■拉致問題と核開発問題の重みをどう考えるか
6か国協議が再開されそうですが、北朝鮮は日本が拉致問題に言及しないことを求めているようです。
「拉致問題」と「核問題」とを比べたときに、どちらがより優先されるべきでしょうか。
私の周りの人にさりげなく質問すると例外なく核問題のほうが重要だといいます。
みなさんはどうでしょうか。
私は躊躇なく、「拉致問題」の解決が優先されるべきだと思っています。
核開発が行われたら日本はもちろん世界が危機に陥るというイメージがありますが、ではアメリカやロシアが核を大量に持っているのはどう考えるべきでしょうか。北朝鮮が核を持つこととどこが違うのでしょうか。
問題は「所有」ではなく、それを所有する人(体制)ではないかと思います。だからといってアメリカなどの核保有を肯定するわけではありませんが、北朝鮮やイラクが核を持つことを問題視するのは国家(ガバナンス)としての信頼性の問題だろうと思います。まあ身勝手な論理ではありますが。
もしそうであれば、その国家のあり方(ガバナンス)を正すことが重要です。つまり拉致問題の決着なしに、核問題を議論することは無意味だろうと私は思います。
それに核問題は「未来の蓋然性の世界の話」ですが、拉致問題は「過去と現在の確実性の世界」の話です。実際に被害者もたくさんいるわけです。その問題を解決せずに、どうして核開発問題を議論できるでしょうか。
核問題と拉致問題。前者は人類の問題あり、後者は個人の問題であるというような、ステレオタイプな発想をしていないでしょうか。
これほど明確な犯罪を解決できずに、核問題を解決できるはずがありません。現実問題の解決を先延ばしするために、次元の異なる問題を出してくる。これは誠意のない権力者がよく使う手なのです。
核問題よりも、拉致問題の解決のほうが優先されるべきであり、重要性も比較にならないほど高いと私は確信しています。
だからどうするのだといわれそうですが、どうしたらいいでしょうか。
真剣に考えなければいけません。
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