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2004年9月

2004/09/30

■悪貨は良貨を駆逐する  

どうも書き込みを継続できません。
以前のように毎日書き込む事を日課にすればいいのですが、
書こうと思うと怒りと失望がない混じったような寂しい気分になるのです。
そして、文章にしたら(言葉にしたら)誤解されるような表現になってしまいそうなのです。
それに失礼ながら、どうせ本意は伝わらないだろうな、いや、伝わっても何も変わらないだろうなと思ってしまうのです。
こうやって人は朽ちて行くのでしょうか。
昨日、ある先輩と話していて、そういう思いを強めました。

黒岩さんがブログを始めたので、私もまた書き込むことにしました。
それに、たとえ読み手がなくても書かないと、下山さんに訴えられそうですし

たとえばライブドアをつぶした楽天と財界人。
たとえば中山参与を追いやった3人の政治家。
その卑しさに、やりきれなさを感じます。
しかもそれがすべてお金で動いているのでしょうから、本当にやりきれません。

救いは、最近のテレビでの若い世代の素直な発言です。
若手キャスターがとても素直に反応し出したように思います。
もしかしたら、彼らがテレビを変えてくれるかもしれません。
もっともテレビのほとんどは、タレントといわれる心を抜かれた道化者に埋め尽くされつつありますので、そう楽観はできませんが、新聞よりは期待できそうです。

悪貨は良貨を駆逐するとはよくいったものです。
質の劣化は人間社会の本質なのだと、最近ようやく気づきました。
進歩主義的歴史観が否定されて久しいですが、私もまだどこかに進歩への信奉があったようです。
SF作家の光瀬龍の年代記ものを読んだ方はいますか。
私は昔大好きでした。
現実的ではないと思っていたからこそ、好きだったのですが、
いま思うと極めて現実的ですね。
そういえば、手塚治虫も限りなく暗かったです。

ブログ再開は暗いスタートになりました。

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2004/09/24

■犯罪が許される社会 

日本は犯罪が横行している社会です。
警察はいうまでもありませんが、社会もまたそれを見逃しています。

たとえば、年金証券を預かってお金を貸す業者の話が時々、テレビで放映されますが、そうした会社は依然として放置されています。法律違反でも、その法律に罰則規定がないと止められないという奇妙な論理まで横行しています。
みんなやる気が全くないのです。
社会がどんどん壊れていく。
そんな気がしています。
しかし、まだ日本には目に見える紛争は少なく、死者も出ていません。

一方、イラクはどうでしょうか。
イラクではまだ毎日のように死者が出る事件が起こっています。
外国人が誘拐され、殺害される不幸な事件も続いています。
しかし、イラクの社会はどうでしょうか。
壊れているのか再生しているのか。
私には、アメリカや日本が壊そうとしているのを、イラクの人たちが一生懸命にがんばっているように思えます。
イラク復興は、イラク国民のためではなく、日米の権力者の私欲のためでしかありません。事情が変われば、ブッシュはまた新たなフセインを作り出し、信念のない追従者の小泉はそれに荷担するでしょう。その資金は言うまでもなく、私たちの税金です。応援しているのも、残念ながら私たちです。

北朝鮮はどうでしょうか。
ここはすでに壊れた社会ですが、壊れた社会に巣くっている犯罪者を、人道支援の名目で日本は支援しています。日本の支援が犯罪者の力の源泉になる事は言うまでもありません。そのために殺される人がいないとは限りません。
しかし、その北朝鮮でも、いくつかの徴候から社会の回復を感じさせられます。もしかしたら日本よりはいいかもしれません。

つまり、日本の場合、ベクトルが反転しているのです。
このままだと、10年後には、イラクよりも、北朝鮮よりも、社会は劣化している気がします。
なぜでしょうか。私たちが豊かになり、権力者の仲間入りをしたからでしょうか。

最近、日本で起こっている殺人事件には、救いがありません。
イラクに関連している人たちの死と、あまりに違うことに、不安を感じます。
社会の凋落はまさにつるべ落としの勢いなのでしょうか。
もう止められないのでしょうか。
賢い人たちは、それを知ってしまったのかもしれません。
犯罪が日常化する社会は、もう直前に来ているのかもしれません。
大地震よりずっと怖いです。
どうすればいいか、私たちが素直な声をあげだせばいいのです。

プロ野球の今回の事件は、そのことを教えてくれました。

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2004/09/19

■コメンテーター社会の脆弱さ  

昨日、朝日ニュースターのテレビにコメンテーターとして出演しました。
前月は、コメンテーターを頼まれたことを忘れて、議論してしまったので、今回は自重しました。問われたら答えるという仕組みです。とても楽ですが、どうも性にあいません。

私はいつもテレビを見ていて、コメンテーターたちの冷静なコメントに敬意を払っています。私は感情的になるタイプなので、冷静な発言ができないのです。ですから、どうしてこんなに冷静沈着に発言できるのか、いつも感動しています。これは決して皮肉ではありません。

しかし一方では、最近、コメンテーター文化が広がっているのが気になっています。
コメントは正しいとして、しかし、それがどうしたという気もします。
それにコメンテーターの意見が違う時は、すれ違うだけで良いのかです。
議論をしてほしいですが、最近はみんな議論を避けがちです。
コメンテーターにはコミュニケーション思考はあまりないような気もします。

これはテレビだけではありません。
メーリングリストでも同じようなコメントが盛んです。
コメントというよりも、一方的な発信が多いのです。
しかも事実をろくろく確認しないでの発言が本当に多いです。
最近、「赤ペンを持って憲法読もう」と言う本の紹介を、あるメーリングリストに流しました。即座に、憲法9条を変えようとしようとしているのか、というお叱りの反応がありました。本を読みもせずのコメントです。まあ、こうした人は、すべてにおいて事実を確認せずにコメントして、それで終わりにするのでしょうが、まあそれはそれとして、こうしたコメンテーター文化には辟易です。

コメンテーターは楽な姿勢です。ただコメントしていればいいのですから。
そして、私もまた、そうした社会の風潮に流されて、
このブログもコメンテーターブログになっているのでしょうね。
反省しなければいけません。

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2004/09/14

■被害にあった人の笑顔

最近、とても気になる事があります。

今年は台風や大雨で多くの被害が発生しました。
その被害にあった人たちが、テレビの取材に応じて回答する顔がとても和やかなことです。笑顔を浮かべて、家が流されたとか、家中がドロだらけになったとか答えているのです。どうも被害のリアリティが実感できません。
むしろ不気味さを感じます。

現実感覚を失いつつあるのは、どうも子どもたちだけではないようです。

実は私も例外ではありません。
昨日、セロのマジックのテレビ番組を見ていました。
昔はこうしたマジックに感心していたのですが、最近は、感激しません。
なぜかといえば、CGとの区別がつかないのです。
CGの世界はもっと驚がく的なショーが可能です。
ですから、どんな不思議なマジックでも、すごいとは思いますが、それがどうしたという冷めた気分がどこかにあります。

40年前にSFの世界で盛んに語られていたことが現実になりました。

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2004/09/10

■大銀行が倒産するのは当然です 

私はUFJ銀行に100万円の定期預金があります。
たった100万円といわれそうですが、まあ、庶民はそんなものです。
昨日、UFJ銀行から葉書が届きました。
利子のお知らせです。
利子は税引き後14円です。
こんな葉書が時々来ます。

UFJ銀行の社員の無駄遣い感覚にはあきれます。
こんな葉書を出すくらいなら、その分、利子に入れてくれればと思います。
税金投入額を減らすのに向けても良いです。
この葉書にはどれほどのコストがかかっているでしょうか。
信じられない愚行です。
つまり銀行には経営感覚が皆無なのです。

こんなところに税金を投入しているのかと思うと、税金を払いたくなくなります。

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2004/09/09

■同じ間違い  

プロ野球問題で今日、オーナーと選手会が6時間の会議をしました。
そこから出てきた選手会の古田会長は、会議の内容を質問されて、
内容は話せないよと答えました。
どう思いますか。

つまりオーナーたちと選手会は同じ穴のムジナなのです。
馬脚をあらわしたと言うべきでしょうか。
もし選手会が自分たちの欲得でなく、社会の目線を持っていたら、
社会を味方にしたいのなら、
すべてを公開すればいいはずです。

これは今回の選手会に限りません。
みんな同じ間違いを犯します。
彼らはみんな同じ仲間なのです。
堕ちた人たちは、救えないのです。

情報を開いていくことがすべてを正常化すると、私は確信している人間です。
あまり賛成は得られそうもありませんが。

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2004/09/08

■地に落ちたスポーツ  

オリンピックの金メダル獲得選手への対応振りは、いささか常軌を外しています。
ここまで堕ちたか、と思います。
今日のプロ野球のオーナー会議や選手会のスト宣言も、同じような苦々しさを感じます。

福原愛さんのCM出演料が7000万円。
なにか違和感を感じます。
みなさんは感じませんか。
女房には、愛ちゃんをCMに使っている企業の商品は買わないでほしいと頼んでいますが、みんなで不買運動を起こしたいですね。
彼女の人生を商売に使うな、などというつもりはないのですが、
お金をそんなふうに使ってもらっては困るのです。
それはプロ野球の有名選手の契約金や年俸の問題にも言えることです。
その結果がいまのプロ野球の現状でしょう。
スポーツはまだバブル経済を続けています。

しかし、そんなこともまあ、いいのです。
プロ野球について言えば、自業自得なのです。
知恵のない関係者がお金で、しかも組織の金で、選手を囲い込んでいくとどうなるか。2軍選手のことも考えない欲得で、その仕組みに乗っていくとどうなるか。結果は当事者たちに向かいます。
そこまでは口は出しません。哀しくとも、彼らの人生ですから。

私が問題にしたいのは、
そうした心ない人の言動が、私が住んでいる社会をおかしくしてしまうことです。
2つだけ書きます。

まず、お金は「モノ」ではないということです。
システムなのです。
自分の金だから勝手に使っていいモノではないのです。
誰かが使えば、必ず全体の価値に影響を与えるのがお金なのです。
舌足らずのコメントですが、わかってもらえるでしょうか。
ものすごく重要な問題提起のつもりです。

マラソンの野口選手は話題になりますが、他の2選手はほとんど話題になりません。そして、たぶん、報奨金もCM契約料も桁が違うことでしょう。
そこにも大きな問題があります。
いじめの構造、差別の構造、儲け主義の構造、いろいろなことにつながっています。
戦争につながるというと大げさでしょうか。
しかし、ドーピング問題につながっている事は間違いないでしょう。

それにどうして、みんな気づかないのか。

私が、誇大妄想に陥っているだけであれば、とてもうれしいのですが。

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2004/09/06

■混乱のはじまり 

ロシアの学校占拠事件は衝撃的でした。
私はどちらかというと、常にマイノリティの視点で考えてしまう、生理的な思考回路が働くタイプなのですが、今回だけはどうしても、立てこもりの首謀者には共感を持つ事ができませんでした。
今日になって、やっと少し理解できるような気がしてきました。

いずれにしろ、哀しい事件ですが、しかし、異常な事件として位置づけるべきではないでしょう。その意味をしっかりと考える事が大切です。
情報もほとんどないなかで考えるのは無理がありますが、少しだけ考えてみました。そうしないとどうにも前に進めないからです。

悲惨な結末は、彼らがいかに追いこまれているかから考えるべきでしょう。
自爆テロは先の大戦におけり日本の特攻隊とは全く意味が違います。その意味を、もっと世界は真剣に考えるべきでしょう。死をもって抗議するほどの怒りは、どうやって生まれるのかを、もっと私たちは真剣に考えなければいけません。カミロさんが気づいたように、人道支援などとだまされていてはいけません。
しかし、今回の事件は、自爆による異議申し立てを超えています。恐ろしいほどに超えているのです。

一つの理由は、悲しみが組織化されていな事だと思います。組織化されていれば、展望やビジョンによって、統制力が働きますが、個々ばらばらの絶望と怒りの集積は暴走しだしたら、個人の力を超えてしまいます。組織の論理と個人の情念は絶対にかみ合うことはないでしょう。戦争と喧嘩は似て非なるものです。

私は30年前に「21世紀は真心の時代」という小論を書きました。
世界は「管理の時代」に向かうか、「真心の時代」に向かうか、その分岐点が20世紀末だったと思います。そして、人類は真心の時代を選ぶだろうと私は考えたのです。
しかし、歴史はそうなりませんでした。まさに「管理の時代」が到来したような気がします。そして、口では文句をいいながら、その心地よさにみんな浸っています。私には息がつまりますが、まあ、私のような偏屈者が生きるだけの寛容さはまだ残っています。いや残しているというべきでしょうか。

このブログも、関連したCWSコモンズのホームページやコムケアのブログも、私の活動のすべての基本にあるのは、繰り返し延べてきているように、「組織起点の時代」から「個人起点の時代」へというパラダイム転換です。それは、「管理の時代」から「真心の時代」へというテーゼと同一なのです。

長くなりましたが、ロシア学校事件は、その時代転換のはざ間での、それぞれのコンテクストの違いから起こった事件だと、私は考えることにしました。
ですから、こうした事件は、これからまた起こるでしょう。
恐ろしいことですが、時代の変わり目にはこうした混乱は避けがたいのかもしれません。

混乱の時代が始まったのです。
国家が崩れだしたと言うべきかもしれません。
にもかかわらずに、それに代わる仕組みも発想も芽生えさえありません。
いや、ソーシャル・キャピタル論が、もしかしたら、その芽なのでしょうか。
正村公宏さんは、もしかしたらそう考えているかもしれません。
そんな気がしますが、私には接点がないので確かめようもありません。

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2004/09/05

■共謀罪の話 

8月23日の「東京新聞」の特報記事がいくつかのメーリングリストで話題になっています。加熱したオリンピック報道で、新聞を読まなくなったこともあって、私はその動きを知りませんでした。

表題は「『超監視社会』の前夜? 標的は…労組と市民団体」となっています。
刺激的な内容です。ぜひお読みください。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040823/mng_____tokuho__000.shtml

組織犯罪処罰法改正案が今秋の臨時国会で本格審議に入る見通しだといいます。最近の国際テロに対する国際的な対抗活動が、その契機になっているようです。
まあ、これだけ聞くと、いい事じゃないかと思う人も多いでしょう。しかし、どうもそうはいっていられないようです。東京新聞の記事によれば、もしこれが成立すると、「酒場で職場の同僚たちと『あの上司を殴ったろか』なんてグチっただけでパクられかねない」そうです。
まあ、それでもいいじゃないの、という方は、是非とも第二次世界大戦の労働組合史をお読みください。

新たに新設されるのが「共謀罪」です。
自由法曹団警察問題委員会というところが、共謀罪に関するわかりやすい説明をしてくれています。
http://www.jlaf.jp/iken/2004/iken_20040115_02.html
それによれば、共謀罪とは、「団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行なわれるものの遂行を共謀した罪」です。死刑を含む重い罰が規定されています。

まだどこが問題かわかりませんね。
そうです。法律というのは、そういうものなのです。わかりやすくしてはいけないのです。いまの法律は社会契約とは違うのです。
これが権力に向けて施行されるのなら、小泉首相は死刑に相当すると思いますが、実際には法律は権力者が施行します。ですから、とんでもない権力を権力者は得ることになります。死刑をまぬがれるどころの話ではありません。金正日と同じようになれるのです。80年前の日本社会を思い出します。しかし、テロ対策とはそういうことです。
チェチェンの悲劇の環境外者は誰だと思いますか。

1984年の現実が、ひたひたと忍び寄っています。
パンとサーカスに現を抜かしていたほうが、幸せなのでしょうか。

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2004/09/03

■構造的暴力の被害者 カミロ兵卒の場合

一昨日のニュース23で、共和党大会のニュースに重ねて、カミロさんという若い米兵の事件が報道されていました。
彼は、大学の学費支援を受けるために入隊したのですが、イラクに派兵され、そこでの体験から、この戦争は違法であると考えるようになりました。そして、休暇帰国した際に行方をくらまし、1か月くらいしてから軍に出頭した若者です。結局、禁固1年の有罪になり、今、刑に服しています。その母親と支援者が、共和党大会会場の周りのデモに参加したのです。

彼は戦場で様々な体験をしています。
その話を母親との対話という形でビデオに残しています。
たとえばこんな話です。
仲間と街を巡回している時に、突然、街角から出てきたイラクの青年をみんなで射殺してしまったという体験談に対して、母親が『あなただけ撃たないこともできたのではないか』と質問していますが、彼は振り絞るような口調で、『そういうときは何も考えずに、みんなと一緒に撃ってしまうものだ』と答えています。
彼の場合、後で調べたら、11発も発砲していたと言います。彼を責められるでしょうか。

この話の構造は様々なことを考えさせてくれます。
なぜ彼がイラクにいったのか、人を殺さなければならなかったのか、そして刑に服すことの意味は何なのか。
結局、イラクで殺しあっている人たちの多くは、『やむを得ずにやっている』と言うことです。そして、結局は自らも殺しているのです。
ネパールからイラクに出稼ぎに行って殺された人たちも、イラクではなく、ヨルダンなどの隣国に行き、そこから強制的に派遣されたとも伝えられています。
問題は、そうした構造なのです。

ノルウェイのヨハン・ガルトゥングは、暴力には2種類あるといいました。
「直接的暴力」と「構造的暴力」です。構造的暴力の被害者が直接的暴力に強制的に組み込まれ、構造的暴力を強化させていく。これが昨今の平和活動の構造です。何が「イラクに平和」でしょうか。そんな思いの人たちと時代を共有する事がとても哀しいです。

カミロ事件のような報道が増えてきました。
戦争の実相が見えてきたと言ってもいいでしょう。いや、9.11の実相というべきかもしれません。
にもかかわらず、小泉人気はまた持ち直しそうだといいます。
悪貨は良貨を駆逐する。小賢しさが賢さを駆逐する。
最悪の人が組織のリーダになる、これは成熟した組織の避けられない宿命ですが、国家も同じです。
日米の北朝鮮化が進んでいます。
ガルトゥング風にいえば、構造的北朝鮮化が進んでいるのです。

ところで、最近のニュース23を、少し見直しています。
これまではあまりにひどかったですが、最近はきちんとしたメッセージを感じます。
テレビも少しは見る価値があるかもしれません。

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