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2004/07/02

■フセインの主張 

フセインの裁判が始まるようです。
真実がもう少し見えてくることを期待します。
この種の裁判は、「裁く」ことよりも、「真実を明らかにし繰り返しが起こらないようにする」ことのほうに意義があると思います。そうなってほしいものです。そうなれば、歴史は変わるでしょう。

テレビで見るフセインの主張は、いろいろな問題を提起しています。
私にはわからないことばかりです。

「私はイラクの大統領だ」と言う主張に対してどう考えればいいのでしょうか。
どういう経緯の中で、彼は大統領でなくなったのでしょうか。
イラクの憲法ではどうなっているのでしょうか。
憲法よりも米国占領軍の意思のほうが優位にあるのでしょうか。
戦争に負けたから政府が崩壊したと考えるのでしょうか。
しかし、そもそもイラクは戦争をするといったのでしょうか。
ただ米軍が攻めただけだとしたら、侵略でしかありません。

イラクのクエイト侵攻との違いはなんでしょうか。
たしかにフセインは独裁者で、人民に圧政を敷いていたかもしれません。
それといまの小泉首相とどこが違うのでしょうか。
殺人が容認されていたところが違いでしょうか。
たしかに私刑的な死刑が行われていたような報道はあります。
でもそれは本当なのでしょうか。
私たちが住んでいるのは「総理大臣が虐殺を公然と支持している国」なのですから、というコメントも、寄せられています。
もしそうなら、どこが違うのか。
この国はまた、自殺が3万人を超えた国でもあります。
自殺は間違いなく「政治」の結果です。
どうもよくわかりません。

金正日は国民だけではなく、隣国の国民を拉致するという、国を超えての犯罪を行いました。
したがって他国から攻撃されても仕方がないと思うのですが、
その犯罪者には援助を与え、その体制を支援し、
一方の独裁者には暴力的に国家を破壊して、大統領の地位を剥奪する。
どうも頭が整理できません。

国際法をもっと学んでおけば良かったです。

フセインが正しいといっているわけではありません。
ただただ、わからないのです。
フセインとブッシュと小泉。みんな同じに見えて仕方がないのです。
もしそうであれば、裁かれるのはみんなであってほしいです。
しかし犯罪者をトップにいだく国家や組織があまりにも多すぎます。
国家や組織のもつ本質なのかもしれません。
指輪物語の指輪のようなものですね。

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