■人にレッテルを貼る社会
今日はNPOの集まりに参加していました。
いつもそこで気になる言葉があります。
「障害者」です。
15年ほど前に、ある会に参加していて、「障害者」という言葉を発したら、若い参加者の一人が、「佐藤さんから障害者という言葉を聞くのは残念です」と言われました。その言葉がずっと気になっています。
でも、ではなんといえば良いのでしょうか。
以来、私は障害を持つ人とか、障害の強い人、と言っていますが、まだすっきりしません。
山口で開かれたNPOの集まりで、発達障害に取り組む方から、中学まではちょっと変わった子どもくらいにしか思われていなかったのに、高校進学時に、突然、発達障害という烙印をおされて、子どもはパニックになるのです、という話を聞きました。
先日、NEET問題を考える委員会に参加しましたが、
そこでもずっと気になっているのが、「NEET」という言葉です。
イリイチは病院が病人をつくり、学校が劣等性をつくるというようなことを言っていますが(不正確な読み取りかもしれません)、人にレッテルを貼る社会の怖さを感じます。
NEETという言葉さえなければ、多くの若者の人生は変わったかもしれません。
言葉は人を暗示にかけます。
人にレッテルを貼る社会をそろそろ終わりにしたいです。
私が福祉の専門家や実践者が好きになれない理由の一つです。
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コメント
たしかに困りますよね…
私自身は「いわゆる障害者と呼ばれている方たち」とか「障害者手帳をもっている方たち」なんていったりしますが、なんだかそれも他人の言葉に自分がコミットしていないことを示したいだけというか、自分の言葉で的確な表現をしているわけではないので、なんとも卑怯な感じがしています。
私の仕事でのお客さんは役所の「障害福祉課」「社会福祉課」さんなのですが、やはり電話などで「障害者などということばはけしからん」といわれたりしていて、どういったらいいのか困っているようです。「害」の字をひらがなにしたりするところもありますが、それもあまりうまい表現とは思えません。
同じ役所のサービスでも、児童手当などをみていると、サービスの提供対象をとくにひとつのことばでくくらなくてもよいというか、対象者とか受給者ということばでまにあう場合が多いのではないかとも思います。
わざわざ「障害者」ということばを「使わなければならない」場面って、どれだけあるのでしょうね。それをピックアップして、それぞれにほかにもっとふさわしい表現を考える、という方法も考えられるかと思ったりしました。
投稿: おおむら | 2005/02/27 05:41
同感です。
「障害者」と彼らにレッテルを貼ることによって、自分達とは違うんだという優越感と差別をしているとしか思えません。
ただ、その言葉を使わざるを得ないのが現状であり、よい言葉を考えましたが、出てこないのも事実であり・・・。(苦笑)
考え付いた結果、「障害者=できない」ではないよい認知をどんどんしていくことが一番大切なことだと思っている次第です。
投稿: やべっち | 2005/03/01 02:09
大村さん
そしてやべっちさん
障害者の代わりに、チャレンジドという言葉が一時期かなり使われました。私も使っていた時期がありますが、やはりこれも私には馴染めません。チャレンジしているのは何に向けてかを考え出したら、なにか違和感が生まれてしまったのです。
障害者と障害のある人は全く別の意味合いのような気もしますが、これも何かすっきりしません。
おそらく、障害と人間をくっつけるところにおかしさが生まれるのでしょう。
何か良い方法が見つかったら、また書き込みます。
投稿: 佐藤修 | 2005/03/01 21:16