« ■アウトプットとアウトカム | トップページ | ■経済としての戦争と当事者としての戦争 »

2005/05/16

■「疑わしきは壊さず」 

諫早湾干拓裁判で、福岡高裁は佐賀地裁の工事差し止めを取り消し、国の抗告を認める決定を出し、これにより農水省は近く工事を再開し、来年度末の完成を目指す、と朝日新聞の夕刊は報じています。
前回の「沈黙の春」を読む会で、諫早干拓緊急救済東京事務所の青木智弘さんからお話をお聞きしていましたので、意外ではありませんでしたが、やはり非常にがっかりしました。
これもまた、大切なことが何か別の要素や視点で決められてしまい、いつか後戻りできなくなってしまう一例でしょうか。
自然を大きく変えることになる決断をした裁判官の決断が、いったいどれだけの認識と悩みの上にもたらされたものであるかわかりませんが、私にはとてもできない決断です。

刑法には「疑わしきは罰せず」という論理があります。
それ以上に、自然とのかかわりの中では「疑わしきは壊さず」という論理を大切にすべきだと、私は思っています。

この訴訟は、経済のレベルでの訴訟のようで、問題の本質から離れたところでの議論のような気がします。しかし、それで工事再開や人為的な自然の改造が行われてしまうわけですから、どう考えても納得できません。
要は「お金持ち」が勝っただけの話です。
私たちの生活の論理はどこにも出てきません。

自然は産業の原料市場ではなく、私たちの生活基盤なのです。
その視点が、たぶん、裁判に関わっている法曹界の人たちには欠落しているのでしょう。

「市民による諫早干拓 時のアクセス」という報告書がPDFで提供されています。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Eisahaya/isa/libr/ass/ass-rp.html
ぜひ読んでみてください。

|

« ■アウトプットとアウトカム | トップページ | ■経済としての戦争と当事者としての戦争 »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

 訴訟としてあげられてない事項を元に判決することはできませんからね・・・経済レベルの訴訟であれば、経済レベル以外を持ち出して判決をするのはどう考えても誤りです。
# 証拠やら資料も「訴訟内容に対して、意味があるのかどうか」で評価し、判断しているはずです。
 もし、自然保護のために差し止めてほしいのであれば、自然保護をメインとした訴訟が行われない限り、裁判所も手を出しようがないと思われます。

投稿: うぇいく | 2005/05/16 18:18

うぇいくさん
ありがとうございます。

話をややこしくして申し訳ないのですが、
私は、裁判で何かを価値判断するときには、
狭い経済の範疇ではなく、あるいは狭い目先の犯罪性だけではなく、広い意味での社会にとっての意味から考えるのがいいと思っています。
また、経済の捉え方も、もう少し大きな視点で考えるのがいいと思っています。

現実はすべてつながっていますから、それを各論に切り刻んで議論することに、問題のひとつがあると考えています。

舌足らずのコメントですみません。

投稿: 佐藤修 | 2005/05/17 09:03

 そうすると、提出された資料・証拠ではなく、裁判官個人の知識・認識に大きく依存してしまいませんか?
 「(裁判官とも起訴者とも関係ない)法を適用するところ」ではなく、「裁判官個人の判断を仰ぐところ」になってしまう気がするのです。
# もちろん、どんな方法でも完全には切り離せませんし、「法の適用方法」や「資料の検討方法」は裁判官個人の知識と経験に基づいて扱われることになります。
# あとは、環境自体を保護するに、保護地区とかにならない限り、むつかしいようです。誰か『人間が』不利益をこうむらない限りは持ち主(国)しだい と(そのため、経済中心の訴訟になっているのだと認識しています。やどかりや鷺は原告になれませんからね。)

補足ですが。
 人間は自然を回復させることはできません。似たような、しかも人間の都合の良い形をなら、作り出すことはできます。が、それは箱庭であって自然ではありませんし、作れるもの(範囲)にも限界があります(というか、人間に都合の良い形以外の研究がされてないと思う・・・)。
 それをふまえて。「元に戻せないなら、いじるな」とゆーのが個人的な考えです。この手のことは、「関連がある」とも「関連がない」とも、判断付かないのが普通です。唯一の方法は「試してみる」ことですが、元に戻りませんからね。
# 元に戻せるような資料がそろっているなら、判断が付いているはずです。
「影響があると証明されなかったので、施工した。結果として多大な影響が出たが、あの時点では、証明されなかったので誤りではない」ではなく、「影響が無いことが証明されなかったので、施工することができなかった。」か「影響がないと判断あれ施工した。が、実際には多大な影響が出ており、あのときの判断は誤りであった(か、調査不十分であった)」とならなければならないのです。(施工後、多大な影響を排除して、元に戻せるなら、別ですが)

投稿: うぇいく | 2005/05/17 13:55

ありがとうございます。
私見を書きます。

>そうすると、提出された資料・証拠ではなく、裁判官個人の知識・認識に大きく依存してしまいませんか?

提出されたものだけではなく、裁判官が資料を集めることがあってもいいように思います。制度を変えなくてはいけませんが。

>「(裁判官とも起訴者とも関係ない)法を適用するところ」ではなく、「裁判官個人の判断を仰ぐところ」になってしまう気がするのです。

はい、現実にはそうなっていると思いますし、それを前提に考えるのがいいと思います。

>環境自体を保護するに、保護地区とかにならない限り、むつかしいようです。
>人間は自然を回復させることはできません。

同感です。私も自然を保護しようなどとはまったく考えていません。自然と暮らしや生業など、人間の付き合い方に関心があります。ただ、ご指摘の通り、自然は一度変えたら元に戻せないのと、生きた仕組みですから、一挙に改造することに慎重になるのがいいと思っています。
今回の事件では、すでに影響がいろいろと出てきたわけですから、疑わしきは壊さず、がいいと思っています。

あんまり的確にお応えできずにすみません。
生業としての自然は、まさに経済の基盤だとおもっていますが、今は自然が経済の基盤ではなく、経済の資源の一部になっていることに問題を感じています。


投稿: 佐藤修 | 2005/05/17 18:32

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■「疑わしきは壊さず」 :

» 続・人間の営みは反自然。だからこそ…… [◆木偶の妄言◆]
諫早湾干拓事業の工事差し止めの仮処分決定を福岡高裁が取り消した(記事)。島村宜伸農相はこの判決を受けて、工事再開の手続きに着手することを表明した。 なんと愚かな。 僕は佐賀地裁が仮処分を認めたことに対し「人間の営みは反自然。だからこそ…… 」という記事を書いた。「有明湾の漁業不振と干拓事業の因果関係を認め、事業規模から工事が進めば再検討が困難になる」と判断した佐賀地裁は、エコシステムの保全、自然の持続的な利用、という社会の流れに沿った、当然の判断を下したと思った。 今回の福岡高裁の... [続きを読む]

受信: 2005/05/16 19:55

« ■アウトプットとアウトカム | トップページ | ■経済としての戦争と当事者としての戦争 »