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2005年3月

2005/03/27

■テレビの新しいミッションやあり方を考える時期 

情報が多ければ、事実がよく見えてくるわけではありません。

ライブドアとフジテレビの事件のニュースは、いささか食傷気味ですが、
だんだん「事の本質」が見えなくなってきたような気がします。
それにしても、テレビも新聞も、連日、あれだけのスペースを使って、何をメッセージしたいのでしょうか。焦点の当て方はいいのでしょうか。もっと他に重要な問題があるでしょうに。
私は堀江さんの行動を支持しましたが、どうやら事の主役は違うところに移ったようです。
つまりは「情報隠し」へと動き出し、その陽動作戦が仕組まれているように思えてなりません。

マスコミのレベルの問題だと思いますが、最近の報道のあり方には主体性を感じません。しっかりした視座がないせいか、振り回されていますね。
メッセージ性も価値基準もなく、ただ面白さだけを追求しているのかもしれません。
サラリーマンジャーナリストが多すぎます。

ブログが新しい情報インフラになるという指摘もありますが、あまりリアリティを感じません。膨大なブログにどうやってアクセスし、編集し、評価するか。そんなことができるはずはなく、結局はターミネーターやマトリックスの世界になっていくしか考えられないのです。
そうした状況の中で、堀江さんたちの挑戦に対して、テレビが新しい役割やビジョンを打ち出せば、事態は大きく変わったでしょう。それこそが、企業価値を議論することですが、関係者は堀江さんと同じ、私欲的な金儲けの世界から一歩も出ていません。

フジテレビに限りませんが、公共性を名目に放送を私物化し、ひどい番組を提供し続けているテレビ会社の経営者や現場の人たち(下請け会社社員は別です)は一掃されてほしいと私は思っていますから、堀江さんにがんばってもらいたいわけですが、その堀江さんたちが関わっているIT情報ネットの世界も同じようにひどいですので、堀江さんも一掃されてほしいと私は期待しています。いずれもまあ、消耗品でしょうから、それはあながち夢でもないでしょうが。
今回の事件で、そうした全体の制度に寄生している人たちの実態を顕在化させたのは、なんと言っても堀江さんの功績ですが、これを契機にテレビのあり方を見直す動きが出てほしかったです。
テレビに関わっている人たちには、そうした思いを持った人はいないのでしょうか。最近の番組を見て、恥ずかしいとは思わないのでしょうか。堀江さんに、まずはニッポン放送を聞いてほしいとニッポン放送の社員は発言していますが、同じ主旨の注文を彼らにつけたいです。フジテレビに影響を与えられる立場にある人であれば、フジテレビの番組にも責任を持つべきでしょう。
みんな同じ穴のムジナです。
まあ、私もその一人かもしれません。

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2005/03/17

■イラクの真実 

最近のイラクはどうなっているのでしょうか。
次々と起こる事件の中で、大切なものがどんどん見えなくなってきていることに大きな不安を感じます。

地球公共平和ネットワークの集まりで一度お会いした山梨の久松さんという方がいます。平和のメーリングリストでいつもたくさんの刺激をもらっています。
久松さんは、イラク戦争の実態を伝える会の代表です。

久松さんたちは、先月、フセイン元大統領弁護団のスポークスマンであるジアード弁護士を日本に招き、イラクの実態に関する講演会を開催しました。新聞などでも報道されたので、お読みになった人もあると思います。
なぜジアードさんを招いたかに関しては、久松さんたちが新聞社に送った案内文章に明確に書かれています。

私たちには、何が真実であるかを見定め、今イラクで実際に何が起こっているかに耳を傾ける義務があります。私たちの憲法は、次のように言っています。
「私たちは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
諸国民の公正と信義に信頼するためには、私たち自らが、公正であろうと懸命に努めなければなりません。
現在、私たちは、一方的な情報しか与えられていません。問題の全体を公正に判断するためには、私たちは、アラブの人々の声に耳を傾けねばなりません。
そういうわけで、私たちは、ジアード氏を招待しました。

とても真摯な姿勢です。共感します。

ジアード氏は、その講演でサマワは、新型爆弾により高濃度の核汚染に晒されていることを指摘し、オランダ軍の早期撤退の理由は、この核汚染によると詳細に語ってくれたそうです。

サマワの核汚染の話はこれまでも出ていますが、日本では余り問題にされません。しかし、もしこれが事実であれば、もっと議論がなされていいはずです。

これはほんの一例ですが、真実はなかなか見えてきません。
見えた時にはもう遅いのかもしれません。
最近は、結果が出てから見える事実が多すぎます。

しかし、ネットの中には膨大な真実や事実が存在しています。
まさに虚空蔵です。膨大な知と事実が集積されているはずです。
それらがもう少し見えてくる仕組みができれば、世界は変わってきます。
いまは苦労しながら時々潜り込もうとしていますが、とても個人には歯が立ちません。

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2005/03/08

■人の権威や人気を借りることのおかしさ  

千葉県の県知事と県議の補選が次の日曜日に行われます。
それで気になることがあります。
いろいろな人が応援に来ることです。
どうもそれが私には馴染めません。

今日は地元の県議候補の応援に石原元国土交通大臣が来るそうです。
この一事で彼への投票の検討はやめました。
応援演説に権威や人気が感じられる誰かを呼ぶ人には原則として、私は投票しないのです。
原則ですから、絶対ではありません。
しかし、権威を借りる人には期待は出来ないからです。人気を借りる人よりも信頼できません。

しかし、それにしても応援を呼ぶ人が多すぎます。どういうつもりで、応援を呼ぶのでしょうか。また、そうしたことがどうしてこんなに広がっているのでしょうか。情けない話です。

応援者を呼ぶ効果はきっと大きいのでしょうね。
そうでなければこれほど広がるはずがありません。
しかし、ここにこそ、大きな問題があるように思います。
応援者依存のスタイルの持つ意味をしっかりと考えなければいけないと思います。
誰かが何かを隠蔽しようとしているような気がします。
主体性を排除する社会は、そろそろ終焉させたいです。
時代は個人起点です。

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2005/03/07

■愛国心を育てる国家

宇都宮徳馬さんが創刊された「軍縮問題資料」が休刊されることになりましたが、その最終号が届きました。この雑誌は、私が一番愛読している雑誌です。もっとも熟読しだしたのは、この3年くらいです。それまでは拾い読みでしたが、最近は全記事を読んでいました。

休刊に関しては様々な反響があり、今度の金曜日には再刊に向けての集まりもあるとのことです。私も何か出来ればいいなと思っています。

ところで、今月号に、コスタリカ大学の院生のロベルト・サロマさんが寄稿しています。それを読んで、私の国家観が少し変わりました。私は国家の価値をほとんど評価していないのですが、もしかした間違いではないかと思い出したのです。

アメリカのホワイトハウスのホームページに掲載されていたイラク戦争支持国リストから昨年9月、コスタリカの名前は削除されましたが、そのきっかけは、ロベルトさんが起こした違憲訴訟だったのだそうです。最高裁が「イラク戦争支持は憲法違反」と判決したのです。
彼はこう書いています。

私の提訴は、この国の精神の産物だった。

コスタリカの憲法は、軍隊を禁止し、国のいかなる権力にも他国に宣戦布告することを禁じているといいます。彼の行動は、そうした国家の精神の産物であり、それを支持したのもまた国家の精神だったのです。

さらに彼はこうもいいます。

平和への道はない、平和こそ、その道なのだからということが、おそらく世界に向かって叫んでいる私たちの祖国の精神だったのです。
最後の文章は、こうです。
私たちの国家の歌詞には叡智が満ちています。すなわちー「労働と平和、万歳」

愛国心と何かを改めて考えさせられました。
いまの日本とは、愛国者を育て方があまりにも違います。
コスタリカに生まれたら、私もきっと愛国心が持てたでしょう。
いや、この発想自体が、無責任で他人依存型とロベルトさんから非難されそうですね。
それに、日本はコスタリカに負けない憲法を持っているのですから。

ロベルトさんは先月来日し、8都市で講演されています。
ネットで調べれば、きっとどこかに記録があるはずですが、
詳しい記事はまだ見つけられていません。
関連情報のサイトを下記します。
■コスタリカの歴史と平和憲法の成立について
■イラク戦争合意違憲判決(2003_9_8)コスタリカ最高裁
■コスタリカ市民の憲法意識

軍縮問題資料の最終号(4月号)は、次のところに申し込むと購入でします。
1冊410円です。
http://www.heiwa.net/

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2005/03/03

■働くことは義務か権利か  

失業率が高まっています。
これは嘆かわしいことだと普通は考えます。
でもそうでしょうか。
そして、どこが悪いのでしょうか。

失業者がいても、社会は持続していけているのです。
社会を持続させていくための生産活動は十分行われているということです。
社会総体で考えた場合、労働時間短縮が実現したといっていいでしょう。
社会にとっては豊かさの実現です。

しかし、現実にはどうもそうはなっていません。なぜでしょうか。
それは、働くということと成果の取り分が強くリンクしているからです。
「働かざるものは食うべからず」のルールの呪縛があるからです。
働くという義務が食べる権利とセットになっています。
ここに問題があります。

家庭という社会で考えてみましょう。
そこでは働かなくとも生活が保障されている人がいます。
乳幼児やお年寄りです。時には病人もそうです。

話がややこしくなりますが、私はそういう人も働いていると考えていますが、
今回はそこは無視します。
改めてそこは書きます。
今回は、あえて、
「働く義務と食べる権利はセットになっていない」例として家庭をあげておきます。

話を戻します。
失業者が多いことはなぜ悪いのか。
働かない人が増えてきていることと失業率の高まりとは違う話です。
それが混同されているような気がします。
それは、働くことが義務だと考えられているからです。
働かない人が増えているのと働けない人が増えているのとは全く違う話です。

働くことは、ワクワクするような喜びの行為です。
いや、そうであると私は確信しています。
みんな働きたいのです。わくわくしながら。
しかし、そうしたワクワクするような働きの喜びを、誰かが、あるいは何かが苦痛にしてしまったのです。ですから労働時間は短いほど良いと、労働組合も考えてきたのです。
最近になって、ようやくILO(国際労働機構)も、ディーセントワークなどと言い出していますが、本来、働くとはワクワクする価値ある行為なのです。
そうであれば、働くことは義務や責務ではなく、権利なのです。
この価値観の転換が、いま求められているように思います。
その権利を、一部の人たちが独占してはいけません。
昨日も超多忙な若者に会ったら、給料を減らしてもらってもいいから休みがほしいと言っていました。

私は現在の社会が必要としている労働時間を人口で割って、働く権利の平均時間を決めて、それを越えて働く人はむしろ給料をもらわずに社会にマイナス給料を払うのがいいと考えています。何をバカなことをといわれそうですが、累進課税の精神は、そういうことだと思っています。

問題は労働の単価です。
時間給が安いから労働時間を長くしなければやっていけないのだと言う人がいるでしょう。
確かにそれもまた多くの現実です。
しかし、それもまた、働くシステムの基本設計がおかしいからです。

さらにややこしくなりますが、
いま、会社に雇用されている人は働いているのでしょうか。
働かされているのと働いているのとは、これまた違います。

なにやら複雑になりすぎました。すみません。

みなさん
いずれにしろ(飛躍しますが)、
働くことと食べることをリンクさせる必要はないのです。
そういう発想で、生産システムや生活システムを設計し直していく時代に来ているように思います。
少なくとも、働かないと食べていけない社会は見直すべきです。

この議論は、私が予定している「コモンズの回復」のキーコンセプトの一つであり、まだ消化不良気味なのですが、最近のニート議論や定年延長などの動きに、大きな違和感があるため少し書いてしまいました。
ご理解いただけたでしょうか。
いえ、書いている私もあんまり理解できていないようですね。
いやはや困ったものです。
すみません。

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2005/03/01

■いま、ネパールで何が起きているか、ご存知ですか 

最近、イラクの話があまり聞こえてきません。平和に向かっているのでしょうか。
イラクはともかく、アフガニスタンはどうなっているのでしょうか。
不安があります。私たちとは無縁ではないからです。
ニーメラーの教訓を忘れてはいけません。
ましてや、私たちの税金が使われていますから、私たちは加害者になる可能性もあるのです。

ところで、昨日、

ネパール・ピース・ネットではネパールの基本的人権の回復のために、
地球市民社会のみなさまのご協力を求めています。

という緊急アピールのメールが飛び込んできました。
私が信頼する人を介してのメールです。
それによると、

2005年2月1日、ネパールでは国王が首相を解任し実権を掌握、国家非常事態宣言が発令されました。その後1ケ月が過ぎようとしていますが、言論や集会の自由は回復されず、人々は沈黙を強いられています。政変後逮捕された著名な知識人や政治家の中には釈放された人もいますが、友達と話をしていただけで「集会」とみなされ拘禁された少年もおり、報道規制がある中、一般市民への影響は新聞等で伝えられることもありません。

みなさん、ご存知でしたか。
あまり新聞を読まなくなっている私は知りませんでした。
こういう事件はたくさんあるのでしょうね。国内外に。

詳しくは以下のホームページをご覧ください。
http://npnet.exblog.jp/i2

いま、世界で何が起こっているのか。
公共性を主張しているマスコミは、本当のことを語ってくれません。
それが公共性なのかもしれません。
これに関しては、いつかきちんと書きたいですが、公共性もまた二義的ですから、恐ろしい概念になりえます。

まあ、それはそれとして、よかったら署名してください。

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