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2004/05/24

■国民参加の裁判員制度  

司法制度が大きく変わり、新たに国民参加型の裁判員制度が導入されます。
みなさんはどう評価されているでしょうか。

私にはとても違和感があります。
第一に「国民参加」という発想に嫌悪感を持ってしまいます。
何をいまさらです。
それに、だいたい「参加」などとは傲慢です。
「参加」は「する」ものであって、「させる」ものではないのです。
行政の「住民参加」や「市民参加」と同じく、やる気のない人ほど、高い目線で「参加」などというのです。

その前にやることがあるだろうと思います。
たとえば裁判の透明性を少しは高めてほしいものです。
その方がよほど「国民参加」性は高まるでしょう。
被害者の写真すらもちこめない法廷って何でしょうか。
裁判官の私物ではないのです。
オウム事件の裁判ですら、写真さえ撮れずにイラストで紹介。
なんというおかしさでしょうか。
オウムの松本被告がやってきた権威付けどこが違うのでしょうか。

もし参加志向を高めるとしても、いまさら陪審員制度ではないでしょう。
これだけ情報環境が変わっているのです。
時代錯誤もはなはだしいと思います。
少しは勉強しろといいたいです。

法曹界の人たちには自らの社会常識を高めてほしいです。
特殊な世界になっている仲間主義を壊してほしいものです。
正義は六法全書のなかにあるわけではありません。
法は手段であって、しっかりした時代認識と世界観をもった、リーガルマインドが法の意味を決めていきます。
大切なのはそれぞれの生き方です。
生活者の生きた感覚が、専門知識より上位になければいけません。
それは、陪審員制度のようなかたちで取り入れることではありません。
裁判官や検事や弁護士が、そうした感覚を育てなければいけません。
私は、いまどき、このような制度を持ち出すこと自体に、彼らの常識のおかしさを感じます。いわゆる有識者も検討に参加されたのでしょうが、有識者の多くは時代を生きていない人たちだと私は思っています。例外がないとは言えませんが。

裁判にとってもう一つ大事なのは、判断材料です。
つまり、判断するための事実によって、判断は全く変わってきます。
「判断過程」と同じくらい「判断材料の収集と編集」が重要なのです。
そしておそらく今はこちらのほうにこそ問題があるのです。
その解決策のほうこそ大切ではないでしょうか。
これも情報環境の変化によって状況は激変していますが、
それをどのくらい活かしているのでしょうか。

同時に自らの能力を高める努力も必要です。
自分の能力不足を「参加の論理」でごまかしてはいけません。

どうも今回の司法制度改革は、
自らを正さずに、責任逃れをしようとしているのではないか。
地方分権、市町村合併、年金改革、それらと同じ動きの一つのように思えてなりません。

最近、腹立たしいことが多く、少し八つ当たり気味ですが、
ともかく昨今の「制度改革」は、すべて疑ってかかったほうがいいという気がしてきました。
専門家が考えたのだからと安心していてはいけません。

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