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2004年8月

2004/08/21

■情報を隠蔽するメディアとしての新聞とテレビ  

驚くべきことですが、新聞の半分がオリンピック情報に占められています。
テレビニュースもオリンピックから始まります。
私のように、オリンピックにいささか冷ややかなものにとっては辟易せざるをえません。
世界の動きが、見えなくなっています。

マスコミは情報を提供するメディアだとばかり思っていたのですが、昨今の状況を見ていると、むしろ情報を隠蔽するためのメディアだという気がしてきます。
また下山さんから、何をいまさらと怒られそうですが。

最近、新聞を読まない人が多くなってきていると聞いた時は、驚きましたし、とらない人の社会性を疑ったものですが、どうも私が間違っていたような気がしてきました。
新聞はもはや社会の公器ではなくなってしまったようですね。
以前も書きましたが、しかしまだ新聞購読をやめられずにいます。
文句をいうくらいなら購読しなければいいのですが。

それにしても、見たくもないオリンピック番組を見ていると、なぜか次第に引き込まれ、ついつい最後まで見てしまうのはなぜでしょうか。そして、日本が負けると、なぜか残念に思うのも怖い話です。言動が一致できない無念さを感じています。

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2004/08/19

■「昔はこんなではなかった」

福島のタクシー運転手から聞いた話です。
福島では今年も果物泥棒が多いそうです。
見回りも強化しているようですが、巧みにすり抜けて、きれいに収穫していき、しかもプロ並のもぎ取り方。
悪い時代になったと、タクシーの運転手が嘆いていました。

「悪い時代」。本当にそう思います。
こんな社会にするために、私たちはがんばってきたのでしょうか。

果物泥棒がいるということは、必ずそれを購入する人がいるということです。
私が出来る唯一のことは、自動車で売りに来る人からは果物は買わないということぐらいです。しかし、もしかすると、それはせっかく遠路はるばる売りに来たまじめな生産者を疑うことになるかもいれません

果物だけではありません。
いろいろなところで、「昔はこんなではなかった」というお年寄りの言葉を聞くような気がします。
20年前までは、その言葉が、プラスの意味をもっていました。
しかし、最近は反対です。
どうしたら、時代の流れを反転させられるでしょうか。
少子化がとまらないのも当然かもしれません。

「昔はこんなではなかった」事例をもう一つ聞きました。
秋になるとサルの群れが民家の柿をとりにあらわれるそうです。
最近は、ほとんどの民家が柿はとらないのだそうです。
昔はどの家も柿をとって、干し柿にしました。むいた皮も無駄にせずに活用しました。
しかし今はそんなことをする人はいなくなったそうです。
これは福島に限りません。
豊かになったのでしょうか?

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2004/08/17

■温泉場の常識

温泉に薬品を入れている話から始まった温泉騒動は、どんどん広がっています。
何を今さらと、いう気もしますが、どこまで広がるのでしょうか。
きっと際限がないでしょうね。
いまや日本は嘘が奨励されている社会だからです。

2年ほど前に、CWSコモンズのホームページで、
「嘘の上に成り立つ社会のありように疑問を持ちましょう」とメッセージさせてもらいましたが、その後も、小泉政権は嘘を重ねてきました。いや、嘘を奨励してきたようにさえ思えます。
そのせいか、日本には今や嘘が充満しているのです。

昔は、「嘘は泥棒のはじまり」と言われたものです。
しかし、いまは「嘘は出世のはじまり」です。
本当に皆さん嘘ばかりで、真実がありません。
泥棒を捕まえる警察にも、嘘は蔓延していますし、
食品の安全を保証したり、商品の品質を保証したりする認証シールなどにも嘘が広がっているようです。だれもそうしたものを信用しなくなってきています。
そして、多くの人が嘘に対して咎めることを止め出したのです。
「裸の王様」のように、嘘を知りながら、だれも真実を言わなくなってきたのです。

そうした時代の中で、温泉場の嘘が問題になりだしています。
テレビで見ていると、温泉場の人には全く「罪の意識」が感じられません。
見事なほどです。
みんな首相や政治家や警察や財界トップの方々を見倣っているのでしょうか。
それとも、今や嘘は美徳になってしまったのでしょうか。

嘘をつかないというのが、私の信条の一つなのですが、これからどうしようか悩ましいことです。時代の風潮に棹差しては生きにくいですし。
死後、閻魔様に舌を抜かれるのが恐ろしいですが、
ここまでくると抜いている暇がないので、大丈夫かもしれません。
みんなでわたれば怖くないではないですが、ここまで嘘が蔓延してくると、嘘をつくのも罪悪感がなくなりますね。
さて、どうしましょうか。

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2004/08/16

■日朝協議とオリンピック競技  

日朝協議の結果のひどさが、オリンピック報道のなかで見過ごされて行くのがとても気になります。
マスコミもまた、完全に商業主義のとりこになってしまいました。
私たちの意識もまた、同じですが。

それにしても、今回の協議結果を見るにつけ、国家と言うものの変質を感じます。
国家が壊れてきているのでしょうか。
企業がそうなってきているように、国家もまた私物化されてきています。
言い換えれば、社員と同じく、国民が私物化されて来ていると言うことですが。

昨日は終戦記念日でしたが、一体どれだけの人がそれを思い出したでしょうか。
日本が戦争に向けての二歩目を踏み出した年のせいか、今年は6日も9日も15日も、平和に関する報道が少なかったように思います。
皆さんはどう感じているでしょうか。

報道はオリンピック競技一色です。
ヒトラーの時代のドイツもこうだったのでしょうか。

ところで、イラクや北朝鮮では、オリンピックで良い成績を上げないと厳しい「お仕置き」が、また良い成績をあげると望外の「ご褒美」が待っていたようですが、日本でも状況は同じようです。さすがに「お仕置き」はないでしょうが。
もしかしたら、最近のスポーツは、戦争への入り口かもしれません。
どうも忌まわしい歴史が目の前にちらついて仕方ありません。

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2004/08/13

■JR我孫子駅のタバコの自動販売機 

今日は、私の娘からの問題提起です。
JR我孫子駅の改札口の横に、最近、タバコの自動販売機が設置されました。
それが気になったようで、どう思うかと質問されました。

我孫子駅の場合は、まだ一部に喫煙コーナーがありますが、JRはタバコ締め出しの方向で動いています。その駅にたばこの自動販売機の増設はおかしいというのです。
そういわれると、たしかに問題があります。
現代社会の本質が象徴されているような気がしてきました。

たとえば、
一方でタバコを締め出しながら、一方でタバコを販売する。
JRは、構内を禁煙にしたことで大幅な経費削減になったはずですが、禁煙されている場所でタバコを販売して利益を得るわけです。そこで買われたタバコはどこで吸われるのでしょうか。どうも首尾一貫しません。
そこには、社会コストを考えない、直接的な自己利益だけを追求する現代の企業の本質が見えてきます。個の利益の追求が、見えざる手によって、社会利益になるという、アダム・スミスの仮説には、それなりのルール(道徳感情)が必要なのです。

たとえば、
喫煙者の便宜を図るための顧客サービス(CS)の一環だと言う考え方もあるでしょうが、ビジョンのないCSは利益目的の商業主義でしかありません。大切なのは、もっと「大きな消費者満足」です。小さな経済に目がくらんだ企業にはそれが見えなくなっています。
そのことを少し書いた昔の小論をお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/cs-ronnbun.htm
顧客サービスと言いながら、顧客を追い込む現代のマーケティングの本質が見えてきます。企業の昨今のCSのCは、コーポレートのCでしかありません。

ビジョンのない小賢しさは、自らを滅ぼします。
そろそろ「小さな経済」「小さな経営」の発想を捨てなければいけません。

たかが自販機、されど自販機、です。
ちなみに、私はこの7年、自販機を使ったことは3回くらいしかありません。
さまざまな商品の自販機がなくなることを願っています。
ATMには抵抗できずにいますが。

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2004/08/11

■美浜原発の事件  

原発事故で4人の方が亡くなりました。
悲しい事件でした。

このブログを再開した契機は、CWSコモンズのホームページに書きましたが、平井憲夫さんの講演録「原発がどんなものか知ってほしい」を読んだからです。
あまりにもタイミングがよくて、
天の啓示を感じずにはいられません。

私は原発に否定的です。
それでは電気を使うなと言われますが、それは別の話です。
また原発絶対否定論者でもありません。
どんなものにも、良い面と悪い面があります。

なぜ私が原発に否定的かと言えば、20年以上前に東海村の原発増設時に発電所を見せてもらったのがきっかけです。
その定期検査や操作作業に、下請けの下請けの季節労働者が秒を競って仕事をするほど危険な仕事だと言う話を聞き、その現場を見せてもらったからです。
私は企業人でしたが、その労働環境と管理システムに大きな違和感をもったことです。
20年前の労働者観が、そこにあったからです。
こんな現場から成り立っている原始的(原子的ではありません)な産業は続くはずがないという思いが強くしたのです。そして、その後のさまざまな事件をみていると、そうした状況が改善されたようには思えなかったのです。

次に違和感を持ったのは、朝までテレビでの何回かの議論です。
話がすれ違ってばかりで、コミュニケーションができていないというよりも、コミュニケーション姿勢がないのです。もちろん電力会社側に、です。
反対運動をしている人たちも、コミュニケーション姿勢はそうあるわけではありませんが、それは情報の非対称を考えれば当然のことです。これに関しては米国のオゾン戦争がいい例です。情報を多く持っている人が情報開示しなければコミュニケーションは成立しません。

今は国会議員になられた加納時男さんが、広報活動に取り組まれた当初は大きな期待をもちました。しかし、それはほんの束の間でした。
東京電力は広報で有名ですが、私にはお粗末としか思えない会社です。金の力に依存したアマチュアリズムでしかありません。

ちなみに、コミュニケーション志向がないと言うことは、なにかを隠していたり、操作したいということであり、相手を信頼していないということですから、自らもまた信頼できない存在だと宣言していることです。自らを開示せずに、コミュニケーションや信頼関係は成り立たない。そんなことは子供でもわかります。欲にくらんだ人には理解できないかもしれませんが。

ちなみに、理解できない人の一人、小泉首相は記者会見で、
「事実を解明してきちんと発表する」
という基本的な一言が、今回も言えませんでした。
哀しい人です。

みなさん
ぜひ平井さんの講演録を読んでください。
美浜原発事故は決して不可避の事故ではありません。
責任者は自殺などせずに、しっかりと事実を公開してほしいです。
電力会社にとって、それが最高の選択なのです。
広報の基本は、正直に事実を開くことなのです。
電力会社の広報部門の人に教えてあげたいです。
あなたたちがやっているのは会社を、そして社会をつぶすことなのだと。
もう少し広報について勉強してほしいです。
自分たちのためにも。

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2004/08/09

■中国サッカーのサポーターたちの根底にあるもの  

先の参議院選挙結果のショックで、しばらく書き込みをやめていました。
気持ちはいまなお萎えていますが、また書き出すことにしました。
社会の質の悪さは、そこに所属する自分の質の反映でしかないでしょうから、自己嫌悪と反省をこめて、このブログを再開します。

今日の話題は、アジアカップでの中国サポーターの態度に関して、です。
私は、2つのことを感じました。

第1は、中国の選手からなぜ、たしなめる発言がないのかという疑問です。
スポーツの政治経済化は、選手同士のつながりを壊しているのでしょうか。
彼らはゲームを楽しんでいるのでしょうか。
もし彼らが楽しんでいないとしたら、イラクの米国兵士とどこが違うのでしょうか。
スポーツもまた、国家の争いのツールになっているようです。
芸術や文化、スポーツや科学が、国家を超えた人のつながりを育てていく時代は、どうやら終わったようです。

第2は、こうした動きがここまで高まるにはそれなりの背景があるのではないかという不安です。
尖閣諸島の問題や過去の日本の悪行が口実にされていますが、理由は他にあるような気がします。もっと現実的、現在的な理由があるはずです。
江沢民の抗日キャンペーンという話もありますが、それを顕在化する何かの事件か事実があるのでしょうか。
それが何か、なんとなく想像はできますが、確信はもてません。
しかし、おそらく私たちには見えていない問題が、彼らには見えているのでしょう。
われわれは、そうしたことを察知するジャーナリストや情報メディアをいまや失っているのではないかと心配です。世界や歴史が見えなくなっているのです。

昨今の動きは、パンとサーカスのローマ帝国を思い出させます。

気のせいか、今年の広島と長崎からの情報発信は弱々しく、平和の議論は盛り上がりません。
小泉首相をボイコットするくらいの気概をもたなければ、広島や長崎すらが、どんどん逆方向へと利用されるだけのおそれがあります。
暑い夏ですが、心の冷えた夏でもあるような気がしてなりません。

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