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2004/12/15

■二項対立発想からの脱却 

新聞によれば、文部科学省は、「学力低下」に対処するために、「ゆとり教育」路線を転換して、授業時間を増やすことを検討しだしたそうです。
「ゆとり」か「学力」か、教育問題が語られる時に決まって出てくる座標軸です。
しかし、それらは全く対立軸にはならない、次元の違う話です。

先日もケアの話し合いで、「厳しさ」と「ケア」が対立軸で語られる場がありました。
これも次元の違う話です。
そうした次元の違う話が、二元的に話されることがとても多いです。
たとえば、「戦争と平和」「対話と圧力」「価格と品質」「公と私」などなど。

発想の視座を変えると対立概念だと思っていたことが、実は組み合わせの要素であることに気づくはずです。
言葉の定義はともかく、
学力があればこそゆとりが生まれ、ゆとりの中でこそ学力が育ちます。
ケアには厳しさも必要ですし、厳しさにはケアが不可欠です。

これらの話は、瑣末な一例ですが、問題は私たちが二元論に基づく二項対立発想にあまりに浸りすぎていることです。
「○○か××か」とすぐに考えてしまう思考から自由になれないのです。
大切なのは、「○○か××か」ではなく、その先にある目的であり、ビジョンです。
子どもたちをどうしたいのか、が明確であれば、「ゆとり」とか「学力」とかの意味も実体化してきます。行為の目的がしっかりしていれば、「ケア」も「厳しさ」も同義語になるかもしれません。

教育改革の問題に戻れば、ビジョンがあいまいですから、議論は迷走します。
明治維新以来、日本の学校教育は産業化社会の実現を目指してきました。
学校も教育はビジョン実現のための手段です。
そういう視点で考えると、学校の存在意義はなくなったのです。
そろそろ小中学校を含めて、学校を全廃する時期だと思います。
代わりに必要なのは、学びの場です。

二項対立発想による退屈な議論はそろそろやめて、
目指すべきビジョンを語る時期にきているように思うのですが、
ビジョンを語る人がいないのがとても不思議です。

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