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2005/02/15

■学校がなぜ悲劇の舞台になるのか 

また学校が舞台の事件が起きました。
事件の背景はわかりませんので、この事件へのコメントは避けますが、
学校という空間もまた、信頼を失った殺伐とした空間になっていることを思わせます。
なぜ学校が殺伐とした空間になったかは、社会のあり方と深くつながっています。社会の歪みが学校を通して子どもたちに襲いかかる仕組みになっているのかもしれません。
問題は社会の形に合わせて設計された学校に、子どもたちが無理やり合わせられていることです。そこに大きな問題を感じます。

学校の主役はだれでしょうか。
私は子どもたちだと思いますが、一部の例外を除き、そうはなっていないと思います。

その歪みは、いろいろな形で現れています。
例えば、最近、発達障害が話題になっていますが、昨日、日本教育会館で行なわれた公開研究会に参加した人がホームページにこんなことを書いています。

メディアは全般に、「今まで隠れていた障害が明らかになり、細かい支援が行なわれるようになった」という論調ですが、実際には入学前に細かい選別が行なわれているのです。要するに、障害児の多様化・重層化なんですね。 (中略) それを支えているのは、学級崩壊を防ぎたい教師と子育て不安から診断を望む親。 そして、出来る子にエネルギーとお金を注ぎたい文部科学省です。 教室に入れてもらえなかったり、教室から追い出されたり、様々な問題が起きているのです。

詳しくはこのホームページをご覧下さい。
http://bbs3.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=mypeace&mode=view&no=21
これに関するコメント記事もいくつかあります。

こうして創られた学校空間が、いかに子どもたちの心を歪めるかは想像に難くないです。

学校を開くとか閉じるとかの問題は、学校の透明性を高めるということでなければいけません。
子どもたちの集まる場をマネジメントしている人たちは、実態をもっと社会に情報発信してほしいです。
この事件は、そうしたことが急務であることを示唆しているように思います。

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