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2005年8月

2005/08/31

■耳を失いつつある社会 

神奈川11区から天木直人さんが立候補されたことが平和に関心を持つメーリングリストなどで話題になっていますが、テレビではほとんど報道されませんでした。おそらく論点が時流にのっていないのかもしれません。ニュース23では取り上げはしましたが、羽柴秀吉さんとほぼ同じ取り扱いでした。それが悪いとはいいませんが、取り上げ方がもう少しあっただろうに、と思います。この番組は「平和」をかなり重視して番組特集などを展開しているはずなのに不思議です。
私は、ホームページ(CWSコモンズ)で選挙開始前荷「緊急のお願い」である呼びかけをしましたが、おそらく読んでくれた人は100人前後だと思います。
私はそこにも書きましたが、天木さんの立候補には不賛成ですし、天木さんご自身にも面識がないので真意はわかりませんが、平和やイラク派兵を議論する契機をもたらす可能性を感じました。しかし、新聞やテレビはほとんど興味を示さなかったようです。
もちろん現地では全国から集まった人たちによる「勝手連」が生まれているようですし、メーリングリストでの呼びかけもあります。今日、集会を開いているはずです。報道されるかどうか、気になります。

昨日、首相官邸の前で自殺を図った女性がいました。テレビでは報道されましたが、なぜか新聞では見つけられませんでした。本来であれば、大きな記事になってもいいはずです。さまざまな意味でとても考えさせられる事件だからです。
一説には、精神状況がおかしい人といわれているようですが、これはなにやら不気味な説明です。
今の社会は、理解できない問題が起こると問題を起こした人の特殊な理由にしてしまい、問題から発信されているメッセージを聞こうとしない傾向があります。
制度や常識から外れた人は、その人が悪いと判断されるわけです。
それがとても気になります。

強い立場の人にはみんな耳を傾けます。
私の気のせいか、この数日、テレビはまた小泉自民党に与しだしたような気がします。昨日の報道ステーションは明らかに小泉支援でした。
個人的な主張があってもいいのですが、中途半端なモンタージュ効果は使ってほしくないものです。映像の威力は暴力的ですから。
キャスターの問題というよりも、その背景に何か大きな力が働いているような気もします。
どうも最近の新聞記事やテレビ番組には偏りを感じざるを得ません。
引きこもりたくなってしまいます。

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2005/08/30

■あなたは仕事が楽しいですか 

昨日の新聞に「残業と心の健康の関係」に関するアンケート調査(社会経済生産性本部メンタルヘルス研究所)の結果が報告されていました。それによると、残業時間が月60時間を超すと自殺を考える人が急増するのだそうです。「死にたいと思うことがよくある」と答えた人が6%もいるそうです。80時間を超すと7%以上になります。
いくつかの示唆が得られますが、私がまず思ったのが「仕事の質」です。労働時間が増えることで自殺したくなるような仕事とは一体なんでしょうか。

私は、基本的に仕事(労働でもいいですが)は本来ワクワクする楽しいものだと思っています。誰かの役に立つことであり、価値を創る行為が楽しくないわけはありません。もちろん辛いことはあるでしょうが、シドニーオリンピックのマラソンで優勝した高橋選手が「楽しい42キロでした」と言ったように、辛さは楽しさの要素にもなりえます。
しかし、最近は仕事が楽しくないようです。
講演などで、皆さんは仕事が楽しいですか、と質問してもほとんどの人は手を上げません。なぜ楽しくなくなったのか。理由は仕事の手応えがなくなったからです。つまり仕事が作業になってしまっているのです。しかも、その作業の意義がわからないどころか、納得できないことも多くなっています。
楽しくない仕事がいい成果を生み出すはずはありません。仕事は辛いもので楽しいものではない、などと自己否定する哀れな経営者や管理者もいますが、そういう会社は決して発展はしないでしょう。もししているとしたら、そのしわ寄せは従業員が受けています。そのためか、企業内でのメンタルヘルスが大きな話題になっています。

昨日、次世代人材育成研究会がありました。ニート問題に関連して、企業の経営者の方たちから企業内でのメンタルヘルス問題の深刻さの話が出ました。メンタルヘルス問題を抱えている企業経営者は大いに恥じてほしいですが、なぜかみんな他人事で話します。自らもおそらく病んでいるからでしょう。また横道に行きそうです。反省。

仕事を見つけられずに精神的に病んでしまう人がいます。その一方で、仕事がたくさんあるのに病んでしまう人がいる。これをどう考えるべきでしょうか。
それはたぶん「仕事」のあり方が間違っているのです。価値のない仕事や人間のリズムに合わない仕事が多くなりすぎているのです。
ディーセントワークという言葉があります。ILOなどで話題になってきている言葉です。「尊厳ある仕事」などと訳されていますが、平たく言えば、仕事の質を考えていこうと言うことです。
働くことの喜びが失われた社会はどこかに問題があるはずです。
あなたは仕事が楽しいですか?

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2005/08/29

■隠居は最高の贅沢です。 

企業を定年退職した後、郷里の福岡に戻った藏田さんが立派な野菜を送ってきてくれました。しかも10種類以上のさまざまな野菜です。もちろん藏田さんの手づくり野菜です。その立派さに女房ともども驚きましたが、しかもそこに「おしながき」までついていました。藏田さんらしいおしゃれな遊びです。

私たち夫婦の友人知人が会社を定年で辞めてから農業に取り組んでいるケースはすくなくありません。やはり土の魅力や手づくりの魅力は大きいのです。
私たちも実は宅地予定地で野菜作りを今年から始めました。まだ土づくりの段階ですが、10種類以上の野菜を女房が植えました。なかなかうまくはいきません。近くの人が時々指導してくれますが。

先日は遅まきのジャガイモを掘り起こしました。植え付けが遅かったことともう廃棄直前の苗だったためか、変形の芋が多く、近所の家に配ったら変な形のものしか残りませんでした。おそらくこういう形のものがお店で売っていたり、誰かからもらったりしたら食べずに捨てていたでしょう。しかし、一応、手塩にかけての作品ですから、丁寧に皮をむいてみんなで食べました。ちょっと考えさせられた話です。
昨日は地元の住民の集まりでいささかストレスが溜まったので、女房の誘いに乗って、また土を耕しました。たいした仕事ではないのですが、運動不足のために立ちくらみがします。やはり生き方が間違っているのでしょうね。しかし気分は爽快になります。

藏田さんにお礼のメールをしたついでに、私も野菜づくりを始めたと書いたら、都会で農業とは最高の贅沢ですね、と返信が来ました。我孫子は都会ではありませんが。
最高の贅沢は、しかし「隠居」でしょうね。藏田さんは農業だけではなく、さまざまな活動を楽しまれています。

つい先日まで、私は「働くでもなく遊ぶでもなく、学ぶでもなく休むでもない」生き方を志向してきました。その生き方では「定年」はありません。その生き方は、しかしもしかしたら小賢しい生き方だったのかもしれません。
定年退職、隠居、などという社会的システムは、長い生活からの英知だったのかもしれません。

定年退社した知人友人の半分は、海外旅行や趣味三昧に入っています。一昨日もある人から、女房と海外旅行を楽しんでいると手紙が来ました。
いい人生です。
私は相変わらずばたばたしています。女房から非難されていますが、そういう女房もまたばたばたしています。似たもの夫婦の生活は、どうもいつになってもゆっくりできないようです。
隠居はとてもいい仕組みです。
隠居こそ最高の贅沢ですね。
生涯現役などと馬鹿な考えは捨てて、これからは隠居を目指すことにします。
それでも歴史は何の変化も起こさないでしょう。

いつもとは違って、最近、こんな気分になっています。はい。

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2005/08/28

■民から共へ 

腹が立つのでテレビの政治家座談会のようなものは見たくない気分なのですが、ついつい見てしまいます。また見てしまいました。冬柴さんと武部さんがめちゃくちゃな議論をしていました。私欲だけの人はどうしようもないと思いました。
民主党の岡田さんが「民」にはNPOもあるといっていました。
社民党の福島さんは「民営化」の「民」は民間企業のことだといっていました。
「民営化」とは多義的な言葉です。
唯一つだけいえることは、「民」とは統治される主体性のない存在だと言うことです。

NPOと「民」とは似て非なるものです。
もっとも日本のNPOは「民」発想かもしれません。官に寄生したり管理されたりしているNPOは少なくないように思います。

「民」ではないNPOとは何か。
私が考えるNPOは、主体的な存在としての生活者集団、住民集団です。それをベースにした市民集団も含めていいでしょう。いわゆる「民」と違うのは、統治の対象者ではなく、統治者なのです。コモンズ主体と言ってもいいでしょう。いまの社会システムのサブシステムではなく、社会システムのリフレームのイニシアティブをとる存在です。

郵政の組織変革のモデルは、「民」ではなく、こうした新しい組織原理によって構成されたコモンズ(共)組織であるべきだと思っています。どこが違うのかと言えば簡単で、組織ガバナンスの仕組みが違うのです。コミュニティ・ガバナンスへの関心が高まっていますが、まさにその一例だろうと思います。

「官から民へ」とよく言われますが、私は「官から共へ」が時代の方向だと確信しています。
私たちも、そろそろ主体性のない「民」の立場から脱却しなければいけません。

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2005/08/27

■創造と破壊の両義性 

小泉首相は、日本の古い政治体質を壊していることを評価するという意見があります。自民とも壊したではないか、という論調です。
たしかに反対派議員の一部は離党し、自民党に対立して立候補しました。自民党は壊れてきているようにも見えます。融通無碍な自民党文化は否定されているようにも見えます。しかし、本当に小泉首相は自民党による政治の独占体質を壊し、新しい政治文化に向けての創造的破壊に取り組んでいるのでしょうか。
私は明らかにノーと言いたいと思います。

壊すことと創ることは、コインの裏表のような関係にあります。創ることは常に壊すことであり、壊すことは常に創ることです。問題はどちらに意味があるかです。

小泉首相は自民党を壊すと言っています。
自民党の何を壊すのでしょうか。あるいは何のために壊すのでしょうか。
壊すことは目的概念にはなりえない言葉です。民営化、構造改革、すべてが手段概念です。手段で議論するのが主体性のない作業者の特徴ですが、一国の指導者は手段概念で語ってはいけません。目的が重要なのです。
私は10年以上、企業の変革を仕事にしていました。日本企業は変革を口にしながら、何も変えませんでした。目的概念、つまりビジョンが不在だったからです。所詮は本気ではなかったのです。それゆえに壁にぶつかり、疲弊しているのだと思います。いまバブルなほど高収益を上げている企業も多いですが、それはかつての経済システムの残渣の最終刈り入れをしているだけです。自らのやっていることに気づいてほしいです。それこそがCSRです。
また横道にそれました。反省。

小泉首相が壊していることはいろいろありますが、私は自民党や古い政治体質ではなく、日本の話し合い文化であり相互支援の仁義ではないかと思っています。
しかし、もっと重要なのは彼が創りだしているものです。それは富や権力の集中構造です。
反対者の声に傾聴する代わりに、抹殺を働きかけ、自らに恭順の意を示した八代さんのような主体性のない人には恥もなく、恩賞を与えるのです。恩賞は権力の象徴です。私たちの税金を勝手にアメリカに提供するのと同じことです。こういう言動を独裁と言わずに、なんと言うのでしょうか。そしてこれこそが一部の大企業経営者と組んで金銭による権力支配を目指す自民党政治の本質なのです。つまり自民党体制をさらに確固たるものにしているとしか私には思えません。いいかえれば、政治の市場化です。それはまさに自民党がやってきたことです。

たくさんの反論をもらいそうですが、彼の破壊は陽動作戦でしかありません。何しろ彼は記者の質問にも具体的に答えられないほど、内容が空白の人なのですから。空白だから、自分の言葉がないのです。それが人気の理由と言うのですから、もう笑うしかありません。哀しい笑いですが。

こんな記事を教えてもらいました。
ぜひお読みください。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000552&tid=beaec0tfhbadba4r5va49a4j&sid=2000552&mid=35

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2005/08/26

■仁義の大切さ 

新たな小政党がマスコミのキャスターまがいたちのイジメにあっているような気がします。
特に長谷川さんの「移籍」に関する批判が少なくありません。数合わせではないかと言う人がいますが、数合わせなのです。何をいまさら、と言いたいところです。そういうわかりやすいところには、そして相手が弱いところには、みんなイジメを始めます。最近の日本人は昔と違って、弱いものへのイジメが好きになっています。きっと自らがいじめられているからです。いじめに耐えてこそ、有名になれるのが日本の社会なのかもしれません。陰湿な社会です。それをこそ、変えなければいけません。それに比べたら郵政民営化などは瑣末な問題です。

今度の選挙では、日本の未来が問われていると私は思っていますが、そのポイントは、思いやる心や人間的な痛みへの理解や嘘をつかない素直さです。そうしたことを捨ててきた結果が、今の日本社会です。この文化を創出し、そこに乗っているのが、財界と政界の長老たちだと思います。
先日、テレビで田中康夫さんが、「財政の借金を160兆円も増やしておいて、何が構造改革だ」と話していましたが、その通りです。しかし小泉首相に迎合している番組のキャスターやコメンテーターは全く反応しませんでした。彼らが考えている構造改革は権力と富の集中であり、そこに自らを寄生させるポジションの確保です。そうとしか思えない人が多すぎます。

イジメの尖兵たちは、比例区並立という巧妙な枠組みの中で当選が確約されています。自らの生活を守ってもらいながら、相手をいじめるのが彼らの役割ですが、こういう人が成功する社会でいいのでしょうか。次世代に胸をはれますか? 彼ら、彼女らの品格を哀しみます。

しかし民主党の岡田代表もまた、その土俵に乗ってしまっています。「自民党というコップの中での争い」などと言っては、同じ狢であることを露出しています。想像力が完全に欠如しています。自らは小さな問題ではなく大きな問題に取り組んでいると力説していますが、もしそうなら無視すればいい話です。私には岡田さん自身が小さな問題に終始しているようにしか思えません。今の彼には大局を見る眼がありません。しかし、ここは岡田さんに期待せざるをえませんので、もう少し魅力的な話をしてほしいです。誰か原稿を書いてやったらどうでしょうか。

政治の話は書くまいと思っているのですが、やはり1日1回は書かないと胃が破裂しそうです。こんな人たちと同じ社会を創っているのかと思うと、最近は仕事が全く手につきません。人間嫌いに陥りそうです。その上、私の会社がつぶれそうです。いやはや、困ったものです。

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2005/08/25

■がん患者にとってのサプリメント情報

政治ネタが続いていますので、気分を変えて。

昨日、女房と病院に行きました。がんセンター東病院です。定期的に主治医が対応してくれているのです。できるだけ一緒に行くようにしています。先生に会うと私たちも元気になります。そういえば、ある人が帯津良一さんの写真を見ただけで元気になる患者がいるとお話になっていましたが。心境はよくわかります。

友人が万田酵素を勧めてくれました。試してみようかどうか、迷っています。しかし、評価能力がないのです。
女房のがんが発見されて以来、さまざまな方からさまざまなお勧めや情報をもらいますが、評価能力がないために対応に苦慮します。それに、いずれも高価ですので気楽には試用できません。がん患者学を書かれた柳原和子さんはサプリメント代が毎月10万円を超すと書かれていましたが、よくわかります。
いずれもエビデンスがないが故に、高価なことが「エビデンス」になりかねないのです。月2万円を越すものはやめたほうがいいということを言う人もいますが、当事者にとっては無意味なアドバイスです。
今週、たまたま知人の方がかなり重度の甲状腺のがんであることを知りました。私の知っているサプリメント情報を提供したいのですが、これがまた難しいのです。

以前も書きましたが、がんに効用があるというサプリメントはたくさんあります。しかしいずれもあいまいな情報しかありません。西洋医学の医師の多くはまだ否定的というか情報を余りお持ちではありませんし、きちんと評価しようという姿勢はほとんどありません。その一方で、効用を確信している体験者や開発者もいます。大手企業も発売していますが、ネットで読む限り、あまり正確な情報を開示しているとは思えないものが多いです。一方、利用者は精神的に余裕がありません。そうした状況の中で悪質な商売人も入り込んできますし、信頼性に欠ける噂話も広がります。
NHKが「がんサポートキャンペーン」を展開していますが、そのホームページには投稿欄をのぞけばサプリメント情報はありません。リスクが大きすぎるからでしょう。しかし多くのがん患者にとって、一番関心のあることの一つがサプリメントの評価なのです。

エビデンスのないものは評価できないという医療の世界では医師が評価するのは難しいでしょうが、そもそも医療におけるエビデンスは100%のものなどないはすです。事実、かつて三共のクレスチンが鳴り物入りで売り出され、三共の経営危機を救ったにもかかわらず、その後、効用に疑問が出されたこともありました(また最近復活の動きもあるようですが)。医薬品だってかなりいい加減なのが実状です。だとしたら、こうしたサプリメントに関する情報の評価支援の仕組みに真剣に取り組んでもいいでしょう。いや取り組むべきです。

ネットで時々調べるのですが、よくわかりません。
もしどなたかサプリメントの評価を集めているサイトをご存知の方がいたら、教えてくださいませんか。
また、なにかがんに効用のあるサプリメント情報をお持ちの方はぜひ教えてください。
今回はお願い事になってしました。

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2005/08/24

■警察の民事不介入原則と共謀罪 

また隣人騒音事件です。一宮市の一人住まいの女性が、朝の4時かラジオを大きくかけ続け、フライパンなどをたたき続ける行動を10年にわたって行っていることがテレビで放映されていました。警察も対処できないようです。その背後には「民事不介入の原則」があります。警察は刑事事件でないと介入してこないのです。
これは一見合理的に見えて、全く無意味な原則です。なぜなら「民事事件」と「刑事事件」は連続的であるばかりか重なっていることが多いからです。桶川市ストーカー殺人事件はその典型的な事例ですが、これに限らずすべての刑事事件は民事から出発します。
ですから民事不介入の原則は、解釈によってはいか様にも対応できる多義性をもっていますから、管理発想の下に成り立つ思想なのです。いいかえれば、よくある「無意味な概念」です。
警察や行政は、一宮市の常軌を外した一住民の10年間の暴挙をとめることができなかったわけですが、これは民事ではなく明らかに刑事事件の要件を構成しています。しかし、管理発想からは放置しておいてもいい事件だったのでしょう。
たとえば、これも記憶に新しいですが、イラク派遣反対のチラシを住宅のポストに入れただけで逮捕された事件がありました。10年間の暴挙と比べて、どちらが犯罪性が高いでしょうか。誰にでもわかる話です。しかし、権力者の判断基準は違うのです。警察がもし、生活者の視点で行動しているのであれば、逆に動くはずですが、残念ながら今の警察はそうではないようです。
ところで、一宮市の事件ですが、皆さんが被害者になったらどうしますか。公的制裁が加えられないと言う前提です。我慢しますか。転居しますか。あるいはその人に私的制裁を加えますか。
私は転居しそうです。我慢はできません。また私的制裁となると、いささか自制力に自信がありませんので、それこそ刑事事件に発展させてしまいそうです。まあ警察の思う壺かもしれません。
しかし、きっともうひとつの道があります。共的制裁です。つまりコモンズ発想です。
被害者がみんなで行動を起こすのが一番でしょう。これは、しかし誰でもが考えることです。当然、一宮市の住人たちも取り組んだはずです。にもかかわらず、事態は10年も続いています。どこかに問題があるのです。つまり法体系に欠陥があるのです。その出発点が、民事不介入という枠組みであることはいうまでもありません。
では、みなさんが加害者だったらどうでしょうか。同じような暴挙を繰り返していた奈良の女性は逮捕されましたが、逮捕されるとわかったらやめるでしょうか。たぶんやめないでしょうね。そうした暴挙を続ける原因が解決されないからです。ここでもコモンズ発想が重要になってきます。

ところで、こうした状況の中で、共謀罪が議論されています。
どう考えても納得できません。治安問題はもっと生活の視点で真面目に考えていくべきです。郵政問題のような「瑣末な問題」とは違って、未来を決める重要課題なのですが、どうも世間の常識はそうはなっていないようです。

一宮市の女性はまもなく逮捕されるでしょう。テレビでここまで話題が広がると、さすがの警察も少しは真面目に動き出すでしょうから。しかし、そうした対症療法的な対応でいいのでしょうか。治安は管理できないものです。
民事不介入の原則は、きちんと再吟味すべきです。

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2005/08/23

■陽動作戦 

日本のマスコミはイラク情報を巧みに隠蔽している小泉首相に迎合するかのように、語るのをやめていますが、一体どうなっているのでしょうか。
メーリングリストなどではかなり流れていますが、ワハジュ・イラクのマジド議長が今月初めに東京で講演されました。マジドさんはファルージャ出身のレジスタンスリーダーですが、いまはイラクの実情を多くの人たちに知ってもらおうと世界を駆け回っているようです。先日日曜日のテレビで少しだけ紹介されていました。
各地での講演会の記録はまだ残念ながらネットには登場していませんが、マジドさんのメッセージは、占領がなくなればイラクの復興が始まるということです。いうまでもありませんが、日本の自衛隊の存在は占領と同じように現地の住民たちには受け止められているはずですし、マジドさんもそう述べています。私も同感です。もし日本に外国の軍隊が、日本復興を理由に駐留したらどんな気分でしょうか。その感受性が求められています。
イラク現地の人の声はきちんと傾聴すべきです。
マジドさんの活動は次のサイトをどうぞ。
http://homepage2.nifty.com/midoritokyo/0801tokyo_p.html

こうした大切な情報は、いまの郵政騒ぎでほとんど扱われなくなっています。
先日、ラジオの永六輔さんの番組で、郵政騒ぎのなかで障害者自立法があぶなく成立してしまいそうだったことへの怒りの投書が読み上げられていました。私はコムケア活動の関係で少しですが、その法案のことは聞きかじっていましたが、嘆かわしい話です。解散になったおかげで、この法案も廃案になりましたが、いつまた提出されるか知れたものではありません。詳しくは次のサイトをどうぞ。
http://www.arsvi.com/0ds/200502.htm

他にもさまざまな動きがあります。為政者は国民には見せたくないのでしょう。
郵政民営化に目を向けさせておいて、その後ろで何が行われているか、それが問題です。有識者は、そうしたことを知っているはずですが、権力に迎合してか、あるいは寄生しているせいか、情報発信してきません。
そういえば、数年前に公益法人改革法案のときも、NPOの扱いが問題になっていたのに、NPOの中間組織の代表の人たちのほとんどは情報発信してくれませんでした。有識者ほど、信じられない人たちはいないと、改めて思いました。その時は幸いにある志のある人が問題提起し、流れを変えました。公益法人改革オンブズマンの浜辺さんです

郵政民営化などという話にだまされてはいけません。
イラクや拉致問題や福祉の切捨てや年金問題など、本当に大切な課題はほかにあります。小泉首相を応援するのであれば、自分が戦場に狩り出され、不労所得者の贅沢のために増税の負担を引き受け、生活を監視される生活を甘んじなければいけません。その現実をわかってほしいものです。
もしかしたら、学校で近現代史を教えないのは、そのことに気づかれるといけないからかもしれませんね。いま、やっとわかりました。なるほど。

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2005/08/22

■新党日本の田中代表のメッセージが広がってほしいです 

政治争いのことはもう書くまいと思いながら、新聞やテレビをみると腹立たしさが募り、ついつい書いてしまいます。最近は私の鬱憤晴らしになってきましたので、読者はどんどんいなくなりそうですが、仕方ありません。
今日、腹立たしかったのは、みのもんたの番組です。どうしてこういう人が政治にまで口を挟むのでしょうか。年金追求もそうでしたが、あまりに不勉強で独りよがりです。最近の郵政問題では目に余る「無知ぶり」を発揮しています。読んでもいないだろうことをさも知っているように話します。しかし、こうした人の影響が大きいのです。現に番組に出ていた、えなりくんなどのタレントもひきづられた対応をしていました。それがまた影響を与えていくわけです。
しかし、そうした中でも田中さんはしっかりした主張をわかりやすく話してくれました。司会のみのもんたは全くそれに聴く耳を持たずに、話題を変えたり、めちゃくちゃな対応でした。
そのやり取りを聴いていて、私は田中さんの近くの人に票を投ずることにしました。やっとまともな話をする人が現れた感じです。岡田さんも、田中さんの話法を学んでほしいです。

但し、党名はひどいです。新党日本。これはみのもんたレベルですね。しかもロゴが最悪です。国旗をイメージさせます。これはかなり致命的です。人によっては強力なメッセージを感ずるはずです。これもたぶん、ただデザインを描く誰かに頼んだのでしょう。最近のデザイナーの無思想性には私は辟易していますが、これは大きな汚点なので、早速、メールしました。

それにしても、朝のテレビはどこも政治家とタレントがジャックしています。これは喜ぶべきか悲しむべきか、いずれにしろ朝から気分はよろしくありません。
働く気力をそがれます。

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2005/08/21

■個人を手段にする社会 

現在の選挙報道を見ていると日本社会のさまざまな問題が見えてきます。
私たち国民も、パンとサーカスの饗宴の中で、ほぼ完全に家畜化していますが、権力者もまた人間性を失い、軍国主義の尖兵になってきています。
それは同時に、国家の解体の予兆だと思いますが、しかしどれだけ多くの犠牲を払うかにはいささかの不安があります。

立候補という言葉には、本来は主体性や自発性を感じます。しかし、昨今の自民党の候補者選びは立候補とはいえないでしょう。悪く言えば、徴兵制度のようなものです。もちろん大きな褒章を補償してはいるのでしょうが、その根底にある人間道具視や差別発想、内容よりも見栄えという商業主義など、不快さを感じます。
一番許しがたいのは、人間を手段にしていることです。人間魚雷や特攻隊の悪夢を思い出させます。選ばれた選民たちは自己責任ですからいいとしても、そうした動きが社会意識に与える影響を考えてほしかったと思います。
将棋の駒のように、一応は自分の世界を持っている人を選挙戦に狩り出すことができるのは、政権政党の権力と利得の大きさの故でしょうか。類は友を呼ぶのでしょうが、それにしてもあまりの広がりにあきれています。
個人を手段に使うような権力発想の広がりに抗して、私は人との人間的なつながりを大切にしたいと思います。
手段となった人がもしいれば、みんなでぜひとも人間に戻ってもらうように、応援したいものです。今回起用された候補者は全員が落選することを願いたいです。彼らの気づきのために。

新聞を見るたびに、政治が生活からどんどん離れているのが気になります。

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2005/08/20

■野党へのメッセージ:野党が大同団結する時!!

野党が大同団結する時!!

日本の国政が小泉首相に翻弄されています。

法案の内容ではなく、「民営化」という言葉だけでのイメージ議論
不誠実で不真面目な国会討論
郵政改革という問題への国民関心の集中による政治空白の意図的創出
同じ党員でも反対者を抹殺するという行動
「守旧派」「造反」「刺客」という言葉遊び
有名人を取り込んだ政治の商業化

あげだしたらきりがありません。

幸いにして、解散になりました。
小泉首相の政治破壊(自民党破壊ではありません)を正すチャンスです。

しかし、野党の言動からは、そうした姿勢は見えてきません。
小泉自民党と結局は同じ行動様式が垣間見えます。
自民党内の内輪もめという捉え方をしていることも適切とは思えません。

今は日本の国政の危機なのです。
最後の曲がり角を曲がろうとしていると言ってもいいでしょう。
そうした歴史観を持った対応をするべき時期です。

野党が団結して、今回の選挙は、決して「郵政解散」ではないことを鮮明にし、
まずは政治を翻弄している現内閣体制を壊すことに全力集中すべきです。
野党同士が争って、自民党を利させていていい時期ではないのです。
ここはまずは大同団結して、選挙では小泉体制に圧勝しなければいけないのではないでしょうか。
それぞれの党が、自らの利害にこだわっているのであれば、小泉自民党と同じ穴の狢と言われても仕方がないでしょう。
今はそんな時期ではありません。

小泉首相は日本を大きく変えつつあります。
80年前と同じ状況が今、進められています。
そこをしっかりと認識し、各党の小さな思いを超えて、大きな思いを創りだし、パンとサーカスに洗脳されつつある、国民とマスコミを変えていかなければいけません。

そうした視点で、野党の連絡会を発足させ、社会に訴求していく運動を展開していくことが必要ではないでしょうか。現在の野党のコミュニケーション戦略は、そうした時代認識が欠けているばかりか、コミュニケーション戦略の面でも素朴すぎて、自民党に大きく負けています。
マスコミのすべてと有識者の多くも、勝ちが予想される小泉自民党に迎合しはじめていますので、ここはしっかりした戦略が必要です。

どこが動き出してもいいと思いますが、鍵を握っているのは民主党と共産党だと思います。場合によっては、国民新党も巻き込んでもいいはずです。
小さな党利党略にこだわっている時期ではありません。
ぜひ大きな行動を起こしてください。
日本の野党には、そうしたソーシャルマーケティングの視点が欠落しています。

党利党略を超えた集まりの動きを是非呼びかけてください。
きっとたくさんの人が反応するはずです。

流れを変えなければいけません。
この問題に関しては野党も与党もない問題かもしれません。
大切なのは誰が動き出すかです。

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2005/08/19

■ガザに象徴されていること  

ガザ地区からの入植者の撤退は強制排除という不幸な状況になっています。当然予想されたことですが、政治家にとって国民とは何かが象徴されています。
いまや近代国家のフレームは、その有効性をほとんど失ってきているように私は思いますが、企業経営者や政府指導層にとってはまだ大きな利益創出装置なのでしょう。
イスラエル建国の話を映画化した「エクソダス」という映画で、パレスチナの地で仲良く暮らしていたアラブ人とユダヤ人がイスラエル建国の家庭で殺し合い関係になって様子が描かれていましたが、もし国家という枠組みさえなかったら、ガザでも仲良く共存していくことができたはずです。「イラク復興」に見るように、国家という枠組みが持ち込まれた途端に、状況は変わっていくわけですが、不思議なのはその対立構図が、国家間の横関係で起こることです。その背景には、国家は個人を守ってくれるという、全く根拠のない信仰があるためです。本来の対立構図は、国家や企業と個々人の生活なのです。やや極端にいえば、人間と制度の対立なのです。映画「マトリックス」の世界です。

ガザの映像を見ていると、なぜか十字架のイエスを思いだします。
ユダはなぜイエスを裏切ったのか。
ユダの裏切りで、イエスは自らの所業を成し遂げられた、とヨハネ福音書には書かれているそうですが、ユダは善意の政治家だったのかもしれません。しかし、展望の不確かさ故に、政治面では失敗しました。

政治家たちの展望は、いつも発想の起点を間違えています。ですからほとんどが失敗します。
汗している住民たちの暮らしから発想しない政治は、住民たちには不要の産物です。
しかし不幸なことに、社会は汗しない人たちによって管理されがちです。彼らは暇だから、管理に時間を割けるのです。

入植した荒地で苦労してきたイスラエル人の悔しさが、パレスチナ人に伝わるといいのですが。そこから暮らしの連帯ができれば、平和はすぐそこにあります。平和は政治の交渉からはではなく、暮らしのつながりから生まれます。しかし、パレスチナにはハマスがあります。うまくいかないものです。
平和を目指す仕組みが、実は平和を壊す仕組みに転化しやすいことを、心しなければいけません。
ガザの光景はたくさんの事を気づかせてくれます。

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2005/08/18

■組織起点の時代の政治システムの呪縛

私のホームページやブログの根底には、「組織起点の時代」から「個人起点の時代」へという、社会構造原理の変化という認識があります。それが、私にとっての「コモンズの回復」です。きちんと書いたことがないので伝わりにくいかもしれませんが、その発想の転換をすれば時代は良く見えてきますし、企業も元気になりますし、地域も元気になると思っています。もちろん政治も変わります。

政治システムにおける政党政治は組織時代の発想です。
そろそろこうした政治の枠組みを見直す必要があります。

郵政民営化に反対した人たちは選挙で苦しい立場におかれています。無所属では選挙ではとても不利になるからです。いまの選挙制度は、まさに組織起点でつくられています。

組織とは何でしょうか。
一人ではできないことを実現するために、みんな組織をつくります。
組織はあくまでも「使い込むための仕組み」です。
ところが組織の恐ろしさは、組織には権力を集中させる性質があることです。
その結果、組織がメンバーを使い込むようになることなのです。
企業がその典型で、組織に雇用されたメンバーは組織に忠誠を尽くさないといけないという意識を育てていきます。そして最悪の場合は、組織のために過労死したり自殺したりするところまで行ってしまいます。そして結果的には、その組織自体を朽ちさせていきます。
忠誠心を育てる仕組みは組織には内在されていますが、その基本はメンバーにメリットを与えることです。企業でいえば、給料であり、名誉であり、小さな権力です。
英霊信仰の靖国や思考停止の君が代斉唱は、国家にとっての忠誠心育ての仕組みです。年金や健康保険などの社会保障システムもその一つです。

政党では公認とそれに伴い応援体制と資金提供が、その仕組みです。
自民党にみんながしがみついているのは、自民党が一番、参加のメリットが大きいからでしょう。そこには財界も法曹界も教育界も医師会もマスコミも、巨額資金と便宜を提供しています。もちろんそれ以上のものを自民党という組織を使い込みながら、獲得できるからです。この仕組みはそう簡単には壊せません。利益を得ている人たちが余りにも多いからです。

その構造を壊すのが、構造改革です。
しかし、実際には組織に立ち向かって勝てる見込みはほとんどありません。
次元が違うからです。
郵政民営化法案反対派の人たちが、結局は新党を作らなければいけなかったのは、実に象徴的です。彼らは組織起点の発想の世界に生きていますから、できた組織も組織起点のモデルです。新党に参加しなかった人は、自民党とのつながりを維持したほうがメリットが大きいのでしょう。規模の利益の信仰の呪縛から、みんな脱却できません。それは選挙民も同じなのです。

対する野党も、みんな組織起点で考えていますから、新党へのコメントも政党に雇われている人の発言に聞こえます。大きなビジョンを感じられません。
政党のために言動するのではなく、ビジョンのために言動する政治家にはなかなか出会えません。もちろん官僚にもいえることですが。

タレント族の政治参加は、自民党を壊す前に政治を壊すかもしれません。
選挙日が9.11というのは、ちょっと気になる符合です。

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2005/08/16

■「愚直なまでの平和政策」ですって?

最近、このブログを書こうとするとどうしても政治の話になってしまいます。
どうしてこうもひどいタレント政治家が我が物顔にテレビを独占しているのでしょうか。付け焼刃で勉強したキャスターや司会者の迎合的な質問にもあきれますが、政治家自身の人格に疑問を感じます。高市さんも「刺客」になったようですが、こういう人たちが社会をだめにしていくのでしょう。社会にとってもっとも大切なのは、人としての生き方であり、誠実さと人間性だと私は思っています。郵政民営化はその先の問題です。郵政民営化と民営化法案を意図的に混同して問題の本質を覆い隠している人たちの多さには悲しさを感じます。

まあ、そんな愚痴をいくらこぼしても意味がないわけですが、昨日のテレビは、実はまた最後の1時間を見てしまいました。若者はやはり素晴らしいと思い直しました。やはり我々の世代がいなくなれば、きっといい時代が来るのでしょう。

しかし恐るべき発言もありました。町村外相の発言です。日本の学校で近現代史をきちんと教えないのは、教師がマルクスレーニン史観で教える恐れがあるから、教えないようにしていたのだ、という主旨の発言をしました。それこそが偏向教育であることに気づいていません。権力の走狗とはこういう人を言うのでしょうか。自分では発言の意味がわかっていないようでした。
その町村外相が、日本は「愚直なまでに」平和政策を貫いてきた、と発言しました。どう思われるでしょうか。もしお時間が許せば、ぜひ田中伸尚さんの岩波新書の戦後史3部作をお読みください。「憲法9条の戦後史」「靖国の戦後史」「日の丸・君が代の戦後史」の3冊です。

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2005/08/15

■戦争で死んだ人は英霊になってうれしいのだろうか 

NHKで、「アジアの中の日本」に関する長い話し合いの番組がありました。視聴者参加番組です。会場には50人くらいのさまざまな人が参加していました。アジア各国の若者も多かったです。桜井よしこさんや寺島実郎さんや町村外相も参加していました。

日本はますます80年前の道を歩みだしたなと改めて失望しました。
もちろん、いくつか共感する意見もありました。たとえばある若い女性は、沖縄の戦没者の慰霊碑のような場所にこそ、首相は行ってほしいと涙ながらに発言しました、私も現地でそう思ったことがありますが、つられて涙が出そうになりました。安達さんという女性教師は靖国問題で桜井さんの発言を真っ向から遮りましたが、これにも拍手を送りたかったです。寺島さんは東条英機の遺言を引用して、もっと未来を見据えて本質的な議論をしようと示唆しましたが、桜井さんの瑣末な邪魔が入って思いは実りませんでした。全体を通して桜井さんの発言にはがっかりしました。理屈にもならない理屈が多かったように思います。いや、理屈だけの人なのでしょうか。

女房ともども、今まで見てしまったのは、ある高齢者の発言に感動したからです。
その人は、盛り上がっている議論に水をさすかもしれないといいながら、私の戦友たちは決して喜んで死んでいってはいない。そして彼らは靖国などで英霊として祀られることを望んでなどはいないと思う。ただただ、二度とこんな無意味な戦争で死ななければいけない人が出てこないことを願っていると思う、と言うようなことを、もっと感情を込めて、感動的な表現で語ってくれました。涙が出ました。残念ながら、その発言は発展させられませんでした。とても残念です。

それにしても、死者の視点が全くない議論にはいつものことながら哀しい気分がします。

この番組を見ていると、何かとても暗い気分になってしまうので、ニュースが入ったので見るのをやめてしまいました。
この番組は、もしかしたら軍国化に向けてのNHK戦略の一つかもしれません。あるいは小泉内閣への応援歌かもしれません。私もすっかり乗せられてしまったのかもしれません。
選挙はきっと小泉圧勝ですね。これだけのメディア動員力があれば国民はだまされてしまうでしょう。

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2005/08/14

■パンとサーカスの饗宴

 選挙に「刺客」が登場しました。
小泉首相の本性を少しだけ露出しましたが、それを歓迎する世論もあるようです。
小池議員が「くの一」を引き受けたようですが、これはまさに俗悪なB級映画を見ているようですね。彼女には知性というものがないのでしょうか。
私が参加している平和を語り合うネットワークでも、それならば小泉首相に「平和の刺客」を送ったらどうかなどと言う議論も起こっています。ばかげた話です。日本の平和活動の底の浅さを感じます。しかし、その一方で、ちょっと賛成する気分があるのも事実です。悪は悪を育てていきます。
人気だけが取り柄で政治家になったタレント議員のひどさにはあきれますが、またぞろ官僚から政治の世界にかなりの人数が送り込まれるようです。
財務省の片山さんという方は、今こそ時代の分かれ目といっていますが、そうした人たちが時代の流れを一生懸命に守っているわけです。彼らは決して時代を変えようとしているわけではありません。変えられては困るから、権力の座を守れる社会構造を死守しようとしているわけです。権力に寄生する野心家は、いつの時代にもたくさんいます。官僚はその巣窟ですから、きっと人材には事欠かないでしょう。
しかも、表層的に見ると、小泉内閣は時代を変えようとしているように見えてしまいます。今日もテレビで竹中さんと管さんが対論していましたが、聞いていると竹中さんのほうに余裕があり、視聴者はきっと竹中さんに軍配を上げたでしょう。

いま問われている問題はあまりに大きいですから、個別論に持っていったほうが勝つに決まっています。しかし、そうした部分対応での政治が破綻を起こしているわけですから、そこでの勝ちはきっと負けになるのですが、短視眼で各論しか認識できない私たちは舞台を創った人には勝てないのです。
今日も竹中さんは「民営化に賛成か反対か」と管さんに質問していました。管さんはうっかり反対と答えてしまったのです。それは今の民営化法案に反対と言う意味ですが、聞いた人は菅さんが「民営化」に反対だと思うわけです。事実竹中さんもそういって菅さんを追い詰めていました。性悪な小賢しさです。権力者の常套手段ですが。
民営化は手段です。価値評価すべきはその内容なのです。そんな簡単なことすら理解できないほど、私たちは愚民化してしまったのです。そこを小泉首相を動かす人たちに突かれてしまっているわけです。

こんなサイトがあります。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/
たとえばこのサイトの2005年森田実政治日誌[246]を読んでみてください。
こんな話もあるのです。
民営化の罠を少しは考えなければいけません。
小選挙区制や二大政党制などというひどい仕組みを導入した時に、それに加担した日本の大新聞社の論説委員が、導入後になって反対意見を述べた現場に居合わせたことがあります。その時から新聞社の論説委員は信じられなくなりました。新聞社もきっともう主体性を維持できなくなってきているのでしょう。

それにしても、私の多くの友人たちも危機感を持っていないのが不思議です。私だけおかしいのでしょうか。
新党づくりもできない反対自民党員の人たちの最後の良識を期待します。

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2005/08/09

■郵政解散における問題構造の本質 

郵政法案が否決され、解散になりました。ようやく国民が意思表示できるようになりました。とてもいいことです。解散が悪いなどと言う人がいますが、この人たちは民主主義に反対していることに気づかねばなりません。500億円もかかるとだれかが馬鹿な発言をしていましたが、今の状況での無駄遣いは500億円どころではありません。いずれにしろこれで政治的空白はなくなる可能性が出てきました。

小泉首相はまた得意な嘘を突き出しました。
国会が郵政民営化を否定したと昨日の記者会見で話しました。この人の嘘つきは日本を誤らせてきました。彼がついたうその多さは犯罪を構成すると私は考えています。これについては、昔、ホームページのメッセージでも書いたことがありますが、その一つを紹介しておきます。

議員の嘘は彼に始まったわけではありませんが、森首相を選んだ時に青木さんと野中さんがついた嘘から、嘘の次元が変質したと思います。この人たちが日本を変えてしまったように思います。

国会は郵政民営化を否定したのではなく、民営化の内容とその進め方を否定したのです。両者は全く違います。きちんとした郵政民営化を否定しているのは小泉首相だと言っていいでしょう。猪瀬さんも同罪です。

北朝鮮との関係で、拉致問題と核問題とどちらが基本かを書いたことがあります
拉致問題を放置している国家と、いかなる取り決めをしても意味がありません。まずは相手が取り決めをするにたる資格があるかどうかが先決問題なのです。順序を間違ってはいけません。
同じことが今回の郵政問題でも言えます。
大切なのは政治のあり方であり、民主主義の原則です。
今回の小泉政権はそれを踏みにじっているのです。
そこにこそ大きな問題があります。
郵政民営化は数年遅れてもたいした問題ではありません。すでにその第一歩は踏み出されていますし、問題の所在は見えているからです。
しかし、国政の形ややり方は、そうはいきません。
言葉のごまかしを重ねながら、小泉首相は日本の平和憲法を踏みにじり、戦争に向けて一歩踏み出させた人物です。国会を私物化し、無血クーデターまがい(法と国民の意思を否定しての暴走)を起こした人物です。そしてその周りには、それを支える人たちが群がっています。この構図は道路公団と同じに見えます。いや、数十年前の戦争に進んでいった時の政府と同じかもしれません。

国民が問われだしました。
その選択に私はかなり悲観的ですが、まずは解散を歓迎したいと思います。

これは私の「コモンズの回復」につながる大きな問題ですので、ゆっくり書き込みたかったのですが、時間がないため、ともかく書きました。

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2005/08/07

■民営化コンプレックス 

郵政民営化には私は反対、というとみんなから怪訝な顔をされます。
いつまでにという時間軸を別にすれば、みんな民営化賛成のようです。
今の進め方は強引かもしれないが、小泉首相の時代に民営化しておかねば、もうだれもやれないだろうという有識者や国会議員もいます。不思議なことに、この数日のテレビキャスターの多くもそんなニュアンスが感じられますし、大手新聞の論調はみんな民営化賛成なのだそうです。新聞はいい加減にしか考えていませんし、有識者やキャスターは迎合的ですから、まあどうでもいい話ですが、真剣に考えていると思っていた若手の国会議員までもそういう意見を言うのを聞いていると、民営化コンプレックスの深さを改めて実感します。みんな国家を信頼していないわけです。私のような国家が嫌いな人間よりも、彼らは国家を信じていないのでしょう。そうでなければ、安直に国営よりも民営がいいなどと言うはずがありません。不思議な話です。
なぜ民営化が望ましいことなのか、私には理解できないのです。

私が民営化に反対なのは、官と民の構造がそのままでの民営化は、開かれた私有化よりも危険だと考えるからです。いうまでもなく、「官」とは統治するものであり、「民」とは統治されるものです。つまり上下関係の構造なのです。民に任すとは責任を曖昧にすることでもありますし、利益配分を統治者もしくは経営者に集中させると言うことです。地方分権が中央集権の延長であるように、民営化とは権力集中の延長のように思えてなりません。それを避けるためには、官のガバナンスを変えなければいけません。そこには「共」という概念が出てきます。民営化でも国営化でもない、ガバナンスの仕組みがあるはずです。
民営化は、これまで国民の税金を使って作り上げてきた資産利権を一部のものに格安で提供すると言うことでもあります。JRやNTTが高収益を上げられるのはただ同然で膨大なインフラ資産を入手したからです。その上で、利益が上がらない路線は閉鎖したり、ただ同然のインフラを使ったサービスをかなりの高価格で売り出したりしたわけですが、それは私企業の論理です。それが日本の社会の形を大きく変えたように思います。
税金が節約されたと言う言い方がありますが、それは単に税金の使い方が間違っていただけの話です。その管理と是正の仕組み、つまりガバナンスの仕組みがなかったわけですが、民営化によって、ますます実態は見えなくなるでしょう。民営化されたら、その使い方も評価できませんし、経営の基準も変わるのです。カネボウを考えればよくわかることです。
ちなみに、民間活力の導入と民営化とは全く違う話だと思うのですが、民活導入には私は当然ながら賛成です。

こうした構造的な問題をもっと整理してほしいですが、それ以上に違和感があるのが、ビジョンやグランドデザインがないままに、効率性や財政問題で民営化が議論されていることです。日本の社会の形は、そんな要素から議論すべきではありません。民営化は手段であって、目的ではないですし、ましてや民営化万能などではないのです。

そうした認識にそって結論された民営化であれば安心ですが、どうもそうは思えません。公社化からさらに民営会社へ。その過程で一体どのくらいの費用が発生するのでしょうか。市町村合併を推進した片山議員には損害賠償を請求したいくらいですが、民営化も膨大な新たな利権と無駄が発生します。政治家が群がるはずです。

こんなふうに考えるのは、あまりに不勉強な結果でしょうか。

解散選挙で、この数か月の政治的空白を解消してほしいと思っていますが、世間の常識はどうも反対のようです。ここでも私の感覚は世間とはずれているようです。困ったものです。

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2005/08/06

■広島宣言と小泉言動  

広島被爆から60年です。
記念式典での市長の広島宣言と首相の話をテレビで見ました。
小泉首相がこの席にいることに、私はかなりの違和感を持ちますが、気のせいか、小泉首相の目は落ち着きがなく、言葉にも力がありませんでした。もちろん内容はいつものことながら空疎でした。
小泉首相は、秋葉さんの言葉や子ども代表の言葉を、どう聴いていたのでしょうか。
きっと何も感じていないでしょうね。

日本は小泉内閣の下で大きく非平和に向けて舵を切りました。
歴代内閣の延長線でしかないといえるかもしれませんが、大きく変質したのは間違いないように思います。壊したものはなかなか戻りません。

いつものことながら、
沖縄平和祈念資料館に書かれていた言葉を思い出しました。

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2005/08/05

■費用徴収文化の恐ろしさ

7月末時点でのNHK受信料支払い拒否・保留件数(速報値)が117万件に達したそうです。昨年7月に発覚した元チーフプロデューサーの番組制作費着服事件以来、不払いが増えているようです。不払いまでは行かなくとも、当然のように徴収されることに不満を持っている人も少なくないでしょう。
制度的にお金を徴収される仕組みは他にもいろいろとあります。
源泉徴収もその一つです。国民である以上、当然と考えがちですが、たとえば参政権のない在日外国人の人も当然のように徴収されることには違和感があります。また、税金の使途があいまいでとても許容できないことに使われることもあるわけですが、その部分相当は納税したくないという人もいます。イラク派兵や自衛隊などに関して、軍事費支払拒否訴訟も起こっていますが、きちんと議論されたことはありません。みんな納税は当然だと思っているからです。
問題は納税ではなく、税の使途や徴収方法などですが、郵政民営化と同じで、実体を考えるのではなく、言葉で議論する人が多いので、問題すら共有されません。
納税者基本権は日本ではまだ裁判官の理解にはいたっていません。彼らはほとんどが支配構造の上での裁判官に自己規定し、組織からの発想の呪縛から脱却できないでいるからです。
国民から有無を言わさず資金を徴収する仕組みは他にもいろいろあります。赤い羽根募金はどうでしょうか。これも多くの場合、自治会費から徴収されています。それがどう使われているかの報告は一応ありますが、内容はみてもわかりません。
社会福祉協議会の会費もそうであることが多いのはご存知でしょうか。
社会福祉協議会の名前すら知らない人も多いですが、その組織は知らないうちに徴収された私たちのお金で運営されていることが少なくありません。今ようやく支払拒否の動きが出てきています。
お金を制度的に徴収するのであれば、その使途に関する説明は必要ですし、それに関する負担側の評価システムが必要です。それがないのは、どこかに「お上」意識があるからです。いいければ、官民思想です。いうまでもありませんが、官は統治するもの、民は統治されるものです。
その思想は昨今の民営化にももちろんしっかりと繁栄されています。民営化の意味をみんな少しは真剣に考えるべきです。

高速道路を無料にしようという提案がありましたが、あまり共感は得られませんでした。日本人は統治者にお金を徴収されることになじんでいるのだと言うことの証左かもしれません。
その根源には、納税体制があるのかもしれません。税金をまず国家に納めると言う枠組みが、そうした感覚を育ててしまったのかもしれません。
年金も社会保険も、すべてそうした文化の中で、徴収した側の責任が曖昧になっているのが現状です。構造を変えなければ事態は変わらないように思えてなりません。

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2005/08/02

■犯罪にどう立ち向かうかで社会の枠組みが見えてきます 

世田谷一家殺人事件の犯人が着ていたのと同一のトレーナーを売っていた店が公表されました。事件後、4年半経過しています。この感覚がどうも理解できません。
私は最近、1週間前のことが思い出しにくくなりましたが、そうでなくとも4年半前のことを思い出すのは難しい話です。なぜ今頃になってと思わざるを得ません。もっと早く公開していたらと思うのは私だけでしょうか。
この事件では、いろいろな情報が小出しに出されてきたように思います。
どこかで捜査方法に間違いがあるように思えてなりません。

あの事件は衝撃的でした。
宮澤さんとは面識がありました。事件の翌日、まず新聞記者から電話がありました。しばらくして警察の人がやってきて、宮澤さんのことをいろいろ質問されました。
残された情報の多さからすぐ解決するだろうと思っていましたが、まだ解決できていません。公開捜査は難しいのでしょうか。
この事件に限りませんが、最近は事件にまつわる情報も、プライバシー問題があるせいか、なかなか公開されません。カメラなどに残された写真をもっときちんと公開すればすぐにでも被疑者の特定ができるのではないかと思うようなことも少なくありません。しかし、テレビでは顔が消されることが少なくありません。

情報は公開せずに、捜査官にとどめておくことが効果的な場合もあるかもしれません。しかし、多くの人の目を活用したほうが効果的な場合が多いはずです。
犯罪で迷惑をこうむるのは社会であり、一般生活者であることが多いでしょうが、もしそうであれば、犯罪にまつわる事実はもっと公開されるべきです。
なぜ公開されないのか、それは犯罪で迷惑をこうむるのは社会や生活者という視点が不在だからかもしれません。そんなばかなと言われそうですが、十分ありえる話です。
もしかすると犯罪の定義は「秩序を壊すこと」なのかもしれません。そう考えると犯罪の見え方は全く変わります。秩序が壊れて困るのは誰か、そこで生活する人も困りますが、最大の困り手は社会を管理し統治する人です。北朝鮮の国家秩序が壊れて一番困るのはだれでしょうか。
同じように、イラク復興の意味も、かなり違って見えてきます。

生活者の安心安全のための犯罪対策や犯罪解決の方法はどうあるべきでしょうか。
とても重要な問題です。
視点を組織や全体から個人に変えたときに、警察や犯罪対策の取り組み方も大きく変わるように思います。しかし、今の捜査方法は江戸時代とそう変わっていないでしょう。

視点を変えると、さまざまな風景が一変します。問題解決の方法も一変します。
犯罪にどう立ち向かっているかで、その社会のパラダイムが見えてくるような気がします。

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2005/08/01

■カネボウ粉飾決算における責任追求と原因究明

この記事はCWSコモンズの週間報告にも書きましたが、ここで時々議論している「組織の倫理」と「組織の論理」につながる話なので再録させてもらいました。

カネボウの粉飾決算が話題になりだしました。
そして、ついにかつてのトップが逮捕されてしまいました。
テレビを見ていたら、その一人の宮原卓さんの映像が移りました。
私の知人の宮原卓さんでした。

カネボウの粉飾決算は、おそらくかなり広い範囲でささやかれていたことであり、私ですらかなり前から何となく聞かされていました。
まあ、そんなことはそうめずらしいことではありませんので、そう気にもしていませんでしたが、
その規模はかなり大きいのと経営幹部の意図的な操作のすごさから、問題になるのは時間の問題だとは思っていました。
しかし、そのトップに宮原さんがいるとは知りませんでした。

宮原さんは三井銀行出身です。
私が東レにいた時代、三井系の会社の企画調査関係のスタッフの集まりをやっていました。
その時に一人が宮原さんです。
私とは大学卒業年次が同じですので、親しみを感じていました。
それにとても真面目な人柄でした。
宮原さんが三井銀行からカネボウに派遣されたのは19995年です。
当事のカネボウはすでにさまざまな問題を山積していたはずです。
最初はまさか彼がと思いました。いや今でも信じられない気分です。

これもたまたまなのですが、今日、その集まりのメンバーの一人から40数年の会社生活を無事終了したという挨拶状が届きました。
そして宮原さんの事件です。
安定した大企業に入社し、真摯に仕事に取り組んできた2人の知人の明暗をわけたのは何でしょうか。

安全学を提唱している村上陽一郎さんが「第三者機関による事故情報の収集と分析」の大切さを指摘しています。
そして、事故に対して「責任の追及」よりも「原因の究明」が大切だと言っています。
同じことが企業活動にも言えると思います。
宮原さんがなぜこんな不運に巻き込まれたのか、彼の責任を追及することも必要ですが、
それ以上に必要なのは原因です。

責任の追及は「倫理」問題ですが、原因の究明は「論理」問題です。
そうした発想が、残念ながら日本にはほとんどありません。
西武鉄道で自殺した社長も、組織の論理に負けたのです。
思考のパラダイムを変えないと、こうした悲劇がまだまだ繰り返されるでしょう。

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