■全体像の喪失と距離感の増大
今日もまたテレビで、税金の無駄遣いが報じられていました。最近は毎日のように税金や社会保険料の無駄遣いが報じられています。これを見ていると、税金や保険料は払いたくなくなります。現代社会の社会制度はすべて「信頼」に基づいて構築されていますから、信頼を壊すことは非常に大きな問題です。しかし、なぜかそうした報道に対して政府も当該機関も何の対策も講じていません。もしかしたら「当事者」がいなくなってしまったのが、現代社会かもしれないと思うほどです。コメンテーター社会です。
マスコミの報道を見ていると、行政は無駄遣いと私腹肥やしに全力を挙げているようですが、ではその無駄が全体のなかで一体どのくらいの比重を占めているのかはよくわかりません。テレビ報道を見ているとすべての公務員や社会保険庁の職員が私腹肥やしと無駄遣いをしているようにさえ思われますが、ほとんどの人はまじめに仕事に取り組んでいるはずです(私はそれこそが実は一番罪深いことだと思っていますが、それを言い出すとややこしいので今回は止めます)。果たして全体の中で、そうした無駄遣いや不正支出はどのくらいなのでしょうか。そうした全体像を見せずに、ある部分だけに焦点を当てて、騒ぎ立てるのは詐欺行為に近いと思いますが、それが昨今の権力者とマスコミの常套手段です。しかし、それでは大きな運動にはつながりません。
もう一つの問題は、問題の現場と自分の生活の距離感が物理的にも意味的にも離れすぎてしまったことです。ですから、みんな「ひどい話だ」だと腹を立てても、結局は自分の問題だとは思わずに行動を起こすには至りません。こう書いている私もほとんど事例でそうなっています。せいぜいが署名への協力と寄付くらいです。後は忘れてしまいます。ですから諫早湾は世論が盛り上がっても何の変化も起こりませんし、年金保険料の無駄遣いはさらに加速されているようにすら思える結果になっています。
この二つの要素は、いずれも「つながりこわし」の結果かもしれません。つながりを無視する風潮の中で全体像が見えなくなり、現場の距離が離れだしたのです。
無駄遣いに加担した公務員や職員、それに便乗した企業は、株主訴訟ではないですが、法律で過去にさかのぼって責任をとらせるようにすればいいと思います。もちろん利息もつけてです。子孫から詐欺まがいに奪取した財政赤字のかなりの部分はこれまでの官僚に返済してもらうべきです。それくらいのケジメをつけなければ、社会の基礎となるべき「信頼」は回復されません。無駄に造った施設は超安値で売るのではなく、当時のコストを回収する値段で関係者に引き取らせるべきでしょう。それが「社会の常識」ではないでしょうか。
いや、これは私だけの「偏見」かもしれませんね。負け犬の遠吠えでしょうか。
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