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2004/06/20

■党首会談の空しさ

NHKで党首会談が放映されました。
用事があったのですが、出発を遅らせてしっかりと見せてもらいました。

感想を一言で言えば、コミュニケーション不在の空しい会議でした。
それぞれが単発的に言いたいことをいい、議論にならないのです。
コーディネーターの問題もありますが、とりつく島のないほど、みんなコミュニケーション志向が欠落しています。
みんな、自分の党の姿勢を見せるための場と捉えているのでしょうが、そうした姿勢からは新しいものは創発されません。それでは会議にはなりません。

いいかえれば、5党首とも、国民のほうを向いているのではなく、自党のことしか考えていないような印象を受けました。
国民を意識した発言を、だれからも聞けませんでした。
小泉首相は相変わらず、質問には答えずに、理屈では正しい一般論的な言葉の羅列を重ねていましたが、もしかしたら彼は本当に「善意」で語っているのかもしれないと感じさせるほど、内容のない話でした。内容がないだけに国民には理解されやすく、それが小泉人気の秘密なのかもしれないと改めて実感しました。知識も思慮もない人ですから、迷いもなく反省もなく、かえって堂々としているのです。国民にはきっと受けるでしょう。
あとの4人は、独裁者に異議申し立てする無能な評論家という構図です。
裸の王様と小賢しい知恵者のすれ違いを1時間見せられてしまいました。

国民の目線をもたない限り独裁者や権力者には勝てるはずがありません。
なぜなら、自らもまた、独裁者のミニ版になっているわけですから。
岡田さんが、もし脱永田町を目指すのであれば、こんな馬鹿げた対応をすべきではないでしょう。
私が発言にわずかながら共感できたのは、共産党だけですが、共産党は全国的なシステムがあるのですから、もっと違った戦略があるはずです。党首会談も、相手の土俵ではなく、もっと自分の土俵を用意し、実際の全国的実践を背景に実践的なコミュニケーションを目指すべきです。

責めあうだけの話し合いではなく、
どうしたら年金制度の改革を進められるか、
どうしたらイラク復興に役立てられるか、
そういうテーマで、もっと共創的な話し合いができないものでしょうか。

責めあいからは何も生まれません。
小泉首相を相手にして、いくら議論をしても意味はありません。
彼には話し合おうという意思はたぶんないのです。
そろそろそれに気づくべきです。
以前ホームページ(CWSコモンズ)に書いたように、
小泉首相はクーデターを起こしたのですから、そもそも話し合う素地はないのです。

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