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2004/08/19

■「昔はこんなではなかった」

福島のタクシー運転手から聞いた話です。
福島では今年も果物泥棒が多いそうです。
見回りも強化しているようですが、巧みにすり抜けて、きれいに収穫していき、しかもプロ並のもぎ取り方。
悪い時代になったと、タクシーの運転手が嘆いていました。

「悪い時代」。本当にそう思います。
こんな社会にするために、私たちはがんばってきたのでしょうか。

果物泥棒がいるということは、必ずそれを購入する人がいるということです。
私が出来る唯一のことは、自動車で売りに来る人からは果物は買わないということぐらいです。しかし、もしかすると、それはせっかく遠路はるばる売りに来たまじめな生産者を疑うことになるかもいれません

果物だけではありません。
いろいろなところで、「昔はこんなではなかった」というお年寄りの言葉を聞くような気がします。
20年前までは、その言葉が、プラスの意味をもっていました。
しかし、最近は反対です。
どうしたら、時代の流れを反転させられるでしょうか。
少子化がとまらないのも当然かもしれません。

「昔はこんなではなかった」事例をもう一つ聞きました。
秋になるとサルの群れが民家の柿をとりにあらわれるそうです。
最近は、ほとんどの民家が柿はとらないのだそうです。
昔はどの家も柿をとって、干し柿にしました。むいた皮も無駄にせずに活用しました。
しかし今はそんなことをする人はいなくなったそうです。
これは福島に限りません。
豊かになったのでしょうか?

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コメント

こんにちは。
「昔はこんなではなかった」という言い方には、まったく共感できません。
今も昔も、「良い時代」などというものがあったためしはありません。

自分にとって快適で心地良かった時、同じ時に、地獄のような思いをしている人は常にいたし、その人数はおそらく今も昔も変わらないはずです。

最近、井上ひさしさんの「吉里吉里人」が自分の精神的なバックボーンとして重要な位置をしめているような気がして、古本で買いなおしました。
庶民がどのように惨めで、力が無く、踏み潰されてきたかということがよく分かります。


投稿: shimoyama | 2004/08/29 14:37

昔はこんなではなかった、と言うのは善悪を超えています。
状況の変化です。

また善悪は、立場によって全く変わります。
地主と小作人にとって、農地解放の評価は原則的に違います。

ですから、まあ、これはめちゃくちゃな議論なのですが、
それでもな、私は20年前の日本社会の方が、今よりも総じて住みやすかったように思います。
私にとってである事は言うまでもありません。
私の評価基準は常に私なのです。

ところで、下山さん。
「良い時代」は来るのでしょうか?

投稿: 佐藤修 | 2004/08/29 18:34

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