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2005/04/06

■竹島領有問題 

竹島問題が再燃しています。
今回の教科書検定でも、竹島は日本の領土と明記されたことが韓国の反発を受けているといいます。
そういえば、日本最南端の沖の鳥島もあります。
北方領土は、そこに住民がいますから、どの国家に帰属するかは住民にとっては大きな問題ですが、住民もいない島であれば、どこでもいいではないかと私は思ってしまいます。

沖の鳥島は水没させないために、50億円近いお金をかけて、コンクリート構造物をつくったりしていますが、たとえば、この問題を子どもたちに説明して、それだけのお金をかける必要があるかどうかと聞くと、全員が「必要」と答えたという報告もあります。
理由は、日本の領土が減るし、魚なども取れなくなるから、ということだそうです。

私はなんだかおかしいと思えてなりません。
日本の領土が減ることがなぜ悪いのか。いや、日本の領土ってなんだろうかと、子どもよりも素朴な疑問が出てきてしまうのです。
領海ということを大学の国際法で学んだときにも、どうも理解できませんでした。海を閉じたり大地を分割占有する発想が、理解できないのです。どこかで私の発想回路に欠陥があるのかもしれません。

ですから市町村合併も理解できません。行政で勝手にやっていいの?という気がします。もちろん建前は住民合意の下ですが、その建前は行政が作っただけの話です。勝手に行政区を変えてしまう政府と、領土にこだわる政府。どうも重なってしまいます。

海産物やエネルギーの権利につながるということも私にはよくわかりません。
日本の領海でとれる海産物は日本のものという概念が私にはうまく理解できないのです。それは漁師や汗して釣った人のものでしょうという気がします。イラクの石油はイラク国民のものでしょうか。掘削採取した企業のものになっているのではないでしょうか。つまり国家の所有権という概念に違和感があるのです。

日本も韓国も中国も、あるいはオーストラリアもロシアも、だれでも自由に魚場として、あるいは油田として使えばいいじゃないかと思うわけです。
めちゃくちゃな論理かもしれませんが、そうした素朴な疑問がどうしてもぬぐえません。
ですから、子どもたちまで「領土が減るのはよくない」という思いを持っていることが私には驚きなのです。いや不気味なのです。
昨日、北朝鮮の小学校教科書の内容がテレビで紹介されていました。日本やアメリカへの恐怖や憎しみを育てるような内容でした。
でもなにかそれを非難してばかりいられないような気がします。
現代の子どもたちの教科書ともいえる、テレビも問題ですし。

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コメント

最近フラー論を読んでいるのですが資源の有限性は独占化されたテクノロジーのみを普及する国家や企業体の刷り込みだというものです。モバイル・テクノロジーも局地化された放送局や中継局を必要とする限り既存のものでしかない、というのです。そして国家によって専門分化された教育では世界的な枠組みのデザイン・サイエンティストは生まれないというのです。どうもフラーの反建築デザインという発見のなかに中心をもたない個人の有り方が示唆されているようなのですが、五里霧中といったところです。

投稿: 猫 | 2005/04/07 20:25

>日本の領土が減るとなぜいけないのか

日本が海洋国家であり、国家の間では『 真の友情は成立し得ないから 』 でしょう。

性善説を基調とした根拠のない平和・友好主義では残念ながら無責任とも取れる気がします。

投稿: NTA | 2005/04/10 13:05

 無根拠な平和主義とはかつての学生運動が無根拠であったのに見合う形で、現在の左翼系の言論界に残る残滓でしょう。かつての彼らは別に性善説にたっていたわけではなく、当時は社会主義の国々に幻想が残っていたわけです。現在かつての学生運動とその挫折を経過しなかった人々がNPOやボランティアという形で残存しているわけです。現在の扶桑社の教科書がらみの言論は、左翼的言論の根絶を目指しているわけです。竹島を巡る問題とは、そのような政治的言論を巡るイデオロギー的なもので、他に主要な事件があれば消えてしまう程度のものです。しかし左翼の根絶を目指す人々はそれこそが今の日本にとって最大の問題であって、まずこれをなしてから全てが始まると思っている筈です。国境を巡る利権が国境抜きの開発の方が経済的に有利であるという場合にのみ、国境が二次的なものになるでしょう。
 結局は経済的な相互依存が民族という無根拠な観念を好きな野球チームや商標程度のものに変えていかざるを得ないでしょう。それは制度改革という理想ではなく現実としての経済によって成されるでしょう。人が人を救えるという原始的な迷信の現代版たる政治改革は、現実と関係ない空想としてファンタジーの次元に入っていくでしょう。

投稿: 蕩ニ | 2005/04/11 05:15

皆さんのコメントに反応が遅れてすみません。
法事や病気や仕事のトラブルでパニックになっていました。
それになぜかこのブログループが調子が悪くなっていました。
すみません。
遅ればせながらの簡単なコメントです。

猫さん
バックミンスター・フラーの教育論は私も刺激を受けました。
資源論や情報論も共感できます。
猫さんのコメントに刺激されて、ブログ本文にも書いてみる気になりました。
ありがとうございました。

NTAさん
>性善説を基調とした根拠のない平和・友好主義では残念ながら無責任とも取れる気がします。

はい、そう思います。
ただ、私はこの記事に関しては「性善説」を基調にはしていないのです。
また「平和・友好主義」でもないのです。
対立軸を国家間の問題にしたくないという話なのです。
たとえば、「国家の平和」は個人の穏やかな暮らしとは次元が違うと、私は思っていますし、領土は友好もまた個人間で成立するものだと考えています。国家を人間の擬制することが、どうしても理解できないのです。
私の視点は、制度と人間です。人間を軸に考えると、最近の国家の存在価値が理解しにくくなると思っているのです。
これまた無責任と思われるでしょうが、私は国民である前に、一人の主体的な人間でありたいと考えています。国家のために人を傷つけたくはありませんし、所属する国家が違うからといって自国民に肩を持つことはできるだけしたくないと思っています。
この議論も、フラーの問題提起になにかつながっているような気がしてきました。
猫さんが、なぜフラーを持ち出したのか知りたくなりました。

蕩ニさん
>国境を巡る利権が国境抜きの開発の方が経済的に有利であるという場合にのみ、国境が二次的なものになるでしょう。

そう思います。
ただ「国境」を管理する国家と経済を支配する企業との関係が気になります。それらが必ずしも別のものではないようにも思えてなりません。もしそうであれば、結局は同じことになってしまいます。そういう「国家」に大きな違和感を持っています。
竹島問題は、そうした問題の本質を顕在化しているように思います。
それはちょうどライブドアとフジテレビの問題が、経済システムや産業システムの実態を顕在化してきているのと同じように思います。

投稿: 佐藤修 | 2005/04/19 21:24

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