■民営化再論
今日は解散の意義について書くつもりでしたが、今、テレビで猪瀬さんの話を聞いて、気になったことを書くことにしました。
猪瀬さんは郵政民営化が必要な理由として民営化すれば活性化するというのです。言葉としては成り立つでしょうが、内容はあまりに多義的で実体のない言葉です。こうした言葉の操作が、いわゆる「有識者」の常套手段です。
猪瀬さんはその事例として、クロネコヤマトの宅急便をあげました。たしかに宅急便は評価できますが、それは「民営化」の成果ではなく、クロネコヤマトの成果です。レトリックにだまされてはいけません。一般論にすりかえるのはまさに小泉手法ですが、大切なのは「民営化」の内容です。
民営化の「民」は、いうまでもありませんが、「統治されるもの」です。民営化とは「統治されるものに経営を任せる」ということです。その発想にすでに「お上発想」があるわけですが、問題はその「民」「統治されるもの」の捉え方です。集合名詞ですから、いかようにも内容をいじれるわけですが、今の現実を考えれば、NTTがそうであるように、この「民」は「公私」の「私」に近いのです。つまりは「プライベート・ガバナンス」に任せると言うことです。しかも「官」(統治するもの)の統治下に置きながらです。ちなみに「民営化」はおそらく“ privatization ”の翻訳ではないかと思います。
最近、「ソーシャル・ガバナンス」と言う言葉が使われだしていますが、もし「民営化」が「ソーシャル・ガバナンス」を意味するのであれば、私は大賛成です。しかし、その時には「ソーシャルな視点」が基本になければいけません。それは議論の過程においても必要です。
Privatizationの進行が、実際にどのような問題を起こしているかはもっとしっかりと考える必要があります。そうした体験の中から、改めてコモンズセクター、ボランティアセクターが再評価され、市民社会が注目されてきたのです。
もっとも、日本の場合、その市民社会までもが政府の管轄下に取り込まれそうなのですが。いまのNPOの分野にはビジョンを持ったリーダーが不在のように思います。
アメリカ発の市場信仰に基づく競争型の自由主義経済の幻想に惑わされてはいけません。政府に対置されるのは市場だけではありません。コモンズセクターがあることを忘れてはいけません。そして、それは決してサブシステムではなく、システムパラダイム転換の起点になりうると、私は考えています。
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