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2005/06/16

■沢蟹の話2 

以前、このブログでも沢蟹の話を書きました。私はなぜか沢蟹が大好きなのです。
あのときの沢蟹は結局、戻ってきませんでした。逃亡したか、蛙に食べられたか、今でもどこかでひっそり暮らしているかはわかりませんが、以来、見かけません。
その後、自然の蟹を庭で飼うのは良くないと思って、諦めていましたが、また飼う事にしました。何しろ沢蟹が大好きなのです。
今回は購入ではなく、自然からの招待です。
3か月ほど前に滋賀の石道寺に行ったとき、道のそばを散歩している蟹に出会いました。その蟹を連れてきました。その話を知って、福井の義兄が野菜を送ってくれるついでに、近くの山の蟹を送ってくれました。私には最高の贈り物です。わが家族は毛蟹のほうが好きなのですが。

しばらくは室内の容器で飼っていたのですが、彼らを見ていると、やはり庭に放したくなり、我が家の人工ビオトープに沢蟹たちの住処をつくり、転居させました。とても居心地がよさそうな場所です。彼らはどう思っているかわかりませんが。
しかし、その住処をあまりに奥深いものにしてしまったために、彼らの姿を見ることができなくなったのです。大きな庭石の下に空洞を掘ったのですが、そこがどうやらモグラの穴につながり、地底につながっていたのです。姿は見えなくなりました。
しかし、夜、餌を置いておくと朝なくなっています。きっと蟹は健在で、夜は出歩いているのでしょう。時々、夜、懐中電灯を持って、あるいは早朝に探しに行きますが、まだ出会えません。困ったものです。

実は沢蟹たちのうち、小さな子ども蟹は2匹、まだ室内の容器に住んでいます。元気です。この2匹を庭に放すべきか、迷っています。

この問題と郵政民営化や憲法問題とは比較すべきことではないのですが、私にとっては、沢蟹のほうが気になるのも事実です。
問題への関心は、自分の暮らしとの主観的距離と問題の客観的大きさの掛け算で決まるのでしょうが、最近はどうも前者のウェイトが大きくなってきています。大状況への諦めから、小状況への関心が強まりがちです。この傾向はどうも私だけではないようです。
こうして社会は荒廃していくのでしょうか。あるいは向上していくのでしょうか。
小状況を大状況につなげていく仕組みが求められているように思います。その反対は多くの人が考えていますが、大切なのは小から大へのベクトルのような気がします。

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コメント

先生!何故沢蟹がお好きなのですか?前回のコメントを読みますとわざわざ買って来てまで。沢蟹君達に名前なんぞ付けていないのでしょうね。10匹位でしたら「背中」の模様も異なるのでしょうか?次回の「プライベート」で是非その辺を紹介して頂けないでしょうか。
でも、お忙しい先生に沢蟹が逃げてしまったなど書かれていると、私ながら何となく『意味も無く』伝わって来るものが有るのが不思議です。私は、「柳田邦男」氏の影響で「絵本」を見ていますが、一見無意味なところに『意味』が有るのでしょうか?是非教えてください。

投稿: ケンジ | 2005/07/10 23:06

根本さん
ありがとうございます。

実は哀しいお知らせがあります。
昨日、一匹の沢蟹が志望しました。
この沢蟹は滋賀県の石道寺の沢蟹です。
ご指摘の通り、甲羅の文様や色で区別がつくのです。名前はつけていませんが。
とても元気だったのが、急に死んでしまいました。

ところで、沢蟹は実は放し飼いなのいですが、どうも私が作った墨かは気に入らなかったようなのです。
ほとんどの蟹がいなくなってしまいました。まあ、池の周りに生息していると固く信じていますが、最近ほとんど姿が見えません。
あまり石などを動かすとさらに嫌われるので放置しています。

蟹が好きな理由は思いつきません。
深く埋め込まれているようです。
ともかく蟹を見ていると楽しくなるのです。
これは昔からです。

どういう「意味」があるのでしょうか。
あんまりないかもしれませんね。
答えにならずすみません。
でもこうやって、根本さんからメールをもらえたわけですから、意味はありました。

根本さん
ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2005/07/11 09:11

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