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2005/04/19

■父親の権威がなくなったわけ

いろいろな事情で、この10日間、ブログにアクセスできていなかったのですが、いくつかのコメントをもらっていました。コメントはうれしいものです。ありがとうございます。

コメントのそれぞれには不十分ではありますが、それぞれにコメントを書きました。
ここでは「猫」さんが書かれた、フラーを思い出して、横道のコメントを今回は書きます。
長いです。引用があるからです。

「バックミンスター・フラーの宇宙学校」という本の最初に書かれているのが、フラーの発想の基本姿勢です。その一つは、「われわれが強烈に条件づけられた反射作用をもっていることを、ともかく無条件に認識すること」です。フラーはこんな風に書いています。

たとえば「上」と「下」ということばがある。だれもがあらためて考えることなく使っているこれらのことばは、われわれは無限に横方向にひろがる平らな世界に住んでいるという、何百年もの歴史をもつ「誤った概念」に都合がいいようつくりだされたものである。

ちょっと違うかもしれませんが、私は先入観をできるだけ克服したいと考えています。
わかりきったような言葉の意味もきちんと考えていきたいと思っています。
民営化、領土、国家、平和、民主主義、性善説、友好、みんな私にはとても気になる言葉なのです。
いや、私には理解しにくい言葉というべきかもしれません。

また、私の問題の立て方がいつもちょっとピントはずれなのかもしれないと思うことも少なくありません。もちろん私の問題の立て方が、私にはわかりやすく納得できることはいうまでもありませんが。
たとえば、竹島問題にしても、そこから発した中国の反日デモにしても、対立軸は国家間ではなく、「制度」対「生活」だと思っています。
ですから、彼らが投げている石は、国家や制度に向けられているのであって、日本に住むわれわれに向けられているのではないと思っています。
しかしテレビで投石の様子を何回も見ていると、なぜか自分に投石されているような気分になって、腹が立ってきかねないのです。これがたぶん「偏向教育」というものなのでしょう。中国と同じく、日本のテレビもまた、反中国の映像を流し続けています。怖い話です。

バックミンスター・フラーの名前で思い出したことがあります。。
「バックミンスター・フラーの宇宙学校」に次のような文章があります。
読んだときには大笑いした記憶がありますが、20年近くたっても内容も覚えています。
書棚から探し出して、その文章を引用することにしました。
世の中の父親族のみなさん、自らのおかれている状況を認識しましょう。そしてテレビを恨みましょう。
なにが「公共性」なものか! テレビ不信の根源を思い出しました。

最近、激しい進化上の動きが自然界に起こった。哺乳類のオスは、メスよりも地理的に広い範囲を動く。なぜならメスは子供を連れているからだ。人間も昔からそうした動きをしてきた、とわたしは考えている。父親が狩人で、母親が家庭のまとめ役だった。父親は単に狩人だっただけでなく、家庭にニュースをもたらすものだった。いつの時代も子供たちは、父親と母親をひとつの権威としていた。父親と母親は子供たちに先行するすべての世代の代表者として、食べてもいいものかどうか、やっても安全かどうか、を子供に伝えてきた。父親はニュースをもって帰り、独特の秘密めいたことばで、子供たちにさまざまな話をしてやった。子供たちは父親のことばに耳を傾け、彼らの権威である父親の話のまねをした。それがだんだん地方のことばとなり、さらに国のことばとなっていった。  わたしが32歳だった1927年の5月のある午後、父親たちが家に帰ると、子供たちがこう言った。「お父さん、早くラジオを聞いてみて。飛行機で大西洋を横断してる人がいるんだよ」。父親はこう言った。「エッ、なんだって。すごいな」。それからというもの父親は2度と家にニュースをもって帰ることはなかった。  子供たちに父親が唯一の権威であると教えた人間がいたわけではない。しかし、たしかに父親は権威だった。ところが1927年に突然、そしてそれ以来、子供たちは父親と母親がラジオに耳を傾け、近所の人たちにラジオのアナウンサーのニュースを繰り返して話しているのを見るようになったのである。こうして口にするまでもなく、ラジオに登場する人間が父親をしのぐ権威となっていった。ラジオのアナウンサーは発音の一般性と語彙の豊かさから、その仕事に選ばれたのだった。子供たちは、新しい権威であるラジオのアナウンサーの発音と語彙をまねしはじめた。子供たちの語彙はアナウンサーからもたらされるようになった。今世紀のはじめ、わたしが最初の仕事についたとき一緒に働いていた労働者たちには、100語ほどの語彙しかなかった。そのうちの50%は卑語か猥語だった。ところがラジオとともに、突然語彙が増し、ずっと的確なものとなり、共通の豊かな語彙が世界中のいたるところに広がっていったのである。

納得できるでしょう。父性の復権などはもうありえないのです。はい。

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コメント

ちょうど検索してこれを見ましたが、こんなのは、戯言だと思ってます。フラーがいうのは、両親によって偏向的に歪められた教育であって、別に母親がいいといっているわけではありません。フラーは自分の幾何学を宇宙の真理として主張するためにこういっているのであって、それに興味のない人間がフラーを引用しても意味がありません。

投稿: たかた | 2005/09/10 18:28

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