■シュペアーの責任感
昨日の続きです。
エルズバーグの「ベトナム戦争報告」(原著1972年 翻訳:筑摩書房 1973年)の最後に、ナチスドイツの建築大臣だった建築家アルベルト・シュペアーの回顧録「第三帝国の内幕」に書かれている話がでてきます。
ランディ・キラーのスピーチとともに、エルズバーグの決断に大きな影響を与えた話です。
シュペアーは「ヒトラーの建築家」として有名ですが、同時に、ニュールンベルグ裁判で、自分の行為とナチ政権の行為の責任を全面的に認めた唯一の被告としても有名です。エルズバーグは彼の回顧録をアメリカを動かしているすべての官僚に読んでほしいと書いています。私も日本の閣僚と大企業の経営幹部に、ぜひ読んでほしいと思っています。
長いですが、シュペアーの話を同書から引用します(283~284頁、一部省略)。
あるとき旧友のハンケがやってきて、口ごもりながらいったことをシュペアーは書いている。 「上部シレジアの強制収容所視察の誘いには決してのらないように。どんなことがあってもそれだけはするな。彼はそこで絶対に人に話すなということ、また話すことのできない何かを見たにちがいない。私は彼に何も質問しなかった。ヒムラーにもヒトラーにも何も問いたださなかった。親友にもそのことを話さなかった。自分で調べることもしなかった。そこで何がおこっているかを知りたくなかったからだ。ハンケはアウシュビッツのことを話していたのだろう。 私がニュールンベルグ裁判の国際法廷で、第三帝国の指導部の重要メンバーのひとりとして、あらゆることに閑して全責任を分担しなければならないと語ったとき、私の心を占めていたのはその数秒間のことだった。その瞬間から私はのがれようもなく道徳的に汚染されていた。私の進路を変えるかもしれないようなことにぶつかるのを恐れて、私は目を閉じてしまったのだ。この意識的に目をつぶったこと自体が、戦争末期に私が行なった、あるいは行おうとした善行のすべてが、何の価値もなくなってしまった。あのとき行動することを怠ったために、私は今日でもアウシュビッツに対する全責任を個人的に感じている」シュペアーは、これに続けて、「知ろうとしない」ことの道徳的重荷について語っている。
「私が事件に無関係だったとすれば、それは私が無関係な態度をとっていたからだ。私が無知だったとすれば、それは私が自分の無知をつづけようとしたからだ。私が見なかったとすれば、それは自分が見たくなかったからだ。
私の場合、ユダヤ人虐殺の責任を決して逃れることができない。私はヒムラーと同様にユダヤ人の死刑執行人だった。なぜならば私はユダヤ人たちが私の前を通って死所に連行されるのを見ようとしなかったからだ。良心の目を閉じてしまうことは驚くほどやさしいことである。私はまるで、だれかが殺害されたことに気づかないで雪の上の血に染まった足跡をたどっている人間だった」
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コメント
命を落としてまで真実を報道しようという姿勢は日本人に求めるのは難しい。自分自身にその覚悟があるか問われるからだ。その場合家族を犠牲にすることもやむをえない。また、自分だけがそうした姿勢の場合、真理は表ざたにならない。いずれにせよ他人に強制する問題ではないと思われる。
投稿: as | 2005/04/03 15:42