■警察の民事不介入原則と共謀罪
また隣人騒音事件です。一宮市の一人住まいの女性が、朝の4時かラジオを大きくかけ続け、フライパンなどをたたき続ける行動を10年にわたって行っていることがテレビで放映されていました。警察も対処できないようです。その背後には「民事不介入の原則」があります。警察は刑事事件でないと介入してこないのです。
これは一見合理的に見えて、全く無意味な原則です。なぜなら「民事事件」と「刑事事件」は連続的であるばかりか重なっていることが多いからです。桶川市ストーカー殺人事件はその典型的な事例ですが、これに限らずすべての刑事事件は民事から出発します。
ですから民事不介入の原則は、解釈によってはいか様にも対応できる多義性をもっていますから、管理発想の下に成り立つ思想なのです。いいかえれば、よくある「無意味な概念」です。
警察や行政は、一宮市の常軌を外した一住民の10年間の暴挙をとめることができなかったわけですが、これは民事ではなく明らかに刑事事件の要件を構成しています。しかし、管理発想からは放置しておいてもいい事件だったのでしょう。
たとえば、これも記憶に新しいですが、イラク派遣反対のチラシを住宅のポストに入れただけで逮捕された事件がありました。10年間の暴挙と比べて、どちらが犯罪性が高いでしょうか。誰にでもわかる話です。しかし、権力者の判断基準は違うのです。警察がもし、生活者の視点で行動しているのであれば、逆に動くはずですが、残念ながら今の警察はそうではないようです。
ところで、一宮市の事件ですが、皆さんが被害者になったらどうしますか。公的制裁が加えられないと言う前提です。我慢しますか。転居しますか。あるいはその人に私的制裁を加えますか。
私は転居しそうです。我慢はできません。また私的制裁となると、いささか自制力に自信がありませんので、それこそ刑事事件に発展させてしまいそうです。まあ警察の思う壺かもしれません。
しかし、きっともうひとつの道があります。共的制裁です。つまりコモンズ発想です。
被害者がみんなで行動を起こすのが一番でしょう。これは、しかし誰でもが考えることです。当然、一宮市の住人たちも取り組んだはずです。にもかかわらず、事態は10年も続いています。どこかに問題があるのです。つまり法体系に欠陥があるのです。その出発点が、民事不介入という枠組みであることはいうまでもありません。
では、みなさんが加害者だったらどうでしょうか。同じような暴挙を繰り返していた奈良の女性は逮捕されましたが、逮捕されるとわかったらやめるでしょうか。たぶんやめないでしょうね。そうした暴挙を続ける原因が解決されないからです。ここでもコモンズ発想が重要になってきます。
ところで、こうした状況の中で、共謀罪が議論されています。
どう考えても納得できません。治安問題はもっと生活の視点で真面目に考えていくべきです。郵政問題のような「瑣末な問題」とは違って、未来を決める重要課題なのですが、どうも世間の常識はそうはなっていないようです。
一宮市の女性はまもなく逮捕されるでしょう。テレビでここまで話題が広がると、さすがの警察も少しは真面目に動き出すでしょうから。しかし、そうした対症療法的な対応でいいのでしょうか。治安は管理できないものです。
民事不介入の原則は、きちんと再吟味すべきです。
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