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2005/01/09

■インド洋大津波とソラリス 

インド洋大津波の被害者がまだまだ増えています。
インドネシアにいる友人からのメールでは、インドネシアだけで15万人の死者だといいます。毎日のようにテレビで放映される津波の映像を見ていると、何かを書きたいのですが、書くことに躊躇を感じざるをえません。
何を書いても不謹慎になりそうだからです。

昨日、テレビで「ソラリス」を観ました。最近の映画です。
この原作「ソラリスの陽のもとに」には昔、魅了されました。最近、新訳も出ていますが、読んでいません。この種の本を読む気力が最近はなくなっているのです。想像力を働かせなければいけないからです。

最初の映画化作品は私には期待はずれでしたが、今回は、かなり満足できました。しかし、原作と切り離して、ですが。

ソラリスは惑星の名前です。その惑星の海は知能を持ち、そこに調査にいった科学者の意識にコミュニケーションしてきます。その仕方は現在の物理学のパラダイムを超えているのですが、そこがとても面白いのです。論理を超えているからです。
論理を超えると必ず出てくるのが「愛」です。この映画も愛の映画です。それだけなら私は退屈です。最近の映画が、安直に「愛」を語りすぎることに辟易しています。しかし、この映画は、そこに「恐怖」が埋め込まれているので、私は好きになりました。そのメッセージはスタニスワム・レムの時代よりも現実味を飛躍的に増しています。

話が飛躍しますが、ソラリスとインド洋大津波が私の頭のなかで奇妙に重なったのです。
今回の事件は海からの、つまり地球からのメッセージかもしれません。

映像を見ていると、海がどんどん引いていく場面でも、大きな波の壁が遠くに見える場面でも、それが自らの足元に近づくまでは、みんなその異常を「観察」しているのです。もし現場にいたら、私もきっとそうだったでしょう。想像を超える事件には、誰も危険を感じないのです。
現代は、こうした状況がさまざまなところにフラクタルに起こっている時代です。っしかし、誰も気づかない。これは不幸でしょうか幸せでしょうか。迷います。

津波にえぐり取られた岸壁を見て、歴史は決して連続的なものではないことも知りました。私たちが論理で構築した歴史などは、弱々しい仮説でしかないことを改めて確信しました。終わりは突然に来るのです。

何が始まっているのかわからないままに、私たちはいま、大きな危険にさらされているのかもしれません。しかし、危険は認知しなければ、危険ではありません。

なにやら小難しいことを書いてしまいましたが、
私の価値観をえぐりとられるような事件でした。
最近、友人知人の訃報が続いているのは偶然ではないのかもしれません。

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