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2005/04/28

■安全よりも定時運転 

今回の福知山線の脱線事故は、企業というものの持つ特徴をいろいろと顕在化してくれています。怒られそうですが、事件を起こした運転手もまた、被害者であるように思えてなりません。現代の企業が陥っている組織病理を経営者たちはしっかりと実感してほしいものです。

たとえば、JR西日本では「鉄道の最大の使命は定時運転の確保」とされているようですが(読売新聞)、もしそうであれば、手段と目的の倒錯どころか、発想そのものが機械の歯車の視座になっているとしか思えません。そこには人間としての主体性はありません。「機械発想」の企業文化という前提でみると、今回の事件で問題になっている同社の対応がつながってきます。

いうまでもありませんが、鉄道の使命は「安全な移動手段の提供」です。
先日も書きましたが、JRの安全対策は私のような素人から見ても不十分です。
やれることはまだたくさんあります。
もし本気で安全を考えるのであれば、利用者が多いのですから、アイデアはいくらでも集まるでしょう。それをやらないのは、自動車会社と同じで、本気でないからです。「安全」や「環境」を口にする企業は信頼できません。口に出す前にやらなければいけません。

たとえば、定時運転できなかった運転手に対する罰則としての「日勤」の話がありますが、これは学校での「いじめ」の原型です。こうした事例は、なにもJR西日本に限った話ではないでしょう。しかし不思議なことに、内部にいる人は、だれもそれに抗えないのです。抗うことは「辞める」ことです。それが理由で自殺した運転手の父親が訴訟を起こしましたが、裁判所は棄却したようです。その事件がもし、いじめを顕在化していたら、今回の事件は起きなかったかもしれません。日本の裁判官に対する私の不信感は、彼らが組織人に成り下がっていることです。しかも、パーキンソンの法則にしたがって、裁判員制度を作って、自分たちの縄張りと上位構造を広げ高めようとしていることに憤りを感じます。
すみません、また横道にそれました。

ところで、この二つは、間違いなくつながっています。
「日勤」制度が安全性を壊しているのはいうまでもありません。安全よりも定時運転という組織体質が明確に見えてきます。同社の社長は、それに気づいていませんが。

ところで、こうした病理現象は企業だけでしょうか。あるいは経営者だけでしょうか。
どうもそうではないように思います。
私自身もまた、そうした「機械発想」や「いじめ姿勢」を自らの中にかなり強く持っているような気がします。時に自己嫌悪に陥ります。
そして、「安全よりも定時運転」に類した価値の倒錯に陥ることが少なくありません。
そうした人間に内在する弱みや間違いが昇華されるための組織が、最近では逆に弱みを追い詰め、間違いを増幅する組織へと変質しているような気がしてなりません。

どこかで「組織原理」を変えなければいけません。
それはそう難しい話ではないと、私は思っているのですが。

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