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2004/06/15

■コミュニケーションできないほどの情報のやりとり  

昨日の記事は、裁判を傍聴して、まだ怒りの気分が弱まらないうちに、急いで書いて、出先からアップしました。できるだけ生の感想を残したいと思ったのです。
もう少し時間をおくと、気持ちが治まり、きれいに書きかねないからです。

今、読み直しました。
やはり感情的で説得力がありません。
記事自体に、「知的レベルと人間的レベルの低さ」を感じます。余計な一言も入っています。消去したい気分です。私の性格の悪さや欠陥を象徴しています。
これは、ネットやメールの怖さを示唆しているのかもしれません。
手紙だと投函するまでに時間があるので、どこかでストップがかかり、表現が直される機会がありますが、メールは即座に発信できます。まさに瞬時です。私のように、ほとんど読み直すこともなく、発信するタイプにとっては、便利ですが、生々しすぎて誤解や反発を与えてしまうこともあるでしょう。それではコミュニケーションは成立しません。

ネットやメールは、情報伝達量を激増させましたが、コミュニケーションを激減させたのかもしれません。佐世保の事件は、その結果なのかもしれません。コミュニケーションできないほどの情報のやりとりが可能になったのです。

昨夜は大学時代の仲間と会食しました。
そのひとりは、3月まで日本弁護士連合会の事務総長でした。
いまの司法改革に取り組んでいる情熱家です。
そこでの話はCWSコモンズに書きこみます。

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