■情報を隠蔽するメディアとしての新聞とテレビ
驚くべきことですが、新聞の半分がオリンピック情報に占められています。
テレビニュースもオリンピックから始まります。
私のように、オリンピックにいささか冷ややかなものにとっては辟易せざるをえません。
世界の動きが、見えなくなっています。
マスコミは情報を提供するメディアだとばかり思っていたのですが、昨今の状況を見ていると、むしろ情報を隠蔽するためのメディアだという気がしてきます。
また下山さんから、何をいまさらと怒られそうですが。
最近、新聞を読まない人が多くなってきていると聞いた時は、驚きましたし、とらない人の社会性を疑ったものですが、どうも私が間違っていたような気がしてきました。
新聞はもはや社会の公器ではなくなってしまったようですね。
以前も書きましたが、しかしまだ新聞購読をやめられずにいます。
文句をいうくらいなら購読しなければいいのですが。
それにしても、見たくもないオリンピック番組を見ていると、なぜか次第に引き込まれ、ついつい最後まで見てしまうのはなぜでしょうか。そして、日本が負けると、なぜか残念に思うのも怖い話です。言動が一致できない無念さを感じています。
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コメント
丁度、私、オリンピック開会式の時、日本の外に遊びにいっていました。(へそまがりは自分自身かな?)
で、帰国したら、オリンピック一色なのは、驚きだったです。
普段、スポーツに関心がなくても、悔しがったり喜んでいる若い選手達や人気アナ・キャスターの絶叫を聞いていたりすれば、「日本代表選手との親近感」や「オリンピック=すごいもの」という感覚が植えつけられるのも一種のサブリミナル効果じゃないかと思います。テレビ局や新聞社にしてもオリンピック人気で視聴率、購読率が上がればホクホクでしょうしね。
全く面識のない日本人を応援してしまうのは、テレビという媒体と日の丸という共通のシンボルの中で、知らず知らずの内に「身内意識」を持ってしまうからでしょうね。
だから、仮に自分に外国人の友人がいて、その人や子や兄弟がオリンピックに選手として出場するとしたら、どの国であれその選手が面識のない日本選手と競技する時には知人の選手の方を応援すると思いますし、それが人の情というやつでしょう?その時、自分自身が日本選手を応援している他の人から「白い眼」で見られることを気にしなければならない社会だったらイヤですね。(普段は、私だって日本を応援していますけど)
それが国が、オリンピックを誘致したり応援する目的の一つなんでしょうけどね。
でも、もっとも驚いたことは、ご自身が書いているように佐藤さんがなんだかかんだいって、オリンピックをテレビで見ていることですねー。
投稿: 坂谷信雄 | 2004/08/22 07:19
坂谷さん
そうなのです。
なんとなく見ているのです。
スポーツ番組を見ていると、何も考えずに、ボーっとできますね。
本当にローマ時代のパンとサーカス政策を思い出します。
私もまた、国家の手におちてしまったようです。
脱出しなければいけません。
脱出できるでしょうか。
いやはや。
投稿: 佐藤修 | 2004/08/22 07:35
こんにちは。
新聞もTVもほとんど見ない、社会性に疑いのあるシモヤマです(笑
新聞やTVを情報源にしている人はマインドコントロールの繭の中に閉じこめられているような印象です。
「閉じこめられてしまっている」のならまだ良いのですが、「閉じこめられたがっている」ように見えること、マインドコントロールされたがっているように見えることの方が不気味です。
しかしながら、オリンピックの開会式は、見なかったことを本当に後悔しています。
大好きなビョークが歌ったんですよね・・・。
僕の負けです。
投稿: shimoyama | 2004/08/27 14:43