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2005/01/08

■日本のために働くということ 

福岡にあるグループホーム縁側の梅川さんは、私が信頼する若者の一人です。
1度しかあったことはありません。しかも、福岡空港であわただしく、です。
なぜ信頼するかといえば、現場につながりながら、自分の視点と信念で行動しているからです。実体のある言葉で語る人は、私は無条件で信頼します。
彼が年賀状に、「日本のために働きます」と書いてきたので、

「日本のために働く」のではなく、みんなのために働く」のがいいです。 この違いはとても大きいです。 私が日本の福祉政策に批判的なのは、日本(国家)のためであって、みんな(そこに住む人/日本国民に限りません)のためではないからです。
とメールしました。

その返事に、とても共感しました。
梅川さんの許可を得て、転載します。
長いですが、ぜひ読んでください。
現場の真っ只中で汗している人の真摯な発言です。

本当にそうですね。日本の福祉にしろ、イラクの復興にしろ、そこに住む人のことを考えない政策ですし、そこに基準を置かない政策や権力は近いうちに崩壊する(お客様のことを考えない会社が潰れるように)のが世の定石ではないかと最近僕は勝手にそう考えています。それに「国家とかいう小さい枠組みで考える時代じゃない」という方が最近、増えていらっしゃるようにも思います。

でも、僕はあえて「日本」にはこだわってみようと思います。

徳川家康にしろ幕末の名を残す志士達にしろ、何も戦いに明け暮れて、ライバルを潰していった結果、そうなったのではなく、「そこに住む民衆を慈しむ心に裏打ちされた国家観」というものがあり、そのことに対して自ら「矜持」を持っていたからこそ民衆が悲しまないようにするための大事業をなしえたのだと考えております。

またそれと同じ比重で、その時代、そこに住む民衆が、その政策(現在批判される士農工商にしろ)を了解し、支持したからこそ、事業の成功がありえたのだと思います。
いくら家康や大久保利通が信念をもっていて、事業をおこしても、民衆の要望(または潜在的要望)に応えていなければ、どんな小さな政策でも実現しなかったのではないかとも思います。

だからやっぱり「渡る『世間』は怖い!」
世の中には「世間知」(各民衆の良心とでもいいましょうか)というものがあって、それに適わない事業は、おそかれはやかれ潰れてしまう。

日清戦争の時の話です。

日本艦隊の発砲した弾が、清の有名な武功を持つ艦長にあたり即死したのを、日本側が知り、日本側も(国や人種を越え)一目おく人物だったので、相手の死を悼み、全軍に発砲を止めさせて、その艦長のために黙とうを捧げたとの話を知ったとき(それまで日本の戦争といえば昭和陸軍の南京大虐殺のイメージしかなったのですが)「自分が矜持をもつからこそ、相手の矜持も尊重できる」(またそうできることが本当の矜持・プライドなのかな)と考えるようになりました。まだこの「矜持」を自分なりにもつことは出来ていませんが。

僕の父は昭和の戦争を経験していますが、よく私は「何で本当のに国(国民・家族)のことを思って戦うのなら銃口を大本営に向けなかったのか」と父にいいます。父の返答は「憲兵がこわか(怖い)ろーもん」ですが。
これが幕末の坂本竜馬たちなら「この国(国民・民衆・そこに住む異国人)が危ない」と思えば、自分の命を賭してでも、たとえ「非国民」になろうが、なんだろうが道を誤らせる者と戦うでしょうし、その相手方もまた「これが正しい道なんだ」と思えば、これも命を賭けて応戦することになるでしょう。本当に自分が正しいと思うことのためになら血みどろになったっていいのではないでしょうか?

しかし、この「血みどろ」がこの戦後、「自分の命を一番大事にしなさい」といって育てられてきた僕には、なかなか出来そうありません。今のところは(情けないですが)せめて雰囲気というか、そんな風な気概だけでも持ちたいと願っております。

「国・国家」といえば昭和の戦争のなごりがあるので、「国民・そこに生きる者」を何か抑圧するもののようなイメージがありますが、僕の「日本(国家)のために」は「地域社会(人さま)のために」と同義です。(国家=日本=地域社会)

この「国家」は今、官僚のものか、マスコミのものか、アメリカのものか、分かりませんが、僕は「国家」は本当はいつの時代もそこに住み、そこにささやか幸せを求めて暮す、愛すべきひとたちのものだと思っています。

ほんと、自分なりにこの地域に役立てるように働きます!
命をどーんと賭けることはできませんが、人生の一部分はかけてみようと決意しております。(そして出来るならあとからたくさんお金がついてくればいいなと思うのですが。)


感動しました。歳をとるとすぐ涙が出るのです。
こういう若者に、私の未来は預けてもよさそうです。

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コメント

 いつも修さんの話に納得しているばっかりのぼくには耳が痛い話でした。

 梅川さんの領域にいけるようにぼくもがんばります。

投稿: やべっち | 2005/01/09 23:33

矢辺さん
そんなことはありません。
やべっちも、私が未来を託したくなる若者の一人です。

昨日、我が家に来たお客様と、障害を持つ人の働き場の話をしながら、矢辺さんのことを思い出していました。
彼も以前、滋賀で障害者の働く場づくりに取り組みました。いつか紹介しましょう。

見えないところで、いろいろな人が社会を気持ち良くしようとがんばっています。

投稿: 佐藤修 | 2005/01/10 09:36

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