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2005/06/25

■誰が2人の子どもを殺人に追いやったのか 

また家族間の殺人事件が起きました。しかも立て続けに2件。
それぞれの被害者と加害者は誰でしょうか。
両親を殺害した事件の被害者は両親と考えて良いでしょう。では加害者は子供かといえば、そうとも言い切れません。
兄を刺殺した事件の被害者はだれでしょうか。私は弟だと思います、では加害者は兄かといえば、これも不安があります。この場合は両親がどう対応していたかも問題です。

それぞれの子どもたちにとって、家族はどういういう意味があったのでしょうか。

家族を取り巻く親戚社会と近隣社会。それらが壊れてきてしまっています。
家族は孤立した閉鎖空間になってきています。
家族の内部においても関係性が壊れてきていますが、経済的に自立しにくい子どもにとっては、関係性を失いながらも、同居せざるを得ないが故に、その家族に縛り付けられています。さらに「血のつながり」という生命的関係性も大きくのしかかっています。
閉じられた家族は良い時はいいでしょうが、悪い時は極めて危険な装置になりかねません。
外部とのつながりが失われれば失われるほど、最後の拠りどころとしての血のつながりや同居関係にひずみが集中し、矛盾が蓄積されていきます。2つの事件は、そのひずみの暴発と言えるでしょう。

家族のあり方が問われているのではなく、社会のあり方が問われているのです。
少子化問題も年金問題も、介護問題もDV問題も、取り組む視座をかえなければ解決しないように思います。
家族だけを見ていては、おそらく問題は見えてこないでしょう。
誰が核家族モデルを扇動したのでしょうか。
核家族モデルは砂上の楼閣でしかありません。
産業のために家族があるのではなく、家族のために産業があるはずなのですが。

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