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2004/09/19

■コメンテーター社会の脆弱さ  

昨日、朝日ニュースターのテレビにコメンテーターとして出演しました。
前月は、コメンテーターを頼まれたことを忘れて、議論してしまったので、今回は自重しました。問われたら答えるという仕組みです。とても楽ですが、どうも性にあいません。

私はいつもテレビを見ていて、コメンテーターたちの冷静なコメントに敬意を払っています。私は感情的になるタイプなので、冷静な発言ができないのです。ですから、どうしてこんなに冷静沈着に発言できるのか、いつも感動しています。これは決して皮肉ではありません。

しかし一方では、最近、コメンテーター文化が広がっているのが気になっています。
コメントは正しいとして、しかし、それがどうしたという気もします。
それにコメンテーターの意見が違う時は、すれ違うだけで良いのかです。
議論をしてほしいですが、最近はみんな議論を避けがちです。
コメンテーターにはコミュニケーション思考はあまりないような気もします。

これはテレビだけではありません。
メーリングリストでも同じようなコメントが盛んです。
コメントというよりも、一方的な発信が多いのです。
しかも事実をろくろく確認しないでの発言が本当に多いです。
最近、「赤ペンを持って憲法読もう」と言う本の紹介を、あるメーリングリストに流しました。即座に、憲法9条を変えようとしようとしているのか、というお叱りの反応がありました。本を読みもせずのコメントです。まあ、こうした人は、すべてにおいて事実を確認せずにコメントして、それで終わりにするのでしょうが、まあそれはそれとして、こうしたコメンテーター文化には辟易です。

コメンテーターは楽な姿勢です。ただコメントしていればいいのですから。
そして、私もまた、そうした社会の風潮に流されて、
このブログもコメンテーターブログになっているのでしょうね。
反省しなければいけません。

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