« ■全体像の喪失と距離感の増大  | トップページ | ■自然の生命力 »

2005/06/29

■真面目さの功罪 

先日のブログの次の記事に質問がありました。
真面目に仕事に取り組むことがなぜ罪深いのだという指摘です。

テレビ報道を見ているとすべての公務員や社会保険庁の職員が私腹肥やしと無駄遣いをしているようにさえ思われますが、ほとんどの人はまじめに仕事に取り組んでいるはずです(私はそれこそが実は一番罪深いことだと思っていますが、それを言い出すとややこしいので今回は止めます)。

真面目さの功罪を考えてみたいと思います。
組織の中で与えられた仕事を真面目にこなすことはいいことなのか、です。
そう簡単な問題ではありません。

まず、組織人は与えられた仕事の価値を主体的に評価し、問題があれば異議申し立てできるかどうかという問題があります。組織が複雑になると個々の作業単位で仕事の価値を評価するのは難しくなってきます。仕事を「無意味化」し、単純な作業に分割することで作業効率を上げてきたのが工業化社会の発想ですが、そこに大きな問題があります。
次に、与えられた仕事はともかく、同じ組織の中で行われている活動に関する価値評価と問題があれば、それを社会に情報発信していくという問題です。自分の仕事だけに目を向け、他人の仕事には口を出さない組織人が多いように思いますが、それでは組織は育ちません。

組織の中で与えられた仕事を真面目にこなす、という場合の「真面目」の意味もポイントのひとつです。
主体的に考えることなく、ただ作業をこなすことは必ずしも「真面目」とは言えなくなってきているように思います。自分の行動には自分で責任を取る覚悟が「真面目」の言葉には含意されています。
組織の中にいることで見えてくることがありますが、もしそこに問題があれば、それを組織の外部に伝えていくことも「真面目」に入ると思います。

いま大切なのは、与えられた作業に忠実な真面目さではなく作業の目指すミッションやアウトカムの視点からの真面目さです。
これを「大きな真面目さ」と呼びたいと思いますが、とりあえずの小さな真面目さに埋没していては、いつかニーメラーと同じ後悔をすることになるかもしれません

|

« ■全体像の喪失と距離感の増大  | トップページ | ■自然の生命力 »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■真面目さの功罪 :

« ■全体像の喪失と距離感の増大  | トップページ | ■自然の生命力 »