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2005/07/04

■住民と市民 

一昨日、地元の住民の集まりで、「市民」と「住民」という言葉が少し問題になりました。ある「市民活動」をしている人が「住民は何もわかっていない」と言うようなニュアンスの発言をしたのです。
私は「市民」ということばよりも「住民」という言葉にリアリティを感じます。自分の住んでいる場所をしっかりと持ち、しっかりした住民活動をしていてこその市民活動だと思っているからです。そういう意味では、まだ私自身の住民度は高くはありません。
しかし、美野里町や山形市で少しだけ「まちづくり」に関わった体験からいえば、一番しっかりした取り組みをしているのは「住民」です。

NPOやいわゆる市民活動にも、ささやかに関わっていますが、私の体験では、活動の真ん中に問題の当事者もしくはそれに近い人がいるかどうかで活動のリアリティや発展性に違いがあるような気がします。今、全国の100近い広義のNPOと付き合いがありますが、元気な活動はほぼ例外なく当事者的な人がど真ん中にいます。つまり私の感覚では「住民主導」なのです。決して「市民主導」ではないのです。
私がまちづくりに関心を持ったのは30年以上前ですが、当時は「住民」ではなく「市民」にならなければいけないという言われ方がされていました。私もそう思ってきました。
しかし、17年前に会社を辞めて、少しずつまちづくりに関わりだすようになってから、大切なのは市民感覚ではなく、住民感覚だと思うようになったのです。

今日、郵政民営化特別委員会の議論をラジオで聴いたり、テレビで見たりしていました。
なぜか「住民」と「市民」のことを思い出しました。
日本の政治は市民がやっていることに問題があるのではないかと思ったのです。
住民の政治を根底において、そこから積み上げていくような政治の仕組みがあれば、今のような空疎な議論はなくなるでしょう。
政治だけではありません。経済も、です。

住民の知恵と汗の効用を見直すことが必要かもしれません。
今年は私も住民度を高めるつもりです。

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