■見たくないものを見ない生き方
昨日、新幹線で山形に行ったのですが、同じ車両に10人くらいの人たちが乗りました。
その人たちの半分は、太い紐でつながれていました。
犯罪者でしょうか。見てはいけないもの、見たくないものを見てしまった感じです。
そして、なにか気分が沈んでしまいました。
人が「つながれている」ということは、やはりショッキングな光景です。
事情をわからずにいうのは不謹慎ですが、大勢の人前で、人をつないで連行するようなことは、まさに人権侵害ではないかと思います。
しかし、今日になって、それとはまったく別のふたつの疑問がでてきました。
まず、こうした風景を見たくないと思う、私に対する疑問です。
私は、見て見ぬ振りをしました。おそらくみんなそうでしょう。
見ない振りをしているわけですから、当然、何も行動しません。
「どうしたのですか」などという質問はできません。
子どもであれば、どうでしょう。
きっと質問するでしょうね。
目撃者が多い状況の中でこそ、犯罪や事故は見過ごされるという調査結果がありますが、とても納得できます。
見たくないものは見ないという、こういう態度は、果たしていいのか、という疑問です。
もう一つは、これが犯罪事件そのものである可能性はなかったのかという疑問です。
紐でつながれていたのは被害者で、暴力団に連れて行かれるところだったかもしれません。途中で声を出したら、殺すと脅かされていたのかもしれません。その可能性はゼロではないはずです。
堂々と行動すれば、犯罪も見逃されるという話です。
しかし、目撃したすべての人は、確認もしないまま、紐でつなげて連行するという人権侵害を起こしているほうが正義で、連行されているの人たちは犯罪者と、勝手に解釈しているわけです。何かおかしいですね。
こうして、私たちは大きな犯罪を見逃してきているのかもしれません。
私もまた、裸の王様になりたがっておることに気づいて、愕然としました。
昔はこうではなかったのです。
まあ、それが人生を踏み外させたのかもしれませんが。
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