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2004年11月

2004/11/30

■購読する新聞によって世界観が変わります? 

以前、ホームページに書きましたが、朝日新聞との投稿記事でのやり取りで、朝日新聞に愛想がつきてしまって、この11月から読売新聞に切り替えました。まだ新聞を止める勇気がなかったのです。
それから1か月、気のせいか、世界の風景が変わったような気がします。つまり、時代の動きがほとんど感じられなくなったのです。言い換えれば、とても平和な世界で、まあ、新聞はテレビ番組表だけを見ればいいか、という気になってしまいそうです。
家族の評判もとても悪く、みんなあまり読まなくなったようです。不幸にして、半年予約してしまったため、すぐには止められないのです。
新聞の紙面づくりはかなり違います。好き好きかもしれませんが、それを越しているような気がします。読売はレイアウトやデザイン処理がかなり粗雑です。その分を、カラー化で補っていますが、中途半端なカラー化で、ますます紙面が読みにくいように思います。
しかし、問題は内容です。メッセージ性が弱いとか、コラムが退屈だとかいう話を超えて、どうも世界観が違います。どの新聞を読むかで、意識はかなり変わってきそうです。

複数の新聞を購読したこともあるのですが、その頃は個性の違いだと解釈していました。しかし、もしかしたら意図の違いですね。

もちろん、これまでもそういう性格付けは私も知っていましたし、家族にもそう話して、反対を押し切って読売にしたのですが、思っていた以上に差異は大きいです。

そんなわけで、最近、我が家では、みんな余り新聞を読まなくなっているような気がします。新聞好きの女房までが、最近は新聞離れしているのです。

これで、もしかしたら新聞を止めることができるかもしれません。
ヨン様番組の多さで、NHKを家族が見なくなったのと同じように。
NHKは強制的に有料なのであれば、番組制作をもっと公開で決めるべきですね。

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2004/11/28

■半年前の自動車免許更新講習時に思ったこと  

私は優良ドライバーです。免許も当然、ゴールド免許です。
何しろ無事故無運転なのです。
この4年間、一度も運転したことがないのです。いやはや。
車を自宅の門にぶつけて、ボコボコにしたため、家族から運転自粛が出て、それを口実に運転をやめたのです。いまではもう再練習しないとあぶないです。
ちなみに、そのせいで、その後つくった我が家には門がありません。これでもうぶつかることはないでしょう。

免許更新の講習会でいつも感じるのですが、何か違うような気がしました。
自動車事故は今でも多いですが、その抜本的な対策が進められていないような気がするのです。
免許更新時のこのような意識づけよりも、もっとやるべきことがあるような気がします。それに5年に一度とはいえ、このような形で更新を義務付けることにも違和感があります。どうせやるなら、もっとしっかりとやるべきです。

車検もそうですが、仕事を作ることが目的なような気がします。
車検を受けた直後に火を出す車があることの意味がもっと問われるべきです。
車検も、免許更新も、視点が違うような気がしてなりません。

福島で、運転手の横にテレビがあるタクシーに乗りました。
これはお客様サービスなのでしょうか。
最高の顧客サービスは無事故です。テレビなど不要です。そもそも自動車テレビなどを認めることがおかしいと思います。
そうしたことをもっとしっかり考えるほうが大切ではないでしょうか。
飲酒運転ができなくする方法もあるはずです。
水中に落ちた時にドアが開く仕組みも、難しい話ではないでしょう。
まだまだ技術的にできることはたくさんあります。

道路整備もまだ余地は大きいです。
私の家の近くにも危険な箇所はいくつかあります。
ドライバーから危険箇所を指摘してもらい、点検していくのも一案です。
トヨタの利益は、たしかにトヨタの自己努力の成果です。
しかし、その利益の1%を、そうした活動に向けられないものでしょうか。
それこそが、本当の事業戦略です。
社会貢献活動などでごまかしてはいけません。
トヨタが、この分野でできることは、まだまだたくさんあります。

テレビのあるタクシーに乗ったので、半年前のことを思い出してしまいました。

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2004/11/27

■納得できないこと  

たとえば、湯島の駅には我孫子まで43分と書いてあります。
しかし、43分で我孫子に到着したことはありません。
だいたい50分近くかかります。
これがずっと気になっています。
15年間、この区域を私は通勤で利用しています。
1往復で10分以上の差がありますから、年間200回往復したとして、
15年で、500時間になります。
約20日になります。
だから何だといわれそうですが、何だか損をしているような気がします。

問題は、この前提でダイヤが組まれているのかどうかです。
ダイヤと公称所要時間は別なのでしょうか。
それなら良いのですが。
もしそうでないとすると、どこでどう辻褄が合っているのでしょうか。
とても不思議です。気になって仕方ありません。
一度、各駅で降りて確認したい気分ですが、どうやったらそれができるでしょうか。

そんなことより拉致問題や財政改革問題が大切だと怒られそうですね。
わかっています。
しかし、そうした問題は考えても答は見えてきませんが、
こっちの問題は少し考えると解決できそうです。
こうやって、みんな大切な問題よりも解きやすい問題に目を向けて行くのでしょうね。
反省しなければいけません。
この疑問には目をつぶることにします。はい。

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2004/11/26

■経済的損失とは何か  

日銀の行員が新札の特殊番号をすり替えてしまうという事件が発生しました。
さして気にもしなかったのですが、日銀の記者会見で、
「会社には経済的損失を与えていないので」という発言に、違和感を持ちました。
企業の社会性への意識が感じられないからです。

たとえば企業広告を考えてみましょう。
企業はイメージアップのためにかなりのお金を投入しています。
これは経済的利益を得ると考えているからです。
逆にイメージダウンにつながる事件が発覚すれば、経済的損失につながることは明らかです。時には倒産してしまいます。

日銀は売上が立っていない組織ですから、普通の会社とは同じではないでしょう。
なぜそんな組織が存続できるかと言えば、社会からある役割が課せられているからです。
通貨の発行です。
印刷された紙でしかない紙幣が交換手段として機能するのは、みんなが制度を信頼しているからです。制度は日銀と重なっています。
今回の事件は、その信頼に傷をつけました。
この事件は、もしかしたら氷山の一角かもしれませんし、少なくともそうした疑念を芽生えさせたように思います。
なにしろ信頼していた社会保険の担当組織のひどさがどんどん見えてきている時です。
もしかしたら造幣組織もまた、おかしくなっているのかもしれません。
そう思われても仕方がありません。
つまり、社会の基本的な仕組みに対する信頼性を傷つけたのです。
これはまさに大きな経済的損失です。

最近、ようやくソーシャル・キャピタルとしての信頼関係への認識が高まりだしていますが、日銀の関係者は少しは社会の視点で考えてほしいものです。
紙幣をすり替えた人も問題ですが、その事件への組織の反応こそ、私は問題だと思います。

日銀はCIに取り組んでいるような話がありました。
私も一度話をしてほしいと呼ばれました。
しかし、CI以前の段階ですね。

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2004/11/23

■企業への不信感  

私のホームページ(CWSコモンズ)に、JALの対応に関して、かなり口汚く書き込んでしまいました。
早速、数人の方から反応があったのですが、書きすぎたかなと反省しました。反省はしましたが、JALへの不信感は消えません。

今日の新聞でも企業の不祥事がいくつか書かれています。
もういい加減にしてほしいですが、かつて企業にいた者としては、三菱マテリアルも三井物産も、何の違和感もなく記事が読めます。私が所属した東レは、極めて公正な会社でしたが、それでもこうした方向に行く危険性は皆無ではありませんでした。自由闊達な企業文化と社会性を重視する見識者が、それぞれの場にいたおかげで、企業は経営を間違えずにいたように思います。東レは素晴らしい会社でした。そこで25年間、過ごせたことを感謝しています。おかげで、私は今でも企業への基本的な信頼を持てています。

NPOや行政との付き合いはそれなりにありますが、
企業への不信感は、また高まっているような気がします。
CSRや環境経営が話題になるのは、むしろその現われとも言えます。報告書が立派なほど、その会社の実態は問題含みであることは、世の常です。

先週、お会いした政令都市の三役経験者の方は、最近、企業との付き合いがふえているのですが、かなり企業(経営者)不信に陥っています。そんな経営者ばかりではないと、私がお話しても、なかなか耳には入らないようでした。残念な話です。
NPOの企業不信も強まっています。せっかく市民活動で広げてきた世界に企業が入り込んできて、これまでの蓄積をダメにしてしまうこともあります。NPO関係者の多い、コムケアのメーリングリストでも、企業は金儲けの仕組みと信じている人も少なくありません。困ったものです。
自らの生活が企業によって支えられているにもかかわらず、企業を批判し続けるのはなぜでしょうか。

このブログでも、私は企業批判をかなり書いていますが、私は決して企業嫌いではありません。それどころか、「企業制度」は人類が創造した制度としては最高のものの一つと考えています。しかし、その制度を、昨今の企業経営者たちは、壊そうとしているように思います。産業再生機構も壊す方向での、短期的な再生を目指しているように思います。
今の日本では、言葉がみんな反語になっています。

企業はいったい、どうなってしまうのでしょうか。
先行きが心配です。

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2004/11/21

■見えている風景  

人は、その立ち位置によって、見えて来る風景が違います。
会社を辞めてから、私の社会や会社への風景は変わりました。
日経を読まなくなっただけでもかなり違ってきました。
立ち位置が、その人の世界観や未来への展望を変えていきます。

例えば、ファルージャの風景ですが、どちらに立つかで全く違った風景になります。
ファルージャ事件は、歴史にはジェノサイドの典型的な事例として残るでしょうが、今の私たちにはほとんどそれが見えていません。
そんなことはベトナム戦争ではいくいらでもあったはずです。ソンミはおそらく特殊な事件ではなく、ベトナム戦争が特殊な事件だったのです。
つまり、ソンミからベトナム戦争を見たら、風景は全く変わってくるのです。ファルージャもそうでしょう。そこから見れば、イラク復興の意味も見えてくるはずです。小泉首相と日本国民の犯罪性も含めてです。

金正日体制の北朝鮮はどうでしょうか。北朝鮮の人民からみた国家政権はどう見えているのでしょうか。
もしかしたら、小泉体制の日本と同じかもしれません。
武富士の社員はいまなお武井元社長に仕え、オウム組織のメンバーはいまなお松本某に自らを預けています。卑劣な生き方だとは思いますが、渦中にいれば、そういう風景に馴染んでしまうのでしょう。三菱自動車や雪印食品の従業員たちのように。

金正日と小泉純一郎は、私には全く同じ独裁者に見えます。誰も、その動きをとめようとしないことも同じです。アウシュビッツもそうだったのでしょうか。
私もまもなくガス室に送られるような恐怖感をこの頃、感じています。
ロボットのような首相の顔をテレビで見るたびに、嘔吐したくなります。
税金を払う先を変えられれば、うれしいのですが。
ODAが独裁者の支配体制を強化し、人民を苦しめたと同じ構図が、まさか日本に現出しようとは思っていませんでした。

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2004/11/12

■環境税が阻害する経済成長って何でしょうか 

環境税が経済成長を妨げる、と日本経団連のトップの方々は主張されていることが報道されています。もしそうであれば、そんな経済成長などしなければいいのですが、そんな発想は彼らには考えつかないのでしょうね。

経済成長を加速化するのはそう難しいことではありません。
もっと環境を悪化させ、問題を深め広げれば、その解決のための市場が創出されるのです。自動車事故を増やせば、自動車が売れるという論理に中で育ってきた財界の「成功者」たちは、経済成長が判断の出発点なのです。しかし、大切なのは「成長」の中味です。それが問われていることに、なぜ彼らは気づかないのでしょうか。

環境税も経済成長も、いずれも目的概念ではありません。
大切なのは、その先にある社会の姿です。
エコノミーもエコロジーも出発点は同じです。
生活を豊かにするための考える枠組みなのです。

それがいつのまにか、対立概念になってしまったのです。
そのおかしさに、そろそろ気づかなければいけません。
大切なのは、環境税と経済成長を両立させるパラダイムです。
そこから発想すれば、環境税が経済成長を妨げるなどという場かな議論は出てこないでしょう。
本当に最近の議論には、馬鹿らしくてついていけません。
それとも私が馬鹿なのかもしれませんが。
最近は自信がなくなってきました。
困ったものです。

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2004/11/11

■奉仕活動が必修科目???

都立高校で新たに「奉仕活動」が必修科目になることが決まったようです。
どうしてこう本末転倒した施策が次々とでてくるのでしょうか。
立案者たちの貧しい生活が象徴されています。

一昨年、港区のボランティア関係の研究会で、「奉仕」と言う言葉に関して、私の否定的な発言が物議をかもしたことがあります。私自身は、ボランティアと奉仕活動は全く違うもの、むしろ正反対のものと思っているのですが、同じものだと考えている人も多いようです。
奉仕をさせる発想は、自発性にはつながらないはずなのですが。

コムケアの資金助成プログラムで、今年、入選したプロジェクトに、Happy Postmanというのがあります。小学生のボランティア活動起こしです。主役は小学生で、もちろんプレゼンテーションも小学生がやりました。
彼らは決して社会奉仕活動などとは思っていません。たとえば福祉施設に行くことが楽しいからやろうとしているのです。楽しいから自発性が高まり、活動も広がるのです。
結果として、自分たちの生活基盤である地域社会が気持ちのいいものになります。社会がよくなるのが大切なのではなくて、自分たちの生活が気持ちよくなることが大切なのです。そして、その「自分たち」の範囲がどんどん広がっていくのです。だからこそ、イラクにまで行ってしまうのです。

奉仕から発想する社会と自発性から発想する社会は、全く異質な社会です。
前者は組織発想の管理社会、後者は個人発想の真心社会です。
最近議論が起こり始めたソーシャルキャピタルも、後者の視点への気づきから起こっています。

しかし、日本の教育関係者、あるいはその取り巻きの有識者たちは、あいかわらずの発想で教育を考えているようです。
「学校に子どもを合わせる教育」の仕組みを続けている限り、カリキュラムをいくらいじっても、制度をどんなに変革しても、問題は解決しないでしょう。
そろそろ「子どもに合わせた教育」の仕組みにしていかないと問題は解決しないように思います。

ちなみに、もし身近な社会を自分たちの生活基盤と実感できれば、みんな社会をよくしたいと思うでしょう。奉仕などと言わなくとも、みんな行動を起こします。
社会に奉仕という場合の社会は一体なんでしょうか。
自分は入っているのでしょうか。
奉仕活動などと言う人の「社会」は、もしかしたら、奉仕する人と奉仕される人が別々の社会にいるのでしょうか。きっと自らは奉仕される社会にいるのでしょうね。
それこそが、奉仕の論理ではないかと思います。

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2004/11/10

■当事者を除外する文化 

昨夜、香田さんの夢を見ました。彼は登場しませんでしたが、うなされて目が覚めた時の恐怖感の中で、なぜか香田さんが思い出されたのです。それから目が覚めて、眠れなくなりました。

第3回日朝実務者協議が始まります。
成果のない結果が続いているために、期待ももてなくなってきていますが、こうして問題は風化していくのでしょうか。当事者の立場での交渉手段の選択ではないですから、当事者たちにとっては納得できない進展でしょう。その現実に耐えなければいけない当事者の心境はどんなものでしょうか。

一昨日(11月9日)、家族会、救う会は薮中局長ら政府交渉団に要請書を手渡し、話し合いを行いましたが、その概要が「救う会全国協議会」のホームページに掲載されています。当事者のみなさんの思いが伝わってきます。
http://www.sukuukai.jp/houkoku/index.html
本気で解決しようとするのであれば、当事者を参加させなければいけません。しかし、今の時代文化は、常に当事者は除外されます。それが「管理の文化」です。

ファジャールの記者やバクダッドの人からのメールもネットでとびかっています。どれが真実で、どれが虚偽か、私には見分けはつきませんが、次の言葉は心にグサッときました。

女性、子ども、家族、歴史、人間性、そして平和が。
そして世界は米陸軍部隊が市民を殺す様子、どんな軍用機が使われるのか、
どんな兵器がファルージャで試されるのかをただ見ているだけだ。
世界は死に体になっていて、いなかる感情も、反応も示さない。
あなたはファルージャが意味するものを知っていますか?
 
当事者でなければわからないことがたくさんあります。
当事者を中心に考える仕組みを回復できれば、歴史はかなり変わっていくはずです。
最近の市民活動のパワーの源泉は、当事者が中心にいるからです。
まだまだたくさんの「管理者」がいるために、昏迷は続きそうですが、まもなく時代は変わるでしょう。
変化に荷担するか、管理者側に荷担するか、私たち一人ひとりに、それが問われています。
私はまだ、どちらにするか決めかねています。もちろん変化に荷担したいのですが、ちょっと怖いのです。まだまだ管理者に荷担する生活から抜け出られずにいるのです。

ファルージャが意味するものを、もっと真剣に考えなければいけません。

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2004/11/08

■イラクの真実  

イラクの復興への各国の取り組みが始まって、もうどのくらい経過するのでしょうか。
日本の新聞やテレビの報道では、復興に向かっているという実感はなかなか持てません。
むしろ悪化しているようにすら思われます。
果たして多くの人たちの善意は、きちんとイラクの復興に活かされているのでしょうか。

この数日のメールを見ていると、ファルージャ攻撃は半端ではなさそうです。新聞情報の小奇麗さとは大違いです。
ネット情報は、日本のマスコミとはかなり違うものも少なくありません。ファルージャの市民代表が国連のアナン事務総長に出した書簡には、「ザルカウィは実在しない、もしくはもはや死亡した、にもかかわらず、彼を口実に攻撃が激化している」と書かれているというメールも流れています。
何が真実なのでしょうか。

そもそもこの事件は、イラクの大量破壊兵器保有が発端でしたが、その事実はなかったことがほぼ判明しました。しかし、戦いはさらに激化しています。復興の名前での破壊です。

「アラモ」という映画で(新作の「アラモ」ではありません)、
ジョン・ウェイン演ずるクロケットが、仲間のテキサス人をアラモの戦いに巻き込む時の話は面白いです。敵将がよこしたと偽って、クロケットが自分たちを侮辱した手紙を読み上げます。皆は怒り出して、戦う気になるのですが、そこでクロケットは、実はこの手紙は自分が書いた嘘の手紙だと白状するのです。しかし、戦う気になった仲間は、そんなことはどうでもいいと言い出して、結局、全員がアラモで戦死するのです。

どこか似ています。
できれば、ブッシュにも生命をはってもらいたいと思うのですが、そこがクロケットとは違うところです。

イラクの真実は、本当はどうなのか。
香田さんの気持ちが少しだけわかります。
しかし、真実などはないのかもしれません。
テレビのニュースが私の感覚を麻痺させてきています。
怖いことです。

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2004/11/06

■電子ポットが壊れました  

電子ポットが壊れました。
3年前に購入したものです。
どこが壊れたかと言えば、「ロック解除」ができなくなったのです。
つまり、お湯が沸いてもロックされているため、お湯が出さないわけです。

購入した大型電気店に相談に行きました。
修理をするにはまず見積もり費用が5000円、部品変更で3000円くらい、合計8000円くらいかかるでしょうと言われました。新品を購入したほうがいいですよと言わんばかりです。確かに以前、ビデオレコーダーを、「アドバイス」に従わずに修理したら、またすぐ壊れたことがあります。それで家族の意見に負けて購入しなおしました。
今度は電子化されていないシンプルなものを探しましたが、そうしたタイプは形が悪くて購入気分を起こさないのです。結局、ほぼ前と同じものを購入しました。

さて皆さんはどう思いますか。
この電子ポットを作っている会社は、環境報告書などもしっかり出して、環境経営を謳っている会社です。

解除ロックが壊れたポットは結局捨てました。なにか納得できない気持ちでした。

なぜ解除ロックがついたのでしょうか。これもいま流行のユニバーサルデザインのせいでしょうか。余計なお世話といいたいですが。解除ロックがなければ、あの電子ポットはゴミにはならなかったのです。

こうした話は周辺にたくさんあります。
それが嫌なら、そういう道具を使わなければいいではないかと言われそうです。
たしかにそうです。
しかし、問題を摩り替えてはいけません。
問題は、ともかく顧客を増やし、市場を拡大していこうという姿勢です。
本当の経営は、顧客を創造することではなく、顧客を無くすことなのです。
ドラッカーの経営の時代は終わらせなければいけません。
今の財界人の発想は問い直さなければいけません。

新しい経済は、そこからきっと始まります。

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2004/11/04

■人の道を外すことが「人の道」  

「沈黙の春」を読む会と言うのをやっているのですが、そこで倫理の話が出てきました。
キリスト教社会では倫理の拠り所があるためか、倫理(ethics)という言葉が実体概念として受け止めやすいが、日本では倫理ということがわかりにくいと、米国で育ったメンバーがいいました。倫理という言葉できてから、まだ120年という意見も出されました。たしかに馴染みにくい言葉です。

倫理という言葉には、私は管理の姿勢を感じ、少し反発したくなります。たとえば、国歌を強要するリーダーシップのない都知事を思い出してしまいます。倫理は国家用語です。私の世界の言葉ではありません。

それに代わる日本語は何でしょうか。
とてもいい言葉があります。
「人の道」です。
これこそは私たちの言葉です。コモンズ用語です。

ところで、その「人の道」に反する事が、最近は評価される時代です。
それは、逆接的に聞こえるかもしれませんが、国家体制が崩壊されつつある証かもしれません。ローマ時代も、1世紀まではきっと「人の道」が大切にされたはずです。ブルータスの悲劇も、そのためかもしれません。

前置きが長くなりました。

楽天がプロ野球参入権を獲得し、ライブドアがだめでした。
これは「人の道」に反します。
中国的にいえば、最初に井戸を掘ったのは堀江さんです。
わりきれません。

香田さん事件はどうでしょうか。
人の道に反していないでしょうか。
香田さんのことではありません。
彼の救出に誠意を示さなかった日本の人たちのことです。
彼の死に哀悼の意を表しない私たちのことです。

そして、昨日、ブッシュが勝利しました。
嘘をついて、人を殺す事件を起こし、豊かなイラクを破壊し続けている人物が信任されたのです。
人の道を外すことが、今や「人の道」になったようです。
まさに「悪貨は良貨を駆逐する」です。
こうした社会の育つ次世代の子どもたちは、いったいどうなるのでしょうか。
少子化よりも深刻な問題が、そこにあります。
でも誰もそんなことは気にしないのでしょう。
それがこれまでの社会パラダイムだったのです。

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2004/11/03

■CSRの欺瞞性 

企業では最近、CSR論議が盛んです。
それは悪いことではないかもしれませんが、
その欺瞞性には腹がたちます。
CSRすらもイメージ戦略の道具になっているからです。
ISO14000もそうでしたが。
所詮はアナリストやインベスター向きの表層的な活動であり、それに便乗したコンサルティング会社の儲け主義を利するだけのものが少なくありません。

その証拠は、各社のCSRレポートの内容を見ればすぐわかります。
社会的視点はほぼ皆無です。

私は企業のCSRのポイントは、そこの社員(経営者と従業員)がどのくらい社会常識を持ち、どのくらい自分らしい生活をしているかだと思います。

それはともかく、こんなことをどう考えますか。
31日のコムケアのイベントを手伝ってくれていた人が、うっかり携帯電話をトイレの水に落としてしまいました。
大変です。使えなくなっただけではなく、データがすべて消えてしまったのです。
昔は、それでも乾かせば、回復することもあったようですが、最近は回復しないそうです。つまり濡らしたら、だめになるのです。
馬鹿な話です。
そうならないようにするのはそれほど難しくはないはずです。
しかし、ドコモ、いや、どこもやろうとはせずに、むしろダメにする方向に進んでいるのです。
これが昨今の商業主義の実態です。

自動車メーカーが、水中に没した時にドアや窓が開けられなくなる方向に開発を進めてきたのと同じです。犯罪に近いと私は思っています。

いずれもCSRでは評価の高いメーカーの姿勢です。
やるべきことをやるのが、CSRの原点です。
それがわかっていない会社のCSRレポートなど、読む価値もありません。
CSRに関するシンポジウムも多いですが、そんなまやかしに疑問を思う担当者はいないのでしょうか。

どこか、本当のCSRレポートを創る会社はないでしょうか。
ぜひお手伝いしたいです。

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2004/11/01

■断固たる姿勢でテロとの闘いを継続する  

ブログを再開します。

香田さんが殺害されました。
首相は「残虐非道」と憤り、「断固たる姿勢でテロとの闘いを継続する」と発言したと新聞に書かれています。

香田さんに関しては、私のまわりでもいろいろな意見がありますが、
香田さんを非難する声が圧倒的に多いです。
しかし、この結果に関しては、みんな「残虐非道」と衝撃を受けているように思います。
私も同じような意見です。

しかし、です。
「残虐非道」といえば、そこまで彼らを追いやった側はそうではなかったのか。
そして、彼らもまた、
「断固たる姿勢でテロとの闘いを継続」しているのではないか。
そう思えてなりません。

「断固たる姿勢でテロとの闘いを継続」などという発想が、すでに前世紀の遺物的発想です。こなれていませんが、私が20年前に書いた拙文「21世紀は真心の時代」をお読みいただければうれしいです。解決策は全く別の発想でなければいけません。

イラク復興は進んでいるのでしょうか。
人心面も含めて破壊が進んでいるのではないでしょうか。
イラクでの危険度がますます高まっているということの意味をしっかりと受け止めなければいけません。

香田さんが殺害され、小泉首相がぬくぬくと生き残っていることに不条理を感じます。
小泉首相が憤るべきは、ブッシュや自らの「残虐非道」さではないかとさえ、思えます。
そして、さらにまた、その側に荷担している自分へのふがいなさが残念です。

香田さんのメッセージは、大切にしたいと思います。

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