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2004年7月

2004/07/15

■花の名前

我が家のミニミニビオトープには時々、パピルスががんばっています。
残念ながら冬を越せたことがないのですが、懲りずに春に購入してくるのです。
土着の花木が望ましいとは思うのですが、パピルスが好きなのです。

そういえば、我が家の庭の花木の多くが、なぜかカタカナの名前です。
カタカナにしたほうが売れるからでしょうか。
それともみんな外来種なのでしょうか。
私の机に置きたくなる花も、どうも最近はカタカナ品種です。

そういえば、カタカナ用語を漢字に変えようという、馬鹿な答申をした有識者委員会がありましたが、あれはどうなったのでしょうか。

選挙で社会がますます嫌いになった私としては、
できるだけおとなしい話題に気を向けていますが、
どうしてもついつい「愚痴」や「批判」が出てきますね。
いやはや、まだまだ人間ができていません。
このブログも少し休みましょうかね。
朝青龍も昨日、連勝をストップしたことでもありますし。

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2004/07/14

■花の水やり

我が家の庭における植物の密度はすごいです。
生物多様性の大切さが叫ばれていますが、とても狭い空間に数百種類の多様な植物が共生しています。平等に支援して行くためには、たっぷりと水をやらねばいけません。
しかも高台のため、風が強いのです。
ですから朝晩の水やりが欠かせません。
私も時々ですが、担当します。

ただ水をやればいいのではありません。
一つひとつの花木の表情をみながら水をやらなければいけません。
作業としては大変ですが、実にぜいたくな時間でもあります。
こうした時間が最近はどんどんなくなってきているのです。

環境問題が叫ばれていますが、
人と自然とのふれあいがなくなったのが最大の問題かもしれません。
花に水をやる時間の幸せはなんともいえません。
毎回、とても幸せになります。
選挙のことなどすべて忘れられます。はい。

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2004/07/13

■沢蟹に最近会えません 

私の還暦の祝いに、家族がミニミニビオトープをつくってくれました。
3年もたつと、それらしい雰囲気も出てきました。
そのビオトープのどこかに、沢蟹と赤手蟹が住んでいるはずです。
といっても、この1か月、会ったことがありません、
放し飼いにしたときは、きちんと住処を作ったのですが、
毎朝、覗きに行っているうちに、いつの間にかいなくなってしまいました。
過干渉だったのです。
しかし、まあどこかに生息しているとかたく信じて、時々餌を与えています。

見えないところに、私の蟹が住んでいるというのはちょっと楽しい気分です。
もっとも、我が家の庭には他にもモグラと土蛙もいるようです。
彼らに食べられてしまったのではないかと家族はいいます。
庭から出て行ってしまったのではないかという意見もあります。
そう言えば、今まで蟹が定着したことがないのです。

しかし、今回は必ずどこかに棲んでいると確信しています。
何か彼らの気を感じるのです。
来春、沢蟹の子どもが庭にあふれてくることを期待しています。

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2004/07/12

■選挙結果への失望   

11日の参議院銀の選挙結果には失望しました。

まず投票率。事前の調査では、必ず投票に行くという人が50%以上いたはずですが、相変わらずのこの低さは何なのでしょうか。もうみんな諦めているのでしょうか。
次は結果です。新聞では自民が負けたとありますが、あれほどのことをやりながらこの結果では、むしろ勝ったというべきでしょう。民主党が伸びたのは、二大政党制のもとで共産党と社民党を吸収しただけの話です。
見方によっては、自民圧勝といえるかもしれません。

そして、テレビでコメントする人たちのひどさにもあきれました。
田原総一郎は論外として、もう少しまともな報道や評論ができないものでしょうか。
選挙はいまなお、金儲けのお祭りでしかないのですかね。

少し期待していただけに、前回に次ぐショックでした。
気力も萎えました。
もう勝手にやったらいいと思いたくなります。
信頼できるのは自然だけですね。
人間社会に期待してはいけません。はい。

ちなみに、二大政党制の意味が、少しは見えたでしょうか。
以前も書きましたが、政党政治はもはや過去のものであり、
なかでも二大政党制は最悪の仕組みです。
全体から発想する時代には意味はありましたが、個人から発想する時代には全く時代錯誤の制度です。

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2004/07/11

■明るい非暴力マニュアル  

2日前の「平和に取り組むことの覚悟」の記事に、一輪庵のブログがトラックバックしてくれました。
早速、そのブログを読ませてもらいました。
グサッと来ました。

そこにこう書かれています。

>相手の良心の最善の部分に呼びかけるのが、非暴力的手法というものです。効果はゆっくりしか出てこないかも知れませんが、戦争という暴力で人間が押しつぶされるのはイヤだ、という思いがあるのなら、まずは自分自身が、怒りや憎しみの連鎖を断ち切るよう、少しだけ努力してみて下さい。

そうでした。最近、この心を忘れていました。
心が荒んでいたのです。
島田 理聡さん、ありがとうございました。

今日はコメントを書きません。
もしお時間があれば、一輪庵のブログを読んでみてください。
前後もぜひお読みください

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2004/07/10

■税金を湯水のように使う首相のアカウンタビリティ  

財政赤字といわれますが、私の知る限りでは、中央も地方も、依然、無駄遣いは減っていません。霞ヶ関は、相変わらず形だけのプロジェクトにたくさんのお金を出していますし、助成金はむしろ増えているように思います。

私が一番気になるのは、イラクにしろ、北朝鮮にしろ、
私たちにはわからないままに、税金が湯水のように使われていることです。
そして、その大きな判断基準が、首相の自己利益に拠っているように思えることです。
かつて「外交機密費」なるものが話題になりましたが、
ここ数年の首相官邸が使った費用の内訳は公表されるのでしょうか。
「官官接待」や「議員の公費転用」などが糾弾されていますが、小泉首相の乱費に比べれば、かわいいものです。
企業経営者には背任訴追があり、賠償を要求できますが、
首相には背任と言う概念はないのでしょうか。
かなり高額なお金を使っているわけですが、
少なくとも、その大枠は公表されるべきです。

しかし残念ながら、行政が使う費用実態はなかなかわかりません。
なにしろこれだけの赤字になりながら、倒産もせずに借金がふやせるのです。
実態がわからないようになっており、責任が特定できず、
国民への説明のための数字はいかようにも創れるようになっているのでしょう。

しかし、それを支えているのが、私たち国民です。
いまなお小泉首相をお金ももらうことなく支援している人がいることが不思議ですが、
それは今なお麻原某に帰依する人がいるのと同じことかもしれません。

曽我さん家族のインドネシア報道を見ていて、どうもすっきりしません。
お金で処理し、お金で着飾る文化は、私たち国民の隅々にもう行き渡っているのでしょうか。果たして、それでいいのでしょうか。国民も騒ぎすぎです。関心を持って応援していくのと、騒ぐのとは違います。

私には最近の政府のやり方が、北朝鮮化しているように思えてなりません。
国民も同じです。
国民のレベルに合った首相しか選べないのでしょうね。
多数決原理は、まさに少数者支配のためのツールであることがよくわかります。
反省しなければいけません。

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2004/07/09

■平和に取り組むことの覚悟

新聞では多分報道されていませんが、7月4日に行われた、ワールド・ピース・ナウのピースパレードで事件が発生しました。3人の参加者が逮捕されたのです。
私は最近、参加できていないのですが、メーリングリストで知りました。
なぜ逮捕されたかは、メーリングリストの情報しかありませんが、非暴力をかかげているピースパレードで、こういう事件が起きるのはとても残念です。
私が参加した時には、いつも楽しい雰囲気でしたし、警備の警察官も好意的でした。
しかし、今回は違ったようです。
7月6日には、逮捕された3人の自宅や、WORLD PEACE NOW実行委員会の連絡先である「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の事務所が家宅捜索を受けたというのです。この事実だけで、背景が見えてきます。
早速、WORLD PEACE NOW実行委員会は抗議を呼びかけました。
みなさんもぜひWORLD PEACE NOWのホームページを見てください。

国家の平和と生活者の平和は対立概念なのです。
個人が平和に取り組むことは覚悟がいるのです。
逮捕や家宅捜査の危険を犯してまで、皆さんは平和に取り組みますか。
私は正直、躊躇します。
三菱自動車の社員も、きっとそうした葛藤に悩み、動けなかったのでしょうね。

さて、どうするか。
答えが出ません。
田舎暮らしをするか、金儲けのビジネスにのめりこむか。
そうしたい気持ちが高まっています。
歳と共に、気が弱くなり、防衛的になってきました。
恥ずかしい限りです。

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2004/07/08

■プロ野球への違和感  

私はプロ野球にほとんど関心のない人間です。
一度も観戦にいったことはありません。
そういう人の意見として聞いてください。

いよいよ1リーグ制に向かっての動きが現実のものになりました。
しかし、選手やファンを無視した、オーナーたちの密室会談で進められているためか、批判が多いです。たしかに、老人たちにいいように扱われているような気がします。それに対して、ファン離れが進まないかなどという、内容のないコメントが多く、建設的なコメントはあまり聞けません。

選手たちは不安でしょう。反旗を翻したくても、翻しようがありません。自らの首をしめかねないからです。選手会の古田さんのコメントは、極めて良識的で、共感できます。しかし、どうしたらいいかは難しい問題です。

私がプロ野球に対して違和感というか、反感を持つ点は、二つあります。
まずは優勝時のビールのかけあいに象徴される姿勢です。見ていて不愉快になります。
大げさに言えば、資本主義の悪しき側面を象徴していますが(大きな意味を含意しているように思います)、しかし、それはまあ、たいした問題ではありません。
一番の違和感は、契約金や年俸の高額なことです。
確かに大変な努力と選手寿命の短さなど、説明はいろいろあるでしょう。
しかし、額に汗して働いている人から見れば、夢のような話です。
プロ野球選手だけではありませんが、こうしたタレントたちの契約金の額が話題になるたびに、経済の崩壊を実感します。

しかも、不思議なことに、その高額な年俸をファンが喜んでいることです。
高額な年俸を得る選手がいる一方で、安い給料しかもらえない選手もいる。
しかも、そうした人たちが同じチームを構成している。
権力管理型組織です。
とても人間の組織とは思えません。
金で動機付けられただけの組織にしか感じられません。
そうした組織であればこそ、金の世界を抑えているオーナーたちの私物になりうるわけです。
選手たちは自立した存在ではないのです。
稼ぐための組織の要素でしかありません。そして、選手はそれに甘んじているようにしか思えません。年俸を競いあうことの意味にすら気づいていないのです。

もし高額な年俸の一部が、自らの立場の自立性やプロ野球の発展の正常化に使われていたら、こうはならなかったかもしれません。
現状は自業自得と言うべきかもしれません。

プロ野球だけが問題なのではありません。
お金至上主義の社会の、一つの象徴がそこにあります。
まだまだバブル経済は続いています。

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2004/07/07

■選挙に行きましょう  

11日が選挙です。
私たちの生活を大きく方向づける選挙だと思います。
いろいろ迷うことはありますが、
ここは大きな視点で、ぜひ自分の未来を選択したいものです。

ちなみに、11日に用事がある人は、最近は簡単に事前に投票ができるようです。
ぜひ市役所などに行って、投票してください。

選挙結果がどうであれ、私たちがしっかりと考えて投票するのであれば、
納得できるはずです。
いずれにしろ、歴史を方向づける選挙に参加できるのです。

最近の政府のやり方を見ていると、いかにも選挙対策とつい詮索したくなりますが、
そんなことでごまかされるようならば、それもまた仕方がないことです。
しかし、そんなことにはならないでしょう。
楽しみです。

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2004/07/06

■殺人罪の償い方   

今日は暴論を書きます。

16年前に殺人を犯した人が10年の刑期を終えて、出所し、また同じような事件を起こすということが起こりました。
殺人事件を起こした人の再犯率は高いそうです。

やりきれない気がしますが、刑罰のあり方を見直すべき時期だろうと思います。
「眼には眼を」がやはり原則であるべきです。それも最小の、です。
殺人に対しては、死刑よりも重い刑罰を与えるべきでしょう。
もちろん、冤罪や特殊な事情を無視しての、原則の話です。

社会を維持していくためには、子供が納得できる原則を大事にすべきです。
そして、子供の犯罪に関しては、もし子供を特別扱いするのであれば、親を罰するべきです。親を罰しないのであれば、子供も厳罰に処すべきです。今の状況は、論理整合していません。
人を罰するのではなく、罪を罰するとは、そういうことだと思います。
必殺仕事人の中村主水やチャールス・ブロンソンの「狼よさらば」シリーズのポール・カージーの人気は、人間の素直な気持ちの現れです。

それはともかく、私が奇異に思うのは弁護士の役割です。
弁護士が弁護すべきは、被告ではなく、社会ではないかと思います。
不法に裁かれない社会を守るために、弁護制度があるのであって、個人としての犯罪者を守ることが目的ではないはずです。
殺人の罪を問われている状況を正すことと、明確な殺人者をかばうことは同じではありません。その境界は難しいですが、明確な場合もあります。

「犯罪者の人権」という表現がありますが、犯罪者はその犯した犯罪の大きさによって人権が考えられるべきです。人を自分の都合によって殺した人に対しては、生きる権利はよほどの条件がなければ認められるべきではありません。
そしてまた、犯罪者を厳しく罰することこそ、犯罪者のためになることもあるのです。
そこを勘違いしているような気がしてなりません。
弁護士のミッションがいい加減に考えられているように思います。
たとえば、オウム事件の弁護士の言動には大きな違和感があります。

ついでいえば、検事が守る対象もまた、社会です。
権威や制度ではなく、社会です。

法は、誰のためにあるのでしょうか。

大学(法学部でした)でしっかり講義を聴いた先生が二人います。
憲法の小林直樹さんと刑法の団藤重光さんです。
卒業して40年ですが、その講座がとても懐かしいです。
日本が法治国家であるということの意味が、最近ちょっとわからなくなってきました。

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2004/07/05

■生産者と消費者がリスクをシェアする経済 

梅雨だというのに、夏のような天気が続いています。
雨が少ないのが気になります。
昨年は雨が多く日照が少なかったので、果物は美味しくなかったですし、お米も不作でした。気候に大きく影響される農業や果実栽培は大変だったようです。
今年は、その反対で、日照も多く、今のところ果物は美味しいです。
しかし、今年の夏はどうなるのでしょうか。

果物や農作物が、天候に振り回されるのは仕方がないことです。
それを克服しようと、さまざまな努力が行われてきました。
身勝手な自然に負けない品種改良も進んできました。
その延長に、農業の工業化がありました。

一見、これはいいことです。
農業生産者にとっても、消費者にとっても、いいことのように思います。
しかし、私はここにこそ大きな問題があるような気がします。
もう一度、自然とともにある食材のあり方を考える必要がありそうです。

生活者は、すでにそうした動きを身体的にはじめています。
身土不二、地産地消、自家栽培、生産者とのつながり志向。
次は、自然に影響される労働成果のリスクをシェアすることかもしれません。
冷夏などによる不作のダメッジは、消費者も負担する仕組みができれば、食の安全性はさらに進められるかもしれません。
生産者のコストと消費者のコストの取り合いの構図が、三菱自動車の悲劇を起こしたことから学ぶことがたくさんあります。

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2004/07/04

■ショッピングセンターの賑わい 

近くに大型ショッピングモールができました。

その一画は、以前から大型店舗が集積していました。
家電のコジマとヤマダ電機。家具のニトリ。スーパーのジャスコ。ホームセンターのケーヨー。他にも20店舗くらいが集積しています。そこにさらに、大型ショッピングモールです。そこにはホームセンターもスーパーも入っています。

こうした巨大なショッピング空間ができることは、消費者には好都合です。同業が隣地しているために、価格は安いですし、さまざまな店舗があるので、ほとんど何でも間に合うので便利です。それに、レストラン関係もさまざまありますし、それなりのショッピングの楽しさも味わえます。

こうやって、どんどん商業空間は大型化していきます。
大きいところに人が集まり、人が集まると、元気になって、商品の鮮度も高まります。
しかし、どこかに落とし穴がありそうです。

私の近くに、イトーヨーカ堂系のエスパというスーパーがあります。
近くに、いくつかのスーパーがありましたが、そこが一番大きかったこともあって、一人勝ちになってきました。我が家もほとんどがそこで購入するようになりました。生鮮食品の鮮度もよかったです。店内に競合する店舗も入っていました。
しかし、そのため、近隣のダイエーや東急が閉鎖になりました。
その途端、エスパの価格が高くなりました。
さらに、近くに大きなマンションが建設され、数百世帯が一挙に転入してきました。需給関係が大きく変わりました。
価格はさらに高くなり、店内競合店も閉店し、品質も悪化してきています。
しかし、もはやそれに勝つだけの大型店舗は近くにはありません。

大型化は本当に消費者や社会にとって望ましいことなのでしょうか。
9月に山形市で商店街のサミットをやる予定です。
そうした問題も少し考えて見たいと思っています。

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2004/07/03

■問題の根源と情報社会の本質  

またか、と思う報道です。
核燃料サイクル費用の比較が10年前に試算されていたにも関わらず、経済産業省や「有識者」は、その存在を否定していたというのです。
こうした「嘘をつく事件」は毎日のように報道されています。
前にCWSコモンズで、
「嘘の上に成り立つ社会のありように疑問を持ちましょう(2002/2/7)」というメッセージを書いたことがありますが、時代はますます「嘘つき時代」に向かっています。


社会における、ほとんどすべての問題の根源は情報基盤の違いにあります。
そして、その情報基盤の共有化を妨げるのが「嘘」の存在です。
つまり、嘘をつくことから、ほとんどすべての問題が始まるのです。
そして、嘘を見逃すことで瑣末な事件が大きくなっていくのです。
夫婦の離婚も三菱自動車の事件も、イラク事件も戦争も、です。

不幸なことは、情報基盤の違いが、経済利益や政治権力の源泉になることです。
そのために、故意に嘘をつく人が後を絶ちません。
その利権に群がって、嘘を見過ごす人も多いのです。

今、急速に進んでいる情報社会の最大の特徴は、情報共有化を促進することです。
つまり、嘘をつけない社会が、情報社会の本質です。  
いまは、そこへの過渡期として、さまざまな事件が起きているわけです。
三菱や霞ヶ関のような大きな組織は、まだその本質を理解できていません。

朝日新聞によれば、
「(その)資料は、1994年2月4日に開かれた旧通産省の総合エネルギー調査会・原子力部会作業部会の非公式会合に提出された。

会議の議事要旨によると、通産省は試算の公表を提案したが、電力会社や研究開発期間の代表から〔中略〕(公表に対して)慎重発言が相次いだ。結局、こうした意見に配慮して試算の公表は見送られた。

ここから2つのことが読み取れます。
そうした部会のメンバーは、おそらくいわゆる「有識者」です。
そうした「有識者」は嘘をつく種族だということです。
実はその呼び方にすでに含意されているのですが、
自らが持っている「知識(情報)」を制度のために、つまり自己利益のために秘匿するという性向があるのです。情報を独占することで、自らのアイデンティティを守るのが「有識者」です。情報の共有を加速させようとする「内部告発者」とは反対の性向を持っています。

もうひとつは、会社の事情が最優先される経済優先社会の現実です。通産省は電力会社に勝てません。医師会に勝てない厚生省と同じです。要は、経済、つまりお金には勝てない構造になっているということです。結局は、それが会社や政府に損害を与えることは三菱自動車の事件やオゾン戦争事件で明らかですが、その時には誰かが利益を得られるのです。

知りながら情報を公表できない組織人の「霞が関官僚」の多くは辛い立場です。だから辞めてしまう人も少なくないのかもしれません。そういう状況にしてしまう、組織のあり方は問題です。組織の機密管理のあり方は問い直されなければいけません。

組織人ではない「有識者」はどうでしょうか。彼らの多くは、発言できるはずです。
知っていながら情報をみんなに知らせない「有識者」にはモラルというものがあるのでしょうか。

出生率の問題もそうですが、知っていながら情報を漏らさなかった人たちがたくさんいます。そうした人たちの名前を公表したらどうでしょう。組織を守った「勇気」ある人という捉え方もできます。責める必要はないかもしれません。
しかし、組織を超えて、もっと大きな組織のために情報をもらしてしまう「勇気」も、これからは必要です。
みなさんはどちらの「勇気」に拍手を送りますか。
またみなさんならどうしますか。
問題の根源は深いです。

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2004/07/02

■フセインの主張 

フセインの裁判が始まるようです。
真実がもう少し見えてくることを期待します。
この種の裁判は、「裁く」ことよりも、「真実を明らかにし繰り返しが起こらないようにする」ことのほうに意義があると思います。そうなってほしいものです。そうなれば、歴史は変わるでしょう。

テレビで見るフセインの主張は、いろいろな問題を提起しています。
私にはわからないことばかりです。

「私はイラクの大統領だ」と言う主張に対してどう考えればいいのでしょうか。
どういう経緯の中で、彼は大統領でなくなったのでしょうか。
イラクの憲法ではどうなっているのでしょうか。
憲法よりも米国占領軍の意思のほうが優位にあるのでしょうか。
戦争に負けたから政府が崩壊したと考えるのでしょうか。
しかし、そもそもイラクは戦争をするといったのでしょうか。
ただ米軍が攻めただけだとしたら、侵略でしかありません。

イラクのクエイト侵攻との違いはなんでしょうか。
たしかにフセインは独裁者で、人民に圧政を敷いていたかもしれません。
それといまの小泉首相とどこが違うのでしょうか。
殺人が容認されていたところが違いでしょうか。
たしかに私刑的な死刑が行われていたような報道はあります。
でもそれは本当なのでしょうか。
私たちが住んでいるのは「総理大臣が虐殺を公然と支持している国」なのですから、というコメントも、寄せられています。
もしそうなら、どこが違うのか。
この国はまた、自殺が3万人を超えた国でもあります。
自殺は間違いなく「政治」の結果です。
どうもよくわかりません。

金正日は国民だけではなく、隣国の国民を拉致するという、国を超えての犯罪を行いました。
したがって他国から攻撃されても仕方がないと思うのですが、
その犯罪者には援助を与え、その体制を支援し、
一方の独裁者には暴力的に国家を破壊して、大統領の地位を剥奪する。
どうも頭が整理できません。

国際法をもっと学んでおけば良かったです。

フセインが正しいといっているわけではありません。
ただただ、わからないのです。
フセインとブッシュと小泉。みんな同じに見えて仕方がないのです。
もしそうであれば、裁かれるのはみんなであってほしいです。
しかし犯罪者をトップにいだく国家や組織があまりにも多すぎます。
国家や組織のもつ本質なのかもしれません。
指輪物語の指輪のようなものですね。

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2004/07/01

■「食道楽」の人 村井弦斎 

黒岩比佐子さんが3年かかって書き上げた本を贈ってきてくれました。
岩波書店から出版された「『食道楽』の人 村井弦斎」です。
またCWSコモンズのブックのコーナーで紹介させてもらいますが、本格的な評伝です。

まだ読んでいないので内容紹介はできませんが、
とても安心できる本だなと感じました。

本は持ってみるとすぐに相性がわかります。
そばに置きたくなる本とただ読めばいい本とにわかれます。
帯もとても正統的で安心できます。
最近の本はインクのにおいがあまりしないのが残念ですが、
岩波書店らしい、いい作りです。

村井弦斎といっても、おそらくみなさんも知らないでしょう。
書店にもそうは置かれないでしょうから、皆さんの目にはなかなか入らないでしょう。
しかし、こうした正統的な書籍の出版はみんなで応援したいです。
まずは名前だけでも知っておいて下さい。
できれば、次の日曜日に更新するCWSコモンズのホームページでの紹介記事も読んでください。
もし私が読めない場合は次の週になりますが。

明日、我孫子市の図書館に購入希望を申し込んでこようと思います。

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