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2005/06/06

■民営化への不信感 

しつこいですが、民営化への私の不信感をまた書きます。

国鉄が民営化されて、サービスがよくなったといわれます。駅の空間も楽しいものになってきたといわれます。
しかし、本当でしょうか。私には疑問があります。
サービスがよくなったのはたしかですが、それは当然の状況になっただけの話で、民営化しなければ実現しなかったことではありませんし、駅が一見楽しくなったのは商業空間になっただけの話です。わが我孫子市の駅は商業的活用価値がないためか、国鉄時代とほとんど変わりません。
まあ、国鉄は民営化を契機にして、実態が改善されたことは間違いありませんが、民営化しなければそうならなかったというわけではないでしょう。それに、安全対策や福祉面ではマイナスもないわけではありません。

電電公社はどうでしょうか。最大の問題は料金体系がわかりにくくなったことです。それに仕組みがどんどん変わります。そのため、私の手続きミスで、無駄な負担をしていることがよくあります。私には民営化のメリットはありません。電話のような基本的な仕組みは、むしろ国営にして無料にするのが望ましいと思います。その基本を超えた付加サービスを民間に委譲し、応益負担で展開してもらえば納得できます。

民営化によって、NTT関係企業は大きな利益を上げています。だから民営化はいいことだとみんな思っているようですが、それも納得できません。私には利益はないからです。料金体系がわかりにくくなった上に、次から次と目まぐるしく仕組みが変わり、その都度、出費を要求され、挙句の果てはいまどういうお金がかかっているかが全くわからない私のような利用者は決して少なくないでしょう。
最近の有線電話料金体系は、固定費的なウェイトを高めています。電話などしなくても、毎月確実に料金が取られるようになってきていますが、これはいわゆる不当所得です。
不労所得のウェイトがどんどん高まっていることにも、私は大変危惧を感じていますが、これはまた別問題なので、改めます。ただ、そうした仕組みをJRもNTTも拡大しているのは事実です。

いずれにしろ、税金をつぎ込んで蓄積してきた鉄道や通信のハードを安直に民間資本に提供することにどうしても違和感を持ってしまいます。しっかりしたインフラがあれば、だれでも利益は上げられると私は思っています。民営化は、その利益を誰か個人に提供するということです。
明治時代の官営工場が民間に払い上げられたことによって、日本の近代産業が発展してきたわけですから、民営化とはそういうものでしょうが、時代の局面の違いを考えると、やはり私には納得できないのです。

年金の保険料を投入して造られた立派な保養施設が、利用者がいなくて赤字なので、ただ同然で民間に売却されたりすることもありましたが、みなさんはどう思いますか。素朴な生活者感覚からは理解できません。その大規模なものが、電電公社や国鉄の民営化ではないかと私は思っています。
民営化という言葉にだまされていないでしょうか。

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コメント

民営化した企業はどれも、国有時代に大きな赤字を抱えていました。
その赤字が国民の負担となり、見えないところで福祉などのサービス財源を圧迫してきたのです。
そういった意味で、民営化は確実に効果をあげてきたことはご存知のとおりと思います。
国有のままで、努力だけで赤字を解消できたでしょうか(もしできるという人がいれば、それは単なるきれいごとに過ぎませんよ)。
仮に特殊法人や公益法人の民営化がすべて行われたとすれば、民営化の効果としてコストカットによる莫大な資金が生まれます。
この資金を、今後の高齢化に向けた原資に回していくことしか、私達の生活を守る方法は無いのではないでしょうか?

投稿: 福祉の現場から | 2005/06/07 01:11

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