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2004/06/07

■ユニバーサルデザインへの違和感 

ノーマライゼーションへの違和感について以前書きましたが
今日はユニバーサルデザインへの違和感です。
4日のユニバーサルデザイン生活者ネットワークのシンポジウムで話したことの一部を少し書きます。補足しながら。

ユニバーサルデザインという言葉が広がっています。
この分野で活躍している中川聡さんは、「あらゆる使い手に快適で使いやすい環境やモノを提供することを目指す社会的な意識や態度」と定義しています(「ユニバーサルデザインの教科書」)。
誰にでも使いやすいことを目指す設計思想。なんとなくわかったような気になる言葉ですが、商品や空間を設計する際には、「使いやすさ」を重視するのは当然であって、何をいまさらという気がしないでもありません。しかし、なぜかこの言葉が流行しています。いかに、そうでない状況になっているかの現われかもしれません。

ユニバーサルデザインには有名な7原則があります。
原則1:誰にでも公平に利用できること
原則2:使う上で自由度が高いこと
原則3:使い方が簡単ですぐわかること
原則4:必要な情報がすぐに理解できること
原則5:うっかりミスや危険につながらないデザインであること
原則6:無理な姿勢をとることなく、少ない力でも楽に使用できること
原則7:アクセスしやすいスペースと大きさを確保すること
どうですか。退屈でしょう。
当たり前すぎるほど当たり前であり、しかも言葉があいまいです。
なぜこんな内容のない言葉(概念)が流行するのか。

誤解のないようにいえば、ユニバーサルデザインへの関心の高まりはとても良い事だと思っています。ただ、その取り組みが、概念の吟味もせずに、言葉だけが安直に広がっていることに違和感があるのです。

そもそも「ユニバーサル」という言葉に違和感があります。ユニバーサルな発想で、本当に使いやすさが生まれるのか、むしろ作りやすさのための発想ではないか、などとひねくれて考えてしまうのです。
もっとも、中川さんによれば、ユニバーサルには本来「個を目指す」という意味があるそうです。「誰にでも」という意味は、「様々な個人一人ひとりにとって」ということなのです。でも何か違和感があります。

言葉はともかく、重要なことは、こうした動きの中に、作り手からではなくて、使い手、つまり個人の具体的な生活から発想するという視点の転換が込められているということだと思います。
提供された商品や環境に使い手を合わさせるのではなく、使い手に合わせた商品設計ということです。それも、目指すところは、マスとしての客観的な使用者ではなく、それぞれに事情をもった使い手、生活者ということです。

だとすれば、ユニバーサルデザインとは作り手にとっての商品開発のためのデザインではなく、使い手の生活支援のためのデザインということになります。
まさに、私の言葉でいえば、組織発想から個人発想へのパラダイムシフトです。
デザインの対象が変わったという点も重要です。もちろんデザインのプロセスも変わります。

ところで、生活は一人一人によって表情が違います。
ですから、実は誰にでも使いやすいということは、実は誰にでも不満が残るということでもあります。
カスタムメイドではなく、量産を基本とする企業と個人事情を持った生活者をどうつなげていくか。ここにユニバーサルデザインの大きな課題があります。
それは、実はモノづくりの思想や産業の枠組みを根底から変えることなのです。

しかし、今のユニバーサルデザイン議論には、そうした視点があまり感じられません。
これまでのパラダイムの延長でしか考えられておらず、ユニバーサルデザインは改善策なのです。
ユニバーサルデザインを、これまでの発想の先に位置づけるか、これまでの発想を壊す視点で考えるかで、内容は大きく変わります。
ちょうど、地方分権と地域主権が全く正反対のものであるにもかかわらずに、混同して議論されているのと同じです。百害あって一利無しです。

長くなりました。まさに論文ですね。いやはや。
読む人も飽きたでしょうが、書く私もつかれました。
なかなか書きたいことに辿り着けません。
メディアをまちがったようです。すみません。

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