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2005/06/05

■コミュニケーション不在の国会審議 

国会での委員会での質疑応答を最近はできるだけ見るようにしていますが、とても気になるのは「質疑」どころか、コミュニケーションをしようという意識が答えるほうにないのではないかということです。その背景には立場の上下関係を感じます。三権分立は形骸化しています。
いまの内閣はコミュニケーション志向が極めて乏しく、独裁志向であり、国会の場を私物化しているように思えてなりません。マイノリティや異論との公正な話しあいのなかから、価値を創造していくという、民主主義の本質は見事に否定されています。民主党の審議拒否は愚策だと思いますが、その愚策を選びたくなる気分も理解できるような気がします。もちろん、それは愚策でしかありませんが。

コミュニケーションとは、相手を説得することでも、諦めさせることでもありません。自らの思考を深めることです。私はコミュニケーションとは自らを進化させることだと考えています。
しかし、国会での議論を聞いていると、相手の質問を「かわすこと」と「拒むこと」しか考えていないように感じます。これを聞いている人はどう思うでしょうか。特に子どもたちや若者たちはどう思うでしょうか。子どもたちは、大人の行動から多くを学んでいきます。
国会審議は、子どもたちにとってもコミュニケーションの「範」でなければなりません。

昨年、ニートに関する委員会に参加しました。そこで話題になったのが、若者たちのコミュニケーション能力を高めるべきだということでした。ほとんどの委員は賛同しました。委員の多くは、企業の経営者OB、大学教授、そして研究者や官僚やジャーナリストでした。私にはとても違和感がありました。コミュニケーション力どころか、その姿勢がないのは、あなたたちでしょう、と発言したい気分でした、まあ、それに近い発言はしましたが、彼らにはそもそもコミュニケーション能力がありませんから、私の思いは伝わらなかったでしょう。

コミュニケーションとは何か、ぜひ国会議員には考えてもらいたいものです。
ネクタイを外した服装を何にするかなどという問題よりも、大事な問題です。
少なくとも、今のような茶番劇からは足を洗ってほしいです。
今のようなやりとりに恥ずかしさを感じる常識は、もう捨ててしまったのかもしれませんが。

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