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2005/08/28

■民から共へ 

腹が立つのでテレビの政治家座談会のようなものは見たくない気分なのですが、ついつい見てしまいます。また見てしまいました。冬柴さんと武部さんがめちゃくちゃな議論をしていました。私欲だけの人はどうしようもないと思いました。
民主党の岡田さんが「民」にはNPOもあるといっていました。
社民党の福島さんは「民営化」の「民」は民間企業のことだといっていました。
「民営化」とは多義的な言葉です。
唯一つだけいえることは、「民」とは統治される主体性のない存在だと言うことです。

NPOと「民」とは似て非なるものです。
もっとも日本のNPOは「民」発想かもしれません。官に寄生したり管理されたりしているNPOは少なくないように思います。

「民」ではないNPOとは何か。
私が考えるNPOは、主体的な存在としての生活者集団、住民集団です。それをベースにした市民集団も含めていいでしょう。いわゆる「民」と違うのは、統治の対象者ではなく、統治者なのです。コモンズ主体と言ってもいいでしょう。いまの社会システムのサブシステムではなく、社会システムのリフレームのイニシアティブをとる存在です。

郵政の組織変革のモデルは、「民」ではなく、こうした新しい組織原理によって構成されたコモンズ(共)組織であるべきだと思っています。どこが違うのかと言えば簡単で、組織ガバナンスの仕組みが違うのです。コミュニティ・ガバナンスへの関心が高まっていますが、まさにその一例だろうと思います。

「官から民へ」とよく言われますが、私は「官から共へ」が時代の方向だと確信しています。
私たちも、そろそろ主体性のない「民」の立場から脱却しなければいけません。

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