■隠れて暮らす社会
知人の思いに共感して、署名運動に協力することが時々あります。
今回は「末期がん患者の介護保険給付に関する署名」です。
女房と一緒にいろいろな方々に署名してもらいました。
ところがです。
女房が、プライバシー情報漏洩が問題になるなかで、こうやって氏名と住所を書いてもらっていいのだろうか、そう簡単には頼めない時代になった、というのです。
考えてみると確かにそうです。
しかし、よくよく考えてみると、何かおかしいような気がします。
名前と住所がわかって何が問題なのでしょうか。
女房は、悪質な業者の手に渡ると悪用されるといいます。
そうかもしれませんが、何か腑に落ちません。
もし住所録で悪事を行う人がいるのであれば、それを取り締まればいいのであって、住所や名前を隠すことはないでしょう。
私は電話もメールアドレスも、生活内容も、かなり公開していますが、不都合は起きていません。
確かに迷惑メールは毎日わんさと届きますが、それはまだ我慢の限度内です。
そのために自らの生活を隠そうなどとは思いません。
プライバシー保護って何なのでしょうか。
どこかに勘違いがあるような気がします。
ついでにえいば、
最近は就職面接などで出身地や年齢や家族のことなど、訊いてはいけないのだそうです。
ないも訊かずに採否を決めなければならないわけです。
テレビで一般風景の場面で、よく顔の部分がぼやかされます。
顔を見せない風景もよく出ます。
これも気になります。
福祉施設などでは特にそうです。
顔を見せて、何が悪いのかです。
自分の正体を隠して暮らすのが現代の常識なのでしょうか。
おかしいと思いませんか。
私がおかしいのでしょうか。
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コメント
ブログで会社をクビになった人がいますが、内部告発者の保護や情報源の秘匿がなければこれまでもこれからも様々な事件は解決していかなかったでしょう。例えば部落差別も出身をなんでも明らかにすればというのは当人にとってどうなるかわからない場合もあります。
また、本当の罪は実名では他人には言えないでしょう。2ちゃんえる等から情報が漏洩して問題になる場合など、匿名でなければありえなかった現象でしょう。
投稿: syoji | 2005/04/11 02:38
syojiさん
ありがとうございます。
反応が遅れてしまいました。すみません。
情報源の秘匿や時に名前を伏せての行動が必要なことには同感です。
またすべてをさらけ出すことのマイナス面もあることには同感です。
それに「匿名」であろうともかなり「勇気」のいることもあります。
私もすべてをさらけ出しているわけではありません。
自らの責任において、「判断」しています。
しかし大切なのは、原則と例外の関係です。
いまは、ともかく「個人の生活や実体には踏み込まない」という姿勢が広がりすぎていることが気になります。
私は、行政の職員が最近ようやく、「自分の名前」で仕事をするようになってきたことをいいことだと思いますが、逆に住民サイドが余りに自らを隠しだしていること、そしてそうした風潮に違和感を持っています。
プライバシー保護とは、そういう形式的な制度ではなく、お互いに思いやる関係や姿勢ではないかと思っています。形式的な「秘匿」は、逆にその「秘匿」による市場価値を生み出すのではないかと、いささかの危惧も感じます。
実名で行動できるような文化を、簡単に壊していいのかが気になるのです。
投稿: 佐藤修 | 2005/04/19 20:53