■イワン・フロール老人の教え
昨日のドンキの放火事件に関する記事に、友人がコメントしてくれたのですが、そのコメントは私へのたしなめが感じられました。そこで少し反省して、思い出したことを書きます。
トルストイの小品に、「火を粗末にすると―消せなくなる」というのがあります。
隣人と仲よくやっていたイワン家族が、代替わりしてから、些細なことで隣人と争いだします。争いはどんどんエスカレートして、訴訟合戦にまでなります。そしてついに、その恨みをかって、イワンの家に隣人が火をつけます。放火です。イワンはその現場を見つけるのですが、火を消すのではなく、その犯人を追いかけてしまいます。そしてもみ合っているうちに火は広がり、ついに村全体を燃やしてしまいます。
イワンは犯人を追いかけるのではなく、火が付けられた藁くずをもみ消していたら火事にならずに済んだのにと悔やみます。
イワンには寝たきりの老父がいました。やっとのことで助け出すのですが、死ぬ間際に老父はイワンを呼んで質問します。「イワンよ、村を焼いてしまったのはだれだな?」「あいつだよ、父さん」とイワンは答えます。
老父は、若い世代になってから争いの絶えないことを心配して、相手の立場で考えるように息子を諭しつづけていたのです。
父はいいます。「それはいったい誰の罪だね?」答えられずにいるイワンに父はいいます。「神様の前で言うがええ、誰の罪だな?」。イワンはやっと気がついて「わしの罪だよ、父さん」と言います。
「これからどうしていったらいいのだろう、父さんよ」と訊くイワンに老父は答えます。「ええかの、ワーニャ、気をつけて、だれが火をつけたかってことを、決してだれにも言うでねえだぞよ。お前が人の罪を隠してやれば、神様はふたつの罪を許してくださるじゃ」。それが老父の最後の言葉でした。
イワンと隣人にはまた父親たちのような隣同士らしい暮らしが戻ったといいます。
若い頃、私が好きだった作品の一つですが、恥ずかしながら、なかなかイワンの心境にはなれないのです。もちろん頭ではそうありたいと思っており、かなり身についてはきましたが、時折、その正反対の気分になるのです。つまり許せなくなるのです。
今日、1時間かけて、この本を山積みの書籍の中から見つけました。2回読み直しました。まだまだ意味を咀嚼できていない自分に気づきました。
ドン・キホーテの社長にもぜひ読ませたい小品です。きっと多くのことを学ぶはずです。
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