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2005/04/29

■地域社会は見えてきたのか見えなくなってきたのか

私は「住民参加」という言葉に不信感を持っています。
どうも実体が感じられないからです。
「住民」という言葉は、もちろん理解できるのですが、「住民」は集合概念でもありますから、具体的な行動主体としてはあまりに多義的で、実体を特定できないように思うのです。住民参加を誰でも参加できる仕組みという意味で捉えれば何とかイメージはできるのですが、たとえば地域福祉計画を住民参加で作成するという場合の「住民」とは誰のことなのかがわからないのです。誰を「住民」に選ぶかで、全く意味が違ってきますから、その意味は定まりません。意味が定まらない言葉には実体はありません。むしろコミュニケーションを阻害する危険な言葉です。こういう「意味のない危険な言葉」が広がっているように思います。

しかし、住民たちに関しては、いま変わりそう気配があります。
NPOの登場です。多様な住民たちの思いや行動がつながりだして、顕在化し始めたのです。住民がばらばらになってしまった状況では実体化できなかった集合名詞としての住民が実体化されだしたのです。NPOを通して、地域社会が少しずつ見え出してきたのです。
住民と行政との関係も変わりだすかもしれません。

とまあ、私は思っているのですが、一方で反対のベクトルの動きも進んでいることを忘れていました。

昨日、ある自治体の消防署の方から、地域社会が見えなくなってきたというお話をお聞きしました。
地域防災や災害時に対応するためには、地域社会の各戸の過程状況がわかっていないといけません。聴覚障害の方には音声の告知や誘導は効果がありません。昔はそうした状況が見えていたのに、いまは個人情報は同じ行政の立場でも入手が難しいのだそうです。
その人がある町内会の総会に来賓として呼ばれた時に、そこで町内会の住民名簿についての議論があったそうです。ある人が、名簿に住所や電話は載せるのは止めようと言い出したためです。各種名簿が流出し、電話詐欺などに悪用されることを危惧しての発言だったようです。しかし、名前だけの名簿というのは、いったいどういう意味があるのでしょうか。少なくとも地域社会の安全安心を育てるためには役にはたちません。
不信感も、ここまで広がってくると、逆にますます電話詐欺をしようとする人には有利な状況が生まれていくでしょう。

以前も書きましたが、生活の守り方が間違っているような気がします。
この話から、そこにいた自治体の職員のみなさんからいろいろな事例が出てきました。
地域社会が見えなくなってきたというのが、みなさんの共通の実感でした。

さて、地域社会は見えてくるのでしょうか、
見えるか見えないかは、実は実体があるかないかということなのですが。

みなさんは近隣の人たちのことをどの程度ご存知でしょうか。

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