなぜ嫌われるのでしょうか。
ゴミ捨て場を汚すからでしょうか。
地球を汚しておいて、何と身勝手な、などとはいいません。

カラスが黒いからでしょうか。
それにしても最近の若者は何でみんな黒いスーツなのでしょうか。
カラスに憧れているのだろう、などとはいいません。

カラスが賢いからでしょうか。
私も賢いので嫌われているのでしょうか。
いや、自分を賢いなどと言う人は賢くないはずですね。

カラスもミミズも、悪魔も鬼も、嫌ってはいけません。
みんな、いのちでつながった仲間なのです。
我が家では節分の日には、
「福は内。鬼も内。」と言って、豆まきをします。
そのせいか、最近、いいことがありません。
でも、鬼を追い出したら、イラクはもっと悪くなるかもしれません。

風邪で熱があるせいか、よくわからないことを書きました。
しかし、実はこのわからない文章に深い意味があるのです。
なにしろ賢い人が書いた文章なのですから。

それでは寝ます。
おやすみなさい。
明日は、風邪を終わりにしようと思っています。
もう3日間、風邪菌たちに身体を貸してやっていたのです。
もういいでしょう。
出て行ってくれるといいのですが。


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2004/05/06

■常識の間違い

三菱自動車の事件が刑事事件になりました。
被害にあった家族の方は「会社ぐるみの殺人」と話していました。
私も同じ立場なら、そう言うでしょう。

それに続いて、「大きな会社なのに」と言う言葉がありました。
そこが、実は問題なのです。

10年ほど前に、あるフォーラムで、企業の社会性をテーマにしました。
大企業の経営幹部の方が主なメンバーでした。
ある巨大企業の部長が、こう発言しました。
「私たちのような大企業は、社会貢献活動にも取り組み、社会性もある。
問題は、数の上では圧倒的に多い、中小企業ではないか。」

コーディネーター役の私は、さすがにムッとしました。
「そんなことはありません。
中小企業は、反社会的なことをやれば、すぐ批判を受けて、つぶされます。
だから、お客様や地域社会のことをしっかりと考えています。
考えていないのは、みなさんたちのような大企業です。
悪いことをやっても、大企業は、つぶれないのです。」

この意味が伝わったかどうかはわかりません。

私たちは大きな間違いをしています。
大きければ信頼できる。

事実は逆だと、私は思います。
大企業だからこそ、会社ぐるみの殺人的事件ができるのです。
大企業だから反社会的な活動を社会的だと言い変えられるのです。

その典型が、国家です。
今日、米軍によるイラク人射殺の映像がいっせいに流されました。
国家ぐるみの殺人の典型です。

浅田農産の例があるではないかというかもしれません。
しかし、あれこそが典型的なことです。
反社会的なことをすればすぐに淘汰されるのです。
だから、殺人ではなく、自殺になってしまうのです。

常識とは、思考停止のためのツールです。
間違っていても、常識としては成り立つのです。
常識を捨てることも、時には大切です。

ところでオウム組織と三菱自動車の違いはなんでしょうか。
もちろん違うものですが、
組織のこわさを示している点においては同じかもしれません。
「組織の時代」は、終わりにしたいです。

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2004/05/05

■障害者と障がい者

今日もまた仕事です。
しかし、ちょっと風邪気味になったので、ゆっくりのペースです。
漢方と化学薬品の薬とサプリメントと果物と、
まあ手元にあるあらゆるものを昨日は飲みまくりました。
これでよし、とうっかり早々と風呂に入ってしまったのが失敗でした。
状況は悪化しました。
しかし、仕事の締め切りは延ばせないのです。
いやはや。

さて、今日の話題は「障害者」と言う表記に関するものです。
いま、コムケアの報告書を編集しているのですが、
その原稿を各NPOに確認してもらっています。
そこで問題提起を受けたのです。
問題提起したのは、共同作業所づくりに取り組んでいる五十嵐さんです。
とても素晴らしい活動をしています。

五十嵐さんの活動を書いた記事に、「障害者」という言葉が出てきます。
これを私が「障がい者」と書きなおしたのです。
それに対して、五十嵐さんから、こんなメールがきました。

町田市でもこのような表記を使っていますが、私は賛成しかねています。
「害」という字が好ましくないからと言う理由だと聞きましたが、
「害」を「がい」と書いて何が改善できるのでしょうか。

共感しました。
私も、最近は「障がい者」という表記に従っていますが、
問題の本質を見えなくさせることになるのかもしれません。

私は差別語狩りが好きではありません。
行きすぎた動きを、時に感じます。
それに、言葉を問題する人に限って、差別言動を感ずることが多かったからです。
従って、私は、かつては無頓着でした。

しかし、1年前に少し変わりました。
女房の病気が契機です。
それ以来、少し過敏になっていました。

CWSコモンズのホームページに、君が代と日の丸の話を書きましたが、
渡邊さんのメッセージもこたえました。
よかったら読んでください。
日の丸と君が代(2004年3月13日)です。

日和見傾向のある私は、今また迷っています。

障害者と障がい者。
皆さんはどちらを使っていますか。迷いますね。

いや、そもそもこんな言葉があるのがいけないのですね。
五十嵐さんは

世の中には障害者に対する無意識の差別が蔓延しています。
「本当に暮らしやすい社会」と彼らが思う社会は、「障害」、「障害者」という概念
がない社会だと思っています。
人は場面場面によって「助けたり」、「助けられたり」ではないでしょうか。

と言っています。
まさにそうです。
障害者という概念を捨てたいですね。

14年前に、杉並区の児童館の若いスタッフと話したことがあります。
そこで、「障害者」という言葉を使ったら、
「佐藤さんから、そんな言葉が出るのはとても残念です」と言われました。
そのことを時々思い出します。
言葉のパワーは大きいです。

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2004/05/04

■国民の休日

今日は国民の休日です。
お風呂に入りながら、「国民の休日」というのが気になりだしました。
余計なお世話だという気がしてきたのです。

この連休、私は仕事漬けです。
NPO関係の活動であるコムケア活動の報告書をまとめているのです。
その恨みのせいかもしれませんが、ちょっと気になりだしました。

私は15年前までは組織人でした。
会社から給料をもらっていました。
今から思えば、高給でした。
当時は、祝祭日が多いと、何だか得をした気分でした。
しかし、会社を辞めて、個人で活動しはじめたら、受け止め方は全く違ってきました。
時間に対する感じ方が一変したのです。
時間がとても大事になってきたのです。
サラリーマンの意味がわかりました。
私もサラリーマンだったわけです。反省です。

こうした経験から考えれば、
休日とは、組織や制度からの解放なのです。
ですから、組織に属していないものにとっては、マイナスの価値しかありません。
銀行や役場は閉まっているし、人の集まるところは混んでいます。
いいことは何一つありません。

私が政治に最初の不信感を持ったのは、成人の日が1月15日ではなくなったことです。
なんとまあ、瑣末なことかと思われるかもしれません。
しかし、それは歴史や文化や生活のリズムを壊すことです。
許されることではありません。

祭日と休日は、意味合いが全く違います。
祭日は、やるべきことがあるから労働や日常生活をちょっと休みわけです。
休みことに意味があるのではありません。
墓参りをし、子どもと遊び、成人を祝い、憲法を考えるところに意味があります。
休日は、労働や規則から解放されるだけの意味しかありません。
この違いは大きいです。

日本がおかしくなったのは、きっと祭日を休日にしてしまったからです。
ましてや、国民の休日などと、傲慢な名前をつけたのは誰なのでしょうか。
国民の休日は、これからは無視しようと思います。
また祭日も、私はかたくなに昔の日を大切にしたいと思います。
昔の祭日を決めたのも国かもしれませんが、
まあ、そこはあんまり難く考えないことにします。はい。

国家や組織から休日の施しなど、もらうのはやめなければいけません。
そう思いませんか。
また仕事に向かいます。

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2004/05/03

沢蟹騒動

私が好きな動物のひとつが、沢蟹です。
私の夢は(とても小さいのですが)、自宅の庭に、沢蟹と蛍がいることです。
なにせ小さな庭なので、絶望的な夢なのですが。

沢蟹を近くのお店から2匹買ってきました。
520円でした。
本当は買わずに、自然の山沢から見つけてきたかったのですが、
最近はなかなか見つける機会がありません。
友人にも頼んでいるのですが、誰も送ってきてくれません。
そこで、心ならずも、購入してしまったのです。
お店で売っている沢蟹は、あんまり強くないのです。

すぐに庭の池に放すと家出してしまいます。
今までも何回か体験していますので、まずは水槽で飼うことにしました。
ところが、今朝、起きてみると、1人がいないのです。
慌てて部屋中を探しました。
あんまり広くない部屋だったのですが、
そこに我が家の息子が同居していますので、彼に食べられたのではないかと不安になりました。
ちなみに、息子は犬なのです。

幸いに散らかった物品の中に、まぎれているのが見つかりました。
ホッとしましたが、同時にムッとしました。
せっかく居心地のいい生活環境を整いてやったのに、
蟹ですら、ホームレス願望があるようです。

そういえば、昔、湯島のオフィスで、10匹以上の沢蟹を購入して、放し飼いにしたことがあります。
この時は大変でした。
結局、全員が2日で死亡しました。水場がなかったためです。
一応彼らのためにオフィスに一角に水のみ場を用意したのですが、私の善意は伝わりませんでした。
コミュニケーションとは難しいものです。

とまあ、今日はたいした話題ではないのですが、なにやら、イラクや北朝鮮の話につながるような要素があるような気もしないではありません。

今日は一日、仕事です。

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2004/05/02

住民主役のまちづくり計画

茨城県の美野里町というところでは、住民たちを主役にしながら、都市計画マスタープランをつくってきました。
それがほぼ完成しました。
外部協力者として、3年間、かかわってきたのですが、
昨日から、改めてその計画書を読み直しています。
計画と言っても、住民の意見が中心の、いわば住民意見集なのです。
住民の意見がまちづくりの拠り所になるのであれば、
住民意見集をまちづくり計画(都市計画マスタープラン)にしてしまおうという、
美野里町行政の英断で実現した、新しいスタイルの行政計画です。

1700の意見を、改めて読み直しました。
実に生々しい住民感覚がそこにあります。
さまざまな意見がありますから、
編集の方法で、いくらでも方向付けを変えられると思いますが、
その一方で、それらに通底する共通の思いも伝わってきます。
「自分たちのまちをよくするためには汗をいとわない」という思いです。

住民参加の方式は、編集者の意図でいかようにも料理できます。
その思いから、
私は、参加型まちづくりではなく、共創型まちづくりに取り組みだしました。
両者は、似て非なるものです。
取り組みだしてから、もう8年目です。
その原点のひとつが、美野里町です。

そろそろ行政依存のまちづくりは終わらせる時期です。
みんなの意見を読んでいると、改めてそう思います。

今年は、新しいまちづくり組織を制度化するための、条例づくりに住民主導で取り組む予定です。
CWSコモンズのホームページで報告して行く予定です。


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2004/05/01

改憲問題

今日の朝日新聞のトップ記事に、国民世論調査の結果として、
半数の人が改憲に賛成だと書いてあります。

こうした議論の危険さを指摘したいと思います。

改憲って何でしょうか。
もちろん憲法を変える事です。
しかし、憲法を変えると言う事は何でしょうか。

大切なのは、変える内容や方向です。
たとえば平和について言えば、
9条を無くすのも改憲ですし、
9条を非武装化に向けてさらに進化させるのも改憲です。

つまり全く内容が反対なことが「改憲」には含まれています。
プラスとマイナスを足せば、相殺されてしまいます。

こうした記事や物言いには危険があります。
そんなことを編集者や調査者が知らないわけがありません。
何らかの隠された意図があるのです。
まあ、最近の朝日新聞にはそれほどの知性や意思がない可能性はありますが。

改憲論者が何人いるかが問題なのではありません。
大切なのは、改める内容と方向です。
そうしたことがあいまいなまま、議論されることがあまりにも多すぎます。

言葉は吟味したいものです。

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このホームページの書き込みを開始します

いよいよこのホームページに書きこみだすことにします。

CWSコモンズというホームページとの関係が未整理ですが、
このホームページはむしろ「つぶやき」が中心です。
自分の備忘録のようなものです。

もしこのホームページに出合った人がいたら、
ぜひCWSコモンズもみてください。

http://homepage2.nifty.com/CWS/

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ロードオブザリング王の帰還

アカデミー賞を総なめした映画「ロードオブザリング王の帰還」を観ました。
一言で言えば、駄作です。B級映画と言うべきでしょう。
前の2作はテレビで観たのですが、そのせいかまあほどほどの映画と思っていましたが、
今回、劇場でしっかりと観るとあまりのひどさに驚きました。
ハリーポッターの時も同じでした。
こんな愚作がアカデミー賞では、映画はもはや終わったと言うべきでしょう。

なぜかイラク攻撃や経済のグローバリズムと同じ、思考停止と暴力主義的脅迫を感じました。
それにしてもお粗末なシナリオとキャラクターづくり、編集不在と物語不在です。
メイクやキャラクター設定も問題です。
それに根底に人権問題にかかわる醜い含意を感じます。
イラク攻撃と同じ話のように思います。
ケアやノーマライゼーションの視点から考えると到底受け入れられません。
想像力が微塵もない人がつくった映画です。
いや、権力者の手先としてのプロパガンダでしかありません。

とまあ、悪口の限りを尽くしてしまいましたが、
これがあの「指輪物語」と思うと、腹も立ちます。

私は学生の頃、大学に行くよりも映画館に通っていた日が多かった年があります。
3年の頃です。3本立ての映画館をはしごしたこともあります。
映画評論家になろうかと思った時もあります。
映画からの影響はとても大きかったと思っています。
もしそうであれば、最近の映画がどういう人を育てるか、いささかの不安があります。
映画人は、そうした事をもっと考えてほしいです。
映画の持つパワーはとても大きいです。

また当分、映画は観にいかなくなるでしょう。

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