■構造的介入
ノルウェイの思想家 J.ガルトゥングは直接的な暴力とは別に、構造がもたらす暴力に着目して、構造的暴力という言葉をつくりました。「社会構造のゆがみや不当な権力の発動による人権の剥奪状況」というような意味です。この概念は、平和の問題に大きな影響を与えてきました。
構造的暴力の対概念は主体的暴力です。つまり暴力の主体者が特定できるかどうかの違いです。誰が加害者か特定できない暴力状況は少なくありませんが、しかしその場合も、それによって誰が得をしているかから考えると問題の構図はかなり見えてきます。
さて、昨日、大きく取り上げられた「NHKへの政治介入」事件です。
何が真相なのかはまだ「藪の中」ですが、ニュースを見ていて、先ず思い出したのが、この構造的暴力の話です。
中川さんや安部さん、ましてや海老沢さんのような小市民の言動は、まあ私には瑣末なことのように思えますが、問題は彼らを生み出し支えている仕組みの存在です。
存在するだけで介入効果のあるカリスマ的な権力者やリーダーは少なくありません。西武の堤さんやダイエーの中内さんはそうだったのでしょう。その存在から生み出された主体を持たない構造的介入が組織を壊していきました。
しかし、そうしたカリスマ的な存在がなくても、構造的介入の仕組みが生まれ育っているのが現在の社会かもしれません。仕組みが人を支配しだしたのです。そして使いやすい小泉さんや安部さんを仕組みの走狗として使い込んでいるように思います。
今朝のNHKのニュースを見たわが家族の反応は、長井さんの話は嘘だったのかというものでした。そう感じた人も多かったでしょう。ここでも見事に構造的介入の仕組みが作動しています。
ちなみに、長井さんの記者会見(2005年1月13日)の放送映像を無料配信しているところがあります。見てください。
http://www.videonews.com/asx/011305_nagai_300.asx
権力者の喜びと利権は「介入」です。しかし、主体的な介入のほかに、こうした構造的介入の実態があるように思います。そして組織人は、その存在的介入の幻想に過剰反応して自己規制しがちです。それが多くの企業不祥事の原因です。
長井さんが「サラリーマンとしての苦しさ」を述べましたが、サラリーマンであることをやめれば、今の時代はとても生きやすい時代です。
組織の呪縛から自らを解き放しましょう。
最近の社会経済生産性本部の調査によれば、納得できない仕事を命じられたら、拒否すると答えた人が半数を超えたようです。
社会は変わってきているのです。
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コメント
こんにちは。
先週でしたか、日曜朝のテレ朝の報道番組で、各党の幹部が出席してこの問題に関しコメントしていました。自民の政調会長は、「何か記事を報道する準備で、メディア社内で上司と部下が内容を話し合うでしょう。同じように、政治とメディアでも内容について話し合うこともありますよ」という趣旨の発言をされていました。
なるほど。。。そうかも。。。
あれ。。。? ハタと気づきました。
確かに、記事の内容を検討するという、作業は上記の2つとも共通です。
ですが、メディアが社内で検討するのは、品質管理です。
一方、メディアと政治で検討するのは、介入です。
目的が違っているのです。
どうやら、メディアに介入することに
どっぷりつかっていらっしゃる故のコメントなのかもしれません。
メディアが語らなくなると、一番不幸になるのは国民です。
もうそれは始まってしまっているのかもしれません。
メディアも、情報を持つ個人も、勇気を持って語り始めることが大切と思います。
投稿: 田辺 大 | 2005/01/22 09:19